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2013年10月 3日 (木)

八木雄二「天使はなぜ堕落するのか─中世哲学の興亡」(7)

500年から600年の間に、中世ヨーロッパが作られていく条件が生まれた。300年頃から異端は追い出され、東ローマ帝国内外にはいくつかの修道院が作られていた。そこで育った修道士たちは、信仰を広めていく使命を実行しようと、未開の西ヨーロッパ各地に入り込んでいく勇気を持っていた。彼らが最初に安定した場所を得たのはブリテン島であった。ブリテン島には多くの修道院が作られ、ラテン語とギリシャ語に基づく聖書その他の知識が伝えられた。教育を受けた修道士たちは、現地で次の世代を育てていく。こうして未開の地で知識の伝承が可能になった。中世の修道院は古代におけるアカデメイアの役割を引き受けたのである。とはいえ修道士にとっては、祈り、働くことが生活のすべてである。決して研究生活が修道士の生活ではない。それゆえ、その知識レベルは特別に高いものではない。ごくまれに優れた知性が参加することはあっても、そのレベルが続くことは望めなかった。

10世紀以後、大陸内が安定し、農耕地が開拓され、次第に経済が潤うようになった。11世紀に入るころには、比較的豊かな出自の若者が新しい刺激を求めて、古くからのイタリアの都市など経済的に豊かな都市に集まるようになった。若者たちは司教座聖堂学校と言われる教会が持っていた学校や、都市近郊に居を構えていた大修道院の付属学校で知識への飢えを癒していた。しかし、西ヨーロッパに生じたこの動きは、古典ギリシャ時代にソフィストが登場したのと、一つは同じような現象であった。人々は議論に花を咲かせ、哲学的論議が若者の興味を引くようになった。こうして地中海の温暖な気候と経済的余裕を持つ古くからの都市には若者たちが集まり、知識を持っていた者が教会施設の外で講義を行えようになった。これが世俗の「大学」を成立させていく。その動きが11世紀のうちに生じていた。

一方、11世紀のヨーロッパでは、論争の勝利者は一種のアイドルであった。その背景には、議論好きのヨーロッパがある。カエサルの「ガリア戦記」にも見られるように、荒くれた時代には戦争で身を立てる道を選ぶ若者が多かった。艱難辛苦して身を立てるのが面倒だ、と思うのが一般的だった。一時の戦いで、略奪にしろ勝利による分け前にしろ、手っ取り早い利益の獲得を求めたのである。平和が訪れて戦争がなければ、今度は論争がある。戦争には英雄がつきもののように、論争には次々と論争に打ち勝つ英雄が求められる。その名声が何よりの冠となるのがヨーロッパの知的伝統だった。ヨーロッパでは、説得力を競う論争が文化の中心である。それを担うのが哲学であった。それゆえ簡略に言えば、ヨーロッパ文化は論争が中心の哲学主義である。また、西ヨーロッパに中世が始まる頃、西ヨーロッパにはキリスト教の異端が根を下ろしていた。しかし、異端には、聖書を理解するための文学的教養も、それを基盤とした哲学的知識も乏しかった。一方、カトリックは、それらを地中海世界で受け取って豊かに携えていた。それが異端に対抗してカトリックの教義を西ヨーロッパに広めるうえで大きな力になった。なぜなら、教会は哲学ないし論争を通じ異端説を反駁し、カトリック説で人々を説得できる人材をたくさん擁することができたからである。ヨーロッパはこの種の説得力には弱い。ところで、ヨーロッパでは、論争に火花が散って人々が知識の伝授のために集まるようになると、お互いに協力して生活するための組合がつくられた。つまり学生と教授が一つになって、自分たちの活動を守る組織が作られた。当時ヨーロッパでは、同種の職業人は一緒になって組合を作るのが普通だった。珍しい知識に引きつけられて仲間になった集団も、また教える立場の職分で仲間になった集団も、自分たちの権利を守り活動していくために、つねに「組合」を作った。それがヨーロッパの都市に生まれた「大学」であった。大学と訳される英語、カレッジもユニバーシティも、もともと「組合」を意味する。

また、授業料は学生がそれぞれの教授に支払った。そのため人気のある教授は十分な生活費が得られたが、当然そうでない教授もいることになる。そこで、人気を獲得するために、哲学教授は討論会を催して自分の力量を宣伝する必要があった。教授が個人的に論争力を示して学生を集め、金銭を得て、それによって授業が進められる。

パリ大学をはじめ、1100年から1200年前後のヨーロッパ各都市における大学の発生は、実は大きな歴史的転換を表している。古代から続くヨーロッパの知的伝統の中に、それまでのように宗教的でもなく、国王の権力による公的なものでもなく、利益と名声が絡んだ世俗的教育機関が組織的、恒久的に誕生した、という歴史的出来事なのである。大学には優秀な能力を持つ若者が集まった。そのため国王も教会も、大学の動きを無視することはできなかった。キリスト教会は世俗的で無頼の大学教育に対して、修道院から優秀な修道士を教師として送り込み、さらに教育内容を収容し、キリスト教の教えに反することが教えられていないか、専門の委員会を作って精査させ、当然異端的な見解を主張する教授や、信仰を危うくする見解を主張する教授に対しては教授禁止を命じた。

 

そういう世界でアベラールという若者が取り組んだ問題は、中世を通じてスコラ学者によって問題にされ続けた大問題であり、多くの耳目を集め、若者を集めて、結果的に都市ないし都市近郊に次々と大学が生まれる基盤を作り出した。アベラールが議論を沸騰させた論争は普遍論争と呼ばれている。「普遍論争」というのは、私たちが持つ概念、例えば「ひと」という概念を取り上げれば、それはどのような仕方で客観的に実在しているのか、という問題である。そもそも「かれはひとである」という命題に客観的な意味があるとすれば、「ひと」は実在概念であり、それが実在概念であれば、何らかの仕方でその実在が主張されねばならない。これが<実在論>の立場である。一方、その実在を否定して、普遍概念は概念として心の内にあることだけが認められるのであって、客観的に実在しているのは個物のみであると考える立場がある。この立場は一般に<唯名論>と言われている。普通は「名前だけ」のもので実在ではないという意味が込められている。この論争は「ことばのもつ意味」がどのような仕方で実在と関係するか、ということが問題になっていると見ることによって、認識論に発展する。したがって中世の普遍論争は中世においては当初、存在論の問題であったが、それが認識論を導くこととなり、とくに認識論に注意を向ける近代哲学の母胎となった論争だ、と整理することができる。言い換えると、普遍論争は中世から近代まで、哲学の泉になった論争なのである。だから、これはたいへん深い論争である。そのため、この論争をどのように理解するか、つまりどこで切断面を見るか、ということにおいても、正確には、いろいろな立場がある。

この論争の意味を十分納得するほどに理解することは意外に難しい。特にアベラールが論じた普遍論争は、「普遍問題」の初期的状況にもかかわらず、それが特殊な思想的背景をもつ存在論の問題であっただけに却って理解しにくいものがある。というのは、ここに日本人にとって不慣れな問題設定の思想があるからである。

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