景気回復のために賃上げを求めるのは本末転倒の議論?
JMケインズへの優しい入門書を読んでみると、かれが経済政策に関与し、経済分析のモデルとして理想としたのが観世雇用経済だったのが分かります。これは、経済学のどんな入門書にも書かれていることで、経済学の目的となっているものと考えることができます。だからこそ、カール・マルクスはケインズの師匠筋にあたるリカードなどを徹底的に読み込んで、それを批判することによって経済学批判を展開し、その集大成として「資本論」を執筆したわけです。そのマルクスの求めたのはプロレタリアートによる革命、労働者の解放です。マルクスが経済学を批判したのは、経済学が完全雇用ということを理想といていたからこそと言えると思います。
ということは、経済学の目的は経済成長ではないのです。目的は失業をなくすことで、経済成長は、それによって企業が雇用を増やすという、失業をなくすための手段なのです。だからこそ、ケインズは経済政策において部分最適と全体最適の違いを考えで、当面の収支では想像することのできない赤字財政政策も辞さないという態度をとることができたのだと思います。それ以降、ケインズの提起した経済政策や、ケインズ学派と呼ばれる彼の主張を継承したといわれる学統は多くの批判を受けてきましたが、基本的な経済学の目標に対しての批判がされたということは聞いたことがありません。そういう議論があれば、経済学という学問の存続にかかわることですから、大議論になるはずですから、私のような疎い人間の耳にも届くことでしょう。
だから、ニュースでアメリカ経済が回復したという報道があったとしても、失業率が改善または改善の可能性が高まらない限り、経済学者は経済が改善したと言うことは出来ないはずです。GNPとか経済成長率とかいった指標が改善したとしても失業率が改善されないのですから。もし、前者の指標と後者の指標が連動しているはずで、前者が改善しているから、後者も改善する筈だ、ということであるなら、現在、両者の動きは連動していないので、その理論的前提が否定されることになるので、経済学の大前提からすれば、GNPとか経済成長率というのは経済学の対象とする経済とは無関係ということを主張しなければならないはずです。
で、議論は飛びますが、このところ国内で首相をはじめとした政府関係者が企業に賃上げをするように言葉を費やしていることや、経済学者が同じようなことを言っていることに対して、上のようなことを前提としたならば、本末転倒ではないか、と私には思えるのです。目標とすべきことを手段にしてしまっている。つまり、失業をなくすためには、企業が労働者に多くの金を払うようにならなくてはならない、労働者に企業が金を払えるためには企業の儲けがふえなければならない。企業の儲けが増えるためには景気がよくならなければならない。そういう筋道で、経済学が経済の分析をし、経済政策が立案されてきたはずです。しかし、政府が企業に労働者にもっと金を払えというということなら、今言った筋道は必要ありません。従って、経済学の必要もなくなるわけです。政府にいる人が政策の目標を変えるなら、それはそれで構わないと思いますが、それならその説明をしなければならないはずです。また、経済学者は上述のように彼らが拠って立つ経済学という学問の目標がかわるということは、学問自体の否定にもなりかねません。それをきちんと説明した上で、そういう主張をしなければならないと思います。だから、経済学者という肩書で、企業に賃上げしなければならないと主張している人がいるならば、その人はそのことによって自身の経済学者であることを自己否定していることと同じに見えます。そのことに無自覚であるとすれば、その人は学者としての適性を欠いていることを公にしていることになります。
最後に、誤解のないように、私は企業が賃上げをしなくてもいいと言っているわけではないということは、ご了解願います。政府や経済学者が、自己批判を覚悟したうえで理論的根拠を説明することなく、企業に賃上げを求めるのは本末転倒だといっているだけです。
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