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2014年1月28日 (火)

ジャズを聴く(1)~アート・ペッパー「モダン・アート」

少し前から、ポツリポツリとジャズを聴き始めています。主に、ロックやクラシック音楽という白人音楽を好んで聴いてきたので、毛色の異なる音楽と言うことになります。多少の勉強がてら、聴いた感想を、これから断続的に書き始めてみたいと思います。

今日は、第一回として、ウエスト・コースト・ジャズのアルト・サックス奏者、アート・ペッパーのアルバム「モダン・アート」の感想です。まずは、アート・ペッパーについての紹介

いわゆるウェストコースト派と呼ばれる。ニューヨークのいかにも薄暗いジャズクラブから聴こえてくるようなヤニっぽいサウンドではなく、あたかもカリフォルニアの青空のような澄み切ったサウンド。ペッパーに代表されるような白人のジャズプレイヤーというものから連想されるイメージは、比較の意味で言う黒人のプレイヤーのイメージとは異質な特徴を持っている。その違いを極端に単純化すれば、「さらっとした感じ/こってりした感じ」「軽やかさ/粘っこさ」「技巧的/個性的」「アンサンブル重視/ソロ重視」。その特徴を一般的には、さらっとした軽やかさが身上の、傾向としてテクニカルでアンサンブルを重視した音楽と言え、それはペッパーのプレイを聴いたイメージに当てはまる。

これだけでは、何か耳当たりが滑らかなだけのBGM的な内容空疎と誤解されてしまいがちだけれど、表面的な軽さの底には、他のプレイヤーには真似のできない独創的な即興演奏を聴くことができる。親しみ易いメロディーのテーマからアドリブに入るや原曲を破壊してしまうほどの凄味のあるプレイが底には隠されている。チャーリー・パーカーとは違った方法論によるもので、ペッパーの特徴は、それだけ凄いプレイを、そうであるかのようには見せないで一見軽やかに演ってしまうことと、メジャー・コードを基本において深刻にならないというところにある。実際に、口当たりの良いメロディをぼんやり聴いているうちに、思いもかけないところに連れて行かれてしまう。まるでハーメルンの笛吹きみたいな恐ろしさを内に秘めていると、私は思う。そして、ペッパーはその豊かな即興フレーズの中のところどころに、スパイスのように、マイナー調のメロディを挿入して、思い入れたっぷりに情緒纏綿と聴かせる、陰影の美を強く感じさせるところがある。いわば、引きの美、なのだ。だから、一度聴いてしまって満腹して、もう沢山というのではなく、何度でも繰り返し聴いても飽きることがない。

活動期間は長いが、1950年代に活躍した後、しばらく麻薬に溺れてブランクがあり、1970年代にカムバックした後は陰影の美は影をひそめパワフルなプレイに変身してしまったと言われる。

 

では、アルバム「モダン・アート」について、曲目と奏者の一覧と、感想を

Jazartpepper_modernart Blues In

Bewitched

When You're Smiling

Cool Bunny

Diannes' Dilemma

Stompin' At The Savoy

What Is This Thing Called Love

Blues Out

 

Art Pepper (as)

Russ Freeman (p)

Ben Tucker (b)

Chuck Flores (ds)

 

アルバムの最初と最後にベースのベンタッカーと二人だけで演奏されるスローブルースを聴いていただきたい。「Blues In」「Blues Out」という曲名が洒落ているけれど、ほとんどテーマらしいテーマもなく、最初から最後まで、徹頭徹尾アドリブで通している。それぞれ、6分と5分をアドリブだけで勝負している。しかも、ベースと二人だけというシンプルすぎる構成で、ほとんどサックスのソロに近い。そこで、ペッパーの吹くサックスは、腹八分目という感じで、目一杯吹くことはなく、軽いタッチの音で、ブロウをかますようなケレンも使わない。メロディを纏綿と唄わせることもない。ないないづくしのように読まれてしまうけれど、それでは “侘び寂び”ではないかと言われそうだが、たしかにそうかもしれない。強いて言えば。尺八の本曲に通じるかもしれない。一見地味だけれど緊張感の漲った奥深い味わいを持っている。その虚飾を削ぎ落としたようなシンプルの極みのような演奏で、ペッパーは彼の真骨頂である繊細で陰影に富んだニュアンスを駆使する。しかも、或る種の“あそび”の要素を残した軽みを帯びたものになっている。決して声高にならず、むしろ抑制された弱音に近い彼のプレイは、様々な音色やタッチでまるで人の肉声を聴いているような錯覚を覚えてしまう。このプレイを聴いてしまうと、他のプレイヤーのサックスはモノトーンに聞こえてしまうほどだ。このほかの曲では、ピアノとドラムスが加わるが全体のトーンは一貫している。

たぶん、ライブの熱い中で聴くというより、静かな自分の部屋で録音を繰り返し聴くということの方が向いている演奏であるだろう。クラシック音楽で言えば、ベートーヴェンの激しい音楽というよりも、ショパンの繊細な音楽に沈潜するのに近い。最初のBlues Inの6分間の息詰まるような即興ソロに続く、Bewitchedのフリーマンの明るいピアノの入りはまるで視界かパッと開けるような軽いカタルシスで続くペッパーのサックスも羽根が生えているかのような軽やかさだ。最初にテーマをワンコーラスを吹くペッパーは、後からあとから、まるで溢れんばかりに閃いたようにアドリブ・フレーズが入ってくる。その閃きが過剰なほどで、メロディを崩しにかかる。それを懸命に抑えているかのようなペッパーだ。どう聴いても「こんな風に崩そう」などという意識的な崩し方ではない。大げさではなく「心を無にして」ヒラメキのままに心のおもむくままに吹いてる・・・しかし、もう一人の醒めたペッパーが「元メロディとのつなぎ」をもコントロールしている・・・そんな感じなのだ。その抑制の息詰まる緊張感。これに続くWhen You're Smilingで少しテンポが上がる。ミュージカル「マイ・フェア・レディ」の「一晩中踊り明かそう」のメロディによく似た感じのテーマから軽快にペッパーのサックスが走る。次のCool Bunnyでさらにテンポがあがりペッパーが疾り始める。とはいっても、決して吹きすぎない。ピアノで言えば、鍵盤を押し込まないで、浅く押す感じ。人によっては重量感を感じないというのか、あまり芯を感じないというのか、それでも、それなりの激しさはある。それで十分なのである。というのも、弱音気味で繊細なイントネーションの世界に耳をそばだてているところに、少しでも強い音が来れば、その刺激は相対的に強いのだ。それだけ劇的に聴き取られる。それは、いつも静かな人が、突然大きな声で怒り出した時の、普通でない感じ、つまりは対比なのだ。ここでのペッパーの演奏は、そういう全体を見渡したうえで即興的にアドリブを紡いでいると言える。

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