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2013年11月

2013年11月30日 (土)

北川東子「ハイデガー~存在のなぞについて考える」(2)

2「意味」の解明を試みる

皆さんは、誰か偉い哲学者に、「あなたの存在の意味はこういうことですよ」と教えてもらいたいと思うでしょうか。皆さんの経験で分かるように、そんな押しつけの定義や教訓は役に立たない。むしろ、そんなことを言うその人自身が、自分の存在の意味をどう考えているか、それを語ってくれる方がよほど役に立ちます。「存在の意味」は、その本来のところでは、私たち一人一人の問題です。自分で考えるべき問題なのです。哲学が、この自分の問題でしかない事柄と何の関係があるのでしょうか。

哲学的な考察は、非常に錯綜した対象をいくつもの段階に分解して、その一つ一つを出来るだけ厳密に見ることで、一体何が本当に問題になっているのかを明らかにしようとします。「存在の意味」についても同じです。「存在の意味は自分の問題だ」と言う前に、「自分」がいる。自分の存在がある。そして、意味ということがある。では、「自分」「存在」「意味」という、この三つは、どのような関わり方をするのだろうか。この問題を考えるために、哲学としての存在論があります。そう説明すると、「存在の意味」という切実な現実の問題が、抽象的な理屈にすり替えられてしまうように思われるかもしれません。でも、皆さんがある具体的な生き方について迷っているとき、それが本当に「自分の存在の意味」であるかどうかを確かめるのに、どのような手続きをとればいいのでしょうか。この非常に真剣な選択をするために、まず、「存在とは何か」「自分とは何か」「意味とは何か」を知る必要があります。つまり、哲学的に抽象的に考えてみることが必要になります。

意味とは、ある種の体験であると言うことができます。意味が分かるというのは、「ああ、そうであったのか」という納得の体験であり、この体験を基に生きていけると言うことです。言葉の意味についても、同じことが言えます。ある言葉の意味が分かるということは、それを使ってコミュニケーションできることです。広く捉えれば、その言葉で生活できるということです。従って、言葉の意味は、最初から固定して考えることはできません。コミュニケーションの状況によって、同じ言葉が異なった意味で使われることがあります。つまり、言葉の意味が分かるとは、それを生活の中で体験することだと言えます。意味の体験が深まり拡がるにつれて、私たちの意味についての理解が深まり拡がります。言葉の意味の問題について考えることは、このように、意味の実践について考えることです。

では、「ある」という言葉の意味は、どう理解されているでしょうか。体験されているでしょうか。「ある」とは、物があるないの「ある」ですが、同時、「この車の色は青である」というように主語と述語を結ぶ言葉としても使われます。また、「そうである」というように、あることの正しさを表現する言葉でもあります。このように、「ある」は、様々な意味で使われます。他の動詞が限られた領域の主語と結びつくのに対し、「ある」はすべての主語と結びつくことができます。したがって「ある」という言葉は、意味が固定できないほど、多様な使われ方をします。従って、「ある」という言葉についての体験は、とても概観できないくらい多様であり、ほとんど無限であるように思われます。「ある」ということばの統一的な意味を確認することは、ほとんど不可能のようです。

 

ところで、私たちは、日頃何の苦労もなく、「ある」という言葉を使いこなしています。「ある」の様々な意味合いが、どのように関連しているか明確にならなくても、「ある」という言葉を使うことができます。ハイデガーは、この点に注目するのです。「火事だ」と叫ぶとき、「ある」の意味をそれなりに分っています、では、その「ある」で何を考えているのか、はっきりと答えることはできない。それは、事実確認とにはとどまらず、同時に大変だということの表現であり、「逃げろ」や「助けてくれ」ということの表現でもある。これは「不思議な状況」です。

実は、漠とした「存在」についての理解こそが、存在論を始めるための根本的な基礎です。この漠とした理解には、存在についてのより根本的な理解が眠っているはずである、この根本的な理解が眠っているはずである、この根本的な理解が目覚めるようにしてみようではないか、というわけです。「理解」という問題は、ハイデガーの存在論にとって、とても重要です。単に、私たちが「ある」という言葉を漠然と理解できているというだけではなく、「ある」ということばの理解のあり方からして、「存在の意味」を考えようとするからです。ハイデガーの存在論は、そのまま「理解」についての理論だと言っても言い過ぎではないくらいの中心的な課題です。

私たちは、自分の存在がどのような構造をしているか理解したいと思っている。自分の生きて存在している姿を分っておきたいのです。ですから、存在論が必要になります。存在をよりよく理解したい。自分の存在をどう理解するかは、自分がどう存在していくかと深く関わっているからです。自分のあり方をどう理解してくるかは、自分の生き方そのものを決定してきます。従って、存在することと理解することとは同じことだと言っていいくらい、表裏一体の出来事です。

 

私たちは、「存在」について考え始めようとして、日常的な場面で、私たちは、もう「存在」の理解を前提として語っていることが分かります。つまり、これから考えようということについて、私たちはすでに最初から分かっているらしい。これは循環論法であり、ハイデガーが「円環の道」と呼ぶ議論のあり方です。循環論法は、結論先取り的です。つまり、証明すべきことを最初から前提としている議論です。こうした堂々巡りの循環論法は不毛な議論の典型とされますが、ハイデガーは、反対に、「強み」だといいます。私たちが原理的で本質的な事柄を考えるときは、思考は、必ず、樹幹論法的な構造をしていると言います。大事なのは、この円環を抜け出すことではない。この無駄と思える運動の中に敢えて飛び込んでいき、「この道にとどまり続けること」である。それこそ、「思考の祝祭」だ、と言うのです。実際、ハイデガーの様々な考察は、一見、何の結果ももたらさないような堂々巡りの思考運動の印象があります。その堂々巡りの中で、何かが見えてくるのを待つ、「存在」そのものの姿が表われて来るのをじっと待つような印象があります。こうしたハイデガーの手続きは、私たちの生きる仕方に似ています。人生の難問にぶつかってひたすら問いを発することしかできない時があります。そのような時に、私たちは、機が熟すのを待つようにしかできません。いわば、答えの方が私たちに姿を見せてくれるまで、問の円環の中で待ち続けるわけですが、ちょうどそのように、ハイデガーは、問うことの円環の中にとどまり続けます。

2013年11月29日 (金)

北川東子「ハイデガー~存在のなぞについて考える」(1)

はじめに

こんなことでは自分がやっていけない、自分の存在がやりない、ひと生きていて、そう思うことが少なからずあります。その状況に押しつぶされそうになっているのだけれど、今さらどうにもできない。問題の具体的な解決や状況の変化を考える前に、自分の「存在」が行き詰ってしまった、自分の「存在」が壊れてしまうという気がしてきます。そんなとき、通常は専門家に相談して、知恵を借りることができます。ですから、「存在すること」についての専門家がいていいはずです。存在しているということは、自分にとって一番大切な事柄です。このことについてトータルなかたちで教えてくれる理論があっていいはずです。生きて存在していることの一般的な構造について教えてくれ、自分の存在に対する分析的で客観的な取り組み方を教えてくれる理論です。そうした理論を助けにすれば、自分の存在を取り戻すことができるかもしれません。

ハイデガーは、存在の哲学者でした。私たちが生きて存在しているという事実に哲学者として取り組み、存在の様々な側面を綿密に分析し、そして、存在することの普遍的な構造を取り出そうとしています。そうした試みを、「基礎存在論」あるいは「現存在分析」という名前で呼んでいます。彼の存在論の出発点は、「現存在分析」です。つまり、私たちが「自分が存在している」という端的な事実についてより深く考え、それを通して、「存在すること」の意味について新しい洞察を獲得することです。「自分が存在している」のは、明白な事実です。この明白で疑いようのない事実の中で、私たちは、「自分」という謎に出会わなければならないのです。それが存在論の出発点です。

 

.存在にどう取り組むか─方法の問題

1「存在そのもの」について考える

存在論を考える場合、ハイデガーの言葉にあるように、重要な事柄があります。存在論は、「存在そのもの」について考える思考だということです。「存在そのもの」について考えろと言われて、当然ですが、どうすればよいのだろうかという疑問が生じます。「存在そのもの」が目前にあるわけではありません。「存在そのもの」などというものは、哲学者の考え出した化け物のように思われます。けれども、実は、「存在そのもの」はあらゆることに関係しています。すべての人や物が存在しており、この世に「存在」と関わっていないものなどないからです。存在論が最初に遭遇する困難は、「存在」ということがあまりに抽象的でありながら、同時にあまりに具体的であるということです。「存在」は、一番身近でありながら、一番分かりにくい事柄と言えます。

「存在とは何か」─この問いが切実な問題となる二つの場面が考えられます。哲学と人性論です。「存在そのもの」は長く哲学研究の対象でした。実体、つまり、真に存在するものは何か。などの問題が様々な形で考えられ、様々な可能性が議論されました。哲学とは別にもうひとつ、「存在そのもの」が、非常に具体的で切実な問題となる場面があります。それは、自分自身の存在や、自分にとってかけがえのない存在が失われようとするときです。そのような時は、ハイデガーが言うように、どう存在しているか、どの存在か等の問題は意味を持ちません。端的に「存在そのもの」が問題となるのです。端的に「いるかいないか」が大事なのです。哲学では、私たちが遭遇するギリギリの状況を「限界状況」と呼びますが、そうした状況にあってこそ、存在論、つまり「存在とは何か」という問いは真の意味を持つように思われます。

このように存在論については、哲学理論と人性論という二つの側面があります。哲学理論は抽象的で、論理的手続きや概念分析を土台とします。それに対し、人生論は具体的で、どう生きていくかの問題、つまり行動や決断と深く関わっています。存在論とはそのどちらでもある、つり、哲学と人性論という二つの側面を必然的なかたちで結びつけたところに、存在論の意味があるのです。私たちがギリギリの状況に立たされたときに、高度に抽象的な思想が生きてくる、そのようなかたちで存在論は考えられなくてはなりません。それをよく示しているのが、ハイデガーの存在論であり、彼の主著『存在と時間』です。

ハイデガーにとっても、哲学と人性論を結ぶ存在論の糸がはじめからあったわけではありません。そのハイデガーが出した結論が存在論でした。哲学か、それとも、世界観や人生論か、といった表面的な区別で考えるのではなく、学問としての哲学は、「個人的であろうが非個人的であろうが、根源的に突き動かされた存在」から出てくる働きでなくてはならないという強い確信がありました。抽象的な理論であっても、生きている現実の根本と重なり合うはずだという確信です。ですから、「存在とは何か」という問いは、哲学的な問意でありながら、同時に、自分自身を見つめる探求でなくてはならないのです。

 

では、ハイデガーの考える哲学とは、どのようなものでしょうか。それは、「現に存在しているなかで自分自身に出会う」という表現に示されています。哲学の理論考察とは、そのための手続きなのです。しかも、この自分自身との出会いは目覚めることを意味します。自分を変えることでも、別の自分になることでもない。その目覚めとは、眠りから目を覚ますことです。眠り、つまり、半ば不在であると同時に半ば現実にいるもの、それだけが目を覚ますことができます。逆に言うと、目を覚ますためには、自分が眠っている状態、つまり曖昧な宙吊りの状態にあることを知らなくてはなりません。哲学は、つまり、目覚めは、ここから始まります。

このような宙吊りの状態から考え始めることで、隠れているものが見えてくるようになる、見えていることは隠れていることであるのを知る。このように、哲学は宙吊り状態の持つ力を思考の力とします。宙吊りを発見することで、そこに働いている様々な力を感じ取るようになるのです。

実はハイデガーが立てる「存在そのもの」という問題も、哲学史において目覚めなければなりませんでした。この問題は「存在忘却」というかたちで、忘れ去られた問いとして古代ギリシャから現代にいたる長い時間を眠っていたのです。つまり、ハイデガーがこれから考えていこうとする存在の問題は、すでにプラトンが立てていた問題でした。しかし、2500年にわたる長い哲学の歴史の中で、この問題は眠り込んでしまったのです。「プラトンの問いを反復すること」。反復というのは、「存在の問い」ら即して哲学史全体をみなおしてみるということです。古代によって現代を照らし、古代によって現代の目を覚ます作業とでも言いましょうか、問題が最初に立ち現われたところから、つまり「根源」に引き戻すことで、現代における問題の真のありかたを獲得しようというのです。だから、「存在の問い」を反復するためには、まず、今の哲学のあり方を「破砕」することが必要になります。「破砕」は、今まで当たり前とされてきたことを破壊するだけでなく、「根源」を見えるようにする、とハイデガーは言います。「破砕」によって「存在についての原初的な定義」が見えてくるはずだ、と。とことん突き詰めて考えている時、決定的なアイディアがひらめくことがあります。そうしたアイディアは、それを思いつけば解答がわかるというのではなく、「こう考えてみたらどうだろうか」という示唆のようなものです。「根源」は、ハイデガーにとってそのようなアイディアだったのではないかと思います。根源とは、あることの由来となる源であり、あることを支える基盤でもあります。従って、根源は、時間的な意味でも存在的な意味でも考えられます。哲学は、古代ギリシャという存在論の時間的な根源に立ち返ることで現代の問題を発見し、人生論は、私たちの存在を支える「根源的な経験」という存在的な根源に立ち返ることで、今の自分の状況を見つめ直します。「根源」を見据えるという点では、哲学と人生論とは見事に重なっているのです。

 

哲学史の中で「存在の問い」が目覚めてくる。このことは、存在論にとって、決定的な手がかりとなります。つまり、「眠っている─目覚める」という一連の流れを追跡することで、私たちのありようと世界のありようを追求する道が開かれるのです。

そこで、存在論の第一歩として、私たちのありようを眠っている状態として捉える作業が必要になります。何かが目覚める瞬間を捉えることで、私たちの存在が「不在でありながら現にいる」というかたちで与えられていることをはっきりさせる作業です。

ハイデガーは、「存在の問い」のことを「存在の意味についての問い」とも呼びます。「存在の意味」は、二重のことを指しています。ひとつは、「ある」という言葉の意味です。「ある」ということは一体何を意味しているのか、それをはっきりさせようとするのが哲学としての存在論です。他方で存在の意味とは、現実に私たちが生きる意味でもあります。他方で、存在の意味とは、現実に私たちが生きる意味でもあります。ここで意味というのは、生きていくことが生み出す成果や結果のことだと言えます。「存在の意味」を解明することが、存在論の究極目標なのです。ただ、ここで疑問があります。存在論の究極目標といっても、どちらの意味の解明なのでしょうか。言葉の意味でしょうか、それとも私たちの生きる意味の方でしょうか。しかし、ハイデガーはこの両方の意味を区別せずに、「存在の意味」とだけ言います。言葉の意味と生きていく意味が同じものになる。

2013年11月27日 (水)

横山大観展─良き師、良き友(6)~第三章 円熟期に至る

Yokoyamanonohana_2核心部の展示が済んだところで、オマケです。その後の横山の作品ということでしょう。それと、関連作品と資料ということで、彼のコレクションした陶器や手紙の類、それと現代画家の山口晃の描いた横山大観その他が展示されていました。関連資料は明らかに蛇足、もって言えば邪魔でした。うるさいだけでした。

さて、“大正の時代の空気とともに、絵画の思想性を訴えようとする明治期に見られた頑なな使命感から放たれたかのように、大観の制作は、個性的な画家たちとの交流を背景に、充実した展開を見せたが、それは昭和期にかけていよいよ円熟味をましていった。”と説明されています。まあ、後拾遺集という感じでした。全体として、印象に残る作品が少ない美術展でありましたか、このコーナーでは強いて取り上げたいと思う作品がありませんでした。竹内栖鳳のときもそうでしたが、老境に入り円熟したという作品では、私の見る限り日本画の画家は作品に力がなくなり、緊張感が失われ弛緩した作品になってしまう印象を受けます。例えば「野の花」という作品と「千ノ與四郎」を比べてみれば、植物を描く執拗さが薄れている感は否めません。老境に達しても描かれる人物に生気がないことは相変わらずで、しかも植物の繁茂しようとする生き生きとしたところも失われてしまっては、画面に迫力がなくなって、大画面でも退屈を感じました。あまり、悪口を長々と綴ってもしょうがないので、このへんでやめにします。

Yokoyamahigasiyamaこの展覧会でまとまって作品を観たかぎりでの横山大観の作品のイメージは、近代日本画の大家とか岡倉天心などと共に近代日本画を成立させたとかいう大層なイメージではなくて、手先が器用で目端しがきくという長所から、商業的成功に結びつくような通俗性(大衆性)を上手にオブラートに包みながら、適当に手抜きして作品を量産できる手際も持っていたという、今で言えば人気イラストレーターというようなイメージです。だからこそ、様式性とかパターン化というのは横山の作品の重要な要素であって、題材として多く取り上げた富士山というのは様式化しやすいものであったからこそ、横山も数多く描くことができたのではないか、と思えるのです。これは、べつに横山を悪く言っているのではなく、それは彼の作品がこれほどまでに親しまれている魅力のひとつではないか、ということです。しかし、私が、今後、横山大観の展覧会があったときに進んで観に行くか、と問われれば、今回で十分ということになるのではないか、と思います。

ただ、前回にも触れましたが、横山とアンリ・ルソーのような人との近似性は考えてもよいのではないかと思います。

実務とのお別れ

今日、IRの職務から離れることが決まってから、引き継ぎした最後のIR説明会がありました。十年近くの間、ゼロから手探りでスタートし、無名の地味なB to Bメーカーで出席者が来るかどうか不安で、メインバンクにサクラの出席を頼んだりしていたのが、30人前後の毎回出席をキープし、投資家やアナリストで継続して出席するファンを1人ずつ増やした結果、今回は、これまでの最多出席者数となりました。やっぱり、もっと続けたい、というのが偽らざる本音です。さよなら…と、何人かの方から声をかけて下さいました。ああ、でも未練がのこる。

