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2013年9月14日 (土)

カンディンスキー展(2)~始動と飛躍

ここで見たのは、抽象絵画というものをカンディンスキーが発明し、意識的にそういう作品を描き始める前の作品です。

Kandinskyguここで、断わっておきたいのは、カンディンスキーが抽象絵画を発明したというのは、彼が最初に抽象的な作品を描いたということではないのです。彼以前に、そういう絵画を描いた画家は沢山いたと思います。例えば、晩年のモネやターナーの風景画は形象が曖昧になって、すべてが靄に包まれ、色彩が散りばめられているのが目立つという、限りなく抽象画でした。しかし、それらの作品は抽象的な要素はあるけれど抽象画とは言われません。どうしてそうなのか、というと画家本人が、そう主張しなかったからです。(笑)モネやターナーは具象的な対象を描いているうちに結果的にそういう作品を描いてしまった。だから、本人には抽象画という意識がないのです。これに対して、カンディンスキーは結果としてモネやターナーと同じような作品を描いたとしても、それを抽象画として位置付け、そう主張した。それで、見る側も、そういうものとしてカンディンスキーの作品を見るようになった。いわば、抽象画という概念とか、それを特別なものとして見るということを、つまり制度を、カンディンスキーがつくったという、それが抽象画を発明したということです。少なくとも、私はそう考えています。

そうなると、カンディンスキーの軌跡、とくに抽象画の作品群を生産し始める前のカンディンスキーの作品に関しては、抽象画に辿り着く前に、様々な試行錯誤をしていくという位置づけが、この展覧会でもされていたようです。しかし、上のような考え方でいけば、すでにカンディンスキーが抽象画を描くことに辿り着く、というよりもすでに彼は、そういう要素の含み込んだ作品を描いていて、それを自覚して抽象画として意識するまでの軌跡ではないかと考えています。それは、そういう見方でも、ここに展示されている作品を見ることができるからです。というよりも、具象的な風景等を描いていた画家が、徐々に抽象的な作品に変貌して行ったというようなストーリーは、展示作品を見る限りでは、そのプロセスがハッキリしないのです。

.ミュンヘン1986~1907年─始動

Kandinskymoon最初は画家を志しミュンヘンに留学したときということで、習作に近い風景画と象徴主義的な版画が展示されています。一人の画家が描いたとは考えられないほど、別種の作品のように見えますが、習作期であることや、生活の糧を稼ぐということでしょうか。『グースリ弾き』(右上図)というロシアの民族楽器を弾く人物と、それを聴く女性という二人の人物の登場する版画は、アールヌーボー的な装飾がされていたり、ロシアのイコンのような様式化がされていたり、とくに上部の鳥は様式化されて装飾の中に埋もれてしまうように形象の存在が希薄化されています。また、『月夜』(左上図)という作品では、月夜というのに三日月は半分しか描かれておらず、暗い青で突き出た島の断崖と中央の海竜が影のように描かれ、それらが単純なパターンのようで、夜空の群青のなかで輪郭は融け込むように曖昧化され、群青の暗さのグラデーションの中で、星の黄色い点と島にへばりつくような建物の白い壁と竜の白い斑点模様と、月の光を反射して黄色く光る海面の図案化された対立関係ばかりが目立つ作品になっています。これらの作品は、カンディンスキーの習作期の作品だからとして見れば、なるほど後に抽象画を描くことになる萌芽が見られる、とみなすこともできます。しかし、そういう前以て、知識を持たずに見て、そういう画家が描いたものと判別することはできないと思います。そういう視点で探せば、慥かに、後世の萌芽の要素を見出すことは可能でしょう。しかし、とくにカンディンスキーの作品であると、他の画家の作品との際立った違いが果たしてあるのか、と考えると、この時点では、カンディンスキーに限らず、他の画家でも抽象画の元祖になり得る可能性を持っていた、と私には考えられるのではないかと思います。それが、この時期のカンディンスキーの作品を見て感じられたことです。

.ミュンヘン1908~1910年─飛躍

Kandinskymur2カンディンスキーはミュンヘン郊外のムルナウに腰を落ち着け、風景画を描き始めます。いわゆる「ムルナウの時代」です。その風景画に関して、カタログでは“以前、版画やテンペラで行っていた象徴主義的な表現と、戸外での油彩スケッチというふたつの系列を総合する試みであり、原色の、光を発するかのような鮮やかさと、対象の輪郭をなぞる黒との強いコントラストによって、あくまで実景描写でありながら、非現実感の漂う彼岸的な雰囲気を帯びている。黒は陰影としてではなく、独自の性格を帯びた色彩として用いられながら、画面を線遠近法的空間から解放し、平面上のすべての点の等価性を高める担い手となる。マティスの絵画に頻出する黒の意味深長さをも連想させる彼の黒い輪郭は、やがて黒い線として対象から離脱し運動し始め、その抽象絵画の形成においてきわめて重要な役割を担うことになる。”と難しく説明されています。

