無料ブログはココログ

« 山本芳久「トマス・アクィナスにおける人格の存在論」(4) | トップページ | 山本芳久「トマス・アクィナスにおける人格の存在論」(6) »

2013年12月21日 (土)

山本芳久「トマス・アクィナスにおける人格の存在論」(5)

第2節 「原因性」を付与するより高次の「原因性」としての「創造」

人間と神とは、同じく人間の働きの根源となっているとはいえ、その根源性の質は異なっている。トマスの創造論的な世界理解においては、神は、あらゆる被造物のあらゆる働きの「根源」となっているのであり、その限りにおいては、人間は、他の被造物と何ら変わりがない。それでは、人間が、他の被造物とは違って自己根源性を有しているというのはどういう事態なのだろうか。それを明らかにするために、まず、その準備として、「根源」である神の諸々の被造物との関わりの一側面を、「原因性」の付与という観点から明らかにできる。

トマスによれば、創造とは、「神である普遍的な原因からの存在するもの全体への流出」のことである。そうである限り、「あらかじめ何らかの存在するものが前提されているということはありえない」。それゆえ、「創造するとは無から何ものかをつくるということにほかならない」。ここで注意しなければならないのは、トマスにおいては、創造行為が終われば世界への能動的な関与を中止して世界をその自立的・自然的な自己展開へと委ねてしまうものと理解されているのではないということである。創造とは単なる過去の一時点における出来事に留まるのではない。「神は、諸事物のうちに存在という結果を、諸事物が存在し始めるその発端において生ぜしめるだけではなく、諸事物が存在に保たれている間中、生ぜしめている」のである。それゆえ、神は、存在の作出因として、それぞれの事物のない奥に生ぜしめたそれぞれの事物に固有な存在と触れながら、それに常に臨在している。それゆえ、「創造は、被造物においては、その存在の根源としての創造主への或る種の関係であるほかはない」ということになる。

ここで言われている「或る種の」関係には、次のような含意がある。被造物同士の関係においては、それぞれのものの実体性・自立性がすでに前提となったうえで、それぞれの実体の内在的原理に基づいて付帯性としての関係が成立するのであるが、創造においては、このような付帯性としての関係を担う実体は前提されるどころか、神の創造のはたらきは被造物の存在の根源として、このような実体そのものを措定するような関係にある。このような関係を「超範疇論的関係」と呼んで、被造物相互間における「範疇としての関係」と区別している。空間的な比喩を用いるならば、個々の被造物が存在してお互いの間にいわば水平的な相互関係を結んでいる場所そのもの(被造界)を垂直的な形で措定し根拠づけているのが神の創造の働きだということができる。先ほどの創造の定義において、「或る種の」と言われていたのは、このような「超範疇的関係」を意味していたのである。

このような形で、「神による世界創造」ということを世界全体の根本的な枠組みとして捉える捉え方は、決してトマス特有のものではなく、キリスト教の成立以来の基本的な考え方である。そのような思想史的な流れの中におけるトマス哲学の独自性は、神による世界創造という一貫した神中心的世界理解を貫きつつ、その中でも被造物の自立性ということをはっきりと肯定し得ているという点にある。すなわちトマスは、神を「第一作用者」と呼び、その他の被造物を「第二次作用者」と呼んでいるが、トマス的世界理解においては、第二次作用者が第一次作用者である神に依存しつつ独立しているということ─すなわち「依存的事物の独立性」─が表明されているのである。

トマスによると、世界内的な存在者は、「被造物」として、その「創造者」たる「神」のことを「表現」しているのであり、「神が諸事物を存在へともたらしたのは、自らの善性を諸々の被造物に伝達し、それらを通じて善性を表現するためであった」。そうである以上、神の善性の核心的な要素の一つである「原因性」・「作用する力」を被造物に伝達することが必要だったのであり、そのことによって被造界の内部に「因果の秩序」が保持される。こうして、第一原因である神がすべてのことを為すよりも、第一原因が、原因性を付与された第二次原因と協働して世界の秩序を保持することの方が、第一原因の卓越性をより優れた仕方で表現するということになる。このような観点から、被造物固有のはたらきが存在していることは、神の卓越性を弱めるどころか、むしろそれを強めるとして捉えられている。被造物のはたらきと神の働きとは同一の地平に存在してゼロサムゲームを繰り広げるような相互排除的・対立的なものとしてではなく、協働という観点から考えられているのである。

« 山本芳久「トマス・アクィナスにおける人格の存在論」(4) | トップページ | 山本芳久「トマス・アクィナスにおける人格の存在論」(6) »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 山本芳久「トマス・アクィナスにおける人格の存在論」(5):

« 山本芳久「トマス・アクィナスにおける人格の存在論」(4) | トップページ | 山本芳久「トマス・アクィナスにおける人格の存在論」(6) »