加納光於│色身─未だ視ぬ波頭よ2013 (4)~Chapter3 箱の宇宙─リーヴル・オブジェ
加納は一時、箱型のオブジェに取り組んだ時期もあったようですが、私には、あまり興味が湧きませんでした。加納の「美」は、意味を剥奪された純粋な抽象に近いので、閉じた空間で辛うじて存在し得ると、私には思えます。それが立体という三次元の広がりを持ってしまえば、閉じ込められなくなり純粋な感じがなくなってしまうように見えたからです。例えば、物体としての重量とか質感とか、モノとしての存在感がどうしても入ってきてしまう。その具体性は雑音に感じられました。
ただ、この中で書籍の装丁を手がけ、印刷、製本という工程で生産されるという制約を受けてつくられたものがありました。ここでは、それだけに触れてみたいと思います。前回に見た《PENINSULAR半島状の!》№8 という作品でキーホルダーか靴べらのかたちを引用して作品のパーツとして使っていたのを、ここでは全面的に展開して、全体としてはグラフィック・デザインのようなものとなっています。
《オーロラへの応答》(右図)は、図鑑の挿図にある花などの具象的な形や幾何学図形などで構成された版に、様々な色で刷るという技法で作られているということです。加納本人は、“抽象的なイメージから色のかたちをつくりあげるより、既存の一つずつの具象のかたちとして成立しているものの方が、色の変換として意識されるのではないか”と述べているそうです。この色の変換とは“何色もの色を夥しく組み替えて刷ることで、色彩が形を浸食していく”というものだそうです。加納自身の言葉からも、かたちと色だけを純粋に取り出して、それをどうかしようという意識が窺われます。
また、《How to Flyの偏角に沿って№XY》というのも、同じように昆虫や人体、あるいは地形の図に色を替えて、もともとの意味とは無関係に形状だけに注目して並べてレイアウトしたというものでしょう。それはそれで、まあまあ、というものではあるのですが…。でも前回に見た、あるいは、これから見ていく不定形のものに比べると、イメージを引っ張られるので、感覚だけで、「美」ということを感じられることからは遠ざかってしまったという気がします。
これは、加納が迂回をしているとしか、私には思えませんでした。
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