2013年11月26日 (火)

横山大観展─良き師、良き友(5)~三、主題の新たな探求

Yokoyamasen“主題の新たな解釈や探求は、大観が明治期においても常に取り組んできたことではあったが、大正期において、若き画家との交流が活発となって、南画的なおおらかさや、やまと絵研究の上に立ち、さらに探究を深めたと思われる。”と説明されています。と言われていても、新たな主題と新たでない主題の違いがよく分らないので、何とも言えません。私が見る横山の作品の特徴は、現実世界をリアルに写していくことよりも、見たものをデフォルメして図案化し虚構的な世界を作り上げていくのに長けている、というものです。その際に、作品を観る者に虚構的世界に入ってもらわないと、作品を面白いと思ってくれない。そのため、取り上げる題材とかは観る人にとって既知のものするのが手っ取り早いわけです。ただし、それが陳腐に堕すれば、振り向いてもらえない。そこで、興味を引くために陳腐を避けて、ほんの少し観る人の視点をズラすような工夫、つまりは観る人にほんの少しの違和感を覚えさせれる、ちょっとしたサプライズを与える、というようなことが有効です。横山の作品では主題の工夫といっても、そういうことなのではないか。実際、展示されている作品を見渡してもびっくりするようなものを題材としているとは考えられませんでした。むしろ、何を題材とするかではなくて、どのように見せるか、という方が横山という画家の志向するところだったのではないか、という感じがします。この大正期においては、挑戦的であったのかもしれませんが、私は、当時の人間ではないし、当時に遡って作品に触れるという見方をしているわけではありません。

「千ノ與四郎」という作品は、このコーナーで典型例として説明されているもので、與四郎とは千利休の幼名で、武野紹鷗に茶を学ぶために入門する際に、紹鷗は與四郎を試すために、あらかじめ掃き清めておいた庭を掃除するように命じます。與四郎は木をゆすって落ち葉を散らし、庭に風雅を与えることでこれに応え、紹鷗は與四郎の才能を認めた、という逸話に基づくものだそうです。ここでの與四郎は侘び茶の大成者である千利休ではなく、輝かしい未来を信じる青年として描かれているというのが、横山の主題の独自性だということです。

Yokoyamasen2そういうことよりも、俯瞰の構図で配された茶室や庭木の生い茂る様子を描き、バランスを失するほど庭木の生い茂る様子を描き込んでいること。それによって主人公である與四郎が庭木に隠れてしまうほどであること。実際のところ、存在感は與四郎よりも、庭木の方が強いところが、この作品の印象です。画面全体を覆い尽くすように庭木の様々な葉が描かれて、葉っぱがこの作品の主題ではないか、とこれに対して、與四郎が平面的で、生命感がなく、存在感が希薄です。作品を先入観なく見ていれば、ここに人物を置く必要が感じられないほどで、端役に過ぎないと言っても過言ではありません。ここでも、横山という画家の描く人物はつまらない、という特徴が露出していますが、執拗に、また絢爛と描かれた庭木の葉が、この作品の主題ではないかというところが、もしかしたら新たに探求された主題ということなのかもしれません。私には、日本画の伝統とか技法とかいうものにはとんと疎いので分かりませんが、日本画の様々な表現方法とか技法を駆使して、様々な葉っぱが様々に描かれているように見えます。そして、描かれている葉っぱは様式化、パターン化されて、多くの枚数が描かれることで反復され、その繰り返しとズラしがリズムを生み出して、反復の構図が不思議な活き活きとした印象を生み出しています。そのなかに幽霊のような存在感のない與四郎が配されることで、いっそう葉っぱが際立つ効果をあげている、と言えるかもしれません。

この作品では、前回も参考として紹介したアンリ・ルソーの作品と通じているような感じがします。

2013年11月25日 (月)

横山大観展─良き師、良き友(4)~二、構図の革新とデフォルメ

Yokoyamachikuuますは、「竹雨」という作品を見てみましょう。縦長の画面の中で、傘をさし、着物を端折った人物はずんぐりとした「片ぼかし」により描かれて、画面と対照されています。画面全体を見れば、手前と奥の竹林を濃淡によって遠近づけ、湿潤な空気を淡い墨の暈しで表現している。構図面では、左手前から大きくS字を描くように上がる道、それに見え隠れする右手前から上方へ緩く広がる竹林、そして竹林によって抱え込まれるように画面左側に空間が広がる。細かく見れば、竹林の竹は、パターンがあるかのように、みな同様のかたちを呈し、その大きさも円形と近景に差をほとんどつけていない。ただし、濃墨と薄墨を使い分けることで、遠近感が表現されている。また、同じような線で表わされるがより細い雨は、白色の絵の具で画面全体に短い斜線を散らしている。つまり、竹というパターンと雨というパターンの繰り返しが画面を覆っていて、それを濃淡で繰り返しにバリエーションをつけている。これは、展覧会の趣旨に沿って見てみたものです。でも、竹林をパターンの繰り返しで描くことなら船田玉樹がもっと大規模で執拗に、もっと言えば暴力的にやっているし、今、見て、とくにどうこう言うほどのものではないと、と私は思います。それよりも、そこまで構図や濃淡に気を使うなら、線の一様なのは、どうしてか竹林と奥の建物、そして手前の人物が同じ太さの線で描かれていて、使い分けができなかったのか、ということ。そしてまた、竹や雨はパターン化できていたのに、人物や建物は中途半端で、リアルにも図案にもなっていないで宙ぶらりんなのです。どうしても、ここの一連の展示を見る限りでは、横山の場合は人物表現の弱さというのが致命的のような気がしています。

Yokoyamarosi_2構図の革新とは、あくまで、これらの作品が描かれた大正期においてのことでしょう。今の時点でみれば、それゆえに、却って古びて見えてしまうものが大半です。それらは、様々な試みが為されていると思いますが、試みの域に留まったというのが正直な印象です。そのうち、どれだけ横山という画家の性格に合って、かれの世界を広げることになったのかという、私には何とも言えません。

Yokoyamarosi3_2私が、一番印象に残ったのは「老子」という作品です。全体のデフォルメに構成が合っていて、横山苦手の人物を題材にした作品では出色ではないかと思うほど印象的です。中央に腰かけた老人が振り向く姿は、その傍らで眠る童子も、デフォルメされて丸みを帯びた姿で描かれています。さらに背景の岩窟は「片ぼかし」で描かれていると言います。その岩の描き方は折れ線によるパターンのようで、その鋭い線の屈折のパターンは、フェルナン・レジェの描く機械のバターンの線やキュビズムの鋭い屈折を彷彿とさせます。それは、岩窟という感じではなくて硬い凸凹というパターンに還元されているようです。そして、人物はリアルさから遠く離れ、背景の岩窟以上に図案化されて、ここまでやれば人物の存在とか、そういったことではなくて、画面平面のデザインのパーツとして扱うことができます。例えば、アンリ・ルソーの「眠れるジプシー女」のような、人物の個性とか存在とかを切り離して、ライオンや夜の場面との構成で様々な解釈を誘発するような作品になっています。このとき、ジプシー女には人間としての、女性としての肉体とか存在感は必要ありません。肉体を備えたものとして描くと、リアルさがどうしても伴ってしまって、隣にいるライオンが食べたくなってしまうからです。そうなったら、ライオンと無防備に眠る女が共にいるという画面構成が不可能になってしまいます。同じように、横山のこの作品では、生身の老子を彷彿とさせないことで、作品全体が虚構の世界をつくることに成功したのではないか、と思います。もともと、横山の描く絵画は、竹内栖鳳の場合とは違ってリアルに現実を映して表現するという志向性は希薄だったのではないかと思います。むしろ、虚構的な世界、例えば物語だったり、伝統的なお約束だったり、というようなものです。だからこそ、竹内などに比べて、より様式的な作風に寄っているように思います。その意味で、このように、横山としては突き詰められるところまで様式性を追求した作品は、私には横山という画家の個性がいかんなく発揮された作品として、興味深く見ることができました。

Yokoyamarosi2


2013年11月24日 (日)

横山大観展─良き師、良き友(3)~第二章 良き友─紫紅、未醒、芋銭、溪仙:大正期のさらなる挑戦

Yokoyamakumoここからが、この美術展の核心部ということになると思います。解説では“大正期の大観の作風は、鮮やかな色彩が現われた一方で、朦朧体から出発した水墨表現に新たな展開を見せた。また革新的な構図やデフォルメに加えて、主題の新たな探求など、多様な試みで、表現そのものが持つおおらかさを湛えた、伸びやかな画風を切り拓いた。”とこの時期の大観の特徴を説明しています。これに良き友である画家たちが関わったということです。ただし、私は大観すら分らないので、横山と友人の画家との関わりまで追いかけることはできず、横山に絞って、それ以外の画家は切り捨てて観ることにしました。何しろ、彼らの作品は横山以上に難解だったのです。

解説で説明されていたことに沿って、展示は次のように小分けされていました。

一、水墨と色彩

二、構図の革新とデフォルメ

三、主題の新たな探求

そこで、この小分けに従って、最初の水墨と色彩から見ていこうと思います。

Yokoyamayoru大正期の横山の作品を特徴づけるものとして、水墨表現をあげ、「朦朧体」に続いて「片ぼかし」という表現方法で呼ばれるようになったと言います。「片ぼかし」は、“はじめ弧を描くような筆線の内側をやや暈したような描き方を指していたが、水墨の筆力の弱さ特徴ある線自体を指すと言ってもよく、狩野派における濃墨で力強い肥瘦ある筆線と対比的に、穏やかな、柔らかい味わいを出す技法として用いられた。”と説明されています。当時の横山の「片ぼかし」は、“一種の墨の弧線とその濃淡の使用法を以って、飽くまで平面的に描写しようとする大胆な計画で、敢えて技術を稚拙に見せながら、そこに生じる個性の表出や味わいを前面に打ち出す新技法だった。”と言います。う~ん、自分で引用していても、よく分らない。じゃあ、他の日本画家、例えば竹内栖鳳も線を暈した作品を制作していますが、両者の違いは何なのだろう。

「雲去来」(上図)という作品、2隻1曲の屏風ですが、左隻の山容は「片ぼかし」で描かれ、右隻の山容は、墨の面を片側へ暈して立体感を表わし、同時に雲の描写につなげる工夫をしている、といいます。ただ、私には、例えば右隻の手前の木や屋根の描き方があまりにデフォルメされていて、まるでテレビアニメの日本昔話の田舎の古寺で和尚さんが出てくる場面の背景の描き方を彷彿とされられるようなので、笑い出しそうになる程度のものでした。私には、この作品は技法を試している程度のものにしか見えませんでした。

「夜」(右上図)という竹藪の奥にミミズクが目を光らせ、さらにその奥に覘く月の光に照らし出されているという作品。全体が夜の薄明かりというぼんやりとした世界と夏の湿気を含んだ空気の雰囲気を出しているという作品。まるでスプレーで吹きつけたような線や筆跡を感じさせず、暈しのグラデーションによって徹底して描かれているのが効果を放っていると思います。竹藪の竹葉やミミズクは思いっ切り図案化されて、平面的で、それが墨の暈しのグラデーションのなかで、フラットに並べられています。まるで、何かのポスターにでも使えそうな洗練された感じの図柄は、夜の暗さの中で一様に感じられて、結果として平面的に感覚に錯覚される感じが、実感させられるという点で、さっきの「雲去来」という屏風に比べると、遥かに親しみやすい作品だと思います。この墨の濃淡だけのモノクロの画面の中でミミズクの眼と月だけが淡い黄色に着色されていて、光を発するところが微かではあるがとても印象的に目立つ効果が上がっています。この作品では、暈しの技法があまり気にならず、むしろ図案化したデザイン性をうまく引き立てる効果をあげているように見えます。私には、横山という画家は、このような軽いテイストでしゃれた感じのデザインに近いような、いわゆるオシャレなイラストっぽい作品を描くと良い仕事をするように思います。どちらかというか絵画作品を完璧に構築して仕上げるという意志の強さとか根気に欠ける作風のように見えます。その作風にとって、「朦朧体」でも「片ぼかし」でもいいのですが、ハッキリと線を強く主張することから上手に逃げることができ、しかも画面を軽いテイストにするには格好の手法だったのではないかと想像してしまうのです。それがハマッた作品が、この「夜」ではないかと思います。

Yokoyamashushoku一転して「秋色」(左図)という作品は、それまでの水墨画のモノクロの世界から、派手で豪華絢爛ともいえる色彩を駆使した作品です。常緑の杉にからまる蔦の紅葉した葉が画面いっぱいに広がり、杉の緑に対照された蔦の葉の紅葉した赤が強い印象を与える作品です。この画面では配された鹿も色の存在観では蔦の葉に負けてしまい、主役は蔦の葉の成ってしまっているような作品で、その蔦の葉が正面からみられた葉の形で一様に図案化されています。さらに葉の紅葉が暈しの手法で赤や黄が模様のように配されていて印象的です。まるで着物の柄のデザインのような画面の印象です。ただ、こういう日本画の平面的な作品は画像や複製で見る際には問題ないのですが、実物を見てしまうと、ノッペリとして単調に感じられることが多いのです。例えば速水御舟の装飾的な屏風絵を見た時に画集では大胆なデザインと思えたものが、単調で退屈だったのです。しかし、この横山の作品は画面上の多数の蔦の葉が暈しの技法で様々な赤と黄のグラデーションを構成していて単調さに陥るのを防いでいます。多分、横山という人は、派手な色彩を効果に配するセンスが良かったのではないかと思います。だから、水墨画のようなものよりも、派手でカラフルなものの方が合っていたように思えるのです。時代とか、風潮が許さなかったのか、権威になっていたので、重厚なもの追求せざるを得なかったのか、とても残念に思います。

2013年11月23日 (土)

横山大観展─良き師、良き友(2)~第一章 良き師との出会い:大観と天心

Yokoyamamura横山が1889年に東京美術学校に入学して岡倉天心に出会い、その後天心に付き合って日本美術院に入り、という明治期の岡倉天心とのかかわりの中での作品ということでしょうか、展示されています。ここで展示されている作品の印象を一言で言うと、下手、ということに尽きます。私は、本質的には横山という人は器用な人ではないかと思っています。それは、様々な画風の作品を遺しているからです。目先を変えた小手先が器用でなければ出来ないことです。横山の壮年期の写真が展示の最初にありましたが、その風貌から豪放磊落のような印象を与えますが、作品を見た印象では、器用で目端の利く才子タイプの人だったのではないか、と想像してしまいます。というのも、私が最初に述べた下手という印象は手をかけているように見えないためです。手を掛けるべきところにかけていないので、仕上がっていない。例えば、もっとデッサンをして描き込めば、しっかりした形ができるはずと思われるところで、構図とか形態が崩れてしまっているように見えることが多くありました。

例えば、大作「村童観猿翁」という作品。東京美術学校の卒業制作ということで、当然力を入れるべきはずで、在学中に学んだ伝統絵画の様式、古画模写の経験を生かしたらしいということで、学生時代の集大成のような作品だったと思います。それにしては童子たちの人物の描き方が顔になっていないし、人の形をしていない。これは現物を実際に見てみるとよく分ります。単なる学生の卒業制作で、いわば習作だからということなのでしょうか。しかし、背景の木の描き方を見ていると、ちゃんと木を描いているので、もともとの技量が足りていないということはないと思います。そして背景の木々と中心である牛と猿と童子たちのバランスが、何か変です。何か、中心の方が軽いので、背景の方に目が行ってしまう。何か、画面を一つの世界として構築して完成させようということを最初から考えていないような感じがします。何かの慰みに筆をさっさと奔らせて、一丁上がりという感じなのです。丁寧に色が塗られているようですし、背景はちゃんと描かれているのですか、なぜ、完結させようと努めなかったのか、本人に根気がなかったのか、もともと日本画というのはこういうものか、私には分かりません。でも、そういう意味では、質が違うと言われても、これは“お絵かき”であって、“絵画”とは考えられないのです。最初のところで、横山は絵画を描いていない、と私が述べたのはそういう意味です。これに対して竹内栖鳳の場合は、大胆な省略のようなことをしていますが、あくまで技法上のことで、省略された空白においても、竹内の意思が行き届いているように見えます。横山の作品には、隅々までそういう配慮が為されている感じはしません。

Yokoyamayanagi「村童観猿翁」でも、そうなのですが横山という人は、特に生命あるもの、動物や人物を独立の存在として描くことは苦手だったのか、とりわけ人物については生きていないし、存在感がまるで無いし、数人描かれればみんなおんなじで個性がなく、薄っぺらいものになっています。だから、ここで展示されている作品の中でも知られているものも、あるようですが。人物画は、私には、ここで取り上げる価値のないものと思うので、とりあえずは風景を題材にしたものを取り上げてみます。「柳下舟行」という掛軸の作品です。掛軸という縦長の狭い空間という制約を受けているため、「村童観猿翁」のような大きな空間を構成する必要がないためか、ここでの横山は「村童観猿翁」で見られた配慮の至らないということ当面見当たりません。そして、後年、私は横山の作品の一つの魅力となっていると思われる図案化が試みられています。縦長のという制約をうまく利用してタテの線で画面を作っています。木の幹と何本も垂れ下がる柳の葉です。柳は鑑賞者に近接するように大きく描かれ、奥の帆船は極端に小さく描かれて手前と奥に二極化されています。これは遠近法で奥行を表現すると言うよりは、二つの平面を対照的に作品の中で同居させるという感じです。手前の柳の葉も幹もアップ画像のようなので平面的に図案化されていても、それほど気になりません。また、“背景の余白を淡い色で埋める方法は「朦朧体」という呼称で非難されていたころに見られる特徴の一つ、この方法によって、空気の存在だけでなく、夕暮れのそらの色合いや月明かりの情緒が表わされることが多かった同時に対象物は整理されていき、画面はシンプルな構成をみせるようになる。本作品のように現実味が薄れ、幻想的な雰囲気を醸し出すケースも多かった。”と解説されています。横山大観というと朦朧態という技法がセットで言われることが多いようですが、朦朧にするという技法に何の意味があるのかと疑問に思うことが多かったですが、この解説のように画面の要素の省略の助けとして、その結果図案化が進めるものというなのでしょう。それなら何となく分かる気もしますが、それなら思い切って省略すれば、それで済むと思うので、朦朧にする必要があるのか。日本画は難しいです。

