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2014年2月

2014年2月28日 (金)

宮崎裕助「判断と崇高」(16)

Ⅲ 美的─政治的 美学化と決断主義への抵抗

5 政治的判断力

第Ⅰ・Ⅱ部は、カントの『判断力批判』に焦点をあて、アポリアにおける判断力の問題を、美的判断力批判の文脈で練り上げることが試みられた。その結果、反省的判断力から美的判断力へといたる経路において、判断を構成する「美的なもの」が、美学の可能性の条件でありながら、所定の美学的カテゴリーには還元されない批判的な契機を宿していることが明らかになったのであり、そうした「美的なもの」の力を解明する諸相にこそ、われわれはカントの「崇高の思考」を標定しようとしてきた。しかし、この批判は、狭義の美学批判にとどまるものなのだろうか。そうでないとすれば、それは如何なる射程を孕んでいるのだろうか。第Ⅲ部はそのような問いに答えることを目指す。それを述べる前にまず、ここまでの議論の要点を整理しておこう。美を範例とした趣味判断の理論に対して、カントの崇高論に見出される論理とは、感性的には「表出=呈示不可能なもの」を、表出の失敗やその不可能性(不快の感情)を梃子にして、有形な美的対象の感情(快)よりも高次な感情(不快の快)において否定的=消極的に表出しようとする、ひとつの弁証法的な論理である。そこから我々が主張してきたのは、崇高のこの表出論理が、美の呈示不可能な形式を積極的に媒介するにより、当の不可能性に対してひとつの呈示を与えるということ、要するに、崇高は、美の形式がまさしく否定的な形式として見いだされるための超越論的な条件をなすのだ、ということである。美しいものの成立には、つねにその不定形な形式を縁取るように、崇高なものの論理が働いているのである。カントの崇高論は、カント美学における表象の外部(呈示不可能なもの)をその内部へと取り込むことのできなる内化作用(我有化)の働きを担うという点で、当の表象体系を組織する超越論的原理とみなすことができる。

しかし問題はその先である。カントの『判断力批判』は、崇高の弁証法的論理そのものに即して、その限界を内側から画すような契機を含み込んではいないか。つまり、カント美学の表象体系には取り込まれないもの、ひとつの「呈示不可能なもの」としてすら取り込まれない絶対的に呈示不可能なもの、この取り込みの作用そのものを拒否する、もはや美でも崇高ですらもないものをもたらしてはいないだろうか。「美と崇高」の二項対立によって組織された表象体系の絶対的な他者、カント美学における、この反-弁証法的な感性形象にこそ、われわれは、構想力の過剰な暴力の可能性、あるいは「吐き気」の感性的な否認の経験を追究してきたのであり、「パラサブライム」と名付けうる、そのような契機にこそ、カントの「崇高の思考」の真骨頂を見定めようとしてきたのである。

判断への問いは、美学的な問題設定にとどまる課題ではない。本書のこれまでの議論から引き出されることは、カント哲学に胚胎していた「決定の思考」が、美的判断をめぐる「崇高の思考」として露見するのだということである。これを逆に見るなら、「崇高の思考」がカント美学の内在的批判として解明される時、この企てはあらためて「決定=決断」を指向する、一定の政治的な射程をもつものとして現れてくるように思われる。してみると第Ⅲ部の問いは次のようなものとなるだろう。すなわち、美学批判としてのカントの「崇高の思考」は、結局のところ、いかなる政治的な含意のもとに解釈し得るのだろうか。要するに、その美学批判の実践的な効果や帰結はいかなるものか。ことさらに「政治的なもの」が問われるのは、20世紀における『判断力批判』の非常に影響力のある解釈として、ハンナ・アーレントが「政治的判断力」の概念を『判断力批判』から引き出していたからである。アーレントの「政治的判断力」の概念は、実のところ趣味判断の公共化に基づく「美の政治」をモデルとしており、アーレントの影響下で引き継がれてきた従来の判断力論は『判断力批判』の「崇高の分析論」の洞察を、政治的判断の問題として適切に考慮してこなかった。

アーレントは『文化の危機』において、古代アテネのペリクレスの「われらは質朴なる美を愛し、柔弱に堕することなき知を愛する」を「我々は政治的判断の枠内で美を愛し、柔弱という夷狄の悪徳なしに哲学する」と翻訳してみせた。ギリシャ語のエウレテイアには通常「節度」という訳語があてられるが、アーレントはそこから「狙いの正しさ」という、より説明的な訳句を経由しつつ、行為する術を心得ているという意味で「政治的判断」なる表現でこの語を理解する。他方、逐語的には「柔弱さ」を意味するマラキアは、ギリシャのポリスにとって切り離すべき「夷狄の悪徳」である。かくして、この二つの語にとって決定的に本来的な意味とは「厳密に政治的な」含意なのだと、アーレントは強調する。すなわち、この一文に告げられているのは、古代ギリシャの文化において「知を愛すること」及び「美を愛すること」を縁取る枠組みが、そもそもポリス、政治の領域であったということ、つまり本来「美や知は、ポリスという制度のなかでのみ愛することができた」ということなのである。ここで注意すべきは、エウレテイアにそなわる「狙いの正しさ」という含意を、アーレントが「いかに狙いを定めるか」すなわち「いかに判断するのか」を見極める能力へと言い換えている点である。アーレントによれば、判断するというこの能力こそ、一方では、哲学のために「柔弱さという夷狄の悪徳」を自らポリスから取り除くことで自己と夷狄を切り分け区別するという、政治的能力として解釈されるのであり、他方、エウテレイアとしてのこの判断力は、ペリクレスの一文では「美への愛」と不可分のものとして言われているのである。しかるべく愛すること、美的な事物への適切な関係をもつこと、アーレントはこれを「趣味」と呼ぶのであるが、この美への愛が「判断」という契機を介して、政治に対する一つの根本的な関係を明らかにするだろう。つまり「趣味とは政治的能力のひとつ」であり、趣味という判断力を介して芸術と政治、「美的なもの」と「政治的なもの」が交叉するところに「文化」として培われるべき人々の公共領域が開かれるのではないか。

