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2014年1月19日 (日)

山本芳久「トマス・アクィナスにおける人格の存在論」(25)

結語

人間の知性の働きは、魂の外の存在者との関わりへと出ていきつつ再び内面へと立ち帰ることによって自らをより豊かにしていく、という円環的・自己還帰的な構造を持っている。また、人間の意志のはたらきは、対象を肯定するというまさにそのことにおいて、そのような仕方で対象を肯定している自己自身を肯定すると言う自己還帰的な構造を持っている。

すなわち、人間においては、知性のはたらきにおいても意志のはたらきにおいても、対象との新たな関係性の形成は、自己自身との新たな関係性の形成と表裏一体となっている。しかも、そのような形における自己自身との新たな関係性の形成は、理性的実体としての人間にとって、単なる偶然的な付加物に過ぎないようなものなのではなく、理性的実体に本来備わった本質的な在り方を具体的に露わにしていくものなのである。

自己還帰・自己認識のために他の存在者との関係性の形成を必要としない神とは違って、人間は諸々の関係を必要とする。それは、確かに、理性的実体としての完成度の低さに基づくものでもあるが、しかし、そのような関係形成のはたらきは非理性的な諸実体には不可能である限りにおいて、あくまでも、本質的には、理性的実体としてのペルソナの完全性に基づいたはたらきなのである。

このような仕方で、ペルソナとしての人間において、実体的・自立的な性格と関係的な性格とは、あくまでも実体的・自立的な性格に重心を置きながら統合されており、自らの実体により充実させていくという「存在の充実」の運動が、他者との関係性によって養われつつ、逆に、他者をも「存在の充実」の運動へと導き入れていくような広がりを有している。トマスは、このように仕方で、「人間中心的」でもなければ「神中心的」でもない、「存在中心的」ともいうべき独特な次元で捉えられた「人格の存在論」を構築しているのである。

上述のように、人間存在には、二つの完全性がある。すなわち、人間が人間である限りにおいて常にすでに与えられている基本的な条件(第一の完全性)と、人間にとって本来的であるにもかかわらずいまだ十全なかたちでは実現されていない目指されるべき在り方(第二の完全性)とである。一性と全体性という存在論的な完全性を常にすでに有しているペルソナは、はたらきによる関係性の形成を通して、さらに高次の完全性・全体性へと進んでいくことによって、自らの自立性を自他との中心的でもなく他者中心的でもない円環運動のただなかで、「存在の充実」という課題を達成していくことができるのである。

本書において明らかとなった「人格の存在論」は、それ自体が存在論的な人間論として興味深いのみではなく、そのような新たな神学的探求のための橋頭堡という意味をも有している。人間の存在充足の歩みは、個人的な広がりを持っているが、トマスの論の特徴は、人間本性のこのような構造を、単に人間中心的な次元ではなく、かといって単に神中心的な次元でもなく、「存在中心的」とも言うべき独特な次元で把捉している点に見出すことができるのである。

このような根源的な存在論的洞察に基づきつつ、本書においては、倫理学と存在論との接点に焦点を置きながら、「行為」「認識」「愛」「徳」「法」といったトマス人間論の中核的構成要素を存在論的に捉え直した。一見別々の活動に見える知性による認識活動と意志的な行為─「愛」「徳」「法」はそれに関わっている─は、両者とも、「存在の充実」を実現するための活動という観点から、統一的に把捉することができるのである。そのような意味において、狭義の「倫理学」とは一見無縁にも思われる「知性」による「認識活動」もまた、トマスの存在論的な倫理学の不可欠な構成要素といえる。

「存在の充実」を求める人間に対する倫理学的考察がその基礎づけを求める中で存在論的洞察へと自ずと展開し、逆に存在論的考察が自ずと倫理学的洞察へと深まっていくという、倫理学と存在論の自在な相互連関が円環的に遂行されるこのような構造こそ、トマス・アクィナスにおける「人格の存さ正論」に他ならないのである。

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