Yokoyamatoriまた「杜鵑」という作品。これも掛軸という制約にうまくハマった作品です。“ホトトギス一羽を、爽やかな初夏の新緑を舞う鳥としてではなく、深山を飛翔する孤高の鳥として描いている。ホトトギスを小さく描いたがゆえに、まるでその鳴き声が山に響き渡るかのように広く空間を獲得している。”と解説されているのを読むと、そんなものかと思います。慥かに、ほとんど点のように小さく描かれた鳥は風景の一点で、この小ささならば鳥という生命の存在を描き込む必要はなくなります。その意味で、横山の苦手なところを巧みに回避した戦略的な構成と思います。しかも、空に舞う鳥ということで余白を取ることができて平面的な画面構成が許されることになります。とは言っても、下方の木々の描き方がいかにも平面的で、図案化が中途半端です。この辺りが、横山の下手だ感じられるところです。

私は展示時期の関係で見ることはできませんでしたが「屈原」という有名な作品が展示されていたらしいのですが、画集等で見る限りは、迫力ありそうな感じですが、この展示の轍を踏んで、実物を見ると落胆しそうな感じがします。もしかとたら、横山の作品は複製した方が見栄えがするタイプなのかもしれません。

※ここでは画家のことを「横山」と苗字で呼んでいますが、日本画の画家は大観と号で呼ばれるのが一般的なようですが、私はこの人をファーストネームで呼べるほど詳しくも、親しくもありません。カンディンスキーとは呼んでも、ワシリーとは呼びません。それと同じです。このような呼び方をしていることからも、私の日本画に対する姿勢は想像がつくと思います。

2013年11月21日 (木)

横山大観展─良き師、良き友(1)

2013年10月22日(火) 横浜美術館

Yokoyamapos仕事の内容が変わり、外出の機会は減っていくだろうことから、これまでのように、外出のついでに余った時間で美術館に立ち寄るということも、機会は減っていくことになるだろうと思います。そんな思いもあって、少し遠いけれど横浜まで足を延ばした。横山大観は日本史の教科書でもお馴染みの、いわゆる歴史的な日本画の大家で、普段なら敬して遠ざけるタイプの美術展。日本画では現代で話題の松井冬子なんかを見たことはあったが、最近、速水御舟竹内栖鳳といった近代日本画や谷文晁の難解さにたじろいで、多少、挑戦してみようという意志が生まれたので、無理することにした。また、人との約束があり、その間を埋めるに適当な時間つぶしでもあった。ただし、そのことが気になって、頭から離れなかったせいもあって、展示されている作品に集中することはできず、どこか上の空な感じで終始してしまったのは、残念。とはいえ、裏を返せば、展示されている横山の作品が、私にとって、それほど魅力的に映らなかった、あるいは魅かれるところがあまりなかった、とも言えると思う。けっこう、ネットでの感想を拾い読みすると評判はいいらしい。私は、センスが悪いのが、捻くれているのか、そんなものだろうということを再認識した。美術展そのものは、美術館では大掛かりに演っていたようだが、私の行った時は、拝観者でごった返すということはなく、静かに鑑賞することができた。平日の夕方おそくという時間帯のせいかもしれない。

主催者のあいさつの中で次のように、この美術展の趣旨が述べられています“大観はこれまで明治期を共に歩んだ菱田春草、下村観山らとの関係が有名で、大正期以降の交友関係についてはあまり知られていません。薫陶を受けた岡倉天心が大正2年(1913年)にこの世を去った時、大観は40歳半ば。その芸術も実りの時期を迎えており、中国の古典を新しく解釈する東洋趣味や「片ぼかし」と呼ばれた新たな水墨表現、人物や背景のデフォルメ、大胆な色彩表現など、明治時代には見られなかったモダンでユーモラスな新感覚にあふれた作品を生み出していました。このような作風の背景には、大観が当時したしくつきあっていた画家たちの存在がありました。それは今村紫紅、小杉未醒、小川芋銭、富田溪仙ら同じく画壇の一線で活躍する仲間たちでした。互いに漢籍に通じ、東洋思想に共感した彼には日頃から親しく書簡を交わしたり酒を飲みながら芸術論をたたかわせ、《東海道五十三次絵巻》など旅をしながら作品を仕上げていく合作にも取り組みました。大観は溪仙が得意とする新南画や、未醒、芋銭らの文人趣味的な傾向に触発され、大正期の新たな作風を造り上げていきます。時代の波の中で、伝統のみに固執せず、それぞれの優れた資質を尊重して自在に芸術を切り拓き、高め合った彼らの作品をご覧下さい。”

ということで、ここで紹介されている画家たちの作品も対照させる意図で展示されていたし、その趣旨はそれなりに分かりますし、ただ私が我儘なのか分かりませんが、どうしてこのような趣旨で美術展をするのかということが、多分大観という作家の作品をどのように捉えるのか、ということに拠ると思うのですが、例えば、今回展示されていた要素が大観の作品にどの程度の重要さがあったのかということ、それを含めた、では横約大観の作品とはどのようなものであったか、という概要が私には見えてきませんでした。もとより、私は横山の作品に対しては何も知らない人間で、この美術展はある程度横山の作品に通じている中級者向けで、勉強してくるのが当然と言われれば、そうなのかもしれません。また、ここで紹介されている画家たちの作品は、私にはまったく魅力が分からず、影響を受けたとして展示されている横山の作品がそれほど彼にとって重要な作品とも思えないのです。とすれば、彼の伝記的情報の中の一挿話程度のものかもしれないと、私は個人的に思われてしまうのです。そうでないという説明は横山の作品の魅力をどう見るか、という説明が不可欠なのですが、それが為されていない、ということなのです。以前のプーシキン美術館展のときもそうでしたが、横浜美術館に対しては、私はとくに悪意を持っているわけではないのですが、辛辣な物言いをしているかもしれません。

私には、先日、近代美術館で見た竹内栖鳳と比べると竹内の作品は絵画だけれど、横山大観の作品は絵画になっていないと思いました。独断と偏見で、しかも辛辣な物言いを許していただければ、多くの作品が展示されていましたが、絵画として見ることができる否かは別にして、魅力あるものとして映った作品は少なく、こんなものもあるんだというような情報の確認のような作品が、このような美術展でもなければ素通りしてしまうような作品が大半だったと思いました。

次のような構成で展示が為されていました。

第一章 良き師との出会い:大観と天心

第二章 良き友─紫紅、未醒、芋銭、溪仙:大正期のさらなる挑戦

第三章 円熟期に至る

2013年11月20日 (水)

古東哲明「ハイデガー=存在神秘の哲学」(10)

4.時の秘密

ハイデガーは「もともと現存在自体が時なのだ」という。ここで「時」とは一瞬の運動生起。先に見た①と②が交差する一瞬刹那のできごとである。だからいわゆる「時─間」ではない。さきに見た動画面。それはまさに一瞬で始まり、と同時に一瞬で終わる。その「生と死との間に伸張する」一瞬刹那の動的生起を、時というわけだ。だから、現存在が生きている<>があるとしたら、それは一瞬だけであり、それで「現存在の全体」は尽きているということになる。そんな現存在のありさまを、だからハイデガーは刻一刻性とも形容する。はかない刹那の刻一刻の<>が、現存在(生)の全貌というわけだ。

上映中の画面。それは①「終わりへの存在」と②「始まりへの存在」との同時同一現象だった。つまり、生と死、消失と現出、非在化と在化との「反対項の一致」現象だった。①はまさに「自らに先立つ」動性。いまこの瞬間の自己から、将に来たらんとする<外部>へ抜け出ていくことである。その意味で将来的な性格を持つ。だが、この①の動性を振りだすそのことが同時に、②の新たな画面を創出する動性へ兌換される。いまこの瞬時の自己を①によって失うのだが、しかし同時にそのことにより、再び「自らへ立ち戻る」わけだ。だから②は、自己(画面)を刻一刻「再び取戻し」既往してくれる動性。<先立つ>①に対しては、<後づく>動性とでも言ったらいいだろうか。①ゆえ、もうこれでお終い、もはや無い筈の生なのに、①ゆえ発源する②のために、いわば生き戻ってしまう。失うことで取り戻す。その意味で②は、「既往性」ともいわれる過去的時制の性格を持つ。この将来的動性(死への存在)と既往的動性(生誕への存在)とが同時進行するその、もはや一瞬の間隙すらない<>に、今ここの現在の時が、刻一刻実っていく。

この三つの時制(将来性・既往性・現在性)が切り結ぶ、まさにはかない一瞬の時を刻んで生きるぼくたちの現存在のありかた。それがいうところの刻時性(時間性)である。あくまで<>を刻一刻に刻んで生きる、ぼくたち人間存在の在り方や態度を、ハイデガーは刻時性と呼ぶのである。時なるものが、人間の生と無関係に先ず出来上がっていて、それを後から刻むということではない。生きるということがそのまま、時を紡ぎ出すことに他ならないということだ。だから、刻時性と時とは、別々の出来事ではない。そんな刻時性においてはじめて、時が刻一刻に実現することを、時の実現という。時はぼくたち現存在が刻んで実らせている、というほどの意味。そんな時の実現の仕方も、時の刻み方(刻時性)も、ひとえに<時を生きる人間の生き方>に相関的である。ぼくたちの在り方に応じ、時の刻まれ方は異なるし、時の実現形態も変わってくる。とは言っても一瞬の時以外にリアルな時はあり得ない。「もともとの生のありさま」そのままに生きること。それをハイデガーは「本来性」と名付けた。時の場合も同様。リアルな時(一瞬刹那)を刻んで生きているもともとのありさま(刻時性)そのままに生きることが、本来的刻時性ということになる。だがそうは言っても、そんな一瞬刹那の<>などしらず時を刻み、時を過ごすあり方も可能だ。時を刻んで生きていることも知らずに時を過ごす刻み方も、刻み方の一つに違いない。それが非本来的刻時性である。

こんな時(生)が、刻一刻に生滅する瞬間の生起である。この生起ということから必然的に、歴史論が導き出される。というより時の具体化が歴史である。歴史は、人間の存在の<全体>を、つまり生誕し死亡するまでの生涯をどう考えたらよいのか、という議論の中にまず登場する。時は刻一刻の刹那だけである。そしてその<>が、一方で「死への動性」、他方で「生誕への動性」を内填し、その両動性の相互包含的な<>として、ぼくたち現存在が生起する。その意味で、一瞬一瞬の刹那的存在それだけですでに、「死と生との間の伸び拡がり」としての生涯概念の内包を満たしている。つまり、一瞬刹那の存在が、「現存在の全体」(随所)である。直線的時間論からすれば儚く見えるどの一瞬もが、全生涯であり、<生誕から死までの全幅>を尽くしていることになる。つまり、現存在は、その外部に誕生や死をもたない。実存それ自体がもとから、初めと終わりとを同時に含んで展出し、自らを繰り出し繰り広げ終滅させていく、「自己完結的な自己伸張運動」なのである。実存の、この自己内発的な刻一刻の生滅性に着目して選ばれた概念が、そもそも「生起」である。

今ここのこの一瞬の生起は、「二度とない、永劫に唯一回きり」である。時は今ここで終わってしまうのだから、そういうしかない。この「唯一一回性」ということが、「歴史的」という形容詞の基本義である。そんな唯一一回的な今ここの生起を、刻一刻、誰しもが過ごしている有り様。それを歴史性という。刻時性と同様に、歴史性もまた、あくまでぼくたち現存在のあり方のことである。一瞬の生起を見過ごすことだって、立派に<過ごし方>には違いない。それが非本来的歴史性である。これに対し、刻一刻の生起のその唯一一回性を自覚し、覚醒的な態度で過ごすあり方が、本来的歴史性である。もう少し補って言えばこうだ。常に過ぎ去りゆく一瞬が、生。その一瞬の生をしかと目撃し、ことさら引き受け、そこへ開けきっていこうとする態度。それが、本来的歴史性ということである。だからとくに宿命とも呼ぶ。もしそうであれば、ハイデガーのいう運命も、通念から大きく離れて考えなければなるまい。運命とはおおむね、《今ここに登場する物や人と、永劫に唯一一回きりの出逢いの時を果たしていることば》ほどの意味。一期一会的な、ささやかだが気づけば清冽きわまりない、ぼくたちのリアルな有り様だ。相手も場所も時も選ばない。すべてのものに、いつどこででも無条件に樹立されてゆく、存在論的共同性つまり「共存性」の実現のことである。

以上のことから、歴史とは、《一度きりの今ここにとかない生起》のことであることは、論を俟たない。「生起」はそもそも一度きり、二度ない現象だが、生起(存在)の唯一一回性を強調した概念が、歴史だと言っていいだろう。だからもっと平たく言えば、この世に生きているどの瞬間もすべて唯一一回きりゆえ、どの瞬間も取り替えようもなく独自で、稀有な驚愕現象だ、と言うほどの意味である。以上から歴史後群はすべて、時(存在)の「唯一比類なき一回性」という根本特徴をベースとする概念群であることがしられよう。そしてどうして歴史の問題が、『存在と時間』の最終部分に置かれたかという理由もすでになんとなく、お分かりのはずだ。『存在と時間』が最終的に<言おうとしたこと>が、この歴史性ということなのだ。死や時の分析は、そのための伏線にすぎぬとすら、ぼくは解釈している。

さて振り返ってみれば、この『存在と時間』は、ある一筋のプロットに貫かれているように思う。それは硬直したぼくたちを軋ませ、揺り動かし、すべてを、流動する運動態へ還元しようとする発想である。何につけ、ぼくたちはすぐ固定した舞台にすがってしまう。確固とした実体あるモノを想定し、その総和や事後関係として出来上がる安定した絵柄の中で、ものを考えてしまう癖がある。時間といえば、川の流れのような直線状の持続的過程を考えてしまう。自己も、歴史も同様。すべてが、じつに静態的で固定した構図のもとで、考えられてしまうのである。その硬化した思考舞台を溶解し、まずは「気づかい」という生の動態性へ還元し、次に刻一刻に変異する時へ、はては唯一一回的な生起(歴史)へと連行して行くこと。しかも、ぼくたち読者自身のかじかんだ実存自体を流動化し、<時を時として刻む>よう仕立て直すことを通じて。それが、『存在と時間』という<>が実現しようとしているトレーニング。そういっていいだろう。なかでも、なにより根深い固定観念がある。それが従来の存在観。それは存在を、「目前に在ること」と見てしまう存在観である。「目前に在ること」とは、内的な生動性を欠落させた、まるで延べ板のようにダラーッと現前し存続しているとする存在観。ふつう存在といえば、そんな<恒常的現前性>を考えるのがつねだ。この思考習慣こそ、『存在と時間』の最大の標的である。その存在イメージの前提には、ある特定の時間観念が固着している。時を、川の流れのような直線時間とみる、あの根深い偏見がそれだ。つまり、存在の理解の仕方が、時の見方に規定されている。時をどう刻むかというその時の刻み方(刻時性)が、存在をどう理解するかの前提アプリケーションになっているということである。(そのことに注目して、刻時性をテンポラリテートともいう)だから、存在の味を問うことを最終課題とする『存在と時間』は、ぼくたち人間存在の刻時性という基本構造を、ひいては唯一一回性なる歴史を開明しようとしたのである。とすれば、ハイデガーが言いたいことの要点は、<時を時として生きる姿勢>を、つまりは本来的時刻性を、ひいては本来的歴史性を、取り戻そうということに、尽きる。

「ほんとうに生きているひとには、いつも時がある」

 

このあと、第4章、第5章はハイデガーの政治との関わりやハイデガーから離れて行って著者がハイデガーを出しにして自身の考えを展開しているようなので、深追いを避けることにします。

2013年11月19日 (火)

古東哲明「ハイデガー=存在神秘の哲学」(9)

3.舞台はめぐる

ハイデガーはこう言っている。「ぼくが、ぼくの現存在(生)の<最期>にそうであるだろう存在。それは、実はぼくがどの瞬間にもそうでありうる存在なのだ」。この「最期」とは生の末端の死去の時。そのとき、ぼくたちが死に切迫され、まさに死に至る瞬間にあること。このことを、誰も否定しないだろう。ここで、ハイデガーの死の思想の独特なところは、そんな最期のありさま(「死への存在」)が、実はどの瞬間にも当てはまる様式だと見ぬくところにある。刻一刻、毎瞬が死に切迫され、死へ至る存在構造をしている。それが「もともとの生のありさま」(本来性)。そうハイデガーは言うのである。だから有名な「死への存在」とは、ぼくたちのいわば日常性というわけだ。

映画のフィルムで考えてみよう。フィルムは末端が、終わり(死)に至る1コマである。その最期の1コマをスクリーン上に映写すれば、最期となる。最期の1コマは終わり(死)に臨む動性(臨終性)を持っている。それは、次の画面に移行しようとする動性であり、別段最期の画面だけに固有の動性ではない。動画である限り、どの画面も満たさなければならない前提構造だ。最期の画面の場合、たまたま次の画面に連接して行かないだけ。それ以前の画面の場合、消失するこの動性ゆえ、再び画面が戻ってくれる。つまり、終わり(死)に臨む動性は、どの画面にもあり、それが同時に新たな画面を生み出す動性となっているということだ。