2014年2月27日 (木)

宮崎裕助「判断と崇高」(15)

カント美学にとって美と崇高の間の区別は依然として根本的なものだ。美の形式の表出には崇高の論理が介在するという意味で、美のうちに崇高なものが見いだせるのだとしても、美に対しては何らかの感性的対象がその形式を与えなければならない一方、崇高はその根拠を主観の側の「心構え」のうちにしかもたないという点で、美と崇高はやはり峻別されなければならない。しかしそれにもかかわらず、カント自身も問題としているように、芸術美の観点、さらには芸術作品の創造者である天才についての観点から美的判断の対象を考察するならば、こうした美と崇高の区別は限りなく曖昧になって来るのであり、むしろその創造の原理は、崇高の表出論理をモデルとしていることが分かる。

美しいものは、何らかの与えられた感性的対象を前提としており、その形式を判定し鑑賞する能力(趣味)しか必要としない。他方、当の感性的対象を、美術や芸術表象として産出すること(美的理念の表出)は、天才の業であり、そこに介在するのはやはり崇高の表出論理なのである。以上のような仕方で、カント美学に明示的に見出される強調点を転倒させること、すなわち、美に対して崇高を、自然美に対して芸術美を、その鑑賞者に対して創造者を強調すること、結局のところ、崇高論を、カント美学の表象体系を組織する超越論的原理として位置付け、その弁証法的論理によってカント美学のアポリアに対して一定の解決を見いだしていくことは、『判断力批判』の論述構成を逸脱する可能性もある。これはヘーゲルへの歩み寄りになってしまう。しかし、それがすべてではないのではないか。カントのテクストがとどめている論述の不完全性は、弁証法の縫合可能ないし縫合すべき綻びとして与えられている以上に、その弁証法の論理そのものに即して、その限界を内側から画すような形象を書き込んではいないか。つまり、その表象体系には取り込まれないもの、ひとつの<表象不可能なもの>としてすら取り込まれない絶対的に表象不可能なもの、この取り込みの作用そのものを拒否する、もはや美でも崇高でもないものを記しづけてはいないだろうか。それが吐き気なのである。

美的判断にとって、定義上、美は快として、醜いものは不快として表出されるが、美術は醜いものを媒介することで、その否定的な感情を芸術美の快(崇高なものの「不快の快」と論理的な同型物である)へと転化し吸収することができる。しかし「吐き気をもよおさせるような醜さ」だけは、そのような転化の運動を徹底して拒否するのだ。「吐き気」に結びついたこの醜さ、この不快のなかの不快の表象は、それでもなお、ひとつの感情の享受として生じている。しかしこの感情があまりにも「異常で、まったく想像に基づく感覚」として、激しく我々の感性に突き刺さってくるものであるがゆえに、あらゆる媒介によって不快を快の体系のうちに取り込もうとする我々の表出能力のどんな暴力をもってしても、それを制圧することはできない。だからこそ、この感情は、純粋な嫌悪を惹き起こす感情として、まさに端的な否定性=消極性そのままで、我々に享受を強要してくると言われるのである。それは、絶対的に否定的な感情、どこまでも反発や唾棄しかもたらさない感情なのである。

デリダによれば、このような「吐き気」の純粋に否定的な感情は、美的な表象体系そのものに反発し、不快を快に転化しうる表出の論理そのものを拒絶するように働く。そのようなものとして当の体系から「吐き出されたもの=反吐」は、体系の絶対的な他者として端的に働く表象不可能なものであるだろう。もはや「表象不可能」とさえ言えないほどまでに全面的に不可能なものだろう。それは、体系の他者として超越論化することや理念化することさえもできないような全き他者である。「この不可能なもの、それは何らかの事物、すなわち感覚可能なもの、理解可能なもの、何らかの感官や概念にもたらされるであろうものである、と言うことはできない。もし言おうとすれば、それはこれこれという意味の下へ、しかじかの概念の下へ落下することになるだろう。ひとはそれをロゴス中心主義的な体系のうちで名指すことはできない。体系としては、それを吐き出すしかなく、そこにおいて自ら吐き出すしかない。それは何かと言うことさえできない。そんなことをすれば、反吐を食べ始めるあるいは絶対的に違うことではないのだが、反吐を吐き出し始めてしまうだろう」。

こうした「吐き気」のようにカント美学の表象作用を構成する崇高の表出論理のただ中にあって、まさにその内側から崇高論の臨界点を指し示している感情を、我々は「パラサブライム」と呼ぶ。

