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2013年12月10日 (火)

ターナー展(4)~Ⅲ.戦時下の牧歌的風景│TUNER’S PASTORAL VISION IN A TIME OF WAR

Turnerhouseここでいう戦時下とはナポレオン戦争のことで、現実の世界が動揺しているのに対して、泰平、静穏な日々の営みを彷彿させる牧歌的な景観をターナーは描くようになったと言います。前章の「崇高」さを求めて大自然の厳しい姿を描いていたのと、180度方向転換したのでしょうか。美術史の教科書をみれば、ターナーと同時代のコンスタブルはバルビゾン派の先駆けとなるような牧歌的な田園風景を穏やかに描き、これに対してターナーはロマンチックな激しい風景を描いたとなっていましたが、これは、コンスタブルへの歩み寄りということなのでしょうか。このことは、後で触れたいと思います。

ナポレオン戦争時は、フランスは海軍力で劣るイギリスに対しては大陸側を封鎖して、イギリスをヨーロッパ大陸に入れない、つまり、実質的に海に閉じ込める戦略をとったはずで、イギリスは大陸との貿易ができなくなったはずで、物資の不足や経済の停滞と戦時体制で、大仰な歴史画や大自然の厳しい風景を描いた激しい作品よりも、ほっとさせる穏やかな平和だったころの日常的風景を描いた作品の方が受け入れやすいのではないか、そう考えたって不思議ではないと思います。それほど豊かではない生活状態だったはずのターナーにとっては作品が売れなければ生活ができないので、こういう方向の作品の傾向を移していくのは、正解だったのでは。この展覧会をみていると画家の生涯の時間的経過に沿って作品が並べられていますが、この時期と言い、戦後の平和が戻った後はイタリアに渡り、その外国情緒を描いた作品を売るという商売っ気ありありの、消費者ニーズを意識していると明らかに見えるところが、ターナーの才能を示していると思います。展覧会では、あまりそういうことには触れないで、芸術至上みたいな感じですが。例えば、これを機に、テムズ河畔のアイズルワーズに家を借り、周囲の牧歌的風景を戸外で制作するようになったと言います。こうした描き方をするには、筆の運びをある程度軽やかに、素早くしなければならない。それが目を凝らして観察した自然の姿を、そのまま絵に描きとめる手法とあいまって、新鮮で率直な習作を生み出す。

Turnercons「河畔の家、木立と羊の群れ」(左上図)は、上で説明されたような、アスルズワース周辺の風景です。カンバスをストレッチャーに張らずに板にピンでとめて持ち出して、薄く伸ばした顔料で、おおまかな筆遣いが一気呵成に描いたような印象を謳えます。とくに水面のさざ波や反映を描く躍動的な筆痕の連続によくあらわれている、言います。例えば、コンスタブルの「干し草車」(右図)という作品と比べてみると、ターナーの作品の方が、上で説明したような一気呵成に、悪く言えばコンスタブルほど丁寧に描かれていない感じです。しかも、コンスタブルに比べると画面がうるさい印象です。例えば、ターナーの作品では画面の左右で明暗の対比をはっきりとさせ、それが樹木の描かれ方が左側と右側とでは対照的になって、池の描き方も、左側の無人の船は日陰に打ち捨てられるようにあるのに対して、家畜の群れは左側の明るいところに言います。これだけで寓意的な想像するのは考えすぎかもしれませんが、そこに想像を掻き立てるような物語的要素が散りばめられているように見えます。陽光のうつろいとか、池の水面のさざ波とか樹木が揺れる様子とか。これに対して、コンスタブルは一つの場面を丁寧に切り取ったという印象で、ターナーとは逆に想像を掻き立てるような物語要素は感じられません。そこにあるのは、禁欲的な潔さのようなもので、絵そのものを見てくれと言わんばかりです。ターナーの作品に比べて、左側の空が切れてスカッとした爽快感があり、手前の車に視線が集まるようなポイントで安定した感じが穏やかな風景を印象付けます。これに対してターナーの作品には中心がなくて、しかも対立的要素によって構成されて、視線を動かすように工夫がなされ、端的に言えば“つくられた”感じが強いです。

Turnerhamo_2「セント・ジョン村からハモウズの入江を望む、コーンウォール」という作品は下塗りされた紙に油彩で描かれた作品。屋外で手早く、まるで水彩画のように描かれた作品です。たしかに、穏やかな牧歌的風景ですが、バルビゾン派やコンスタブルのような人々の生活に密着した風景というよりは、絵画作品を購入してくれるであろう貴族や金持ちのブルジョワが郊外に館を構えて気晴らしに眺めるような風景、ハイキングや狩りの途中で眺めるような風景と言えるでしょうか。手前の人物は、地元の人間かもしれませんが、ここに眺める人物を配置することで、風景にそういう想像の余地を与えているように感じられます。「河畔の家、木立と羊の群れ」もそうですが、物語の一場面とでも言うような“つくられた”感じが、どうしてもつきまといます。それが、ターナーの作品へのとっかかりの良さになっているのでしょう。前の「崇高」といい、ここでの牧歌的といい、このころのターナーの作品には、言葉で表された気分のようなものが先に在って、その前提のもとに作品が構成されているように見えます。

そして、もしかしたら、これは後から思えばという発想の見方ですが、このような言葉による、視覚から出て来たのではない、気分のようなものから作品をつくっていこうとすることが、後年の靄のような作品に遥かつながっていくのではないか。そして、光と陰の移ろいや揺れる水面を描こうとした書法が突き詰められていって茫洋とした靄のような光景を描く筆遣いに発展して行ったのではないか、と想像してもおかしくはないと思います。

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