動画である上映中の画面は、映し出された端から消失し①、消失しながら同時に現出しているはずだ②。現出しながら消えているというべきか、消えながら現出しているというべきか。死が生で、その生が死となり、その死において生が始まる…。そんな生(初発)と死(終滅)との奇妙なパラドックス構造、あるいは同時進行。だからもはや、終わりと初め、死と生といった思い慣れた二分法では割り切れない、両項の奇妙な回互運動の中で刻一刻、画面が生起していることが、お分かりだろう。言うまでもなく、この動画現象を生現象になぞらえることは、許されよう。線損の各瞬間もまた、スクリーン上の一瞬の映像同様のなりたちをしているはずだ。今あなたの今この瞬間の生。毎瞬毎瞬が終わっていく動性①と、毎瞬毎瞬が始まってくる動性②.その普通なら互いに矛盾し合う二項の同時進行現象として生起することを、うっすら感じ取ることができるのではないか。一方で終えていく動性。他方で始まっていく動性。この二つの動性が相より、凌ぎ合う、張りつめた一点に、刻一刻の生の瞬間が成立しているはずだ。

つまり、ハイデガーが言っているのは、「死は生の現象である」ということに尽きる。「死は、現存在が存在するやいなや引き受けている生の在り方なのである」。生きていることは、いつも同時に、死に臨んでいること(臨終していること)。生は死と、まさに背中合わせということである。しかしいつも臨終状態であるためには、いつも「臨終」していなければならない。つまりどの瞬間も、同時に「生誕への存在」でもあるということだ。こここそ、ハイデガー哲学の要所なのだ。

2013年11月18日 (月)

古東哲明「ハイデガー=存在神秘の哲学」(8)

2.ダブルなわたし

世界内存在を演じて生きているぼくたち自身のこと、つまり「自己」に、スポットライトを当ててみよう。とても奇妙な姿が見えてくるはずだ。奇妙な姿とは、他でもない。ぼくたちが、役者同様の二重分裂構造と自己焼却構造を生きている、ということである。役者は、ある時は王様を、ある時は老人を、あるいは善良な市民や犯罪者をえんじよ。それと同様ぼくたちもみな、特定のスケーネー(生活場面・状況)とドラーマ(活動様式・言動・任務)に応じて配定される、様々なペルソナ(役柄・仮面)を演じている。その際、演じている役柄上の自分と、それを演じている生身の役者なる自分自身とは、別々の自分だということは、説明するまでもないだろう。例えば、あなたが老婆役を演じる若い役者だとする。その場合、老婆という役割上の自分(配役・仮面自己)と、それを演じている若い生身のあなた自身(自己存在)とは、別々のもののはずだ。だが舞台上では、<舞台上の役柄としての自分><生身の役者としての自分>との二重分裂構造を、ごく当たり前のように生きてしまう。ごく当たり前のように生きてしまうとは、①まずはそんな分裂構造など全く意識しない状態で生きているということ、②さらに言えば、生身の自分は消し、そんな自分のことも忘れ、役柄上の自分になり切って、はてはそれが自分だと思い込んでいる、ということである。

通常ぼくたちは、あまりにも懸命に、与えられた役柄や立場を生きてしまう。生身の自分など忘れ、ひたすら役柄になり切っている。没頭して生きている。「世界」に夢中なのだ。そのうち、演じている自分自身のことなど、忘れてしまう。むしろ自己忘却こそ、毎日を活き活きとスムーズに生きるための前提。会社勤めに精勤すればするほど、ぼくたちは自分自身から離れ、自己疎外に陥るのだが同時に、活き活きと生きることもできる。そしていつの間にか、「世界の側から自分を理解する」ことが当たり前になる。これは役柄を、自分自身と取り違えるということである。懸命にこの世を生き、だからこの世に没頭し、だから自分をこの世での役柄と同一視してしまう。これが耽落ということである。だから耽落とは、世界劇へ深々と入り込み、熱演している証拠。決して劣悪な生き様ではない。だから耽落は、生き甲斐に充ち、活気ある人生をおくるために、ぜひ不可欠な要素である。だが、だからこそハイデガーも強調するように、「生の原パラドックス」なのだ。生に勤しみ、まさに生の渦中を生きれば生きるほど、生それ自体は視界から消えてしまう。間近に生きなければ、生それ自体が分からなくなる。だからこそ、生への「深き」眠りなのである。

役柄上の自分と、生身の役者としての自分自身の決定的な区別。それを考慮しハイデガーは、生身の役者のレベルの自己を本来的自己とか自己自身と名付け、役柄上の自分(正確に言えば「役柄を自分だと思い込んでいる自分」)を、ダス・マン自己とか非本来的自己と呼んだ。ダス・マンとは「一般的なひと」のこと。まるで誰でも被れる仮面のように、誰もがその位置につける「一般性のレベルでの人」、という意味である。

ハイデガーが、世界内に存在している者は誰かと問うて、まずは「ダス・マン」と答えるのは、以上のような理屈からである。ぼくたちはこの世(舞台)のなかで、自分であって自分ではない。たしかに常にどこででも自分(生身の役者自身)なのだが、しかしたえず、自分ではない。たしかに常にどこででも自分(生身の役者自身)なのだが、しかしたえず、自分ではない「他人の顔」(役柄自己)へ変換されるという仕方で、自分である。かといって、自己自身が、この世の舞台に登場していない、というのではない。身振りや声の裏付けとなって、あきらかにこの世の舞台に「内在」している。そんな中で「忙しすぎて自分自身を失いそうだ」などいう焦燥感にかられたことは、どなたにもたびたびあるはずだ。そんな時ぼくたちはふと、自己の二重性の隙間に、足を踏み入れているわけだ。誰にも覚えのあるとてもリアルな話のはずだ。

不安の正体とは、まさにこの自己分裂構造である。この世に生きていること。それは二重性の中で生きることだから、構造的に不安定だ。だから静かに不安だ。ズレを生きるのだから、いやでもそうなる。自分ではない自分(ダス・マン)と自分自身とが統合され、均衡を保っているうちはいい。だが限度はある。ズレも大きくなると、クレバスになってしまう。まさに自己分裂症に陥るわけだ。そんな危機に至るまでもなく、いつも軋みがあり、ズレて生きている。その軋みが、現存在の基調音となっている。不安は日常的情緒なのだ。非意識的生ゆえ、ことさら気づかぬが。不安ということを、ハイデガーが根本気分というのは、そんな意味である。この地底に響く根本気分(不安)が、突然噴き出すことがある。NG。スムーズに流れていた舞台劇が停滞したり、破綻した時である。そのとき役柄上の自分から亀裂した生身の自分がニョッきり顔を出す。慣れ親しんでいた自明な世界舞台全体が、なんだか嘘っぽく、じつに居心地悪い場所と化す。

そんな不安はやはり辛い。だが言うまでもなく、夢(眠り)から覚めただけだ。舞台上で虚像の役柄(他人の顔)を演じていた自分のありさまを、画然と理解してしまっただけである。「現実の社会生活」なるものが、大掛かりな仕掛けの巨大なショーだったことに、気づいただけのことである。本当は故知らずこの世という舞台に投げ込まれ、実はコレッと言い切れるだけの根拠も理由もないままに、とりあえずありつき、与えられたこの世の役柄に己を託しながら、何とか当座を凌いでいた。そんな「自分の負の正体」が、白日の下に晒されただけのことだ。不安を覚えるとはその意味で、舞台上で悦にいっている自分(ダス・マン)に対し、本来の自分(生身の役者自身)が、「それは私ではない」という自己疎外の声を、静かに上げていることの、別表現である。この自己疎外の静かな声。「それは私ではない」というズレの軋みの音。それが、有名な良心の無言の声に他ならない。通常その軋み音は小さい。だがいつになく増幅されて響き渡るときがある。それがさきに述べた不安の突出である。それもこれもすべて、自己の二重性というぼくたち自身のこの世でのあり方に起因する。自己分裂の解消なしには、不安は生涯つきまとう友だ。

もっとも、否定的なものを肯定形に変えるのが、ぼくたちのオントロギー。不安は辛い。がしかしそれは同時に、自由の取戻しである。それまで、懸命に生きてきた熱演舞台への没頭状態(耽落)から、フーッと覚めるのである。この世の役柄や弁別からもともと離免され、身分なき身分として生きている「自由な自己」に目覚めるのである。その意味で不安は、自己自身を取り戻す絶好のチャンスなわけだ。深きねむりから深きめざめへの<>において、なぜ不安分析が重要なファクターになっているのかも、以上からしられよう。不安を抱かせないよう、不安がらないようにと、近代という文明の箱庭は苦心してきた。学校も家庭も社会環境も、おおむねその方向で営まれる。だが、それは結果的にぼくたちの自由を奪い、ぼくたち自身を喪失させる、たくまざるトリックだったと言えるかもしれない。そんな不安が明確に訪れるのは、やはり死を痛感する時だろう。

2013年11月17日 (日)

古東哲明「ハイデガー=存在神秘の哲学」(7)

第3章 世界劇場

1.世界に夢中

そもそも、<>とは自己変容トレーニングマシン。そんなトレーニングマシンについて分厚い説明書を読んだところで、実際に道を歩いたことにはならない。ここでは、近道を試みる。その近道を「世界劇場論」という。

この世この生を、一幕の舞台劇と見立てる世界観。それが世界劇場論。世界と生のリアリティ(真実在)を透視する、西洋古来の解釈装置。それは、それまで夢中で熱演し没頭していた現世の悲喜劇を、観客席のような場外に立って突き放して見る工夫。つまり「深いねむり」からさめ、自分自身(オープンマインド)を取り戻し、真実の存在(存在神秘)に撃たれることですべて吹っ切れ、ふたたび人生劇に復帰し、今度は、しかと目覚めながら生き直す道である。

開演のベルが鳴り、舞台の上に役者たちが登場すると、役者の立ち居振る舞いを触媒に、「何にもない空間」に突然、演劇世界が浮かび上がってくる。まるで「無からの創造」。役者の立ち居振る舞いを、日頃のぼくたちの生の営みと見立て、舞台上に刻一刻紡ぎ出される演劇世界を、ぼくたちが普段生きている日常世界と置き換えれば、世界劇場論の舞台設定も整ったことになる。まず言えることは、生と世界との緊密な結びつきである。役者が登場し演技が始まると同時に、演劇世界が創出される。役者が消えれば、一幕の舞台世界も消失する。舞台世界の出現と、役者の演技活動とは、同じ一つの出来事。分離などできない。それと同様、ぼくたち人間が生きる生の現場には必ず、ぼくたちの生の営みの辺り一面(周囲)に、まるで大気のようにひそかに深く広く、時々の場面に応じた、重層的で可動的で濃密な、意味と情動のネットワークとしての「世界」が分泌されてくる。つまり、生(現存在)と世界(周囲世界)とは、分離不可能な仕方で錯合しあっている、ということである。世界は生に依拠し、生との深い相関関係の中で初めて成立する。そういってもいい。そのことを、初期ハイデガーは、「世界が世開する」し表記し、ひどく強調した。それは、ぼくたちの生それ自体が世界制作的だ、ということに他ならない。世界鳴るモノがまずあって、その後に人間の生が入り込んでくるのではない。世界を生み出すのは、ぼくたち人間の生(現存在)。

だが、生が世界制作的であるとしても、しかしそれは、世界をぼくたち各人が好き勝手に作り出しているのだと、独我論的方向で誤解してはならない。ぼくたち人間の生は、それが分泌してくる世界に逆説的に包まれ、すっかりその統制下に置かれているからだ。それは役者が、自ら紡ぎ出しているはずの演劇世界にすっぽり包まれ、そこに没入し、さらにその世界に逆に規定されてはじめて生きた舞台が進行するのと、同じことだ。生は、自ら分泌する世界に逆規定され、世界依存的であることで、生たりうる。だから、世界あって事後的に生(現存在)があるのではないし、また生が<主体的>に成果を制作するのでもない。生あるところ必ずそこに世界が分泌されるとしても、しかし同時に、そうして分泌される世界に折り返すように決定されながら、実際の個々人のリアルな生がみのる。生と世界との相関関係とは、正確にはそういうことである。生と世界とのそんな一体二重的な相関性を念頭に置けば、ハイデガー哲学においてなぜ、現存在が同時に、世界内生とか、世界内存在と言い換えられたか、もうお分かりだろう。そしてまた、演劇世界が何か物質的な事柄ではなく重層的に織り上げられた不可視の意味と情動の空間であることを考えれば、「世界」の本質的な性格(世界性)が、意義連関のネットワークとされた理由も、ご理解いただけよう。

世界は、個人の生と密接に結びついて成立する。しかしだからといって、その世界が、個人的な世界だというわけではない。個人が紡ぎ出す世界は、同時にすでに最初から、共同世界的な成り立ちをしているからだ。例えばサラリーマン劇を演じるあなたの会社世界。たとえそれがどんなにあなた個人の創意と工夫を凝らした世界だとしても、と同時に最初から、他の同僚との共演舞台でもあるはずだ。そこにはさらに芝居同様、他者経由で共同的に与えられた既定のシナリオや、大道具・小道具が、いやでも入り込んでいる。そうした、誰が元々企画し決定したのか特定できない、まさに共同作業の産物によって、幾重にも幾重にも制約され、そこに巻き込まれるようにして、あなたの会社劇は営まれているはずだ。それらすべては、あなたなる個人のあずかり知らない、共同世界的産物である。逆に言えば、「世界」とはある意味でその程度のものだということである。だから、あなたご自身の存在それ自体(自己自身)を体現した次元ではないということだ。もっと言えば、自己自身など消すことで初めて世界は成り立つ。

さて、世界制作的(=世界内存在的)にして、しかも共同世界を生きる人間のあり方を強調する『存在と時間』。そこから、従来の人間論とはまったく異なった、次のような人間理解も、浮き彫りになってきたはずだ。かつて、近代の主体主義が優勢を極めた時代には、《人間は、自分の生や行為を明晰に認識できかつコントロールできる者》、と想定されてきた。自己反省能力を備える明晰な主体性(コギト/理性)を、すべての起点に置くことができたからである。だが、世界制作的であるぼくたちは、目前のものをたんに眺めやるだけの、そんな無世界的で静態的で<観照>的な生活をしていない。役者さながらに、周囲世界に気を配り、共演者を気遣い、観客に配慮しながらそのうえで、時々のものごとの交渉に明け暮れる。しかもすでに最初から、共同世界的な制度やシナリオに染色された公共圏を生きる。実に動的で<実践的>な行動圏を、しかも暗黙裡に生きてしまっている。このような実践的で動的で暗黙裡の生存様式を、ハイデガーは気遣いと総称する。まずはとても自足的で理知的な主体がいる。それが外の世界と関係する。することで、様々な認識や行為が事後に形成。かつてなら、そんな明示的で静態的な主観-客観の二元論が─観念的であれ唯物論的であれ理屈としては─、成り立つこともできた。だが、ご自分が舞台役者になったつもりでお考えいただきたい。役者は実に不分明で揺れ動く闇の海原(非意識的生の次元)を漂うかのようだ。観客からあらわに読み取ることができる舞台世界の全貌など、知る由もない。稽古場で長い間修練し、その身に叩き込んで来たはずのスキルについても、明示できない暗黙裡の知の中で、舞台に立つ。共演者たちの息遣いとのあやういやり取りの中で、かろうじて刻一刻の舞台世界が構成されてもいく。しかも実に自動的に速やかに。まるでぼくは、僕を超えた生を生きているかのようだ。主体の明晰な意識などはるかに超えた非意識的な生(=現存在)として、ぼくたちの具体的な生はあり得ている、ということである。非意識的な生などというと怪訝に思われるかもしれないが、よく考えたら、当たり前のことだろう。現存在のそんな非意識性を踏まえてはじめて、よく知られた被投性や企投性や耽落といった、現存在の基本性格も、すっきり理解できるようになるはずだ。

舞台上の役者は、演じている場面のコンテキストがどうなっているか。舞台上の諸々のモノ(大道具・小道具)がなんなのか。顕現的に分節すれば、おそらく無尽蔵に語ることができるほど膨大な情報を、一挙に即座に但し本人さえ不分明な揺れ動く暗黙裡の知という認識論的資格で、察知して行くはずだ。この側面が企投である。しかし、そんな企投が可能となるのは、そもそもすでに常に彼が、時々の舞台世界(明示不可能で非意識的な意味・情動のネットワーク)に投げ込まれているからだ。さらに言えば、その投げ込まれた世界に、すっかりはまりこんでいるからである。そして、場面、場面でどう演じたらいいのか、その役者の一挙手一投足(企投)が可能になるのは、当たり前のことであるが、まずはすでにある特定の舞台劇に出演してしまっているからであり、その場に出来上がっている筋立てや雰囲気に暗黙裡に入り込み、一体化できているからだ。つまり、演劇内世界にすっかり没頭し「はまって」いるからである。お芝居だという覚醒を抑えるだけの<眠り>が必要だ、ということである。このようにして、コギトや意志と関わりなく、既定の舞台世界に投げ込まれ演技してしまっていく側面が被投性であり、そこにピタッとはまり込んで没頭し<眠る>側面が耽落である。

もっとも、そんな現存在の成り立ちや、成り行きについて、どうして現存在自身にそれを知る由があろう。いつの間にか人生舞台に投げ込まれ、熱演の時間が過ぎもそして終わる。非意識的生(現存在)と、そこに展開する世界との間は、あまりに密接すぎ、主体と客体とか、人間と世界といった割り切りのいい二元論では読み解けない不分明さがつきまとう。つきまとうその影のような舞台世界に、つまりぼくを超えた非意識的な生の海原に、ぼうぼうと浮き沈む自分なるものがあるだけである。世界劇場をぼうぼうと漂う、そんな現存在(非意識的生命性)を追跡するうちに、しかしすでに、ぼくたち現存在が、コギト(意識主体)などとは異なり、とてもダイナミックな運動現象だということも、明らかになってきた。

