昨年のベストセレクション
このブログを始めてから、新年最初の投稿は昨年のベスト・セレクションにすることにしています。昨年は、生活、健康の面で多事でしたが、それはそれで。学生時代好んだ、ある国の象徴主義の詩人のいう“生きることなど召使どもに任せておけ”でもないですが、まずは昨年読んだ本の中から。
このところ、年齢のことを意識せざるをえないことが結構あって、残された時間などということを考えたりすると、余裕を持って読むというより、今、読めるうちに読めるものは読んでしまおうというのか、急き立てられるような感じで、とくに後半は、その気持ちが強くなっていったように思います。ホントは読書というのは生産性がないのが本質的で、本を読んだといって何の足しにもならないというのが、私の考えるところで、つまりは、本を読むというのは単なる時間の無駄遣い以外の何物でもないものです。しかし、それには余裕があることが必要です。なので、私の大好きな物語は、あまり読むことがありませんでした。例えば、大好きな芥川龍之介の小説、「羅生門」の冒頭の非人が羅生門の朽ちた梯子を上る最初の文章を読むとき、たった数語で構成されたたった一つの文章に語り口に、一体何人もの人間の主観が分裂して入って語られているのか、その神経症ともいえるほどの多重の人格を腑分けしていく楽しさ、そして、その分裂した主観がそれぞれ息苦しいほど文章に意味を肉付けしていくのを追いかけるのは、汲めども尽くせぬ謎。そんなことは、時間と気持ちの余裕がなくてはできないし、何にも得るものなどない。しかし、それを一度でも味わってしまったら、癖になって、治ることはない。
というわけで、数十冊読んだけれど、セレクションとして上げることはない。これは、すべて私の側の問題。
今年、余裕を持てるかどうか。う~ん。結果を求めてしまう誘惑に負けてしまいそう。
一方、このところ、このブログで美術展の印象を書き始めたのが後押しとなって、去年はまめに通いました。今見なかったから見ることのできない、とこれも余裕をなくした故だったと思います。
こんなことでベスト・セレクションはできませんでした。不甲斐ない年の始まりとなりました…
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コメント
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CZTさん おめでとうございます^^
本年もふかーい読書録、読ませていただきます。
わたしも活字中毒者ですが、気楽に~楽しんでます。
読書のなかで、多くの体験できない人生を過ごすって感じの読み方してます。
投稿: 小太郎 | 2014年1月 6日 (月) 04時34分
小太郎さん。コメントありがとうございます。いつも、読みにくい投稿に付き合っていただいて、ありがとうございます。
本の楽しみ方って人それぞれですね。まっ、たまには、私はこんな風に楽しんでます、というのを開陳しあうのもいいのではないでしょうか。
投稿: CZT | 2014年1月 7日 (火) 23時37分