では、「吐き気をもよおさせるような醜さ」とは、実際にどのような醜さなのだろうか。「吐き気」が、ある絶対的に否定的な感情と見なすのだとすれば、相対的な不快、快に転化し得る不快と、吐き気の絶対的な境界線はどこにひかれるべきなのだろうか。しかし、そうした問いの対象自体が、そのような問いを拒否するだろう。「反吐」が絶対的に表象不可能なものも本来命名すら不可能なものとして否定的にしか理解しようがないのだとすれば、それを吐き出す「吐き気」の絶対的な嫌悪の感情は、決して相対的な不快からの連続的な程度の違いとして理解されるべきものではない。それは、まさに出来事として、不快の絶対性において端的に生起するしかないものであり、それ以上の規定は受け付けないはずのものだからだ。

吐き気は、いわば「超越論的な吐き気」としの絶対的な否定的感情の極によって定義されながら、他方ではつねにひとつの享受として、特定の感情として現れざるを得ない。吐き気の究極的な対象は、まさにそのような絶対的な否定性の極そのものなのである。かくして「吐き気」はつねにあらためて、相対的で個別的で特定の否定的な感情として、吐き気とは別のものが入り混じった不純な感情の数々として回帰する─不快である。不安である。気持ちが悪い。気色が悪い。気味が悪い。うっとうしい。おぞましい。厭悪する。忌み嫌う。嫌忌する。忌避する。嫌気がさす。疎んじる。うんざりする。気に入らない。気に食わない。鼻持ちがならない。胸糞が悪い。悪心がする。むかむかする。むかつく。キモい。ウザい。キショい。唾棄する。反吐がてる。虫唾が走る─等々。

 

「吐き気をもよおすもの」─アブジェクション─は、バタイユからクリステヴァへと至る系譜において「不定形なもの」として見いだされた後、ボワとクラウスによって、形式/不定形の問題系そのものから放逐されたのだとすれば、カント美学においては、美と崇高の差異をめぐって、依然として「形式」との関連を保ちつつ、いっそう複雑で否定的な契機として現れる。そこで美は、形式そのものが解きほぐれる形式によって説明される一方、崇高は、美の不定形性を否定的に形式へと媒介する論理によって理解されることになる。崇高は、美の不定形な形式を表出し、美的型式の可能性の条件をなすのである。だが、吐き気は、崇高による美的表出の論理、すなわち、不定形を形式へ、不快を快へと内化する表象の弁証法的作用そのものを拒絶する。パラサブライムというべきこの「吐き気をもよおすもの」は、そのとき、美的表象の体系から吐き出されたもの<反吐>として、形式でも不定形でもない反美学的なもの、つまり、絶対的に形式化不可能な<怪物的なもの>である。しかし吐き気が、主観にとって享受可能な感情である限り、当の「享受を強要する」かのように「強烈な生命感覚」として、さまざまな様相のもとで、主観のうちに回帰してくることになるだろう。吐き気は、みずからを超越論的なシニフィアンとして理念化することの可能性そのものを吐き出すのである。したがって、そうした意味ではたしかに、吐き気は、個々の文脈でそれぞれ限定的な負荷を担った歴史的な形象として主題化すべきものとなる。

カントの崇高論を子細に読み進めて行くと、表出不可能ないし超越的なものを否定的に表出するという、快と不快との、牽引と反発との弁証法的緊張による「感動」において崇高の感情が特徴づけられているだけでなく、まさにこうした弁証法的な運動そのものを宙吊りにするような「無感動」すらも、カントは崇高のうちに数え入れていることに気づく。「諸理念による諸力の緊張」がもたらす「熱狂」の心の動きに対比してカントが言うのは「偏印市内自らの諸原則に決然と付き従う心の無情動すらも崇高であり、しかもはるかに卓越した仕方で崇高である」。その理由をカントは「この無情動が同時に純粋理性の適意を自らの味方に持つから」と素っ気なく述べるのだが、純粋に美的な観点に即して、それが「奇妙に見える」にもかかわらず、なぜそうした無感動すらも崇高に含めなければならないのかについて、カントは必ずしも明らかにしているとは言い難い。だがここには、まさに崇高の表出の論理のただなかで、その弁証法的な論理そのものに介入する、ある種の受動的否認、ミニマルな感性的拒絶というべき、感覚の微細な動きが認められるのではないだろうか。それを「無情動な吐き気」と呼ぶことは不可能だろうか。おそらくは、あらゆる感覚に開かれることでむしろ最も研ぎ澄まされた無感覚として現れてくる冷酷さ、静謐にして晴朗でさえあるような「吐き気」として。カントが続く頁で「すべての社会からの離脱もなにか崇高なものとみなされる」と記すとき、そこに語られているのは、そのような「吐き気」の何事かであるように思われる。

2014年2月26日 (水)

宮崎裕助「判断と崇高」(14)