2013年11月16日 (土)

古東哲明「ハイデガー=存在神秘の哲学」(6)

3.深きねむりから深きめざめへ

以上のことからすでに、ハイデガー哲学の基本的な意図や戦略も、透かし彫りになって来たように想う。平べったく言えば、要するに、ハイデガー哲学は精神革命を目指すということである。まずは、伝統的な西洋哲学の言葉づかいのラジカルな破壊ということがある。西洋形而上学のいわゆる脱構築。つまり、伝来の概念装置を揺さぶり、ズラし、脱臼させて、内部から解体する作業。その具体的戦略が、形式的指標法だった。その際勿論、伝統的なものの見方・考え方の破壊が目的ではない。脱構築は何より、読者であるぼくたち自らの自己変容を促すためである。そのことでさらに問わず語りに、ある至高の光景(存在神秘)を呼び込むことができるからだ。自ずから、哲学そのもののあり方も、根本から変質する。哲学と言えば、何か抽象的な概念の大伽藍、強靭な論理が組み上げた思弁のビッグシステム。普通誰しもそう思う。だからさらに思い込む。そのビッグシステムには、あらん限りの<解答><根本的な癒し>が書き込まれている、と。だが、そんなことが哲学だと、ハイデガーは考えない。哲学は道。僕たちをどこかへ連れ出す通路に過ぎぬ。通路に過ぎぬが、しかしそれは変容回路。道を行くことで、僕たち自身が変貌する。歩いているうちに、視野の曇りがとれ、司会が開け、身はリフレッシュ。そんな実際の散歩やウォーキング同様の変化が、精神(実存の構え)の次元で起こる。自己変容とか、精神革命とも言われたそれ。ハイデガーの場合、哲学とはまさにそんな自己革命の道だった。

こうした発想の前提には、僕たち人間が、自らの生や存在の事実に対して、まずは普段眠っている、という洞察がある。初期・前期に「耽落」とか「生の朦朧性」と言われたことである。考えてみると僕たちは普通、この世の内部に埋もれきっている。今日の予定や明日の成果で、頭はいっぱいだ。そのため、自分の存在だとか、この世の存在そのことに目を注ぐことなどすっかり疎かになる。これが耽落(深きねむり)のモチーフである。その際、この耽落が、惰眠をむさぼるとか、世俗にまみれニセモノの生活をしているといった、何か堕落した否定的な劣悪状態を意味してなどいない。むしろ懸命に利発に誠実に生きていればいるほど、そうなる。真剣に誠実にひとに惚れれば惚れるほど、身も世も忘れてしまう恋愛のように、この世の生に没頭し、そこに亀裂なくはまり込む姿ほど、人生をひたむきに生きる形式もない。それが誠実にこの世を生きることだ。この世の存在だとか、自分の存在にことさら思いをめぐらす(=耽落しない)方が、むしろ異様。どうかしている。普通じゃない。けれど、だからこそ、懸命に生き、誠実に利発にこの世に応接すればするほど、この世の存在を、あるいは自分がこの世に存在していることそのことを、忘却してしまう。そのパラドクスから一寸ばかり抜け出ること。生自体が自らの存在に対し<ねむる>という、この自然な傾向性(耽落)を破って、存在神秘へ目覚めていくこと。人生劇に没頭し熱演する普段の生活から、覚めて観ること。「現存在(生)が自己自身に対して覚醒して在ること」。その意味で、深きねむりから深きめざめへ。それが、ハイデガー哲学の基調音となって鳴り響く根本モチーフである。

ではそもそも、眠りから覚めることができるのは、なぜなのか。それは、ぼくたち人間に、覚醒能力があるからだ。人間だけに備わった覚醒操作(存在理解・開示性)。普段ほとんど休眠状態が、しかしそれでもなお、何らかの仕方で、かすかに働いているこの覚醒作用。それをフルに起動させること。それが、「深きめざめ」のモチーフに過ぎない。だから耽落ということで責められることがあるとすれば、折角の覚醒作用がほとんど封鎖されたままであるという、ただ一点に尽きる。もっと言えば、ぼくたちは普段あまりにも理知的な動物として立派に意識を働かせ、誠実に懸命に生きているが、だからこそ、折角の覚醒回路を詰まらせ、錆びつかせ、「現に-在る者」でなくなっているということである。だとするとハイデガー的革命は、思考内容や思考様式の変更というよりはむしろ、思考する場所を移転させようとする革命ということになろう。つまり、普段誠実に懸命に生きているとき作動する理知的思考の場から、それとは別の質の思考の場所へ移動すること。それが自己変容とか、精神革命と言われたことの実態だということである。

かつて、近代哲学によって「意識の中へ移転された思考を、意識の場所から別の場所へ移す」こと。「意識というそれ自身の内で閉じられていた場所」に終始した意識中心主義の近代哲学を、解体、破砕し、存在に開かれた現存在という<非意識的>場所へ思考フィールドを移すこと。それが深きねむりから深きめざめへの変容だ、というのである。現存在という述語は、伝来の哲学の思考場所(意識・理知)へのアンチテーゼだった意識を起点に、意識の内実として、意識の内へ、すべてを還元しようとする意識中心主義のモデルネへの、反抗だったのである。

彼はよく言う。何が言われているのか、表現されているとは何なのか。そんなこと(意識や理知による頭だけの理解内容)はどうでもよろしい。重要なのは、言われていることについて、思考する<自らの存在>が変化するということである、と。そしてそのことを、「理性的な動物から<現存在>への人間の本質変容」と定義する。だからそれは、「ぼくたちの習慣となった表象思考(死せる魂)を、簡素なるがゆえ不慣れな思考する経験(生ける経験)へ転調すること」である。その変化の中で、理知理性がヘゲモニーをもつ対象化思考(伝統的思考)から開放され、現に<いまここ>にこうして在ることに見開かれ、存在の凄さを目撃する者(現─存在)へ変身するというわけだ。

2013年11月15日 (金)

古東哲明「ハイデガー=存在神秘の哲学」(5)

第2章 道─存在解読のメチエ

1.道としての哲学

ハイデガーの哲学は「道」である。それを辿ればある地点へ、おそらく至高の場所へ、誰でも行くことができる通路である。その行き着く場所がどこなのか、何なのか。野暮を承知で、それを存在神秘だとか、生の実感と名付けたのだが、しかしハイデガー自身は明示はしない。合図や暗示をするだけ。それを「形式的指標」という言説作法だ。「形式的指標」とは、実質ある叙述を避けることで、事柄を直接語り伝えないのは、不親切からではなく、そんなことをしなくても道を辿れば、誰でもソコへ行き着くはずだからだ。ソコへ行けば、出発前にああだこうだと語った内容なんて無意味。ソコでじかに味わったらいい。存在の味は、直に自分で実感するしかないから。だからハイデガーはひたすら道を開き、その新しい道を辿るよう、読者を喚起した。

 

2.変容回路の構造

そもそもハイデガーは、ストレートに何かを伝えようとは、していなかった。それはなぜか。語れないからではない。それを直接語っても、どうせ誤解を呼ぶだけ。では、なぜ誤解を呼ぶのか。それは、ある思想をほんとうに理解するには、理解する側の変容が必要だからだ。どうしてもぼくたちは、なじみのフレームワークの中で、ものごとを分り切ろうとする。持ち合わせの概念や知識のファイルボックスの中で整理整頓し、分かったつもりになる。そこで読者の側の変貌を求めた。ハイデガーは伝える道(伝道)は避けた。買った言葉を道にして、ぼくたちが変容することをこそ願った。その変容アイテムとしてハイデガーが採択したのが、形式的指標法である。彼の書物を読むとはだから、何かを理解するとか、概念の大伽藍のような思想の産物をいただくことではない。そうではなく、読むぼくたちの側が変貌することである。

だが、形式的指標について説明するハイデガーの語り方自体が、形式的指標法でできているから、その説明はどうしても「形式的」。実質的内容を拒む。実感に届かない。ぼくのみるところ、道(形式的指標法)の基本型は結局、次の二つにまとめることができると思われる。そしてそれは、「深き眠りから深き目覚めへ」という彼のモチーフにもぴったり符合する。二つの基本型とは、次のとおり。

(1)ディコトミーの宙づり(深き眠りからの覚醒)

(2)隠しの技法(深き目覚めへの喚起)

ディコトミーの宙づりとは、健全で自然な普通の思考習慣(二分法思考)をアポリア(二重分裂)に追い込み、破綻させる手口。「自然的態度」に揺さぶりをかけ撹乱し、判断停止へ追い込む作業である。もちろん、あえてアポリアに追い込むのには、わけがある。「逃げ道のない場所で地に足をつけ、そこに故郷のようになじんで居着くこと」を求めているからである。なぜか。ディコトミーが破れ、通常の理性や健全な常識が執行停止するその場所こそ、まさに求めたソレの間近に居合わせているところだからである。もはやAかBかの二者択一ができない、A即Bの論理圏。AなのにB、BなのにA。そんな奇妙なパラドックス・ゾーンこそ、ソレ(存在の真理)を目撃する絶好の地点。あとは実存発動してご自分で実感されよ。そう、彼は形式的に指標したわけだ。

しかし、解体するばかりが哲学ではない。ソレを何らかの仕方で積極的に指し示す工夫も必要。それが、ハイデガーが多用するいまひとつの思考の流儀、「隠しの技法」である。それは、常識や健全な理知の立場からすればじつに否定的な場面や欠損状態(破綻、死、不安、危機、没落)を、あえて考察の切り口にする手法である。何であれ、何かが非在化したり、喪失の危機にさらされたり、破綻に追い込まれるとき、その何かのリアリティ(真実在)が、ありありと露光するものだ。病が、健康な生のリアリティをはじめて痛感させられるように。俗にいう、無くなって分かる何とかのありがたさ(存在の稀有さ)。ごく日常的な事実だろう。ハイデガーはそのことを「不在ゆえの現前」と名付け、この単純な事実を逆用するのである。つまり、敢えて何かを隠す(無くす・壊す)ことで、その何かのリアリティを炙り出させようというのである。もともと存在は、それ自身として現前もしなければ、対象化もできない。だが、死や不安や倦怠や危険の分析は、そこで<不在化していくソレ>を、つまり生や存在や生ける自然を、「不在ゆえに現前させ」てくれる。「不在が現前をあらわにする。死が近さ(存在・生)をもたらす」。不在ゆえの現前事実を逆手にとる「隠しの技法」を、だからハイデガーは多用するのである。

2013年11月14日 (木)

古東哲明「ハイデガー=存在神秘の哲学」(4)

3.門を抜けて

若きハイデガーの覚醒。この世が在るということ。生が事実このよう実現しているということ。その変哲もない存在の事実や生の事実の凄さに、まるで雷のように撃たれる。ハイデガーがはじめて、<存在を存在した>時である。「生それ自体のもとに滞留すること」とか、「生それ自体へ至ること」とか、「時を時として生きる」といった言い方で、講義録に散見されるそれが、以後、ハイデガーの原風景となる。それはある意味で、すべで解決し、充たされた時の出現だった。だが、充たされた時だからこそなのか。ふっと幻影のように、何か神のようなものが、かたわらを静かに通り過ぎる衣擦れの感触を覚える。後に言う最後の神さえ幻視するこの体験。それが、真面目な神学生が、最後に行き着いた場所である。その場合、そこへ至る順序がとても大切だ。

しかし、最後の神は最終解答でない。最終解答(存在神秘)か出た後の事後効果。あいは最終解答が放つ輝き。存在が神と見まごうほど神々しい、ということである。存在神秘の体験が、はじめて最後になって、神なんてものも<存在>させるに至るということである。こんな凄い存在を可能にした何かとして、神なるものを想定しても不自然ではないほどの感興に包まれるという意味である。

だから、順序が大切なのだ。(1)神の死⇒(2)存在不安・存在否定⇒(3)擬死の極致⇒(4)存在神秘・存在肯定⇒(5)最後の神

だから問題は、「神の存在」ではない。生き死にするような従来の神とは別の神、つまり「存在《の》神」である。存在が起点になり、存在が織り上げる(存在がその実質をなす)、存在のための神(存在神秘を静かに追想できるような神)、ということである。つまり、存在の後光や光背のようなものだ。ハイデガーは存在に、更に加えてその彼方に神を認識したのではない。それでは彼岸の神に逆戻り。ハイデガーにとって、ニーチェの「神の死」は決定的な問題だ。そこで死ぬ神とは、「最初に置かれた神」や「超越的な究極原理」のことである。その<神の死>を真剣に引き受けて、さまよい、惑い、苦しみ、死ぬほどの破局のはてに、まるで思いもしなかった「別の神」を体験する。それは、最後に神さえ想うほど、深く真正面から、存在の真理(存在神秘)に撃たれたことへの別表現。そしてそれだけのこと。まずは世界の存在への驚きの経験がある。世界が在るなんてことが<在る>ことを奇跡と感じるほどの、それは不可思議さに撃たれる体験。この存在神秘の体験が、そのあまりにもの<説明できなさ>ゆえに、説明の方便を求めて、「神創造のおとぎ話」を生み出したほどだった。世界の存在に驚くそのとき、「私は安らかである。何が起ころうと私を傷つけることはできない」と言えるほどの、深い覚醒の時を生きるだけのことである。

2013年11月13日 (水)

古東哲明「ハイデガー=存在神秘の哲学」(3)

2.この世の旅人─なぜハイデガーは宗教から離れたか

「この世に馴染めなかった人」ハイデガーのことを思うと、まずはこんなセリフが出てきてしまう。ハイデガーがまず取り掛かった本格的な仕事は、「生の事実性」の考察である。生の事実性とは文字通り。ぼくたちがこの世を生きているという、実に簡素な事実のことである。ごく日常の変哲もないこの世の光景、そして人の世の営み。それをまるで宇宙人がはじめて眺めるかのように見つめることで、ハイデガーはその哲学生活をスタートした。実に異様だと言わなければならない。

その言葉づかいも変わっていた。当人はただ、なるたけ手垢のついていない言葉で、読者や受講者自身の施策を喚起しようとしただけだが、採択された単語を見ても、その文章のながれを見ても、分かるようでよく分らない。「形式的指標」法で語ったことが、大きな原因ではあったろう。形式的指標法とは、読者に事柄を伝えたり説明する書き方ではなく、読み手がわの思考改変を迫り、読者自身がじかに事柄に接触するよう仕向ける喚起叙法である。事柄を直接叙述しない。何を思考し、どのように考えなければならないかは指し示す。が、後は自分で考えろ、答えは自分で出せ式の叙述スタイルである。当然、読み手側の思考負担が大きいだけに、にわかに分かりづらい。

どうしてそんな人になったのか。ハイデガーだって最初からエイリアンではなかったはずだ。はじめに、世界への素朴な信頼があった。南ドイツの質素な生活。だが、世界は満ち足りていた。将来の神父職を夢見る俊英だった。だが、世界とののどかな信頼と調和の関係は脆くも崩れ去る。病気と戦争が引き金になる。まず、1909年、最初の心臓発作。死が濃厚に影を落とす。よくあることだが、若干二十歳で将来の夢を断たれた。死の床を突きつけられ、生老病死の不安問題が以後まさに肉体に刺さった<>となる。謹厳実直な神学徒であり続けたが、そのまなざしはいつも「彼岸的な生の価値」に向けられていた。肉体はこの世に在りながら、魂はどこか背後の向こうの世界に渡ってでもいるかのようなのだ。身はこの世に在りながら、思いは遥か彼方の永遠の生ばかりに向けられている。ひたすら月を目指す宇宙飛行士のようなもの。だがその後のことである。1911年と1914年。そして翌年。続けざまに心臓発作に襲われる。悪阻今度は、死すれすれの生生きているよう心地だったろう。そして、それに追い打ちをかけたのが第一次世界大成である。西洋の自主性と理知性の威厳は失墜。全世界に、「西洋の没落」を印象付けるにたる事件だった。当然であるが、青年ハイデガーも、そんな時代の混迷と不安の渦の中に、投げ込まれる。存在不安や、ニヒリズムの想いが襲来。素晴らしき世界。そう思われていたキリスト教信仰体系という名の月世界。それは良く見れば、クレーターだらけの不毛な土地。「生きた精神」が凍結する、まさに死の世界にすぎぬと痛感する。神学的眠りは破られた。彼岸に向けられた視線は、しっかりと、残骸だらけのこの生の大地に向けられる。むろん、不安と戦乱の渦巻く、この現世の大地にである。だが、その極限の不安と、ほとんど同時ではなかったかと思う。故郷メスキルヒ郊外の修道院にて本格的な深い瞑想生活。死を極限まで思う瞑想生活の中で、ハイデガーは、最終最期のある何かをしっかり掴む。度重なる発病。そのほとんど生を揮発されたような神学徒生活の中で、しかも戦争で残虐の野原と化した焦土の中で、むしろだからこそかえって、それまで見失われ、忘却されていたものが炙り出されてきた。それが「生の事実性」である。「この生が存在するということ」。生の事実性。だから死んでいるのではなく、あくまで現にこの世に生きて在ることそのこと。そんな生や世界の存在に、はじめてありありと出くわす。そしてあらためて驚く。「驚異中の驚異、つまり存在者が《在ることそのこと》を経験する」。何事も、失って初めてありありと分かるものだ。死が失うものは生、そしてこの世の存在。戦争が奪うのもまた同じ。そんな死や戦争を媒介にしてはじめて、生が生として実感され、この世存在の地肌に触れることもできるという道理である。存在忘却の根本体験と後に言われるそれ。

