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2013年11月11日 (月)

古東哲明「ハイデガー=存在神秘の哲学」(2)

第1章 生への実感

1.存在を問うとはどういうことは

存在ほど身近なことはない。生まれてこの方、存在したことのない日など、どなたにもないからだ。

その意味で、存在ほど間近で、不可欠なこともない。だからこれほど常に、しかも深いところで、僕たちに触れあっているものもない。そんなはずもないと、そう否定するためにも、最低、存在だけはしていなければならないのだから、そういうしかない。存在抜きには、一切が、一瞬も、成立していないのである。

だから例えば、存在のさらなる起源や前提を想定してみても、議論は必ず破綻する。例えば神。神がすべてを在らしめる、神こそが存在の根拠だという主張。だがその場合、存在の起源である神でさえ、自らの存在そのことは前提せざるを得ない。存在を欠落させた神など、それこそ存在しないことになるからだ。

だから存在がすべてのベースである。すべてとは、文字通りである。宇宙も神もヒトもモノも、もしそれらが<在る>というのなら、存在を前提というに等しい。だから、存在が生死にわたって、ありとあらゆることの成立前提であり、土台である。あらゆることが成立する前提やベースのことを、究極根拠とか至高ということは、ゆるされるだろう。ならば、存在が究極根拠であり、至高である。

しかし、存在についてほど、ぼくたちが無知なこともない。ひとであれ、モノであれ、何かが今こうして<在ること>、つまり存在の意味、それを問われても、答えられない。存在論とは、それを問い直そうとする学問的工夫だと、まずは言っておこう。ついでに言っておけば、人間だけだ。存在を理解したり、味わったりできるのは。人間だけがいわば<存在を存在することができる>。人間はこの世に存在していることそのことに開かれ、存在と接触しながら存在している。つまり、存在を反芻しながら存在する。この人間固有の能作のことを、存在理解とか、開示性という。そして、<存在にかかわること>を、存在論的と形容する。存在ではなく<存在者(モノ)にかかわること>を存在的と名付ける。

なぜこの世界や宇宙が在るのか、なぜ万物が在り、そして僕たち人間が生きて在るのか。そんなかたちで、遠い昔から、問われ続けてきた哲学の難題である。むろんこの問題に、事実的な因果関係で答えることは簡単だ。つまり、何かが存在することに先立つ起源とか原因へ遡り、例えばビックバンや元素や神やDNAといった、それもまたひとつの<存在者>を想定する説明方式である。だが、この方式は最初から破綻している。何かの存在の根拠や理由や目的を、それに先立つ<在るもの>(存在者)に求めても、ではその先だってある存在者が<在る>のはなぜか、なんのためなのか、という問いがいつまでも残り、問題は無限に先送りされるだけだからだ。

「なぜ、何かが存在してるいのか。むしろ無いのではなかったのは、なぜなのか。」この問いに答えるには、もはや何か先立つ<在るもの>に訴えず、あくまで<在る>という事実そのことだけに即し、存在それ自体で、だから存在をその自律性と内在性において、考えるしかないだろう。それがそもそも、哲学が問題とする存在への問い、つまり存在論である。

だが、ストレートに存在そのことを問おうとしても、すぐに奇妙な矛盾に出くわす。存在は、様々な意味で、その反対項のはずである無の性格を帯びて来るからである。存在というくらいだから、当然、存在するものだと思って考察しようとするのだが、まるで無い。色は無い。形も重さも、終わりも初めもない。根拠も理由も起源も、むろん無い。モノ(存在者)なら目の前に現れる。だから物体や意味概念として把握できる。様々な仕方で所有できる。所有できるから、それを制御したり、意味づけしたり、理由や規範を付したり、細工したりできる。この持つという形式で接近できるモノのありようを、所有モードと名付けよう。一方、存在はモノ(存在者)ではない。だから所有モードで接近することは原理的に不可能。もっといえば、そもそもぼくたちの対象にすらならない、ということである。

とすれば、対象にならないその存在に、意味を<与え>たり、規範や理由や目的を<持たせ>たりすることは─人間の側が勝手に持たせたつもりになることはできるとしても─、最初から、存在の正体を取り逃がしていることになる。存在は、ただソレであるしか<ありよう>がない、ということである。直接ソレであるしかソレに接触できないありようを以下、存在モードと名付けよう。存在と存在者とあいだの、この決定的な区別のことを存在論的区別という。

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