美と崇高の違いついて述べた『判断力批判』のなかで「自然の美しいものは対象の形式に関わり、この形式は限定を旨とするが、これに反して崇高なものは、無形式な対象においても、見出されることができる」カントにとって、美の形式、感性の対象を美と判断させる形式が、まさに当の形式を見いだすことができないという不可能性を条件としていることであった。したがって美的対象の形式は、美にとって必要であるにもかかわらず、美において積極的な形式として見いだすことができないという不可能性を条件としているということであった。したがって美的対象の形式は、美にとって必要であるにもかかわらず、美において積極的な形式として見いだすことができない。他方、崇高はたんに無形式なものに関わっているだけでなく、逆に形式をもった対象にも関わっている。美についての判断が有形な対象に関わっており、美の有形性はそれ自体として見いだすことができないとすれば、美のこの不可能性は、崇高なものが美の形式にも関わっていることにおいて、崇高についての判断が解決するのだと考えることができる。というのも、美の形式が、当の形式そのものが解きほぐれるような消極的な形式なのだとすれば、崇高についての判断は、まさに無形式=不定形なものに積極的に関与することによって、美についての判断を媒介しその根底で支えうるように思われるからである。

ここで注意しなければならないのは、崇高なものが無形式な対象に関して美や崇高として表出することは、構想力(想像力)の役割であるが、崇高なものの判断では、この表出能力としての構想力が、なにか無形式=不定形に対象それ自体を崇高として表出すると考えられているわけではない。

崇高として表象されると言われているのは「無限定性」である。それは、もはや感性的ないし美的な対象ではない。カントの言葉に従えば、我々の心の内に備わる「理性の諸理念」であり、「いかなる感性的な形式にも含まれていることはできない」という人間の「超感性的使命」であるとされる。崇高と呼ばれるものは、なんらかの無形の感性的対象ではなく、そうした対象の対象のうちへの崇高性を持ち込む「心構えに由来するものなのであり、そうである限り、感性の対象として直接には表出されないがそれでも思考すべき何ものかとして、感性の限界を超越した「理念的なもの」や「無限なもの」を指し示している。

こうした理念的なものの「無限定性」が構想力によって崇高として間接的に表出される際に、「無形式な対象」が「機縁として」役立つとは。当の対象をその総体において構想力が、首尾よく表出できないという不適合、つまり呈示不可能性ないし表象不可能性が、構想力をして自らの感性的な限界に直面させ構想力の働きを挫かせるだけでなく、そのことによってむしろ、自らの感性的限界を超えた、何か「超感性的」で「無限なもの」を構想力に崇高として表出させるという、そのようなプロセスへと通じている。「無形式=不定形なもの」はそのものとしては表象できない。しかし構想力はそのような対象化・形式化を禁じるような何ものかにあえて対峙しその表出に失敗に失敗することによって、この不可能性を梃子にして、有形のものについての感情よりも高次の感情へと自らを委ねることができる。それは、構想力が自らを犠牲にして試練に曝すことで、かえってこの試練を通じて自らを鍛え拡張するというプロセスであり、そこに得られる感情が、結果として「超感性的なものとしての理性の理念」に対して応答し、この「無限なもの」を間接的に表象していたことになるのである。このことが崇高なものの感情として、つまり崇高の表出として描き出されているわけだ。

理念的であれ、無限のものであれ、「無形式な対象」はまさに無形式であるがゆえに客観的には表象されることができないが、しかしその不可能性がむしろ高次の段階で<表出=呈示不可能なもの>としての超感性的な存在を喚起し、それを消極的に表象することを可能にしている。そのかぎりで、この崇高なものの表出の論理にとって「無形式=不定形なもの」は一つの根本的な契機をなしているのである。

かくして「無形式=不定形なもの」は、カント美学の表象体系の内部で説明されることになる。美の形式が、当の形式が解きほぐれてゆくような形式解除の、不定形な形式というアポリアにおいてしか見出され得ないとしても、つまり美が、ひとつの積極的な有形性としては表象されえないのだとしても、崇高の弁証法的な表出論理は、この美の形式の不定形性を媒介することによって、理念的なものや無限という超越的なものへの存在へと美を関係づけ、その不定形性に対してひとつの否定的な形式を媒介することによって、理念的なものや無限という超越的なものの存在へと美を関係づけ、その不定形性に対してひとつの否定的な形式を、美の形式として与えることができる。このとき、崇高なるものは、まさに美の形式が解きほぐれてしまい、カオスと化す手前で、その統一性を裏側から支えていたことになるだろう。美的判断における美と崇高の差異は、形式/無形式という相互に排他的な並列関係によって理解されるのではない。美の本質においては、形式なき形式が戯れており、それを不定形な形式として見いだされるための超越論的な条件をなすのであり、美しいものの成立には、つねにその不定形な形式を縁取るように、崇高なものの論理が働いていたことになるのである。

2014年2月25日 (火)

オリンピック雑感(2)

女子モーグルフリーの上村愛子がベストの満足できる滑りをしたもののメダルを取れなかったのをテレビで見ました。彼女の後に滑った、アメリカのハナ・カーニーが何度か目立つミスを犯したにもかかわらず、見た目にはノーミスの上村を上回る点数を獲得しました。これに対しては判定への疑問が話題になりました。また、フィギアスケート女子フリーでショートプログラムで失敗した浅田真央が起死回生をかけてベストの演技をしたものの、そのフリーの演技の評価点数では3位にとどまりました。トリプルアクセルを成功させ、女子では史上初めて8個の3回転ジャンプをすべて成功させたもということにもかかわらず、です。

