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2014年1月24日 (金)

江戸の狩野派─優美への革新(3)~Ⅱ章 継承者たち─尚信という個性

狩野探幽の弟である狩野尚信、狩野安信の作品の展示です。

Edonao 狩野尚信の『叭々鳥・猿猴図屏風』(左図)です。前に見た狩野探幽の『叭々鳥・小禽図屏風』(左下図)と比べながら見ると、二人に共通しているところと、二人の違いがよく分ると思います。とくに共通している画題である「叭々鳥」を描いた部分で見比べてみましょう。一見した印象は狩野探幽の方が幻想的ともいえるような優美さを湛えているのに対して、狩野尚信の方は、よりシャープで、峻厳さとまでは行かないまでも、研ぎ澄まされたような厳しさを持っているように感じられます。

例えば、樹の描線の違いを見てみましょう。狩野探幽は淡く薄い墨を用いて、かすれ等も多用して、まるで背景である地の紙に融け込んでしまうような、敢えて言えば空白の地と一体化するような描き方をしています。まるで水彩画のような淡い画面です。この結果、描かれた樹の形は朦朧とした曖昧なものになってしまいます。しかし、それを屏風全体の中でみると余白と調和していて、その曖昧さが観る者の想像力を掻き立てるというのか、作品画面に入るように誘い込むようなものになっています。これに対して、狩野尚信の方は、狩野探幽に比べて濃い墨で地の白と強いコントラストを生み出しています。その結果として樹の枝は明確ですっきりしています。しかも、樹を描く筆の勢いまでもが強いほど観る者に迫ってくるような迫力です。筆遣いの大胆さは狩野探幽以上ですし、どこか一筆で樹を描き切ってしまっている迫力を感じます。おそらく、描写の造形力では狩野探幽を凌いでいたのではないかと思います。それゆえに、この描写を屏風全体でやられてしまっては、観る方は疲れてしまいます。そこで、描かれるものを絞り込み、少ないものに描写を集中させる。そのために、描かれない余白が必要になったという感じがします。そして、余白があることで、観る者は描かれたものに集中することができる。余白だけをとりだして、その意味合いを比べてみると、狩野探幽の場合は、画面の中で描かれたものと一体化して意味を持たされていたのに対して、狩野尚信の場合は、無意味な空間として余白をとるいとで一点集中の卓越した造形描写を対比的に引き立たせ、観る者の視線をそこに集める働きをした、というようにことでしょうか。

Edokokin 狩野尚信という画家は、狩野探幽との比較だけで見られるという程度の人ではなく、むしろ狩野探幽と並び立つほどの一個の独立した個性的な画家であると思います。それは、最初のところに線がうるさくないということを述べましたが、狩野尚信の作品を観ていると、狩野探幽以上に線は大胆で力強く、筆で描かれた線が作品画面をリードしているようなのに、その線をうるさく感じないのです。それは、横山大観などの近代日本画に比べて、線を有機的に活かしていることの証左であると思います。何度も繰り返すようですが、樹の枝を描く線は、墨の滲みを枝の影のように見せて、一本の線を一気に引いて表現したり、細い枝は筆をはじくような勢いで、そして鳥の姿は多大なデフォルメを施したような個性的な表現です。

ただ、水墨画を見た限りでは、そういうことが言えます。しかし、狩野派は水墨画だけではないのです。華麗な色彩を施した大和絵も制作しているはずで、そのような場合、狩野尚信のような個性的な線と強烈な白黒のコントラストでかたちづくられた作品世界は、成り立つのか。その場合、画面全体の構成を最優先する狩野探幽の方が融通性は高いかもしれません。

狩野尚信と狩野探幽は兄弟ですから、同時代に並んで活躍したのでしょう。これほどまでに個性的な二人の画家を抱え、狩野派という集団が、よくも分裂しないで結束できたと。感心してしまいます。この二人の画家をお手本にするにしても、異質な個性を一緒くたにすることは困難以上に不可能でしょう。さらに、狩野尚信の筆遣いを見ていると、とうていお手本にして真似ることができるとは思えない。この二人の画家を見る限りでは、狩野派を粉本主義として、前例踏襲の守旧的な権威という風評は信じがたいところがあります。

話は脱線します。狩野探幽が江戸幕府の御用絵師になったというのは、この展示された作品を観ていて、剣術における柳生新陰流を将軍指南としたことと相通じるように思えました。これは、私の妄想です。戦国時代での合戦では短時間に多くの相手と斬り合いをしなければならないため、それに応える意劇必殺の一刀流が重宝されたと思います。先手必勝で一撃で相手を倒せば、すぐに次の相手に対峙することができます。一人の相手で長時間対峙していれば、相手に加勢が加わったり、周囲を敵に囲まれてしまう危険があります。それに応えるのは剣術のニーズがあったと思います。これに対しての、柳生新陰流は、その名前に「陰流」があるように陽に対する陰です。時代劇の殺陣などで真剣白刃取りを柳生流の極意などと喧伝されることがありますが、「陽」というのは戦国時代のようなこちらから一撃必殺で攻撃するという側面で、「陰」というのは、その攻撃を受ける面と単純化します。つまり、新陰流とは受け身であることなのです。これは戦国の合戦では「陽」にニーズがありました。しかし、戦国時代が終わり、幕府によって統一政権が生まれたことにより合戦はなくなったと言えます。そのとき軍隊の武力は戦争から治安に向けられることになる、ということは短時間で敵に立ち向かうのではなくて、無法者を確実に制圧することに主眼が移ります。その時に一撃必殺で切り込むと成功すればいいのですが、いったん躱されれば態勢が崩れて危機的状況に陥ります。つまり、リスクが大きい。この場合には、リスクを抑え、確実に相手を制圧することです。そのときに、相手の出方に応じて防御を固め、徐々に追い込んでいくやり方にニーズが出てきます。新陰流とはそういうニーズ応えるもので、相手の出方を予想、あるいは相手の出方を含めてその場面をコントロールしてしまおうとする方法です。それを最大限効果的に方法化したのが柳生新陰流と言えると思います。

狩野探幽の作品世界も、画家の個性や作品の価値を強くアピールするような、攻めの世界ではなく、作品全体の構成やバランスを考え、余白という受けを大きく導入し、作品の中に攻めと受けを同居させ、誰にでも親しみやすい世界を作っていると思います。

そういえば、柳生新陰流も柳生宗矩や柳生十兵衛といった著名な人々は初期に限られ後には形骸化していったという話で、狩野派と共通しているところがあるかもしれません。

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