無料ブログはココログ

最近読んだ本

« 加納光於│色身─未だ視ぬ波頭よ2013 (1) | トップページ | 加納光於│色身─未だ視ぬ波頭よ2013 (3)~Chapter2 版の変容─メタル・プリント »

2013年11月 3日 (日)

加納光於│色身─未だ視ぬ波頭よ2013 (2)~Chapter1 強い水─銅版画

Kano031955年に限定8部の私家版として編んだ5点組の銅版画集《植物》(左図)が、公式なスタートということなのでしょうか。これが瀧口修造の評価を受けることにより、加納は個展の機会を得て注目を浴びることになる、と解説されていました。多感な青年が溜め込んだ様々なイメージをぶち込んだという印象で、全体のテイストは、オロディン・ルドンとか版画でいえば駒井哲郎(右図)のある傾向の作品に通じるような。というより、そういうものをベースにして植物、甲殻類、魚、天体、深海をイメージさせるパーツを入れて行ったように見えます。銅版画のモノクロで線と点を描き込んでいくので、稠密に見えて、そこにさきに述べたようなパーツがあると濃密でKanokomai_2シュールな雰囲気を醸し出すという印象を与えるのでしょう。ただ、私には後年の加納の作品を知っているから言えるということでもないのでしょうか、借り物という感じを拭いきれません。ルドンや駒井のスッキリして洗練された画面にはなれなくて、不器用にパーツや線や点を溢れんばかりに画面に入れ込んだ習作を一歩出たものというように見えてしまいます。何よりも、多分書物から得たような加納の頭の中に溜めたイメージを吐き出すの精一杯のように見えます。何よりも「美」ということを感じられない。後年の加納の作品にあるような、パッと見で、理屈抜きにキレイとしか言えないようなものではありません。また、駒井哲郎のようにモノクロという二項対立によって画面を追求していくようなこともなく、そういうところまで配慮が行っていないのが明らかです。

Kano04このChapterのタイトルになっている「強い水」について、展示では次のように解説しています。“「強い水」とは、銅版画を意味するフランス語のeau-forteを直訳した言葉で、加納にとっては銅版の腐蝕液と結びついている。加納は版に線を刻み、描き、刷るといった技法より、「強い水」=腐蝕液による版に出来た偶然の腐蝕効果や傷痕といった版の変容に力点を置くようになる。”《星・反芻学》(左図)とタイトルされた一連の作品をみると、その効果を様々に試みているのが分かります。右図はその内の一つです。さきの《植物》の諸作が何かをイメージしたものを描こうとしていたものが、この作品ではなくなってしまっているのが、大きな違いであると思います。銅よりさらに腐蝕を受けやすい亜鉛合金の版に腐蝕液を流し、そこで生じた形態をタイトルにあるように反芻させます。私は、自分で版画や絵を描くことをしないので分かりませんが、反芻ということから、版の上で、今のイメージで言えばコピーアンドペーストのような作業で、この形態を並べて行ったのでしょう。たまたま、この作品では輪状に並べられていますが、そこで偶然に生まれた形態が繰り返して並べられることによってミニマリズムのような秩序(コスモス)を、不定形という秩序と正反対のもので秩序をつくるというようなことをしているわけです。多分、これは試みであるということでもあるのでしょう。また、私には、加納の作品の美しいというのは色彩に拠るところが大きいと思われるので、モノクロというのは方翼を持たないようなハンデにあると思います。加納は、この時点で未だ、そういう方向に行っていないのか。誤解を恐れずに言わせてもらえば、これらの作品を素通りしても、私は別に後悔しないと思います。

« 加納光於│色身─未だ視ぬ波頭よ2013 (1) | トップページ | 加納光於│色身─未だ視ぬ波頭よ2013 (3)~Chapter2 版の変容─メタル・プリント »

美術展」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

« 加納光於│色身─未だ視ぬ波頭よ2013 (1) | トップページ | 加納光於│色身─未だ視ぬ波頭よ2013 (3)~Chapter2 版の変容─メタル・プリント »