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2013年9月22日 (日)

八木雄二「天使はなぜ堕落するのか─中世哲学の興亡」(1)

1部 中世とは何か

1章 ヨーロッパ中世世界

専門的な訓練を受けていない一般の人たちが、中世哲学の本を読んでみようと思いながら実際には読み通せない何かを感じるのは、おそらく決して根拠のないことではない。遠慮なしに言えば、キリスト教がそれ自体は万人に開かれた世界宗教であったとしても、ときに、あるいは、ある種の人たちによって、カルト的性格を持つことがたしかにあるからである。カルト的性格というのは、「自分たち」は「彼らとは違う」という意識を、一般の人々のうちに流す行為である。

キリスト教の教会の建物の内部を思い起こしていただいてもよい。ローマ帝国時代に迫害を受けていたキリスト教の信徒たちが、隠れて祈ったカタコンベ(地下墓地)の歴史を受け継いでいる。つまり、外部に迫害者(怨敵)の姿を想像している信徒の集団意識が、あの大聖堂に受け継がれているのである。人々はそこに入り込んで、自分たちの救いを求めて、祈り、歌う。したがって、そこにあった音楽も、教会という閉鎖空間に響く音楽として発達している。私たちは、ヨーロッパは開放的で明るい文化を築いてきたと思いがちであるが、それは少し遠い歴史を見直してみると間違いであることに気付く。

本来的には、キリスト教は純粋な信仰においては怨念を振り払うものである。よく知られているように「敵を愛せ」と教えたのは、ほかならぬキリスト教なのだから。しかし、ヨーロッパの歴史において、中世に限らずどの時代にも、有象無象の欲望が世界を動かし、そこでは、哲学という知的な吟味すら表面を飾るために働いていた、という側面もなきにしもあらず、である。

 

ヨーロッパの中世に知的世界を生み出すにあたって、もっとも重要な思索を残したのはアウグスティヌスである。彼は、自身の著作の中で、イエス・キリストが現れたあとの時代を人類最後の時代とみなしている。どうやら、彼は、自分が生きているときを、もう終わりの時代、もうすぐ世界の終末が来て、神の審判があり、天国に行ける人と地獄に落ちる人が決められる、その時が迫っている、思っていたらしいのである。

彼が死んだ後、ヨーロッパは私たちが「中世」と呼んでいる時代を迎える。しかしそれでも、彼の歴史観は時代遅れのものとして廃棄されず、むしろそのまま中世の人々の間で一般化した。つまり相変わらず人々は「最後の時代」を自分たちは生きていて、終末がもうすぐやってくるに違いない、考えていたのである。

例えば、ヨーロッパの中世をつくりだした重要な基盤として修道院をあげなければならない。修道院を通して西ヨーロッパはキリスト教社会に変わっていったからである。その修道院では、日中ばかりか夜中にもろうそくの炎のもとで神への祈りが捧げられた。修道士たちはゆっくり休むことを許されなかったからである。中世の修道士たちは、キリストの「目覚めていなさい」という声を聞くかのように、夜中に起き出して祈り続けた。その祈りは、惰眠のうちにサイゴノときを迎えることがないように、というキリストの精神を中世の人々に伝えていたのである。

キリスト教は、本来「終末を予定している宗教」であって、決して進歩を予定している宗教ではない。他方、現代の人々は日々の進歩を信じている。いくらかの挫折はあっても、社会は進歩して暮らしやすい世の中がやってくる、と人々は「進歩改善を予定」している。したがってそれは来ないことはありえないと思っている。近代科学技術の進歩史観と呼べるもの、これも一種の予定思想であり、宗教だと言えるかもしれない。それに対して中世においては、社会が進歩するとはだれも考えていなかった。自分たちの見ている世界は、キリストが見ていた世界と本質的に同じであり、変化はあっても些末なことがらにおいてでしかない、思っていた。そして世の中はこのまま変化することなしに、終末を迎えると考えられていた。そうでなければ生きていられないと思える世界を生きていたのである。現代の人々に時間軸を書くように言えば、一様に直線を引くだろう。時間はまっすぐに進んでいると誰もが思っているからである。ところが同じ質問を中世の人間にしたら、例えば、トマス・アクィナス、彼は直線ではなく、円を描くのである。つまり彼は、人間は同じことをし続けていると理解している。社会も同じことをし続けていると見ている。したがって時間は経過しているが、何かが進んでいるとは考えない。春は新たにめぐってきても、繰り返しめぐってきているのであって、そこに進歩がありうるとは考えない。

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