これらは、また聞きの話なので確固たることは言えないのですが、上村愛子の場合は、彼女の得意とするスライド・ターンという技術よりも、カーニーをはじめとする欧米の選手がよく使うカービング・ターンの方が高い点数を得られるという採点基準になっているということです。(ただし、前回バンクーバー・オリンピックの時は基準が違っていた)それで、途中で姿勢を崩すという大きなミスを犯したカーニー選手の方がターンにおいても上村選手よりも高い点数をとることができたということなのだそうです。また、技術的には上村の得意とするスライド・ターンの方が難しいとされているため、多くの選手は比較的簡単なカービング・ターンを習得しているのが一般的傾向なのだそうです。だから、上村の滑り方では当初から点数を稼げないことは分っていたことだったということなのです。そういう不利な状況で、メダルこそ取れなかったものの4位という成績を残した上村選手は凄い、ということになるのでしょうが。何か、それでは周囲のコーチやモーグルの日本の団体は何をやっていたのか、ということになりはしないか、と思うのです。というのも、メダル候補として上村に期待していたのであれば、上村にメダルを獲らせるために、つまり、勝つための戦略というのがなかったのか、ということなのです。ルールが変わったから選手に滑りをすぐに変えろというのは無理かもしれませんが、採点方法を修正させるように運動するとか、スライド・ターンが不利なことを前提とした戦略的な戦い方を考えるとか、あったはずです。それらがないのなら、最初から不利なので、上村のメダルは期待しないでほしいと、事前にマスコミなどのプレッシャーを除去してあげるなどのことはできたと思うのです。テレビ中継でも、そんな関係者なら自明のことをなぜ解説してくれなかったのか(知らなかったのか、そんなことはないでしょうに)、それも疑問です。

このようなケースを見ていると、勝つための戦略的な動きがまったくなくて、上村選手の個人的な競技に期待するというのは、技術優位を頼んで経営や戦略で劣ったためにグローバル市場で海外のライバルとの競争に敗れていった日本のメーカーの姿勢と共通するものを見てしまうのです。そして、最後に上村選手の精神論とか感動ストーリーにすり替えてしまって、勝てる可能性のあったものを、みすみす取り逃がしてしまうことになる。まるで、太平洋戦争中の特攻隊のようではありませんか。

また、フィギア・スケートの浅田真央のフリーの演技にしても、トリプル・アクセルはじめとした8個の3回転ジャンプを女子ではじめて成功させたにもかかわらずジャンプの技術点では、ロシアのソトニコワの点数に届かなかったといいます。地元有利ということを差し引いても、普通に考えれば、それだけ困難なことをやってのけたわけだから少なくともジャンプの技術点については他の選手をダントツに突き放して当然ではないかと思ってしまうのです。ソトニコワはジャンプでミスを指定も関わらず、です。それは、モーグルの上村と同じように、もともと点数を伸ばせるような全体の構成を作っていなかったのではないか、とまず思うのです。さらに言えば、浅田真央は採点基準の変更に悩まされ、それに対応するために数年をかけてジャンプを根本的に作り直し、そのために傍目には一時的なスランプと見える時期を経験せざるをえなかったといいます。これは、安藤美希も同じように苦しめられたといいます。その時に、日本のスケート協会は何をしていたのか、そこでルールを自国の選手、とくにエース2人にとって不利にならないように運動することができなかったのか、ということです。企業で言えば、いくら技術で頑張って高性能な製品を開発しても、グローバル・スタンダードを見たいしていないと市場の競争ステージに立たせてもらえないのと同じです。例えば、日本の新幹線の自動列車制御システムは何十年もの間無事故を続けているという輝かしい技術ですが、欧米主導でつくられたグローバル・スタンダードに則っていないため、海外への売込みでは、最初から欧州の企業と同列で競争させてもらえないことが多いそうです。いくら無事故の実績があっても、グローバル・スタンダードに乗っていないと話も聞いてもらえないこともある、といいます。もしかしたら、浅田真央のトリプル・アクセルという彼女しか飛べないジャンプも同じようなことになっていたのではないか。

逆のケースで言えば、男子フィギアでカナダのパトリック・チャンという銀メダリストは前回のバンクーバー・オリンピックでは入賞がやっとの選手だったのが4回転ジャンプを武器としていたためにルール改正でジャンプの点数が優遇されると一躍トップ選手になってしまったといいます。そして、オリンピックでは、日本の羽生が4回転サルコーに彼一人だけ挑戦するということを最大限生かして、結果的に羽生はそのジャンプに失敗しましたが、そのジャンプをプログラムに戦略的に組み入れることによって、プログラム自体の基礎点数をライバルたちより大きく伸ばしてしまったといいます。結果的には、それが金メダルの大きな要因だった。つまりは、戦う前から勝負はある程度ついていたということだったようです。

そういうことは、なぜ浅田真央の場合は出来なかったのでしょうか。

また、話は飛びますが、スピード・スケートでオランダがメダルを独占して、日本勢がメダルを獲れなかったのは、リンクの製氷をオランダの技術者が行ったということがあった。つまり、オランダ人技術者が作った氷は、どうしたってオランダ人に向いたものになってしまう。日本人選手のコメントで氷が柔らかいというのが多かったと思いますが、そういう土台のところで、一種政治的な動きをしている。そういうのは、日本人は苦手なのでしょうか。

どちらかというと、選手個人の人情話的な感動ストーリーをみんなで喜んでしまう。それでいいと言えばいいのですが。選手たちのインタビューを聞いていると、そういう話のオンパレードで、結局押し付けることができそうな個人に押し付けて踏んばらせる、日本的構造というのが、何か企業の内部を見ているようで、一抹の寂しさを感じました。

