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2013年12月 7日 (土)

ターナー展(1)

Turnerpos都心でのセミナーの帰り、雨模様の天気だったが、展覧会の感想を書き綴ること、それを見てくれる人が現われたということが、動機の多くを占めるようになって、多少の無理をしてでも出かけるようになってきた、と自覚症状を認識している。また、これからは仕事で都心に出る機会も、それほど多くなくなるので、今のうちにという心持ちも働いている。そして、このところ抱え込んでしまっている屈託の捌け口として、効果はあるかどうかは分からないけれど。

夕方という時刻と雨という天気のせいか、予想された混雑はなくて(とは言っても、ひとはそこそこいたけれど)、落ち着いて作品を観ることのできる状態ではあった。ただ、閉館1時間前という制限があったので、どうしても限られた時間を考えてしまい、また閉館時間前のアナウンス放送も何度か入って、最後は急き立てられるように作品を観ることになってしまった。時間をかけてゆっくり鑑賞するとか、何回も会場に足を運んで、気に入った作品を繰り返し鑑賞するということもないので、一発勝負。カッコよく言えば一期一会。だった。今回の展覧会は、スケッチや習作の類もおおく、ターナーの作品は似たようなものが多いため、一回目で見たい作品を絞って、二回目以降でじっくり鑑賞するというやり方は適していると言えなくもない。

さて、主催者のあいさつの中では、次のように紹介されています。1775年に生まれたターナーは、10代で英国各地の風景や名所旧跡を描く地誌的水彩画家として出発しました。そして、26歳で早くも英国美術の最高権威であったロイヤル・アカデミーの正会員に選ばれるなど、若くして成功を掴みました。生涯にわたって風景表現の可能性を探求し続け、「崇高な」自然を描き出そうとした作品や、光と色彩に溢れる幻想的で詩情に満ちた作風から、ロマン主義を代表する画家の一人と称されています。…西洋美術史において風景画の可能性を広げ、英国絵画の地位を飛躍的に高めた巨匠の作品を間近で鑑賞し、その神髄に触れていただければ幸いです。ここに主催者の意思が感じられるか、微妙な気がしますが、とりあえず優れた風景画家としてターナーを捉えているようなのは、ターナーのスタンダードな伝記にしたがって網羅的なのだろうと想像できるだろうからです。

私にとって、ターナーという画家は晩年の茫洋としたような、輪郭の判然としないような、靄のような、ほとんど抽象画のような、数点の風景画を描いたということに尽きます。偏った見方であることは自覚していますが。それが、今回の展示を見てみると、作品は大半は絵葉書のような風景を紹介するような、型にはまった風景画というものでした。それが、晩年の作品を描いた画家と同じ人物とは到底思えないのでした。例えば、最初絵葉書や挿絵のような風景を描いているうちに、徐々に作風が変化してきたという軌跡は見つかりませんでした。では、何か転機があって晩年に突然画風が変わったのか。それとも、生計の糧を得るための絵と自分が描きたい絵を区別して、いうなれば二重生活のようなことをしていたのか、そんなことを想像したくなります。そんなことを頭の片隅に置きつつ、作品を観ていきました。

展示は以下のように、細かく章立てられていました。

Ⅰ.初期│BEGINNINGS

Ⅱ.「崇高」の追求│IN PURUIT OF THE SUBLIME

Ⅲ.戦時下の牧歌的風景│TUNERS PASTORAL VISION IN A TIME OF WAR

Ⅳ.イタリア│ITALY

Ⅴ.英国における新たな平和│BRITAIN;A NEW PEACE

Ⅵ.色彩と雰囲気をめぐる実験│EXPERIMENTS WITH COLOUR AND MOOD

Ⅶ.ヨーロッパ大陸への旅行│TURNERS EUROPEAN TRAVELS

Ⅷ.ヴェネツィア│VENICE

Ⅸ.後期の海景画│TURNERS LATER SEASCAPES

Ⅹ.晩年の作品│THE FINAL YEARS

個々の作品を、この章立てに沿って見ていきたいと思います。

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