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2014年1月 9日 (木)

事務屋も企業戦略の最前線に

企業の事業戦略で最初に市場に入り込んだ者が先取りして市場を支配してしまうというものがあります。パイオニアの特権としてもいうのでしょうか。その時に、規格などの標準的な基準を自分たちの有利なように作ってしまって、後から参入してくるライバルは、その標準的な規格に無理してでも合わせないと商売ができない、というものにしてしまえば、市場で圧倒的に強い立場でいることができるというわけです。古い話ですが、むかしむかしのビデオ・テープの規格をめぐって、VHSとベータという二種類の方式が覇権を激しく争ったことは有名です。この後、争いに負けたベータ方式は市場から退いてしまうことになりました。これは、現在では、世界規模でもっと激しく争われていると言われています。ISOと言われるヨーロッパ発の規格もそうですし、グローバル・スタンダードをめぐる争いは、様々な分野で熾烈化していると言ってもいいと思います。

日本の企業も、他人事ではなく、この競争に参加していると思います。技術や品質そしてマーケティング等ではとくに熱心に行動しているのではないかと思います。

その一方で、事務とか管理と言われている業務、例えば経理、法務、人事、総務などといった領域は、そういった動きから取り残されているというか、そういう動きとは無関係でいるように見えます。例えば、会計の世界では、国際会計基準(IFRS)というグローバル・スタンダードを日本の企業会計に導入するしないというところで、経済界が消極的でいるようです。各企業の現場、経理のレベルではIFRSの導入となれば大きな変化が起きることとなって、手間や混乱の発生を避けようとする姿勢が強いようです。そしてまた、新たな基準ということになると、今までの基準が通用しなくなるため、今までよしとしていたことが、そうではなくなる可能性もあるので、リスクを避けるために多くの会社が横並びとなって多数派となることでリスクを小さくしようとして相互に各社の動きをすり合せしようと、その際には突出は避けようと、そのために情報をあつめる、というような動きをしている、というのが一般的です。これは、冒頭に述べたような、動きとまさに正反対と言えます。

でも、この時、よく考えてみれば、国際会計基準(IFRS)の大きな特徴というのは、企業によって事業や市場や戦略が異なっているところを一律の会計では企業の実情が見えてこない、そこで企業が自社の実情に適した会計を個々にやっていけるように企業の裁量範囲を大きくしたものと言えます。それによって、現在の一律の会計基準によって外形上の決算数字が見栄えのするものとなっていても、実際は中身が惨憺たるもので、その会社を決算数字を信用して買収したら大損した、とか株式投資でみてくれの数字に騙されないようになる、というものです。ということは、各企業の会計がリスクを避けるといって他の企業と横並びになって一律の会計に引っ込むという動きは、IFRSの趣旨に反するものと言えないでしょうか。というよりも、この新しい規格を積極的、戦略的に経営に活用するということを考えないのでしょうか。それは、前のところで述べた自社の規格を標準にしてしまって有利な立場を作ってしまうことです。とくに、競争の力関係が劇的に変化するのは、こういう大きな変動の時です。こういう時こそ、攻めに出ることができるはずです。つまりは、他の会社に先んじて、IFRSでの決算にチャレンジして、自社の特徴や強みを最大限に反映させることのできるような基準を作ってしまうのです。それがひとつの基準として先に通用してしまえば、同じ業界にいるライバルの企業はその基準を無視することは出来なくなるはずです。その基準が自社にとって不利な点があるにしても、それが既にある以上は準拠せざるを得なくなります。それは一つの有利な立場を確保できることになるはずです。資金調達やユーザーの評判その他。そういうところで、会計の人間が積極的に企業の戦略を主導できることができるわけです。場合によっては、会計が企業の強みだというケースが現われるかもしれません。そういう可能性のある機会を、むしろそれに反することを経理マンと言われる人たちはやっているように見えます。これは、法務にもいえます。今、国会に会社法改正案が上程されていますが、これをめぐって各企業の法務担当者が情報収集を行っていますが、法改正を戦略的に活用するというのではなく、まるで災害が来るのを避けよう、躱そうとして、法改正の影響を最小限にして現状維持に汲々としているように見えます。それは、例えば、社外取締役の義務化をめぐる動きが新聞でも小さく話題になっていましたが、社外取締役を置かない企業はその「社外取締役置くことが相当でない理由」を事業報告で開示し、株主総会で説明しなければならなくなります。しかし、その理由について、どのような理由であればよいのかは法律には規定してありません。結局は満足な理由などないのです。それならば、自社にとって言いやすいことを理由として他社に先駆けて公表してしまって、他の会社はそれを参考とするように仕向けてしまえば、自社のものがスタンダードになることになります。それで自社の体制を他社を利用してオーソライズしてしまうこともできるわけです。そして、追随する他の会社は、災害をやり過ごそうとして逃げの姿勢の会社というわけで、自社にそぐわないかも知れないけれど、大勢に乗った方がいいと無理をするわけです。

実際、事務という職種の業務はコンピュータが入り込んで来たことによって急速に人員のニーズが減退してきているはずです。たぶん、もう始まっているのですが、事務職が大量に廃棄される時代になってきているのです。その時に事務職が企業の経営戦略の実行の重要部分になっていないと淘汰される時代に入っているのです。会計の計算だけなら、人間ではなくコンピュータの方が効率的で間違いがありません。法務でも法律の条文に適合しているかどうかのチェックならコンピュータのアプリケーションで出来てしまうでしょう。そういう時代に無難に間違いなく、というのは自分の存在価値を掻き消していることになりかねないと思います。

それは、(ようやっと本題に入りました)とくにIRにおいて顕著ではないかと思います。他社と同じことを、担当者自身、そのやっていることの意味を把握しないで、機械的に資料をつくったり、定例的にイベントをこなすことに何の価値があるのか。そうではなくて、そこで戦略的に行動することが、企業にとって事業を引っ張るようなことも可能となりうるはずなのに、と思います。私が、このように述べているのは常識から外れているのでしょうか。ここ最近、何社かのそういう担当者、あるいは企業内でそういう担当者をマネジメントする部門の担当者とそういう話をする機会がありましたが、例外なく怪訝な顔をされてしまいました。今日述べたことは、ひとりよがりなんだろうか。

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