無料ブログはココログ

« ジャズを聴く(1)~アート・ペッパー「モダン・アート」 | トップページ | ジャズを聴く(2)~アート・ペッパー「アート・ペッパー・ミーツ・ザ・リズム・セクション」 »

2014年1月30日 (木)

知識と行動の間

私の職場は東京の郊外で、通勤には東京都内でもJRのローカル線に位置づけられている電車に乗っています。その電車は、駅に停車するとドアのボタンを押したものだけが開閉するという半自動システムになっています。今頃の寒い時期は、駅について一斉にドアが開いて外の寒い空気が入ってくるということが少ないので、たいへんありがたい仕組みです。私が通勤で乗っている路線は単線になっているので、駅で上下線のすれ違いを待つために停車時間が長くなるとドアを閉めて、社内が冷えないようにもできるのです。通勤時間は、いつもこの電車に乗っている人が主な乗客なので、慣れた人は降りる人が開けたドアを閉めるのです。これは、一種の暗黙のようなもので、ドアの近くに開閉ボタンが設置してあり、大抵はドア脇に必ず誰か立っているので、その人が気を効かせてドアを閉めています。

ところが、時々、それをしない人がいます。そういう時は、外の冷気が入り込んで社内が一気に寒くなります。その時に、ドアを閉めれば、冷気は入ってこなくなるので、これ以上寒くなることはないのですが、そのドアを閉めるボタンの一番近くにいる人は、それをしようとしません。しかも、その人はドア脇に立っているので、冷気を真っ先に受ける場所にいるのです。その人は寒さを感じないのかというと、コートの襟をたてて寒そうにしているのです。

このとき、この人はなぜドアを閉めるという行動に移ろうとしないのか、いくつか考えられます。

1.この電車が半自動のドアであるということを知らない。

これは、知らなければ仕方のないことですが、この時間に電車に乗っている人はいつも利用している人で、知らないということは、ほとんど考えられません。また、1台の車両にはドアが3つか4つあって、全部開けっ放しということはありません。だから、知らないということはあり得ないのです。

※知っているはずだ、と知っているは必ずしも結びつかないのは、小学校や中学校の教科書で教えられたことを全て覚えているか、問われれば、そうではないというのと、同じです。ただし、この人がもし次の駅で、1人だけ降車するということになれば、自分でドアを開けなければ降りることはできないので、自分でボタンを押してドアを開けるでしょうから、やはり、知っているのです。

2.ドアが半自動であることは知っているけれど、ドアを閉めない。

この理由については、さらに細分化できます。

(1)悪意でみんなに寒い思いをさせようとしている。

これは、どうしようもありません。

(2)知っているけれど、無関心

寒いけれど、ゲームに夢中でとか、ボーっとしていてその状態に気付いていない人、危ない感じがするけれど、こういう人最近多いですよね。

(3)知っているけれど、面倒くさい

知っているけれど、誰かやってくれると思って、自分ではやろうとしない人っていますよね。でも、自分が一番ボタンの近くにいて、誰よりも自分でやるのが一番手っ取り早いのですよね。自分だって寒さに震えているのですから。

(4)知っているけれど、そのことと行動が結びつかない

この場合の知識は中途半端なままです。たまにいるんですよね。理屈だけこねるくせに、自分のことを棚上げにして、いざという時になると頼りにならないっていう人。この場合の知識は、「ボタンを押すとドアが開閉する」という断片だけなのです。「社内が寒い」→「外気が開けたままのドアを通じて入ってくる」→「ドアを閉めれば冷気の流入は止まる」→「冷気の流入を止めるためにドアを閉めるのはボタンを押せばいい」ということに「ボタンを押すとドアが開閉する」が結びつかないのです。このような場合、本当は知っているとは言えないのです。しかし、私も他人事ではなく、こういう中途半端に知っていることはよくあったりします。そして、そのことに当人は気が付いていなくて、知っていると思っているのです。だから、この電車のケースでも、ドアを閉めない人は堂々としているのです。

そして、かなり楽天的な意見ですが、上の(2)と(3)のケースも、実はこのような中途半端な知識ではなくて、十分に知ってるならば、起きないのではないかとおもいます。

多分、こういう人は何かの拍子でボタンを押してドアを閉めるということやってしまう、それに誰かが「寒くなくなって、ありがとう」とでも声をかけてあげれば、次からはドアを閉めてくれることになると思うのですが。

 

何か、針小棒大で、些細なことをかなり大袈裟に書いてしまいました。最近、知ることと行動することの隔たりを考えさせられることが多いので、かなり一面的な議論ですが、あえて書いてみました。

ちょっと説教臭かったですね。

 

また、もう一つ、ここでドアを閉めてあげると、自分以外の社内の人々も喜んでくれる、ということにも気が付いていないのではないかと思います。一種の気働きですが、

« ジャズを聴く(1)~アート・ペッパー「モダン・アート」 | トップページ | ジャズを聴く(2)~アート・ペッパー「アート・ペッパー・ミーツ・ザ・リズム・セクション」 »

あるIR担当者の雑感」カテゴリの記事

コメント

こんにちは。
「ささやかな日常の謎」ですね。興味深いです。
提示された謎について、私が最初に思い浮かべた可能性が、記事の中では挙がっていないようなので、書いてみます☆

それは、「ドアが閉まっているときにボタンを押すと開くことを知っているが、ドアが開いているときにボタンを押すと閉まることを知らない」というものです。
乗り降りするとき、待っていてもドアが開かなければ、何か仕組みがあるだろうと考えて「ボタンで開けられる」ことに気づくことができますが、「ボタンで閉められる」ことは、目撃しなければ気づかないこともありえます。
というのも、冬のローカル電車は、運転手さんが気を利かせて、発車時刻まで自動でドアを閉めていることもあるので(そういうローカル線を何本か知っています。階段近く等、特定のドアだけ開けておくのです)、「閉めるのは自動」と思いこむ可能性は、それなりに高いと思うのです。

いずれにしても、乗っている皆が寒い思いをしないためには、乗客の誰かが、その人に「すみませんがドアを閉めていただけますか」と、声をかけることですね
とはいえ、今の世の中、他人に声をかけるという行為もハードルが高くなっているので、それこそ、わかっていても、なかなか出来ないことなのかもしれません…。

雪村月路さん。コメントありがとうございました。ミステリーの謎解きのようになってきましたね。可能性としては、ローカル線の乗客は常連さんがほとんどで、しかも、私の乗る時刻は通勤通学の時間帯なので、なおさら常連さんの占める割合が高く、ドアの仕組みをほとんどの人が知っていると考えてもいいのではないかと思います。

お返事ありがとうございます♪
CZTさんの謎の提示がお上手なので、つい私も謎解きに参加したくなってしまったのです。
お目汚し、失礼いたしました

周りの人たちが声をかけずに寒さに耐えているのはなぜかしら、と、そちらの「知識と行動の間」も考察したくなりましたが、昨今の殺伐とした世の中で、うかうかと他人に声はかけられない、ということなのでしょうね。
油断のならない世の中になってしまったことが、ちょっとさみしいです…。

雪村月路さん。ありがとうございます。そうですね。みんなで他の人のことを思いやって、ふるまえば、こんなおかしなことは起こらないのでしょうけれど。などと言いつつ、私自身も、この登場人物だったりするわけで。たしか、こういうのミステリーでは、倒叙法とか言うんですよね。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 知識と行動の間:

« ジャズを聴く(1)~アート・ペッパー「モダン・アート」 | トップページ | ジャズを聴く(2)~アート・ペッパー「アート・ペッパー・ミーツ・ザ・リズム・セクション」 »