無料ブログはココログ

最近読んだ本

« ターナー展(4)~Ⅲ.戦時下の牧歌的風景│TUNER’S PASTORAL VISION IN A TIME OF WAR | トップページ | ターナー展(5)~Ⅳ.イタリア│ITALY »

2013年12月11日 (水)

電車で席を譲られた

先日、帰宅途中の電車のなかで、吊革につかまっていると、目の前に座っていた若い男性が私の目を見て、すっと立ち上がった。私に何か信号を送っているようだが、最初、何が合ったのかあったのか分かりませんでした。どうやら、私に座席を譲ってくれたようでした。生まれて初めてのことでした。その時は、戸惑いと、恥ずかしさしか感じられませんでした。

そのあと、自嘲気味にココログで呟いたりしたのですが、このところ、なんとなく心に引っかかって、何か釈然としない日々が続きました。最初は、「これでオレも、そんな年齢(老人)の仲間入りということか」などと老年に差し掛かりつつあることを寂しく思ったりしていたのかと思いました。

そんなことを考えるでもなく、なんか頭の中から離れない数日後、今度は、先日とは逆に、電車の中で自分が座っていて、目の前に立っている人に席を譲ったのでした。未だ、心のひっかかりが残っていました。その時、数日前の自分のことを思い出したのです。そして、今、席を譲った自分を比べていました。そして、席を譲った自分は、譲ったときに、ちょっと自分を誇らしかったり、とまでは行かないまでも、ちょっと気分が良かった、ということに気が付きました。そして、その裏返しで、譲って座ってもらった人に対して、多少の憐み、とまでは行かないまでも、多少の優越感を抱いていたということも。そして、席を譲られたときに、私に席を譲ってくれた若い人に対して、私が、そういうことをしたときに懐いてしまう、相手に対する微妙な憐みを、感じ取ってしまったのではないか。もしかしたら、その若い人は、私と違ってそんな優越感をもつような人ではなかったのかもしれません。私が、優越感を持つような人間なので、立場が違ったら、逆に劣等感を持ってしまっただけかもしれません。

なんか、私の捻じ曲がった根性に起因する僻み、ということだけの話かもしれません。そのせいか、変にブライトだけは高いという、しょうもないところもある付き合いにくい性格なのですが、席を譲られたときに、そういう憐み、というほどのことまでいかないまでも、年寄りを大切に保護してやろうという上から目線、というのを、その立場になって被害者意識かもしれませんが、ちょっと感じてしまったのでした。席を譲るということには、そういう心持ではなく、反対に敬意を持って、座っていただく、というのが本来の(ちょっとタテマエでしょうが)ものだったのではないか、とちょっと思ったりしました。

そういえば、と、家族でも、職場でも、友人でも、相手に敬意を払うということを、最近忘れていたような気がします。

ちょっと説教くさい投稿になりました。

« ターナー展(4)~Ⅲ.戦時下の牧歌的風景│TUNER’S PASTORAL VISION IN A TIME OF WAR | トップページ | ターナー展(5)~Ⅳ.イタリア│ITALY »

あるIR担当者の雑感」カテゴリの記事

コメント

CZTさん こんにちわ^^

先につぶやきで返しちゃったので、重複するかもですが。

プライド持てるってわたしからするとうらやましいですよ。
わたし、ないですもんw

どんどん、ゆずってもらって、どんどん、別の機会にはゆずってあげればええのでは?

小太郎さん、コメントありがとうございます。プライドなんて言うとたいそうに聞こえるかもしれませんが、気持ちのもんだいってやつです。とにかく、座ったもん勝ちっていう考え方もあるでしょうが、バカにすんじゃねぇ、っていう場合もある…って、こだわりすぎかもしれません。

相手のふるまいの意味を受け取ろうとする、その感度こそコミュニケーション能力だ、と内田樹の本で知りました。それはそのまま相手に敬意を払うことでもあるのでしょう。CZTさんは充分相手に敬意を払っていると思いますよ。

OKCHANさん、コメントありがとうございます。そう言っていただけると、ほっとします。しかし、他人に押し付けるわけにもいかないし、私の一人相撲になっているかもしれません。

う~ん、単純な私には、CZTさん、友人どちらの場合も「そんな歳に見えたのかな?」というショックからの動揺のように見えます。 私だって同様に動揺しますもの。 親父ギャグでごめんなさい。
CZTさんの考察は、かつて友人から教えられたニーチェ的考察のような。 「病気見舞いは自分の健康の確認」みたいな。
あまり考えすぎることはないと思います。
我々女性は、男性より席を譲られる機会が多いです。 妊娠中、幼い子供連れ等々。
本当にしんどい時、譲っていただくとどんなに嬉しいか。
このため、おばさんたちの方がそういった女性に席を譲る確立が男性よりはるかに高いです。 身を持ってしんどさを知っているからです。
案外おじさんは席を譲りません。
私の祖母は、80歳を過ぎてもその年齢に見られることなく、席を譲られることがほとんどありませんでした。 傍で見ていて歯がゆい思いをしたものです。
若い頃から母にうるさく言われた私は、席を譲るのにも勇気がいることを知っていますし、席を譲る人が増えたのは良いことだと思っています。
私など困ったおばさんで、高校生以下の若い子がお年寄りを前に座っていると「君、席を譲ってあげて」と言ってしまいます。(いつか刺されるかも)
このブログを機会に、私も席を譲られたらラッキーと思うことにしましょう。

追伸

ニーチェ的考察は、両面から物事を見る、隠れている心情を直視するということでは理解できますが。

ひつじさん、コメントありがとうございます。やっぱり、分かってしまいましたか。動揺というのは、席を譲られた時もそうでしたし、その後で、そのことで動揺したということは年齢を重ねるということを忌避する気持ちを自分がもっていたことへの動揺もあったことも確かです。ですから、ここで記事として書いたことは、実は自分に向けて書いたことでもありました。
また、こんなことを書けるということは、電車で立っていられないような状態になったこともない(貧血で電車内で倒れたこともありますが)からこそ書けたのも確かです。実際、相手がどう見ようと座れたらラッキーという状態になれば、どんなか分からないです。
私自身、電車では席が空いていても座らないように心掛けでいるつもりです。席を譲ることは吝かでなく、実際に何度も譲ったことはありますが、私の周囲に座っている他の人が自分が譲らなかったことで気まずい思いになるようなことがないようにしたいがためです。これも、記事といっしょで考えすぎと言われればそれまでのことですが。
でも、この記事に対して、ひつじさん以外にもコメントをいただいて、さらに考えることができました。ありがとうございました。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 電車で席を譲られた:

« ターナー展(4)~Ⅲ.戦時下の牧歌的風景│TUNER’S PASTORAL VISION IN A TIME OF WAR | トップページ | ターナー展(5)~Ⅳ.イタリア│ITALY »