2014年2月24日 (月)

オリンピック雑感

先日、冬季オリンピックが閉会しました。日本から容易に行くことができない土地柄のゆえにテレビ観戦ということになり、さらに、時差の関係もあって深夜から未明となったテレビ中継を見るために寝不足に見舞われた人も多かったようです。私も、録画による番組がほとんどでしたが、いくつかの競技中継を見ていて、いくつか思ったことがあったので、少しここでお話ししたいと思います。もとより、私は少しひねくれたところがありますので、読んでみて違和感とか不快感を持たれる場合もあると思いますので、その時は勝手なことを言っているとご笑覧ください。

まず、ひとつはテレビ中継における競技の伝え方とか、その姿勢─最初から、かなり大上段に振りかぶった言いようですが─についてです。これは、仕事でIRなどという企業の本質を伝えることに従事していたので、そういう視点で見てしまうことがあるので、仕事をする者として中継している人たちのことを考えたということです。私は全部の中継を見たわけではないので、一部を見て言っているのですべてにあてはまるわけではないでしょうが、テレビ中継放送は実況アナウンサーが画面に映っていることを説明し、もうひとり競技団体の偉い人が解説者として競技の解説をしている、というものです。いくつかの競技の中継を見ていると、解説者の人が日本選手の姿が映し出されると解説そっちのけで応援にまわってしまう事態をよく見かけました。とくに、コーチや役員が解説者となっている場合、選手の姿に「よし!」という声を発したりしていた。このときの解説者というのは、誰に対して何をしているのか、どう考えているのか、すごく曖昧に見えました。もっと端的にいうと、この人達は解説者という仕事をしているのか、ということを感じました。

まず、選手の姿に「よし!」と言うことは、選手に対して言っていることで、それはテレビで言うことではありません。それをいうならば、練習の場、あるいは競技会場で実際にプレイしている選手に声をかけるべきことです。つまり、テレビ中継で視聴者に向けて話をしているということが、まったく考えられていない。まあ、庶民がテレビ中継の映像を見て「いいぞ」とか「いけいけ」とか声を出すことがあります。百歩譲ってそんな感覚であるとも考えられます。だとしたら、そんなものは解説ではないわけで、とくに解説者としてその人がいなくても別にかまわないわけです。スポーツ中継とIRは別物なので、同じもののように話すのはどうか、と言われるかもしれませんが、IRの場で企業のことを企業の外部の投資家の人たちに分ってもらう、あるいは投資してもらうために企業の説明(解説)をしようとするときに、企業の従業員に向けて話すことをそのまま話したとしたら、そのIR担当者は資質を疑われるでしょう。また、企業の説明をするという立場を忘れて話をしはじめたら投資家は呆れてしまうでしょう。

また、とくにフィギアスケートの中継で解説の人が技の名前を逐一追いかけて言うだけということも多くあります。実際の中継を見ていると、私にはそれは単に邪魔でしかなく、競技を理解したり面白く見る参考とは到底なっていないのです。ここで、そもそも論を独断で話しますが、解説者というのは何のためにあるのか、ということを考えてみたいです。オリンピックの競技というのは、多くの場合一般的になじみが薄く普通の大多数のテレビ視聴者は競技のことを良く知らない、ということが前提になっていると思います。そこで、その競技とはどのようなものか。そして、競技を興味深くみてもらうための助けとなるようなことをコメントしていく、というものではないかと思います。しかし、フィギアスケートの解説を聞いていると、この競技の魅力とは何か、ということを視聴者に分ってもらおうという視点で話をしていたのか。私にはそうは思えませんでした。例えば、技の名前をひとつひとつ言われても、それがどのような技なのかも分らないし、同じ技をやっていても競技者によって点数が違ってくるのか分らない。これが分からないと競技の趨勢も見えてこないで、単に各競技者の演技を漠然と見ているだけで終わってしまう。これでは、表面上を上滑りしてしまうようなもので、フィギアスケートという競技そのものの面白みがわかって、その競技のファンとなることもないだろうと思います。現時点ではオリンピックでメダルを獲得できそうな有望選手がいるというだけで、そのメダルを獲得するところを見ればいい、そうすると翌日職場や学校で世間話の話題に事欠かない、と言う程度で終わってしまう。多分、解説者というのは競技団体の偉い人がやっているので、その競技を広く人々に理解してもらうには絶好の機会であるはずなのに、そこでそんな考慮が全く見られないことをやっている。これには異論はあると思います。もし違うということがあれば、それに見合った解説というのが実際に為されているのか、ということです。例えば、女子フィギアで浅田真央がショートプログラムでメインの大技を失敗し、翌日のフリーで奮起したことが感動のストーリーとして作られましたが、本気で勝負に勝とうとしているなら、メインの大技の成功率が高くないということはある程度分っているのだから、リスク管理として失敗した時の戦略は当然たてられていたはずで、そのときに何をするかは想定されていたはずです。競技者本人の浅田が失敗のショックで真っ白というのは仕方がないにしても、周囲のコーチやスタッフはその戦略があったはずで、解説者にしても解説をするくらいの人ですから、その程度のことは分っていたはずです。そういう説明は全くなく、選手にはベストを尽くしてもらう程度のことしか語れない、となると見ている人の競技に対する競技は冷え込んでしまうのではないか、と私は思ってしまう。だから、テレビ局としては浅田真央の立ち直って本人の言う“悔いのない演技”というナニワ節的な感動ストーリーを仕立てるしかなかった(それが人びとにウケたのは事実ですが)。でも、これでフィギアスケートというスポーツそのものの理解とか支持が進んだのか、どちらかというと浅田真央というキャラクターへの支持が高まっただけだったのではないか、と私には思えます。正直なところ、浅田真央のフリーの演技は、私のようなフィギアスケートに詳しくないものの目から見れば、たしかにジャンプを大きく失敗することはありませんでしたが、グランプリシリーズなど他の時の演技との違いを見分けることができず、演技そのものは同じようなものにしか見えませんでした。たとえば、放送画面を操作して、NHK杯の演技映像を取り換えて挿入しても、そうとは気が付かない。オリンピックの演技のどこが違うのかは全く解説されませんでした。ただ大きく違っていたのは、演技終了後に浅田真央が感極まって涙を流していたことくらいです。会場にいれば、その雰囲気で感激するということがあるのでしょうけれど、距離が離れ、空気が違うテレビ画面で冷静に見ていれば、その光景はシラケるだけで、演技の中身でも分らないと、シラケはますます進んでしまうものです。

