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2013年12月 8日 (日)

ターナー展(2)~Ⅰ.初期│BEGINNINGS

Turneravonターナーは14歳でロイヤル・アカデミーの美術学校に入学を許され、厳格な履修過程に勤しみ、当時の職業的な画家必要な技能を短期間のうちに身につけたといいます。画家になりたての頃から、ターナーは歴史画を美術の最も高尚なジャンルとする既成の価値観に抗い、美術界の偏見を突き崩そうと試みる。ターナーは歴史画ではなく風景画に打ち込み、風景画を理知的な表現形式に高めようとして力を尽くす。これに加えて、主に素人画家や花を描く女性画家の領分とされていた水彩画を重視する姿勢を貫いたのも珍しい。と、後にターナーの芸術を特徴づける重要なテーマの多くが、画家として独り立ちしようとするこの時期にすでに芽生えており、海の情景を好むこと、旅好きなこと等もうかがえる。というように解説されています。

「ウォリスの岩壁付近のエイヴォン川」という水彩画は、いわゆる絵になる風景となっていて、手前の木の枝ぶりや中央のヨットなどの道具立ては絵葉書のようです。「エイヴォン川の12の風景」という版画集として出版する計画があったということですが、今で言えば名所の紹介のようなものではなのいか、と思ったりします。比較できるものではないでしょうが、日本の江戸時代の歌川広重の「東海道五十三次」の版画集のような、なかなか旅に出られない庶民に名所の風景を紹介して見せるというようなものとして描かれているように、私には思えます。また、このターナー展を通して見てみると、この時代の画家が稼ぎをするときに一番便利なはずの肖像画が一枚もなかったのが驚きでした。自画像もほとんどない。それは、多分、ターナー自身が肖像画が上手くないことの自覚があって、早くから肖像画以外で収入をえることを考えていて、名所を紹介するようなとか挿絵のようなものとしての風景画を追求していったのではないか、と勝手な想像をしてしまいます。解説では伝統的な絵画のヒエラルキーに抗ったようなことが書かれていましたが、歴史画を描くには歴史や文学の教養が必要だし、手間もかかるので、駆け出しの知名度もなく、生活の余裕もないターナーには着手するのが難しかったのではないか。事実、この作品を見ても、巧いという印象を先ず受けます。本人も、得意分野との自覚があって、そこで生きる道を探したのではないか、と思いたくなります。というのも、これを見ているとターナーの明らかな個性が分からないのです。

Turnerdur次の「ダラム大聖堂の内部、南側廊より東方面を望む」という水彩画。これを見ると、後の船もそうなのですが、ターナーという画家が建築とか船とかの人工の構築物の描写が抜群に巧かったということが分かります。先に見た、「ウォリスの岩壁付近のエイヴォン川」でも、樹木や森などの植物の生命感のあるものよりも、背景の岩壁の無機的な物体の方がキチッと巧みに描かれているように見えます。形態がカチッと決まって輪郭が明確な物体、揺らいだり、動いたりなどして形態が変化しないもの。柔らかさとか微妙さ陰影のようなグラデーションによるのではなくて、どちらかというと白黒のハッキリとした物体。これに太陽の光線が差し込むと、物体自体が固く表面に素材上の変化がないために、光線の反射を法則的に考えて、光線だけに留意して描くことができる。陽光の差し込む効果だけを考えて、つまりは光を抽象化させることができるわけです。ところが、人物では、皮膚の表面が微妙に変化していて、その変化の不規則さが生命感を醸し出すことになるのですが、ターナーは多分、それを表現するセンスに欠けていて、それを自覚していたのではないか、と私には思えます。むしろ、この作品のようなゴシック様式の複雑に建物の構造であっても、構成するパーツは単純なので、描くときは単純なパーツの組み立てとしてパターン化させることができます。だから、ターナーの風景画は構造とかパースペクティブを表現する志向が高くなっていきます。その反面、細部にこだわるような超細密のような方向性はありません。それは、水彩画という初期のターナーが盛んに描いたものの影響もあるかもしれません。

Turnermoon「月光、ミルバンクより眺めた習作」という小さな油彩の作品。それまで、水彩画を描いていたターナーが油彩を描き始めたころの作品で、絵の具の塗りは薄く、水彩画の用法をなぞるかのようだと言われているようです。ロンドンを貫いて流れるテムズ川に降りる夜の帳、その静寂に満ちた詩情を喚起する見事な興趣に富む。””水面に映る月明かりのハイライトは、情景を照らす唯一の光源として揺るぎない筆捌きで描いた満月の白い円盤の下方に、この上なく繊細な白の絵の具のタッチで表現されている。と解説では、多くの言葉を割いて説明されています。月明かりの淡い光の中で、川辺の風景は影となって、輪郭の形態を抽象することができ、物質表面の質感とか、空気感とかは明るい陽光が当たってはじめて見分けられることで、さらには遠方を細かく見渡すこともではないため奥行も感じることはできません。それらの絵画要素を切り捨てることができて、ターナーはそれを積極的に活用して、平面的な光景で月だけをくっきりと描き、それ以外は影絵のように平面的にすることで神秘的な印象を醸し出していると思います。また、暗さのグラデーションを描き分けて、晩年の靄のような作品に通じると、後付けですが思わせるところも見せています。これを以って、晩年の作品の先触れと見るのは恣意的な気もしますが。下の作品は、ターナーが参考にしたかもしれない、ジョセフ・ライト・オプ・ダービーの「マットロック・トーの月光」ですが、比べてみるとターナーの方が夜の暗さの中で、風景全体が見渡せないことを積極的に利用して、神秘性を強く感じさせるものになっているのが分かります。Turnermoom2


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