ぼくはこの頃あたりに、彼の至高体験(存在神秘体験)が起こり、現実世界(生の事実性)へ帰還したと解釈している。現実世界への帰還とは、来世や永遠の生といった伝統的な神学システムの「神学素」をきれいさっぱり捨てたということだ。その上で、此岸に確認した神聖空間や至高性を語り得るとしたら、それはどのようにしてか。これがハイデガーの次の課題となる。そこで、神学に替わって登場したのが哲学である。別の至高を目撃するぼくたち人間のあり方。<存在を存在する>という仕方で存在理解の能作をフルに起動させるあり方。つまり「生が生自身を持つこと」、あるいは「現存在(生)が自己自身に対して目覚めていること」。それをこの時期、精神的な生とか実存と名付けている。

2013年11月12日 (火)

V社の決算説明会を見てきた

先日、パネル関係の加工装置や検査装置のメーカーであるV社の第2四半期の決算説明会に行ってきました。場所は東京証券所の一般見学コースの2階にある東証ホール。見学者用玄関から入りますが、持ち物検査と身体検査を受けて、物々しい感じです。広いロビーを上ると会場で、天井は高く、舞台は会社の説明者が座っていると雛壇のようです。会場全体は100人くらいのキャパはありそうですが、出席者は30人強でしょうか、二人掛けのテーブルに一人ずつで余裕があります。

資料は、受付の際に説明資料をうけとると、アンケートも決算短信もありませんでした。最初は驚きましたが、この後の説明を聞いて、これはこれで潔い態度だと思いました。会社側の出席者は社長、経理関係の責任者、理財部長とIRの担当で、IR担当の司会で説明会が始まると、社長が説明を始めるというパターンです。説明会のトータル時間は、1時間15分で、だいたいのところで、説明が45分であとは質疑応答に充てられました。

社長のSさんは技術者出身なのだそうですが、決算数字や業績の数字の説明は資料をさらうように5分程度とおわらせてしまいました。その後が、すごかった。V社の説明会の突出するくらいユニークでした。これから40分くらいの時間をかけて、マニアックなほど微にいり細を穿つくらいに丁寧に、パネル関係の市場動向や技術的背景の説明を、社長の識見を交えて展開されました。パネル製造ラインの技術的トレンドから世界市場のシェアの推移といったことが、具体的な製品、部品、あるいは会社名が明かされてメーカーに籍を置く私でもついていけないほど、深堀した説明が展開されました。

スマートフォンの製造メーカーのシェア・トップがアップルから韓国のサムソンに移り、その後には中国のメーカーに移っていくだろうことを見越して、中国への展開にいち早く手を打ち、その負担に耐えてきた中で、今年に入っての円安で急激に受注を伸ばすことができたのが、今期の好調な業績。その好調に安住することをよしとせず、スマートフォンの画面はフレキシビリティが重視され液晶と比べて有機ELの占める割合が高まってくることを予想し、それに向けた技術を持った大手電機メーカーの子会社から事業譲渡を受けた、という攻めの経営姿勢がみえました、好不調の落差が激しく、そのサイクルが短期間という動きの激しい業界であるために、経営戦略の適否が企業の成長を大きく左右するという環境から、あえてリスクをとって積極的に事業を推進させるという経営者の姿勢を見て取ることができました。

これを社長は、シナリオも何もないところで、自分の言葉で説明している(経営者なら当然?なのかもしれませんが、大企業のトップでさえ台本を丸暗記したような説明をすることは少なくない中で、敢えて特筆しました)のをみて、この社長の見識というのを強く意識させられました。そして、その説明の中で、自社の戦略を淡々と語られていくを聞くと、今まで何社かの説明会を見てきましたが、理詰めで説得されて納得せざるを得ないという感じに、これほどなったのは、この会社以外にはありません。説明に散りばめられた技術用語なんかに幻惑されているのかもしれませんが、技術用語で幻惑するほどの説明をしたメーカーの社長がいたか、そこまでやるか、と感心させられました。

IRというのは、社長がアグレッシブな姿勢で経営に真剣に取り組んでいて、その重要さに気付き、その重要さゆえに他人任せにせず、自身で取り組むことによって、ユニークで質の高い活動ができるという、ひとつの範例を見たように思いました。最初、配布されたのが薄っぺらい説明資料だけで、しかも今後の見込み数値やグラフが空白になっている、それを何も知らずに見ると、手を抜いているのかと誤解してしまうのですが、社長の説明を聞くと、この会社のユニークで確固たる姿勢の表われであることに気付かされます。会社の内容や特徴を見極めたうえで、今、会社の経営からIRに何を望むのかを検討して必要十分な説明会を追求した結果ではないか、そうだとすれば横並びで無難な資料作成をせずに敢えて誤解を恐れずにユニークに資料配布をしたことは会社の挑戦的な姿勢が出ていると考えることも可能です。それは社長の意思であるたろうとも。

そして、説明終了後で、失礼ながら、それほど多くはない出席者のわりには質問が絶え間なく続き、予定時間いっぱいに質疑応答の熱いやり取りがあったのは、出席者に熱心な人の割合が高かったのではないかと思います。ただ、質問は、会社の今後の見込みについて数字的な細かいものから、会社とは直接関係ないと思われる業界の全般的なトレンドまで、種々雑多でした。出席者の中には、V社に直接関心があって出席したというのではなく、業界情報を得るために出席していた人も相当程度いたようにも思います。それでも、説明を聞こうという強い興味をもって、わざわざ出席してくるわけで、何であれ、これだけの人を集めることができるのは大きな魅力があるからだと思います。そのような人たちのうち、説明を聞いて会社をフォローすることだってあり得るわけですから、

ただ、これだけ一点集中のような傾向の説明会では、マニア受けというのでしょうか、ひろく多方面から集客することは難しいかもしれません。それを覚悟して判断できるのは経営者だけで、IRの担当者レベルでは難しいと思います。個人的には、社長の個性が、これだけ強いとIR担当者の苦労も偲ばれると、感じました。凄いのは、こういう説明会を何年もの間、地道に続けてきているということです。社長も凄いですが担当者の苦労にも頭が下がります。

上場企業が数千社あるなかで、通り一遍だったり、お座なりだったりのIR、あるいはやっていないという企業もあるなかで、以前にも書いたN社といい、真摯にIRをやっている会社は、あるということを発見して、何か力づけられる思いです。

2013年11月11日 (月)

古東哲明「ハイデガー=存在神秘の哲学」(2)

第1章 生への実感

1.存在を問うとはどういうことは

存在ほど身近なことはない。生まれてこの方、存在したことのない日など、どなたにもないからだ。

その意味で、存在ほど間近で、不可欠なこともない。だからこれほど常に、しかも深いところで、僕たちに触れあっているものもない。そんなはずもないと、そう否定するためにも、最低、存在だけはしていなければならないのだから、そういうしかない。存在抜きには、一切が、一瞬も、成立していないのである。

だから例えば、存在のさらなる起源や前提を想定してみても、議論は必ず破綻する。例えば神。神がすべてを在らしめる、神こそが存在の根拠だという主張。だがその場合、存在の起源である神でさえ、自らの存在そのことは前提せざるを得ない。存在を欠落させた神など、それこそ存在しないことになるからだ。

だから存在がすべてのベースである。すべてとは、文字通りである。宇宙も神もヒトもモノも、もしそれらが<在る>というのなら、存在を前提というに等しい。だから、存在が生死にわたって、ありとあらゆることの成立前提であり、土台である。あらゆることが成立する前提やベースのことを、究極根拠とか至高ということは、ゆるされるだろう。ならば、存在が究極根拠であり、至高である。

しかし、存在についてほど、ぼくたちが無知なこともない。ひとであれ、モノであれ、何かが今こうして<在ること>、つまり存在の意味、それを問われても、答えられない。存在論とは、それを問い直そうとする学問的工夫だと、まずは言っておこう。ついでに言っておけば、人間だけだ。存在を理解したり、味わったりできるのは。人間だけがいわば<存在を存在することができる>。人間はこの世に存在していることそのことに開かれ、存在と接触しながら存在している。つまり、存在を反芻しながら存在する。この人間固有の能作のことを、存在理解とか、開示性という。そして、<存在にかかわること>を、存在論的と形容する。存在ではなく<存在者(モノ)にかかわること>を存在的と名付ける。

なぜこの世界や宇宙が在るのか、なぜ万物が在り、そして僕たち人間が生きて在るのか。そんなかたちで、遠い昔から、問われ続けてきた哲学の難題である。むろんこの問題に、事実的な因果関係で答えることは簡単だ。つまり、何かが存在することに先立つ起源とか原因へ遡り、例えばビックバンや元素や神やDNAといった、それもまたひとつの<存在者>を想定する説明方式である。だが、この方式は最初から破綻している。何かの存在の根拠や理由や目的を、それに先立つ<在るもの>(存在者)に求めても、ではその先だってある存在者が<在る>のはなぜか、なんのためなのか、という問いがいつまでも残り、問題は無限に先送りされるだけだからだ。

「なぜ、何かが存在してるいのか。むしろ無いのではなかったのは、なぜなのか。」この問いに答えるには、もはや何か先立つ<在るもの>に訴えず、あくまで<在る>という事実そのことだけに即し、存在それ自体で、だから存在をその自律性と内在性において、考えるしかないだろう。それがそもそも、哲学が問題とする存在への問い、つまり存在論である。

だが、ストレートに存在そのことを問おうとしても、すぐに奇妙な矛盾に出くわす。存在は、様々な意味で、その反対項のはずである無の性格を帯びて来るからである。存在というくらいだから、当然、存在するものだと思って考察しようとするのだが、まるで無い。色は無い。形も重さも、終わりも初めもない。根拠も理由も起源も、むろん無い。モノ(存在者)なら目の前に現れる。だから物体や意味概念として把握できる。様々な仕方で所有できる。所有できるから、それを制御したり、意味づけしたり、理由や規範を付したり、細工したりできる。この持つという形式で接近できるモノのありようを、所有モードと名付けよう。一方、存在はモノ(存在者)ではない。だから所有モードで接近することは原理的に不可能。もっといえば、そもそもぼくたちの対象にすらならない、ということである。

とすれば、対象にならないその存在に、意味を<与え>たり、規範や理由や目的を<持たせ>たりすることは─人間の側が勝手に持たせたつもりになることはできるとしても─、最初から、存在の正体を取り逃がしていることになる。存在は、ただソレであるしか<ありよう>がない、ということである。直接ソレであるしかソレに接触できないありようを以下、存在モードと名付けよう。存在と存在者とあいだの、この決定的な区別のことを存在論的区別という。

2013年11月10日 (日)

古東哲明「ハイデガー=存在神秘の哲学」(1)

プロローグ─この世と出会い直すために

どれだけの時間、ぼくたちは今日、この世の光景を見つめたろう。この宇宙が生起する現場に、どれだけリアルに立ち会ったか。とても少ない。そういわなければならない。この世の存在に目を閉ざすこと。死んでいるのではなく、この世に今こうして生きている自分の存在に、思いを馳せないこと。存在の事実など忘れ、それと触れ合わないこと。そんな暗黙の禁制システムが、今日も自動的に作動し、ぼくたちの一日を造り上げているように思われてならない。その理由は、近代(モデルネ)という禁制システムと、深く関わるはずである。

それにしても、なぜか。なぜあえて、存在を味わおうとするのか。いきなり言ってしまうが、途方もなく旨いからだ。至高の味がする。極度にあり得ないことが、なのにあり得ていること(稀有)。この世ならぬものが、にもかかわらずこの世に実現していること(奇蹟)。それを、「神秘的」と形容することは許されよう。ならば、存在は神秘の味がする。

こうして生きて在ることの、どうしようもない不安や哀しみにかられたことは、どなたにもあるだろう。在ることの無意味さ、はかなさ、よりどころのなさを、呪った記憶さえおありかもしれない。途方にくれ、最後に出てくる科白は決まっている。「この世は無意味。存在は無。生は虚しい。生きていてもツマラナイ」だが、生きて在ることのそんな否定的な味(無根拠・無目的・無常)自体が、実はそのまま、こうして生まれ、いま生きて在り、いずれ消え去る僕たちの存在の事実を、最大限に肯定する理由でもあるとしたら、どうだろう。存在の否定性(無根拠・無目的・無常性)とは、存在の途方もない肯定性(充溢・輝き・祝祭性)の別名だとしたら、どうだろう。もしそうだとしたら、人生なんて無意味と言い切ってクサっていること自体、もっと先にある悦びへ至る道を、塞いでいることにならないか。

「どんな暗雲も、銀の裏地を持っている(Every cloud has a silver lining)」

さしあたり暗い存在の否定的な表面とは、存在の途方もなく明るい肯定性(存在神秘)の裏面なのだ。だから、存在不安に襲われる体験とは、気づけば、存在神秘に襲われる体験の徴候にほかならない。

《存在は虚無だからこそ神秘》

そんなこの本を書くにあたり、何より導きの糸になったのは、ハイデガーである。ハイデガーに言及することを縦糸や推進力にして、この本は編まれている。だが、それにしてもなぜことさら、ハイデガーなのか。理由は実に簡単。こんな存在の味(意味)について、まともに考え、ちゃんと応接してくれる哲学者は、彼一人しかいないからだ。僕もあなたも死ぬ。その死の時、こうして生まれ、この世に存在し、そして死ぬことの意味を得心して死にたいと思う。哲学。それはまさに、そんな得心のための思考の営みのはずである。とりわけ存在論とはそんな、人間のみならず万物が<在る>ことへの、誰もが思い抱く疑念をはらす営みだったはずである。「在ることへの問いかけ」。それが哲学であり、とりわけ存在論であったはずである。

2013年11月 9日 (土)

加納光於│色身─未だ視ぬ波頭よ2013 (6)~Chapter5 色身を求めて─油彩

Kanohati狭い美術館の展示室に押し込められたような展示は、最期に版画では困難なためでしょうか、大画面を油彩で制作された作品が並べられていました。今まで見てきたような、鮮やかな色彩の、不定形な、波立つ流れが大画面で、見る者を圧倒する大きさで現われてくるものです。ただ、マーク・ロスコの抽象画のように大きさというスケールで、見る者を包み込み、独特の精神状態に誘うようなことはありません。そういう意味を求めているものではなくて、ただひたすらに感覚的な美しさを追求しているから、大きいゆえに迫力で迫るということはなくて、細部がよく見えるということでしょうか。

描き方については、私は不案内で、よく分りませんが、筆に絵の具をつけて塗ったということでは、できないものだろうと思います。基本的に、これまでの版画と同じような技法で、版画の場合はネガである版をポジである紙が写し取ることになるのを、直接キャンバスに定着させられているということかもしれません。その一方で、画面が大きいために、空間構成について余裕をもったデザインができることから、反復や反復に変化を加えることをたっぷりと行っているので、少しくどい感じを受けることがあります。そのわりに反復させる要素は絞ってあるので複雑な感じはしません。

Kanorubaしかし、《ルゥーバ、降り注ぐもの》という最後に展示されていたシリーズでは、定型化、バターン化の兆し、硬直化といってもいいかもしれません。流れることの運動性というのがなくなってきているような気がしました。

2013年11月 8日 (金)

加納光於│色身─未だ視ぬ波頭よ2013 (5)~Chapter4 波動のさなかで─多色版画

Kanoina2スポーツのゲームを観戦する魅力は、ひとによって様々です。プレイヤー個人のドラマを追体験する人や観客席でプレイそっちのけで応援というパフォーマンスに参加することを楽しむ人など、私の楽しみ方のひとつは、例えばテニスのゲームであれば、ボールが対戦プレーヤーの間で行き来する運動や、ポールの動きに応じてプレイヤーが動く運動性を観たり、その動きのリズムを感じたり、乗りに同調したりという楽しみ方をします。以前、ゴルフのプレイヤーで岡本綾子という人がいましたが、彼女のプレイを見ていると、コースを歩いたり、ボールを打つ前にコースの芝の状況をみたり、クラブを握り、構えて、ボールを打つという一連の動作のリズムの伸び縮みが、とても心地よくて、まるでダンスを見ているような錯角に捉われたことがあります。そのときに、彼女の伝記的な情報とか、重いとか、精神状態とかいうようなこととは切り離して、彼女の身体の動きと、それが刻み出すリズムの心地よさ、彼女のゴルフのプレイの魅力であると感じられたのでした。そこには、スポーツ新聞やスポーツニュースに取り上げられるようなストーリーも意味もないことです。

Kanoina6喩えとしては適切ではないかもしれませんが、音楽の魅力も、同じように意味がないということにもあると思います。私が加納の作品に感じる魅力は、これに近いものです。これまでの展示作品では、多少の意味を引きずっていて、それが邪魔に思えましたが、ここでの展示あたりから、その邪魔だった意味がなくなってきました。