この辺りは、企業IRの現場では、企業の事業や戦略を理解してもらおうと、ストーリーを考えて業績や資産状況の背景や由来を説得的に説明する試行錯誤をくりかえしていたとは正反対に思えました。べつに自分ことを称揚するつもりはないです。ただ、分ってもらうということにたいして真剣だったかどうか、ということです。IRの場合は分かってもらえないと投資してもらえない。いわば企業の生死を賭けてやっているので、真剣にならざるを得ないのです。多分、スポーツ中継には、そういうものが直接やっている人には見えてこないのでしょう。

これは、解説者という人々に特に目立ったのですが、誰に向けて、何を伝えるのか、という本質的なことが全く不明瞭で、現場は一生懸命やっているのでしょうけれど、姿勢が見えないものだった、というのを感じました。

2014年2月23日 (日)

宮崎裕助「判断と崇高」(13)

以下では、バタイユ=クリステヴァの系譜で生じた問題系から離れ、「形」ないし「不定形」への問いから「吐き気」の形象が反復されてきた歴史-理論的文脈をカント美学の問題系のうちに見定める。

カントの『判断力批判』では、「形」ないし「不定形」の問題は、主観の美的判断として表出される二つの基本様態、美と崇高の差異に直接関わっている。すなわち「自然の美しいものは対象の形式に関わり、この形式は限定を旨とするが、これに反して崇高なものは、無形式な対象においても、見いだすことができる」。一方で、美は感性的対象の形式的限定によって、他方で崇高は、感性的対象の無形式(不定形)たいし無限定性によって見出されということが定義されているように見える。しかし、そもそもカントにとって、ある対象を美とみなす美的判断が基づいている「形式」とは、「対象の形式」といっても、この対象の認識に結びついた客観的な目的や概念の形式ではなく、「表象の主観的合目的性のたんなる形式」と呼ばれるもので、決して美的対象の<かたち>として通常理解されるものを意味していない。

このことを「自由な美」と「付随的な美」という有名な区別から見てみよう。「前者の美はあれこれの事物の(それだけで存立する)美と呼ばれ、他方の美は、ある概念に付随するものとして、ある特殊な目的の概念のもとにある諸客体に付与される」。そこで、自由な美の具体例としては、自然美として見いだされる野生の花や鳥、芸術美(芸術作品ではなく)としてギリシャ風の線描などの極めて素朴な例である。その例が素朴なのは「それだけでは何も意味せず」、所与の概念に規定されることなく、その表象が端的に主観に与えられるからにほかならない。他方、「付随的な美」としては、人間の美や建物の美といったものがあげられ、そうした美が付随的であるのは、まさにその美が従属している人間や建物の形、それらの概念形式に依存することで成立している美だからである。だが、この具体例には拘泥しないほうがいい。なぜなら、「自由な美」と「付随的な美」の区別は曖昧だからだ。「自由な美」である花や鳥は、まさにそのような花や鳥という概念を前提とすることでその美的対象は見出されているのであり、その限りで付随的な美である。逆に付随的な美であっても、規則性の束縛から解放されて「表象諸力の自由な戯れだけが楽しませるような場合」ならば、「自由な美」に数え入れることができる。したがって、カントにおいて、美についての判断が基づく対象の形式とは、その対象の輪郭を縁取る形、より一般的に、その対象を規定している意味形式や概念形式なのではない。

カントが美的判断の形式として強調する要点は、判断の対象から、所与の概念形式や認識の枠組みをすべて取り払い、いかなる予断や関心も前提とせずにそれを受け止めるという主観の側の態度変更に存している。この態度変更を通じて下される美的判断の「形式」は、対象の客観的な目的概念としての<何であるべく定められているか>をアプリオリに規定した概念規定の形式ではなく、徹頭徹尾そうした概念形式を欠いた形式性、客観的な目的概念を欠いた端的に主観的な形式性であり、カントによれば「純粋に主観的な合目的性」としての「たんなる形式」と言うべきものである。