Kandinskymur1では、作品を見てみましょう。『ムルナウ─城の中庭Ⅰ』(右中図)という作品です。カンディンスキーはパレットナイフで絵の具を塗りたくったらしいのですが、絵の具が、しかも原色が厚く塗られているというよりも、絵の具のかたまりが置かれている感じです。その印象が強く、まるで塗り絵です。画面構成とか、スケッチとかは厚塗りの絵の具に隠れてしまった感じです。その代わりに絵の具の原色が目立って、その色と色の緊張が前面に出ています。こうなると、風景画とは言いながら、風景という題材に塗り絵をして、色の鮮やかさと、その対立で各色が際立たせられて鮮やかになっているのを見てくれ、とでも言っているようです。真ん中の黄色い三角形は、実景では奥に位置する城ではないかと思うのですが、奥行が感じられなくて、平面的に絵の具が塗りたくられ、城という感じもしなくなりました。単なる三角形に近い感覚です。城とみれば、城に見えてきますが、そういうものとして見なければ三角形です。というように見てみれば、抽象画に近い所にカンディンスキーが来ていると、抽象画家カンディンスキーを見に来た人は思ってしまうでしょう。もうひとつ、『夏の風景─ムルナウ』(左中図)という作品では、黄色と緑と輪郭の黒が厚く塗りたくられた塗り絵です。黄色と緑が目立ちたがり競争をしている中で、黒いが輪郭線を太く引いて領域区分をしているという作品です。強い陽光を連想させる黄色の存在感が「夏の風景」というタイトルと相俟って、夏という季節感を感じないこともないですし、構図も風景画としてスタンダードなものですが、風景なんぞは二の次というのか、色を強烈に配置することが第一で、そのための設計図として風景画の構図が援用されている、というと言い過ぎでしょうか。これらは、あのカンディンスキーの作品だから、という視点でみると、そう見られてしまいます。でも、カンディンスキーがこれらの作品に「インプロヴィゼイション」とか「コンポジション」とか言ったタイトルをつければ、そういうものとして見ることもできる作品ではあると思います。

Kandinskycrinolin『クリノリン・スカート』(右下図)という作品では、先に見た二つの作品が形象が単純化されて絵の具が塗りたくりやすくなっていたのに対して、シンメトリーな構図が様式化されていて、構図が絵の具の塗りたくりより目立つような印象です。それだけに、却って邸宅の庭園とそこでのパーティーに出席している婦人たちの存在は限りなく希薄で、その形象の輪郭だけになっています。一人一人の婦人個人が描かれているのではなく、婦人の輪郭が画面にあって、そこに別々の色が塗られているというものです。しかも、ここでは、先の二作品に比べて、色の選択が現実に捉われないで、画面を生かすために必要な色を選択することが優先されています。だから風景を連想される色から、画面を構成させる色へと、色彩の意味が変わってきていると言えます。

Kandinskyimp4そして、『インプロヴィゼーション4』(左下図)という作品です。インプロヴィゼーション(即興)というタイトルのつけ方からして、具体的に何かを描いたのではないということを伝えているではありませんか。即興的に描いてしまったのだから、後は見る方で勝手に想像しろというわけです。ジャズの即興演奏を聴いて、聴衆は自由気ままにしていればいい、というのに似ているかもしれません。こういうことを考えたカンディンスキーというのは、かなり戦略的に抽象画というものをアピールして定着させようと考えたのではないでしょうか。効果的なPR戦略ではないかと思います。とはいっても、この作品を見ていると、今まで見てきた風景作品と程度はかなり進んでいますが、基本線は先に見た作品と変わっていないのではないかと思います。この作品を見ていて、何となくもとの、現実の形を想像できてしまうのです。カタログでは“「インプロヴィゼーション」とは、作者自身、主に無意識的な、大部分は突然に成立した、内面的性格を持つ精神過程の表現であると言っている。しかし、その定義とは裏腹にカンディンスキーのインプロヴィゼーションは作者の内面的なイメージを素早く描きとめたものではなく、素描やスケッチなどの習作を通じて入念に仕上げられたものなのである。本作品では、対象の形態は、ほぼ完全に色彩に還元されており、黒い輪郭線で分節された色彩による構成の中に埋没している。しかし、カンディンスキーは、わずかにモティーフの痕跡を残すことによって、まさに抽象と具象とがせめぎあう緊張を画面に生み出した。垂直と水平を軸に組み立てられた堅牢な構図であるが、そこに動きを与えているのが、色彩がそこかしこで織り成す衝突と融合であり、また全体に施された絵筆のタッチなのである。”と丁寧に説明されています。例えば、真ん中の深い緑は樹木のようですし、右隅の真ん中は雲のようです。そう見るとペースは風景を現実とは関係ない色の絵の具を塗りたくって、しかも筆跡を大胆に残したりして変化をつけて、一見、何が何だか分らないようにしています。いかにも、何かを描写したのではないように見えるようにしている、というわけです。実際のところ、意識して何も描かないで絵画を描くというのは、それまでの常識的な画家の修業をしてきた人にとっては、その修行に疑問を抱いていたとしても、そう簡単にできることではないでしょう。でも、ここでカンディンスキーはインプロヴィゼーションと宣言するということで、自らを抽象絵画に押し出そうとしたのかもしれません。『インプロヴィゼーション7』(下図)という作品では、ベースとなるものが判別できなくなってきました。

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