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2013年10月 2日 (水)

八木雄二「天使はなぜ堕落するのか─中世哲学の興亡」(6)

第4章 大学の誕生

紀元前のギリシャで、ヨーロッパ史上初めての学校ないし学院を開いたのはピュタゴラス学派である。学校とはいえ一種の宗教団体の施設である。紀元前530年頃と見られている。数学を意味する英語マテマティクスは、古典ギリシャ語では数学を意味するのではなく、学習者ないし見習い身分を意味する。

当時の学校ないし学院は、国家のためになる人材を教育する現在のような公的機関ではなく、むしろ私的な機関であり、なおかつ宗教性を持つものだった。当時はまだ職業に必要な知識は徒弟関係で学ばれるものであって、公立の学校と言われるような場で教えられることではなかったからである。そのうえ官僚を作るための学校も不要だった。当時はまだ、権力が支配の機関の構成員としての官僚を広く一般から募る必要はなかった。はるかに時代が下がって、国家が大きく複雑な権力組織を持つようになり、さらに貴族社会の中だけから人材を見出すことが難しくなったとき、事務的計算能力を持つ人材を広く一般から求める必要が出てくる。すると人材を育成し、同時に能力を選別する機関として学校が利用されるようになる。つまり教育や国家の官僚の養成が個人的な徒弟制度では無理となると、一般に広く門戸を開いた学校制度が生まれたのである。それは、じつは中世だった。

それ以前の古代では学校は特殊な教育機関だった。そもそも学校は知識を広めるためにある。しかし知識によって利益を生む人材を育てるのは後世のことでギリシャの都市国家では、貴族的市民のみが学習の機会をもっていたし、その学習の機会に応じるには、個人的な家庭教師ですんでいた。大勢を集めて教育する必要もなかった。むしろ当初この目的に一番沿うのは宗教の教えを広めることであった。利益に加わる知識なら徒弟制度でできるが、利益に直接関係ない知識は、やはり特別な教育機関を必要とするからである。そして当時は、科学も哲学も、宗教と同じく利益に直接つながらない知識であった。

アテナイの郊外に作られた本格的な学院は、ピュタゴラスの学院から150年近く遅れて、プラトンによって設立された赤でメイアである。ピュタゴラスの学院とは違い、宗教教団ではなく、向学心を持つ一般の人々を受け入れる哲学の学校で、幾何学をはじめ弁論術も教える総合大学だった。ピュタゴラスの学院は、数学の学校、いわば専門学校である。したがって、まさに知能に優れた人間を集めて国家のために役立つ優れた人材を育成する機関ではなく、むしろピュタゴラスの学院にならい、宗教的な雰囲気を持つ学院だったと推測される。実際、このアカデメイアからアカデミックという言葉が生まれたが、アカデミックな雰囲気とは、世俗の利益を考えない雰囲気であり、言ってみれば宗教的なものであろう。古代から中世に至るまで、幾何学も数学も非世俗的な学問であり、それを学ぶことは宗教的な精神修行だった。ピュタゴラスの学院を模したプラトンのアカデメイアは、そうした考えを哲学に拡大したと考えることができる。すなわちプラトンにとって哲学は宗教に通じる精神修行なのである。実際プラトンは、哲学の研究によって魂はイデアの国に帰ることができるようになる、と考えていた。哲学研究という精神修練によって魂は死後天国に帰ることができる、と考えるようなものである。プラトンの作品に示された議論は厳しく合理性を追求するものであるが、霊魂の修練の成果として別の世界への旅路を考えているのだから、その思想はやはり宗教的なものと考えることができるだろう。プラトンが哲学を「宗教的な精神修行」に変える以前は、多くのソフィストが街中で哲学を唱えていた。それは人前で他人を言い負かす論争力であり、それを正当化できる思想であった。この時代には、哲学は新奇な主張で人を煙に巻き、他人をまるめ込む、あるいは説得する技術というイメージがあった。つまり哲学は反宗教的であり旧来の宗教秩序を壊してしまうと危険視され、むしろ不道徳なものでさえあった。民衆が持っていたそのような一面的なイメージと戦ったのがピュタゴラス学派であり、ソクラテスであり、プラトンである。人に対して誠実な説得を心がければ、その説得は、人の生き方の真実に基づくものになり、哲学は宗教に近づくことになる。とは言え、哲学は古代ギリシャやその影響下にある地域では、哲学は倫理的教えの側面で、宗教の代わりを果たすようになった。そういうわけで、古代における哲学の一般的イメージは、反宗教的で反社会的なものから宗教的なものへ変わった。このため哲学と宗教の相違はややこしいものになった。この問題は、後にキリスト教という本格的な宗教が入ってきたヨーロッパ中世で、はっきりと論争のテーマになる。なぜなら、キリスト教は人間の生き方をしっかり指導するからである。

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