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2013年9月11日 (水)

カンディンスキー&ミュンター 1901-1917展(3)

.ムルナウとミュンヘン

カンディンスキーにとって、長い旅行からミュンヘンに戻り、その近くもムルナウという土地と出会ったことが大きな転機になったことが分かります。そこで、カンディンスキーは画風を大きく転換します。

Kmmurnaustreet『ムルナウ─村の道』(左図)という1908年のムルナウに居を定めて間もないころの作品です。ここでの大きな変化はペイティングナイフを絵筆に持ち替えたことだそうです。私などは、そう言われればそうかもしれない、という程度でしかないのです。この作品を見る限りでは、点描のように絵の具を置いていくような描き方がされていますが、ナイフではできなかったような、軽さと細やかさが生まれている一方で、建物の輪郭や窓が黒い線が伸びるように描かれているのは、絵筆を使ったが故に出来たかことかもしれません。しかし、それ以上に見た目にも、ハッキリわかる違いは、色彩が派手になったことです。この作品では、オレンジ色が基調となって、家の壁、道路、左手の木になっている実、そして雲までも、これと家の輪郭や影の黒と対照するように描かれていて鮮烈な印象を受けます。以前は曖昧にぼかされていた輪郭線が、むしろ力強く登場し、細部の単純化が進み、以前には残っていた陰影も単純化が進む中で次第に感じられなくなってきています。後世からの、今だから言えるという見方かもしれませんが、この時、例えば色遣いにしても、自然の事物に固有のものという考え方から徐々に離れていったようにみえる、つまりは、自然をありのままに写し取るという、という写生の姿勢から離れていった、多分彼ら自身の言葉で言えば、解放された、という言い方になるのでしょうか。そして、多分、彼らは、それ以上に、内なるものとか、事物の本質を感じ取るとかいう言い方をするのでしょうが、それへの一歩を踏み出し、それを自覚し始めたのではないか、ということなのです。

このとき、ムルナウで共に活動をしたアレクセイ・ヤウレンスキーという画家がゴーギャンやフォービズム等を紹介し、クロワゾニズムという、黒い輪郭線で取り囲んでモチーフを単純化し、その輪郭線で囲まれた中を平坦な色面にすることで画面を再構成して、対象を均一な色の平面に還元してしまう手法を、彼らに伝えたと言います。

Kmmurnaugarden1910カンディンスキーは、視覚で捉えたわずかな基本要素を画面に還元させることを追求し、自然の光景から次第に離れていくのが、この時期の風景画を見ていると、よく分ります。『ムルナウ─庭Ⅰ』(右図)という1910年の作品です。庭の地面と木々の茂みは、茶色と緑の、輪郭のハッキリしない色斑となって、画面の中央を占めています。それを取り囲むように、前景の左に小屋、右にヒマワリの花、遠景の左に家形、右に教会という比較的識別しやすいモチーフが描かれています。この中でも、左手の小屋は実際の色とは違って、画面構成の必要から緑、赤、青に塗り分けられ、全体として赤、青、黄、緑の鮮やかな色彩は、例えば赤と赤、あるいは青と青が、それぞれ画面の中心に対して点対称の関係を作るように配置され、それによって均衡が作られている、といいます。このように、形態と色彩の両面において、大胆な変形がくわえられ、もはや写生の姿勢は影をひそめ、彼ら自身の言う本質を追求していく方向が表われています。

Kmmurnauwithachurch1910『ムルナウの教会Ⅰ』(左下図)という1910年の作品です。さっきの『ムルナウ─庭Ⅰ』に描かれた城館と教会のある風景から出発して、大きな飛躍をどけた作品だそうです。最初に描きこまれたのは城館と教会の塔の輪郭を表わす線のうち、城の輪郭線が色斑の中にほとんど埋没してしまい、これに対して塔の輪郭線は残されて、この作品を貫く支柱としての役割を果たしている。その線は、引き伸ばされた塔の形態を際立たせ、やや右に傾いた強い上昇の力を示すことによって、画面全体に動きと緊張感を与えています。このような線のエネルギーと、それによって表わされた象徴的モチーフとしての塔は、境界があいまいで混沌とした色斑の群れに、精神的な次元で内容をもたらしている、といいます。まるで、教科書でお勉強しているようですね。そうでもないと、辛うじて何らかの形をしていると分かるのは中央右手の塔と左手の家形だけです。あとは色のかたまりが大小様々が斑点のようにあるだけ、という作品で、何が精神か、何が本質か、というところでしょう。だからこそ、色による画面構成のバランスに気を使っているのでしょう。その中で、塔の形が楔のように(まさに塔は楔の形にも見える)が具体的な形態を残していることで、周囲と異質な感じで、それぞれが相容れない感じを与え、異質な二つの要素が同居とした居心地の悪さが、見る者に「あれ?」と思わせる。そういうちょっとした違和感が、見る者を立ち止まらせ、なんだろうと考えさせる、と言ったら言い過ぎでしょうか。

そんな託宣を垂れるよりも、白と青の二つの色の流れを見ているだけ、なんとなく清々しい感じなる。こっちの方が、私の正直な感想です。そういう動きを想像させるところがカンディンスキーの魅力でもあるのです。

これはもう、ほとんど抽象画です。

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