加納光於│色身─未だ視ぬ波頭よ2013 (6)~Chapter5 色身を求めて─油彩
狭い美術館の展示室に押し込められたような展示は、最期に版画では困難なためでしょうか、大画面を油彩で制作された作品が並べられていました。今まで見てきたような、鮮やかな色彩の、不定形な、波立つ流れが大画面で、見る者を圧倒する大きさで現われてくるものです。ただ、マーク・ロスコの抽象画のように大きさというスケールで、見る者を包み込み、独特の精神状態に誘うようなことはありません。そういう意味を求めているものではなくて、ただひたすらに感覚的な美しさを追求しているから、大きいゆえに迫力で迫るということはなくて、細部がよく見えるということでしょうか。
描き方については、私は不案内で、よく分りませんが、筆に絵の具をつけて塗ったということでは、できないものだろうと思います。基本的に、これまでの版画と同じような技法で、版画の場合はネガである版をポジである紙が写し取ることになるのを、直接キャンバスに定着させられているということかもしれません。その一方で、画面が大きいために、空間構成について余裕をもったデザインができることから、反復や反復に変化を加えることをたっぷりと行っているので、少しくどい感じを受けることがあります。そのわりに反復させる要素は絞ってあるので複雑な感じはしません。
しかし、《ルゥーバ、降り注ぐもの》という最後に展示されていたシリーズでは、定型化、バターン化の兆し、硬直化といってもいいかもしれません。流れることの運動性というのがなくなってきているような気がしました。
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