<稲妻捕り>というシリーズは1976年ころから始まった、とのことです。エンコスティック(蜜蝋)という手法は解説で“溶剤で乳化させた蜜蝋に顔料を溶かして独自に開発した、流動性の強い絵の具を床面に置いた用紙の上に注ぎ流し、そこに透明なフィルム板を近づけると、「静電反応」によって絵の具が瞬時揺れ動き、近付けたフィルムにハタハタと吸い上げられる。その発色する瞬間をデカルコマニーの技法を援用して紙に痕跡として転写する”と説明されています。実際の作品をみれば、水を張ったところにインクを流したような不定形の形とインクの色の流れるような感じのイメージが想像できます。筆で描くことは絶対にできない、そのため人為的な作為の跡を見つけにくい、人の手の暖かさを感じさせるものがない、波打つようなグラデーション。これに複数の色を同時に流すことによって、色が混じったり、鮮やかな色が波打ったりしている様は、これはこういうものだと形容することはできません。そこに映されてできたかたちや色合いには、思いとかメッセージを意図的に込めて作り出すということとは無縁です。たとえば、シリーズの中の6個の丸状のかたちがサイコロの6の模様のように配置されている作品を見てみると、黒とグレーと白の3色なのか、それらの色が波打ったり、混ざって中間色になったり、混ざらずに複雑な模様を創り出していたりします。それが偶々丸状の形状になったのが並べられて、それぞれを見比べるように見ることができる。その上に、円形の図形が線で引かれて作為が加えられていますが、それを加えた全体としての作品に対しては、言葉で、これはどうだこうだという言葉で意味づけされた形とかものが描かれているというのではないので、感覚的にどうこうと。つまりは感覚的な好悪に行き着くしかないものにっていると思います。おそらく、加納自身も感覚的な印象に頼んで、映したものを作品に選択したものでしょう。

Kanohado1似たような作られ方をされたものとして考え浮かぶのが、ジャクスン・ポロックによるドリッピング技法を用いたアクション・ペインティングの作品です。ポロックが即興的にキャンバスに絵の具を垂らしたり、流したりした結果が作品となるというものです。しかし、技法や用具の違いによることも大きいのでしょうが、ポロックの作品は人の手の温もりが感じられるし、色遣いや全体の印象からポロックの感情とか精神状態を想像させる余地が残されているような感じがします。以前、ポロックの作品は抽象的であるけれど、それ以前のカンディンスキー等の作品にあった精神性とか意味のようなものがなくて空虚だと印象を述べたことがありましたが、加納に比べればポロックの作品は意味の残滓が残されているような感じがします。

次の《波動説─intanlioをめぐって》は多色銅版画の作品だそうです。ここでは、流れのような不定形の形状や色の波立ちが繰り返されるように、似たような形のものを何個も並べています。それによって反復するリズムを想起させるような効果をあげて、直線を区切りのように書き加えることによって、秩序づけるような一種のコスモスのような全体の印象をもてます。とはいっても、もともとの流れの部分はコスモスに対するカオスを感じさせるので、カオスとコスモスの拮抗、というと意味づけし過ぎかもしれませんが、<稲妻捕り>の奔放さとは一味違った味わいがありますが、このせいかもしれませんが、色の変化、グラデーションの変化が、より鮮やかに感じられるような気がします。

Kanolion2そして《青ライオンあるいは(月・指)》(下図)というシリーズでは、奔放な流れが円形の中に閉じ込められたようなものとなり、運動が閉じられた狭い空間の中に押し込められ、その円の中が密度の高い濃密な空間と化して、色彩の鮮やかさがことさらに際立たせられているように見えます。閉じられたような円の中での対比の目立ち、それらが並べられることで、それぞれの円の違いが際立たせられていました。

2013年11月 7日 (木)

各社のIRを現場の視点で評価できないか

昨日の投稿から枝分かれして考えたことです。

どうやら、私は、自らオリジナルに考えるタイプではなくて、あるキッカケに対して何かを考え始めると、泥縄式に考えが反応するように、紡いでいくという考え方の経路を辿るタイプのようです。基本的な姿勢は受け身なのです。閑話休題。

昨日投稿したN社の決算説明会に対する感想は、私が企業の中にいてIRという業務に携わっている(いた)人間という視点で見たものです。これは、本来の説明会の出席者である投資家や証券アナリストの視点とは違うだろうと思います。例えば、説明会の資料に関して、投資家の人であれば、自分が欲している情報があるかとか、見易いか、分かりやすいか、そういうことを重点的に見るだろうと思います。それは、資料を提供される側、言ってみればお客さん、もっと言えば消費者の視点ではないかと思います。企業が製品を提供する際に、消費者の視点は必要不可欠ですし、そういう視点がなければ製品は売れないでしょう。しかし、それだけでは片手落ちです。それ以外に作る側の視点もあると思います。これは、私がメーカーという生産する企業に勤めているからこその考え方かもしれません。例えば、技術的な開発とか生産効率化といったことは、スタートは消費者ニーズだったりしても、生産者側の技術情報やノウハウがなければ進展しません。例えば、特許のような独自技術や工業規格のような品質の規準、優れた技術や工業製品に対する評価は生産者の視点で行われます。そういう技術や製品を他のメーカーやエンジニアが目にすることで参考として取り入れ、ライバルとして競争するような良い製品や技術を対抗的に作り出し、競争が起こります。その競争を互いに繰り返すことで、製品の品質が向上し、技術が進展するということがあると思います。エンジニアの人々は、基礎研究や理論の場合などでは、学会や共同研究プロジェクトなどで企業の垣根を越えて情報や知識を共有したり、互いに議論を交わしていくこともあります。それが技術の発展につながっていくことも。

話が、全然違う方向に脱線してしまったかもしれません。この脱線してお話ししたようなことがIRを行っている立場の人々の間で、作る側の立場で共同したり、競争したりすることが、もっとあってもいいのではないか、というのが今回の投稿の本題です。で、最初に戻りますが、N社の説明会は前回説明したように、毎回、出席者にメリットを与え、ゆくゆくは企業の側にメリットが生まれるようにするために課題をもって、さまざまな試みが為され工夫をこらした説明会となっています。その工夫の跡は投資家の人たちでも分かるでしょうが、あくまでも消費者です。作る側の技術とか理論のようなことまでは分らないし、そんなことを詮索する必要もない。しかし、私のような中途半端な担当者が見れば、細かい点での工夫の跡や、その背後での苦労などのなんとなく想像できます。そのうちいくつかは自分の会社においても参考にできるものもありました。で、せっかく意欲的なIRの試みを他の会社に拡大させていかないのは、勿体ないことだと思います。

で、IR業界?では優秀なIR企業の表彰のようなことがいくつかの団体?で為されています。その審査員を見てみると、生産者側の人間がいないのです。機関投資家やアナリスト、あとは学者さんとか証券市場の関係者、マスコミの人といったところでしょうか。この人達に共通しているのは消費者ということです。だから視点は、見易いとか分かりやすいとか、生産者の工夫を見つけることはあっても目立つところ、というところでしょうか。消費者の視点は大切ですが、それだけでは、作っている現場レベルで具体的に改善していくということに対して直接的に効果に結びつくのにワンクッションのツークッションも置かれることになります。また、消費する側はどうしても受け身になってしまうので、型にはまったものを評価しやすくなりやすい。また、高い評価を受けるものが固定化されやすくなります。一種のブランドと化してしまう。でも、以前にこのブログで書いたことですが、企業の自社の真剣に見直して、自社に適したIRを追求していけば、企業がそれぞれに違うように、IRのあり方も企業ごとにユニークなものが出てくるはずですが、表彰される企業IRを見ると独自性が強いものよりも、最大公約数を漏れなく網羅しているものになっている。だから、表彰された企業の担当者が自社のIRに関するプレゼンを表彰の後でおこないますが、作る際の工夫とか技術ノウハウの説明は行われないのが普通です。それで評価されたというのではなく、また、説明しても会場に出席している人は理解できないと興味がないからです。だから、私のような担当が聞いても、正直な話、あまり参考にならない。ちょっとわき道にそれました。

IRの説明会や資料、あるいはホームページづくりなどでも技術的なことは沢山あって、担当が技術的な制約によって展開出来ないでいる事柄は沢山あると思います。そのとき、他社の試みを見て打開のヒントを得られるかもしれない。そういう情報は、おそらく作っている人しか分らないことが多いはずです。エンジニアのような狭くて深い技術というものがIRの世界にあるかといえば、もっと浅いものでしょうが、確実にそれはあると思います。それを意欲的な会社や担当者はおそらく孤独な奮闘をしているのに近いのではないかと思います。それをもっと広めたり、そういう奮闘を外部から評価する、たとえば作る側の立場からの評価がひとつくらいあってもいいのではないかと思ったりします。他の業界、たとえば小説の世界で文学賞の審査は、小説家が行っていて、消費者である読者がやっているのではありません。

できれば、私も色々な企業の説明会を見て参考にしたいと思っているので、昨日のN社のように行くことができた説明会があれば、その感想や参考になったことなどを少しずつ投稿してみたいと思います。

かなりとりとめのない内容になってしまいました。

2013年11月 6日 (水)

N社の野望、続編

以前、ある方のご厚意でN社の決算説明会に行くことができ、そのレポートを掲載させていただきました。N社の野望 この前、10月23日に第2四半期の決算説明会があり、また、行ってくることができました。

説明の路線としては。前回の説明会で説明されたことを進めているということですが、実際に成果が現われてきているようで、この早さは凄いことだと思いました。日本のメーカーは鈍重だと揶揄的に言われることが多いですが、経営者のN社長の個性もあるのでしょうか、N社のこのスピード感は世界のどの企業よりも早いのではないかと思います。

実際に成果が現われてきていることから、戦略がさらに明確化し、説明者のN社長も革新度合が深まり、前回以上に自信をもって説明されていました。また、施策が進んでいることから社長へのフィードバックもあるのでしょう、説明の内容が、前回よりも絞り込まれて、さらに戦略が明確化してきているように思いました。前回は。モーター単品のメーカーから制御部分も含めたモジュールを提供することと、自動車や家電等の新分野を開拓することが並列的に説明されていたのが、今回は、それぞれの戦略の次元が違っていることを意識的に説明されるようになって、モジュールで提供するということから自動車等の新市場への展開が開けてきたということです。そして、ECUというモーターの制御部分を強化するために、その関係のM&Aを積極的に仕掛けるとか、ここで差別化することで独占的な有利を持ち、価格競争に巻き込まれないとか、戦略がさらに具体的に深まってきたように見えました。すごいのは、その戦略のなかで、日本でものづくりをするということが必然として位置付けられていたことです。日本のものづくりにこだわるメーカーは数多くありますが、その理由は、どちらうかというと情緒的な傾向が強く感じられることが多いですが、N社の戦略では、ものづくりをすることが一番儲かる、そしてその一番儲かるものづくりをする場所として日本国内が最適である、つまりは、日本でものづくりをすることが一番儲かるからしているのだ、ということが明確にされていることでした。むしろ、研究開発はものづくりの価値を高めるための手段である(研究開発に特化して、ものづくりを外注化するメーカーを一番の儲けを放棄しているようなものだ)と言い切ってしまうのが凄い。これは、日本の多くのメーカーへの現場からの建設的批判ともとれるものです。

実際のところ、長期的な将来を見ていくと、例えば自動車の自動運転のことが連日話題となって報道されていますが、そのハンドルやブレーキを運転のために動かすためにはモーターが必要になってくるので、制御と一体となったモジュールはさらに需要が増してくる、ということです。N社長が語っていましたが、市場環境は必ずしも良好とはいえず、社長自身も環境に対して楽観的になれないといいます。その中で、利益を出し、成長させていくのは経営の戦略であって、N社はそれで成長してきた、というのがよく分りました。実質的に、N社は環境に左右されるというよりも、自ら環境を作っていく企業になりつつあるのではないか、N社長はそれを意識しているのではないか、と私には思えてなりませんでした。

今後、この戦略が順調に進展するかどうかは、私には分かりません。多分、この戦略を進めて行けば、現時点でのN社とそのグループの体制は進展に合わせて再編されていかなければならないだろうし、その時にN社長をトップに頂く体制が適しているかどうか、そんな課題がでてくるような気がします。が、聞いていて、希望が湧きあがってくるというのか、すくなくとも元気になれるというものでした。

最期にIRの現場からの視点でN社の説明会を見てみると、毎回の説明会で何らかの工夫が加えられているのが感心させられます。今回は、説明会の時間を30分伸ばして、全体で90分とし、その伸ばした時間を質疑応答に充てていました。これは、質問者が多くて時間内に捌ききれないため、その解決策として考えたのだと思います。これは、N社という企業の姿勢がそうなのだろうと思いますが、惰性でものごとを考えないという姿勢が一貫しているのだろうと思います。だから説明会の時間設定ひとつとっても、みんなそうだからと何の考えもなく1時間で済まそう、というのではなくて、説明会の目的である会社を理解してもらうために最善は何かという問題意識を持っている一つの表われではないかと思います。

説明会の資料についても定型化したテンプレートのよう資料で決算の数字だけ入れ替えるような会社もあるなかで、毎回、何らかの工夫がなされているのが分かります。それはN社長が経営戦略を語ろうとするさいに、それは生き物のように時々刻々と変化していくものであって、固定的なものではないということから資料もそれに応じて説明会のたびに検討され新たに作られていると、その際にN社長の戦略を伝えるための最適な資料が試行錯誤されているのが形になっている。

これらのことは、折角説明会をやるのだから、その機会を無駄にすることなく、その機会を有効に活用していこうという、いい意味でのガメツサを濃厚に感じさせられました。きっと、これはN社の文化なのだろうな、ということも。

たいへん勉強になったし、元気つけられる説明会でした。

沢山の人が出席していたN社の説明会で、こんな感想をもっているのは、多分、私だけなのだろうなと思います。

2013年11月 5日 (火)

加納光於│色身─未だ視ぬ波頭よ2013 (4)~Chapter3 箱の宇宙─リーヴル・オブジェ

Kanoorora加納は一時、箱型のオブジェに取り組んだ時期もあったようですが、私には、あまり興味が湧きませんでした。加納の「美」は、意味を剥奪された純粋な抽象に近いので、閉じた空間で辛うじて存在し得ると、私には思えます。それが立体という三次元の広がりを持ってしまえば、閉じ込められなくなり純粋な感じがなくなってしまうように見えたからです。例えば、物体としての重量とか質感とか、モノとしての存在感がどうしても入ってきてしまう。その具体性は雑音に感じられました。

ただ、この中で書籍の装丁を手がけ、印刷、製本という工程で生産されるという制約を受けてつくられたものがありました。ここでは、それだけに触れてみたいと思います。前回に見た《PENINSULAR半島状の!》№8 という作品でキーホルダーか靴べらのかたちを引用して作品のパーツとして使っていたのを、ここでは全面的に展開して、全体としてはグラフィック・デザインのようなものとなっています。

《オーロラへの応答》(右図)は、図鑑の挿図にある花などの具象的な形や幾何学図形などで構成された版に、様々な色で刷るという技法で作られているということです。加納本人は、“抽象的なイメージから色のかたちをつくりあげるより、既存の一つずつの具象のかたちとして成立しているものの方が、色の変換として意識されるのではないか”と述べているそうです。この色の変換とは“何色もの色を夥しく組み替えて刷ることで、色彩が形を浸食していく”というものだそうです。加納自身の言葉からも、かたちと色だけを純粋に取り出して、それをどうかしようという意識が窺われます。

Kanoobまた、《How to Flyの偏角に沿って№XY》というのも、同じように昆虫や人体、あるいは地形の図に色を替えて、もともとの意味とは無関係に形状だけに注目して並べてレイアウトしたというものでしょう。それはそれで、まあまあ、というものではあるのですが…。でも前回に見た、あるいは、これから見ていく不定形のものに比べると、イメージを引っ張られるので、感覚だけで、「美」ということを感じられることからは遠ざかってしまったという気がします。

これは、加納が迂回をしているとしか、私には思えませんでした。

2013年11月 4日 (月)

加納光於│色身─未だ視ぬ波頭よ2013 (3)~Chapter2 版の変容─メタル・プリント

Kanosol1解説の中で次のように述べています。“1964年から始まる一連のメタル・ワークは、亜鉛板をガスバーナーで焼き切り、溶解させながら円形の突起を施したレリーフ状にしたもの。このメタルを版にして刷ったのが、メタル・プリントのシリーズ<SOLDERED BLUE>である。メタル・プリントは、時には紙やプレス機上のフェルトまで切り裂く激しさを伴いながら、紙の表のみならず裏にまで版の深みを映しだす。さらに、それまでのモノクローム調の世界から一転して、鮮烈な青色が現われる。この<SOLDERED BLUE>(右上下図)、すなわち「ハンダで接合された青」では、3色までコバルト・ブルーのインクを不定形なメタルの凸部にローラーでインクを盛ったりして刷る独自な技法が試みられた。”

従来の銅版画では、線を刻んで描き、部分的に腐蝕液を効果的に使うことなどによって銅版の表面に凸凹をつけてプリントするものです。加納は腐蝕液を従来以上に使って版そのものを変容させる。加納は、その様々な技法を試み、それでプリントされたものは、普通に手で描けないような不定形なものとなり、そこに鮮やかな色を施していくことにより、言葉で形容しがたい、最初にも述べたように「美」としか言いようのない作品に結実させます。ここでは、その技法の試みのひとつとして、板に炎をあてて高温に焼けたり溶けたりして、板としての形状が崩れて不定形の凹凸ができたところにインクを流して、紙にプリントさせたものと言えます。

Kanosol2私が好んで見る絵画の対象範囲はそれほど広いものではなくて、(現代)アート?といったコンテンポラリーなものは、ほとんど見ることがなくて、保守的な絵画の枠内に収まっているものばかりです。最近も近代日本画の展覧会に挑戦して悪戦苦闘している最中です。そのような狭い視野しか持ち合わせていない者の意見として聞いていただきたいのですが、加納のこの作品の場合、画家が自らの手で筆を持って描いたというのではなくて、何かの拍子に紙に映ったものを作品として提示しているもので、そこに加納という人の作為があるのかどうか。例えば、作家の主観性を大切に思えば、それは疑わしいことになります。多分、こんな議論は、あったとても何十年も前に解決してしまっている古い議論かもしれません。何故今さら、そんなことを、と訝しく思われる方もいらっしゃるかもしれません。私の場合、これまでも述べてきているように、加納の作品は結果として「美」で、それ以外のものは削ぎ落とされた、きわめて感覚的で表面的なものと思っているからです。それは、極端に突き詰めてしまえば、道端に転がっている石ころに「美」を見出して、それを拾ってきて作品として飾ることと、どう違うのか、ということになりかねません。例えば、そういうことを意識的にやったデュシャンのようなケースもありますが、それはデュシャンのコンテクストの土俵に乗ったうえで従来の芸術への異議申し立てというような意味づけをするという楽屋落ちのような極めて狭い範囲内でのことで、その意味で、デュシャンの作品というのはコンテクストを理解しなければならなす、不純物の多いものだと思います。加納の場合は、できるかぎり、そういうものを削ぎ落とそうとしている、感覚だけで勝負と杳としている、と私には思えます。議論に戻りますが、その点で、この議論を踏まえないと、加納の作品を見て「キレイだ!」と言うことですべてが終わってしまうことになり、ここで感想を細かく述べることもなくなってしまうことになります。

