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2013年11月15日 (金)

古東哲明「ハイデガー=存在神秘の哲学」(5)

第2章 道─存在解読のメチエ

1.道としての哲学

ハイデガーの哲学は「道」である。それを辿ればある地点へ、おそらく至高の場所へ、誰でも行くことができる通路である。その行き着く場所がどこなのか、何なのか。野暮を承知で、それを存在神秘だとか、生の実感と名付けたのだが、しかしハイデガー自身は明示はしない。合図や暗示をするだけ。それを「形式的指標」という言説作法だ。「形式的指標」とは、実質ある叙述を避けることで、事柄を直接語り伝えないのは、不親切からではなく、そんなことをしなくても道を辿れば、誰でもソコへ行き着くはずだからだ。ソコへ行けば、出発前にああだこうだと語った内容なんて無意味。ソコでじかに味わったらいい。存在の味は、直に自分で実感するしかないから。だからハイデガーはひたすら道を開き、その新しい道を辿るよう、読者を喚起した。

 

2.変容回路の構造

そもそもハイデガーは、ストレートに何かを伝えようとは、していなかった。それはなぜか。語れないからではない。それを直接語っても、どうせ誤解を呼ぶだけ。では、なぜ誤解を呼ぶのか。それは、ある思想をほんとうに理解するには、理解する側の変容が必要だからだ。どうしてもぼくたちは、なじみのフレームワークの中で、ものごとを分り切ろうとする。持ち合わせの概念や知識のファイルボックスの中で整理整頓し、分かったつもりになる。そこで読者の側の変貌を求めた。ハイデガーは伝える道(伝道)は避けた。買った言葉を道にして、ぼくたちが変容することをこそ願った。その変容アイテムとしてハイデガーが採択したのが、形式的指標法である。彼の書物を読むとはだから、何かを理解するとか、概念の大伽藍のような思想の産物をいただくことではない。そうではなく、読むぼくたちの側が変貌することである。

だが、形式的指標について説明するハイデガーの語り方自体が、形式的指標法でできているから、その説明はどうしても「形式的」。実質的内容を拒む。実感に届かない。ぼくのみるところ、道(形式的指標法)の基本型は結局、次の二つにまとめることができると思われる。そしてそれは、「深き眠りから深き目覚めへ」という彼のモチーフにもぴったり符合する。二つの基本型とは、次のとおり。

(1)ディコトミーの宙づり(深き眠りからの覚醒)

(2)隠しの技法(深き目覚めへの喚起)

ディコトミーの宙づりとは、健全で自然な普通の思考習慣(二分法思考)をアポリア(二重分裂)に追い込み、破綻させる手口。「自然的態度」に揺さぶりをかけ撹乱し、判断停止へ追い込む作業である。もちろん、あえてアポリアに追い込むのには、わけがある。「逃げ道のない場所で地に足をつけ、そこに故郷のようになじんで居着くこと」を求めているからである。なぜか。ディコトミーが破れ、通常の理性や健全な常識が執行停止するその場所こそ、まさに求めたソレの間近に居合わせているところだからである。もはやAかBかの二者択一ができない、A即Bの論理圏。AなのにB、BなのにA。そんな奇妙なパラドックス・ゾーンこそ、ソレ(存在の真理)を目撃する絶好の地点。あとは実存発動してご自分で実感されよ。そう、彼は形式的に指標したわけだ。

しかし、解体するばかりが哲学ではない。ソレを何らかの仕方で積極的に指し示す工夫も必要。それが、ハイデガーが多用するいまひとつの思考の流儀、「隠しの技法」である。それは、常識や健全な理知の立場からすればじつに否定的な場面や欠損状態(破綻、死、不安、危機、没落)を、あえて考察の切り口にする手法である。何であれ、何かが非在化したり、喪失の危機にさらされたり、破綻に追い込まれるとき、その何かのリアリティ(真実在)が、ありありと露光するものだ。病が、健康な生のリアリティをはじめて痛感させられるように。俗にいう、無くなって分かる何とかのありがたさ(存在の稀有さ)。ごく日常的な事実だろう。ハイデガーはそのことを「不在ゆえの現前」と名付け、この単純な事実を逆用するのである。つまり、敢えて何かを隠す(無くす・壊す)ことで、その何かのリアリティを炙り出させようというのである。もともと存在は、それ自身として現前もしなければ、対象化もできない。だが、死や不安や倦怠や危険の分析は、そこで<不在化していくソレ>を、つまり生や存在や生ける自然を、「不在ゆえに現前させ」てくれる。「不在が現前をあらわにする。死が近さ(存在・生)をもたらす」。不在ゆえの現前事実を逆手にとる「隠しの技法」を、だからハイデガーは多用するのである。

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