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2013年11月21日 (木)

横山大観展─良き師、良き友(1)

2013年10月22日(火) 横浜美術館

Yokoyamapos仕事の内容が変わり、外出の機会は減っていくだろうことから、これまでのように、外出のついでに余った時間で美術館に立ち寄るということも、機会は減っていくことになるだろうと思います。そんな思いもあって、少し遠いけれど横浜まで足を延ばした。横山大観は日本史の教科書でもお馴染みの、いわゆる歴史的な日本画の大家で、普段なら敬して遠ざけるタイプの美術展。日本画では現代で話題の松井冬子なんかを見たことはあったが、最近、速水御舟竹内栖鳳といった近代日本画や谷文晁の難解さにたじろいで、多少、挑戦してみようという意志が生まれたので、無理することにした。また、人との約束があり、その間を埋めるに適当な時間つぶしでもあった。ただし、そのことが気になって、頭から離れなかったせいもあって、展示されている作品に集中することはできず、どこか上の空な感じで終始してしまったのは、残念。とはいえ、裏を返せば、展示されている横山の作品が、私にとって、それほど魅力的に映らなかった、あるいは魅かれるところがあまりなかった、とも言えると思う。けっこう、ネットでの感想を拾い読みすると評判はいいらしい。私は、センスが悪いのが、捻くれているのか、そんなものだろうということを再認識した。美術展そのものは、美術館では大掛かりに演っていたようだが、私の行った時は、拝観者でごった返すということはなく、静かに鑑賞することができた。平日の夕方おそくという時間帯のせいかもしれない。

主催者のあいさつの中で次のように、この美術展の趣旨が述べられています“大観はこれまで明治期を共に歩んだ菱田春草、下村観山らとの関係が有名で、大正期以降の交友関係についてはあまり知られていません。薫陶を受けた岡倉天心が大正2年(1913年)にこの世を去った時、大観は40歳半ば。その芸術も実りの時期を迎えており、中国の古典を新しく解釈する東洋趣味や「片ぼかし」と呼ばれた新たな水墨表現、人物や背景のデフォルメ、大胆な色彩表現など、明治時代には見られなかったモダンでユーモラスな新感覚にあふれた作品を生み出していました。このような作風の背景には、大観が当時したしくつきあっていた画家たちの存在がありました。それは今村紫紅、小杉未醒、小川芋銭、富田溪仙ら同じく画壇の一線で活躍する仲間たちでした。互いに漢籍に通じ、東洋思想に共感した彼には日頃から親しく書簡を交わしたり酒を飲みながら芸術論をたたかわせ、《東海道五十三次絵巻》など旅をしながら作品を仕上げていく合作にも取り組みました。大観は溪仙が得意とする新南画や、未醒、芋銭らの文人趣味的な傾向に触発され、大正期の新たな作風を造り上げていきます。時代の波の中で、伝統のみに固執せず、それぞれの優れた資質を尊重して自在に芸術を切り拓き、高め合った彼らの作品をご覧下さい。”

ということで、ここで紹介されている画家たちの作品も対照させる意図で展示されていたし、その趣旨はそれなりに分かりますし、ただ私が我儘なのか分かりませんが、どうしてこのような趣旨で美術展をするのかということが、多分大観という作家の作品をどのように捉えるのか、ということに拠ると思うのですが、例えば、今回展示されていた要素が大観の作品にどの程度の重要さがあったのかということ、それを含めた、では横約大観の作品とはどのようなものであったか、という概要が私には見えてきませんでした。もとより、私は横山の作品に対しては何も知らない人間で、この美術展はある程度横山の作品に通じている中級者向けで、勉強してくるのが当然と言われれば、そうなのかもしれません。また、ここで紹介されている画家たちの作品は、私にはまったく魅力が分からず、影響を受けたとして展示されている横山の作品がそれほど彼にとって重要な作品とも思えないのです。とすれば、彼の伝記的情報の中の一挿話程度のものかもしれないと、私は個人的に思われてしまうのです。そうでないという説明は横山の作品の魅力をどう見るか、という説明が不可欠なのですが、それが為されていない、ということなのです。以前のプーシキン美術館展のときもそうでしたが、横浜美術館に対しては、私はとくに悪意を持っているわけではないのですが、辛辣な物言いをしているかもしれません。

私には、先日、近代美術館で見た竹内栖鳳と比べると竹内の作品は絵画だけれど、横山大観の作品は絵画になっていないと思いました。独断と偏見で、しかも辛辣な物言いを許していただければ、多くの作品が展示されていましたが、絵画として見ることができる否かは別にして、魅力あるものとして映った作品は少なく、こんなものもあるんだというような情報の確認のような作品が、このような美術展でもなければ素通りしてしまうような作品が大半だったと思いました。

次のような構成で展示が為されていました。

第一章 良き師との出会い:大観と天心

第二章 良き友─紫紅、未醒、芋銭、溪仙:大正期のさらなる挑戦

第三章 円熟期に至る

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