Kanopen図の<SOLDERED BLUE>の1点を見てみましょう。画面の無数の泡のような形状は、金属板が腐蝕液やバーナーによる高温によって泡状の凸凹ができたところにインクを流して、それを紙に写し取ったものと考えられます。そこには、人が筆を使って、絵の具を塗って描いた場合に特有の人の手の温もりのようなものは一切感じられません。その代わりにキレの良さが、怜悧さも伴って感じられます。それは、人の手で描いた場合には、思い切りの良さとでも言われるような印象で、画面にある形状は不定形であるくせに形が、輪郭が明確なのです。それがソリッドに印象を与える。輪郭が明確で形はハッキリしているのですが、その形の意味が分からない。その形状は現実に、私たちが生活で使用したり、身近に感覚しているものとは、何も通じていません。だからどういうものかとか、何かを象徴しているかとか、その意味を詮索する糸口さえないわけです。これは、カンディンスキーの抽象的な形状が具体物を変形させたり、何かをシンボライズしたものであった場合は、まったく別の世界です。

それだけに、画面に塗られた青が無意味に鮮烈に映るのです。ここに青色の必要性とか意味が、まったくない。だから逆に、その青が際立つ。私は、そこに象徴とか作者のメッセージとか不純なものを詮索する必要なく、ただ青が鮮やかだと単純に見る。結果的に、そのように青を見るように、この画面ができている、ということなのでしょう。多分、同種のものを数多試みた後で、加納によって選別されたものが作品として、私の前にあるのでしょう。

PENINSULAR半島状の!》№8 という作品(左図)では、<SOLDERED BLUE>の青一色から赤系統の色も加わり、キイホルダーか靴べらか何かのような形態と<SOLDERED BLUE>で使われたと同じような不定形な形状とが組み合わされたものとなっています。このとき、キイホルターらしき形態は本来の意味から別のところで単なるかたちとして、画面に在るように、私には見えます。

2013年11月 3日 (日)

加納光於│色身─未だ視ぬ波頭よ2013 (2)~Chapter1 強い水─銅版画

Kano031955年に限定8部の私家版として編んだ5点組の銅版画集《植物》(左図)が、公式なスタートということなのでしょうか。これが瀧口修造の評価を受けることにより、加納は個展の機会を得て注目を浴びることになる、と解説されていました。多感な青年が溜め込んだ様々なイメージをぶち込んだという印象で、全体のテイストは、オロディン・ルドンとか版画でいえば駒井哲郎(右図)のある傾向の作品に通じるような。というより、そういうものをベースにして植物、甲殻類、魚、天体、深海をイメージさせるパーツを入れて行ったように見えます。銅版画のモノクロで線と点を描き込んでいくので、稠密に見えて、そこにさきに述べたようなパーツがあると濃密でKanokomai_2シュールな雰囲気を醸し出すという印象を与えるのでしょう。ただ、私には後年の加納の作品を知っているから言えるということでもないのでしょうか、借り物という感じを拭いきれません。ルドンや駒井のスッキリして洗練された画面にはなれなくて、不器用にパーツや線や点を溢れんばかりに画面に入れ込んだ習作を一歩出たものというように見えてしまいます。何よりも、多分書物から得たような加納の頭の中に溜めたイメージを吐き出すの精一杯のように見えます。何よりも「美」ということを感じられない。後年の加納の作品にあるような、パッと見で、理屈抜きにキレイとしか言えないようなものではありません。また、駒井哲郎のようにモノクロという二項対立によって画面を追求していくようなこともなく、そういうところまで配慮が行っていないのが明らかです。

Kano04このChapterのタイトルになっている「強い水」について、展示では次のように解説しています。“「強い水」とは、銅版画を意味するフランス語のeau-forteを直訳した言葉で、加納にとっては銅版の腐蝕液と結びついている。加納は版に線を刻み、描き、刷るといった技法より、「強い水」=腐蝕液による版に出来た偶然の腐蝕効果や傷痕といった版の変容に力点を置くようになる。”《星・反芻学》(左図)とタイトルされた一連の作品をみると、その効果を様々に試みているのが分かります。右図はその内の一つです。さきの《植物》の諸作が何かをイメージしたものを描こうとしていたものが、この作品ではなくなってしまっているのが、大きな違いであると思います。銅よりさらに腐蝕を受けやすい亜鉛合金の版に腐蝕液を流し、そこで生じた形態をタイトルにあるように反芻させます。私は、自分で版画や絵を描くことをしないので分かりませんが、反芻ということから、版の上で、今のイメージで言えばコピーアンドペーストのような作業で、この形態を並べて行ったのでしょう。たまたま、この作品では輪状に並べられていますが、そこで偶然に生まれた形態が繰り返して並べられることによってミニマリズムのような秩序(コスモス)を、不定形という秩序と正反対のもので秩序をつくるというようなことをしているわけです。多分、これは試みであるということでもあるのでしょう。また、私には、加納の作品の美しいというのは色彩に拠るところが大きいと思われるので、モノクロというのは方翼を持たないようなハンデにあると思います。加納は、この時点で未だ、そういう方向に行っていないのか。誤解を恐れずに言わせてもらえば、これらの作品を素通りしても、私は別に後悔しないと思います。

2013年11月 2日 (土)

加納光於│色身─未だ視ぬ波頭よ2013 (1)

Kanoupos仕事の関係で近くまで出かけたので、折角の折なので足を伸ばしてみた。名にしおう観光地。古都とか色々言われているようですが、どこにでもあるような普通の観光地でした。途中に有名な鶴岡八幡宮がありましたが、何の変哲もない普通の観光地でした。たぶん、その普通さ、凡庸さが有名な観光地たる所以なのだろうと感心した次第です。そのため、周辺に住む人にとっては、いかにも住みにくそうな感じで、絶対にこんなところには住みたくないなと強く思いました。いずれにしろ、街としては退屈さとか、無意味さのオーラが強く放たれている印象でした。そういう、居ると落ち込んでしまいそうな街並みを抜けて、鶴岡八幡宮の裏手に一昔前のモダンなデザインの手入れがされていないような寂びれた感じのコンクリートの建物が神奈川県近代美術館でした。当時としては凝ったデザインだったのでしょうか、入口がよくわからないところで入場券を買い、暇そうな受付を通って、会場に入りました。

加納光於という人について、主催者のあいさつの中では次のように紹介しています。“加納光於は1933年東京に生まれ、80歳を迎えた今日もなお以前にまして旺盛な制作を続けています。加納が版画家として登場した1950年代は、敗戦の影響もあり経済的には困難でしたが、文化全体が活気に溢れた時代でした。そうしたなか、加納は目先の新しさや前衛性に与することなく、自身の目指す「孤絶している精神の明朗さ」を手放さず、ひたすら自らの鉱脈を探り続け、豊かなイメージを追求してきた特異な独行の作家です。1955年、銅版画の作品集<植物>を自費出版し、瀧口修造等に、その幻想的な作風を高く評価されました。初期のモノクロームの銅版画は、その後、「版」を起点に、多様に変容していきます。1960年代後半の亜鉛板によるメタル・ワークと色彩版画の誕生、1970年代からはリトグラフ、エンコスティックなど次々と技法を広げ、1980年前後からは油彩を本格的に開始します。加納の多様な表現を通して、平面と立体、言葉と造形の間を往還していくその独創的なイメージの変容を確認するとともに、本展のタイトル「色身」という加納の制作の根幹に隠された色彩への問いが、わたしたちにとって未見の経験の鍵をひらくきっかけになることを願わずにはいられません。”と、少しアレンジして引用しました。メッセージを籠めた、ひとつの視点でまとめられた紹介になっていると思います。おおよそのことは、これで十分ではないかと思います。

展覧会チラシの図像の真ん中の水玉の図柄などは、今、世界的にメジャーになっている草間彌生の作品とも通じるようなところもあるし、色合いのインパクトとかグラデーションの意外性が印象に残る。あるいは、抽象的な作風、カンディンスキーとかモンドリアンとかロスコとかいうような有名な抽象画家の抽象を見ていると、そこに画家の想いとか精神性とか無形の何かが反映しているような印象があって、そういうものが具象的な写生では表わしきれなくて、形の束縛を取り払った試みの果てに抽象にたどり着いたというところがあります。ところが、加納の抽象には、そういう精神的なもの、あるいは意味というものが全く感じられないという感じです。端的に言うと空っぽ。表面的、あるいは表層だけの世界。そういう加納の作品の印象は、というとシンプルに「美」という他は言うことができないものです。

例えば、ギリシャ神話にアドニスという美少年の話があります。ヨーロッパではアドニスといえば美少年の代名詞となっているものですが、両親と死別し、少年のこととて、自力では生きられえない彼を、容姿の美しさ、愛らしさゆえに女神ヴィーナスたちが手厚く手許において庇護します。そして、大人の男として一人前になるために、ヴィーナスにすすめられて狩りに行き、猪の牙にかかって死んでしまうわけです。俗な言葉で“色男、金も力もかなりけり”です。美しいというだけでは、個体として生存していくためには、何の力にもならない。つまり価値がない。後年、芸術という概念が市民社会で生起して、だからこそ美は純粋で、崇高なものだという意味が再定義されていくわけですが。加納の作品には、そんな近代の垢にまみれない、古代のギリシャのアドニスのような無意味な「美」なるものが追求されているように、私には見えます。表面的とか、感覚的とか、刹那的とか、いい意味でも悪い意味でも、です。私は肯定的に受け取っていますが。

「美」ということもそうですが、純粋に抽象化された概念というのは机上で思考を積み上げていくときには便利なものですが、実際の生活の中で生きていくという際には、「美」ということは様々なことと複雑に絡み合ったり、関わったりして在るというのが、一般的です。例えば、動物で私たちから見て美しい姿をしていると感じられているケースは異性を惹きつけ、自らの子孫を残すために必要なもの(と傍らで観察する人間は理屈をつけますが)と考えられるものです。絵画においても、タテマエとして「美」を追求しているかもしれませんが、その裏の目的は画家が生活費を得るためであるとか、それを注文する者の富や権力を誇示する必要があったとか、何らかのメッセージを伝える必要があったりとか。さきほど少し述べましたが、美を崇高とみる考えにしてもそれ自体純粋ではないわけです。そのため、抽象絵画というものを見てみれば、その名の通り抽象化したというのではなくて、海外の在り方は純粋ではないわけで、画家の手段として抽象的に見えるかのような外観を呈するようにして従来の画家と、自分は違うという、マーケティングで言えば差別化を図って売り込みを狙ったとも言えなくもないのです。(私は、それを決して悪いこととは思いません。)しかし、加納の作品を見ていると、その純粋への志向があるように見えるのです。じっくり構想していれば、考えているうちに余計なことが紛れ込んでくる。それを可能な限り排除するためには、一瞬の感覚を大切にして、とっさに美しいと感じたことを瞬間的に定着させることに努める。意味とか考えとかは、その一瞬に対して後付けのものです。インクが融けて流れる一瞬に美があると感じたら、それをそのまま定着させてしまえばいい。それは行き当たりばったりで、よく言えば即興的です。そしてまた、それを美として定着しようとする選択にある意思が働いているかもしれない。追及すればいくらでも反証は可能でしょうが、そこを敢えてやってみる。そこに加納の作品があるように見えます。私が、加納の作品を見ていて、初期の作品は別にして、作家の個性とかそういうものを感じることが、ほとんどない(ちゃんとした人が見れば、そんなことはないのでしょうけれど)のです。そのことが、今ここで述べたことの証ではないか、と私は思っています。

美術展の主催者あいさつとは異なるとは思いますが、このような視点で具体的に作品を見ていきたいと思います。

 

Chapter 強い水─銅版画

Chapter 版の変容─メタル・プリント

Chapter 箱の宇宙─リーヴル・オブジェ

Chapter 波動のさなかで─多色版画

Chapter 色身を求めて─油彩

2013年11月 1日 (金)

田島正樹「スピノザという暗号」(21)

・定理13 人間精神を構成する観念の対象は身体である、あるいは現実に存在するある延長の様態である、そしてそれ以外の何ものでもない。

我々が身体を刺戟されるのを感じることができるのはいかにしてか?またいかなる意味でか?それは、身体の刺激、すなわち変状が、観念を表現する、すなわち意味をもつということであり、それが精神という身体の自己知によって与えられたものの中に含まれるものということである。しかるに、「変状が意味を持つ」ということと、それが精神の部分であるということの関係が問題である。身体の変状が意味を持つのは、それが「精神の中にある」からである。身体の変状が意味を持つ(観念を表現する)から、それが精神の中に含まれるのではない。しかも、変状の意味が精神の部分であることは、精神の単一の全体と言う観念が、身体の十全な自己知として与えられることを前提にしているとすれば、精神の単一性が、身体のコナトスのなかの自己を前提としていることになる。

ここで定理9の系に光を当てることができる。(延長において)個物の中に起こることの観念は、個物の観念の中にあるとされる。ここで「個物の観念」と言われているものは、たんに個物の外からそれを観察して得られる表象ではない。個物自身が示す意味でなければならない。この証明では暗黙の前提とされていた個物の本性は、個物のコナトスの中に統合されている。なぜならコナトスは、自己の存在のみならず本性を維持しなければならないからである。それが個物をその個物たらしめ、個物を個物として維持するからこそ、その個物の変状を個物の変状たらしめるのであり、個物の変状を当の個物にとっての意味たらしめるのである。スピノザにおいて、一般に神の思惟として存在する観念と、我々精神にとっての認識とを媒介する要の位置にあるものこそ、コナトスに他ならない。なぜなら、それは個物の現実的本質として、神にとって存在すると同時に、我々人間にとって、直接知られたものだからである。それは、自己原因という神の本質を、有限な我々なりのやり方で模倣したものと言ってよいだろう。自己を維持する関心にとって、快と苦が最初に重要性を持つのは当然だろう。身体のいかなる変状も、さしあたりそれが快と苦とのいかなる関連を持つかに応じて、意味を持つだろう。欲求は、快への欲求、苦から逃れる欲求として意味を持ち、それぞれの行動力が、この欲求の実現との関係で次第に分節化され、洗練され、習得されるだろう。そして、行動能力と相関的に、知覚能力が空間的意味を獲得していくだろう。すなわち、快への「接近」とか、苦からの「退避」の知覚として、同時に、対象は、快苦の「原因」として、「性質」を付与されることになるだろう。「おいしいもの」「おそろしいもの」などとして。これら諸性質は、われわれの身体的関心の言わば投影であるから、これらの知覚は「対象の本性より、身体の本性をより多く示すもの」と言える。いまや定理12の真意が理解される。

・定理12 人間精神を構成する観念の対象の中に起こるすべてのことは、人間精神によって知覚されなければならぬ。あるいは、そのものについて、精神の中に必然的に観念があるであろう。言い換えれば、もし人間精神を構成する観念の対象が身体であるなら、それによって知覚されないような<あるいは、それについてある観念が精神の中にないような>いかなることも、起こりえないであろう。

ここで「人間精神を構成する観念の対象」とは、思考される内容のことではなく、観念を表現する対象のこと、すなわち身体の中で意味を表現するシニフィアンのことである。これらシニフィアンは、統合されて一つテクストを、われわれの身体を舞台に編んでいる、と言えるだろう。しかし、身体の全ての部分がこのテクストに関与しているわけではない。「その中に起こる全てのことが、人間精神によって知覚されねばならない」とは、精神が精神として成立するさいに、これら全てのシニフィアンが考慮されねばならないということである。このようなシニフィアンは、我々の思惟(観念)を表現する身体変状の全体のことであるから、具体的にはわれわれの神経組織を舞台に繰り広げられる。興奮パタンのことを考えることができる。しかし、何らかの意味を帯びたシニフィアンとしての役割を果たす限り、我々の普通の行動や身振りなども、排除する理由はないだろう。そればかりか、身体を取り巻く環境の中にも、我々の行動の一部として、意味表現の部分でもあるものもあろう。例えば、編み物をする人にとっての編み棒とか、このような全てがシニフィアンとして織りなす意味が、我々の精神を構成すると言ってもいいだろう。従って、そこに織り込まれている環境世界の一部も、我々の身体やその行動を通じて、精神の中に浸透しているのである。

かくて、定理13の系「人間精神は、我々がそれを感ずるとおりに存在する」ということの意味も明らかになる。我々の身体とは、客観的にその同一性の規準が与えられているようなものではなく、我々の活動の能動性に応じて与えられるものである。我々は、自らの思惟の総体として精神を持つが、それは身体の変状の総体によって表現されるものであった。我々が自らの身体を知るのは、このようなシニフィアンとしての身体の変状の総体としてなのである。我々自身の身体の同一性を与えるのは、我々自身の能動性・活動性それ自身であり、それを自ら感じるままに、我々は存在するのである。従って我々が完全に受動的な場合、我々は存在しないと言ってもいい。完全に受動的であれば、何も感じることはあり得ないからである。

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