美的判断がみずからの根拠としているこのような「形式なき形式性」はそれでもやはりなんらかの「形式」性、否定的な形式であるかぎりでの「形式」をもつ。この否定的な形式は、そのものとして積極的に定義づけられることをあらかじめ拒否するのだが、にもかかわらず、そこに「形式」が語られようとしている以上、言うなれば、形式がそれとして見いだされたとたんに、そのせいでみずからを消去してしまうような自己退隠的な形式なのだと考えることができる。つまり、美の形式とはまさに当の形式が解除され引き退きゆく運動そのものとして理解されるのである。美は、たんなる形式の不在ではなく、それでもなお形式の不在の「形式」として指し示されるからには、まったく予期されていないというわけではない。だがその「形式」は、概念や目的の規定的な形式をもつものではない。それは、出現するやいなやもはやそれ自体としては見いだすことができないという不可能な「形式」なのだが、にもかかわらず、そのような形式が出現してくる可能性だけはつねに予期することができるという、いわば「約束」としての形式、約束である限りでの美なのである。

2014年2月22日 (土)

宮崎裕助「判断と崇高」(12)

4 吐き気

「吐き気」は、人間の感性的経験の中で、強い拒否反応を示す感覚である。すなわち、文字通りには胃の内容物を吐き出したくなる気持ち(嘔吐感、嘔気)を指し、一般に激しい嫌悪感、不快感、むかつきを意味する。吐き気とは、感性が、一方で<健全に咀嚼しうるもの、体内化可能なもの>と、他方で<受け付けないもの、唾棄すべきもの>とを峻別するという限界の経験である。つまり、生命を脅かす危険を感性的な拒絶において払い除けようとする、危機の経験なのである。この感性的な拒絶においては理知的な推論も概念的な分析も必要とされず、一瞬にして事は決する。吐き気は、なにか異質な他者に直面したときに瞬間的に下される受容/排斥の決定、尖鋭な避妊の行為に直接関わっている。

「吐き気」が感性的な否認であるということ、これはしかし、摂食行動において人間の知覚システムや感覚器官の本能的反応として問われるような、たんなる生物学・動物生理学的な問題なのではない。「吐き気」は、人間の自然本能の衝動として生ずるだけでなく、「精神の摂取=享受」における働きとして、種々の象徴的な意味を帯びた文化現象の次元において生じてくる。カントがここで用いる「享受」という語は、『判断力批判』なおいては、主観の関心に結びついた快適さや満足の感情を示す述語であるが、それがここでは「精神の享受」として語られることで、この意味での「吐き気」が、まさに「精神」にとっての趣味判断の問いに通じていることを示唆してもいる。この感性的な否認は、趣味の問題、すぐれて審美的な経験にかかわる問題なのである。

 

「不定形」という語について、バタイユは、「不定形」の定義を示そうとする手前で、そもそも辞典とは「語の意味」ではなく「語の職能=仕事」を与えるものだという点に時点の本質を見て、「不定形」という語の定義を拒否している。バタイユは、この語を「不定形な」という意味を持つ形容詞としてではなく、「価値下落」を惹き起こす働きとして捉えることで、それが実際に使用される職能を示しているのである。そのような解釈においては、「ある物が不定形である」という判断は、たんに何か輪郭を欠いた。もやもやしたものを描写的に記述する命題なのではない。この判断は、まさにそう発話されることによって、当の物を形を備えたものに値しない、貶下すべきものとして価値づけ(価値下落させ)、既存の秩序には適合しない分類不可能なもの(分類秩序を混乱させるもの)として放逐せんとする、そのような発話の効果によって理解されるところの判断なのである。いわゆる現代アートの「不定形」な作品は、たんに形が曖昧模糊とした外見をもつということではないし、そのことを主題としているわけでもない。厳密に言って、端的に形を欠いたもの、無形のものは、作品として同定されることすらないだろう。逆に言えば、「不定形」な作品はなんらかの形を備えていなければならない。モダニズムの既存の解釈枠にとって侵犯的で攪乱的な形式をみつということ、すなわち、みずからの「内容と型式の対立そのものを攻撃することによって、その虚無と空虚を明言し、モダニズムから袂を分かつこと」、こうした性格が「不定形」な作品の最小限の形式をなしているのである。このような意味で「不定形」という語は、作品の記述的な形容ではなく、作品の価値づけ(ないしは価値下落)そのものに介入する「操作的」な概念となる。

バタイユは、さらに続ける。形を持つことが正装して身なりを整えることと見なされているのに対して、不定形なものは「蜘蛛や痰のようなもの」として描き出される。このような描写が与えられる背景には、バタイユにとって、不定形なものが、所与の価値観にとっておぞましい物、唾棄すべきもの、吐き気をもよおさせるものとの強い結びつきにおいて理解されているという事情がある。バタイユは、「不定形なもの」をすぐれて特徴づける、おぞましいもの、吐き気をもよおすもの、醜悪さに満ち、汚辱に塗られた唾棄すべきもの。その還元し得ない異質性において「不定形」の侵犯的で破壊的な力を見いだし、その力を最大限に解放しようとする。

ジュリア・クリステヴァは、このようなものを「アブジェクション」として、対象=客体の形式を欠いたもの、そのようなものとして切り離され投げ捨てられたもの、排斥し唾棄すべきものの働きとして集約した。しかし、「不定形」がバタイユにおいて語の意味ではなく、語の機能として提示されたものであり、「語のあらゆる意味で脱クラス化する価値下落作用」にこそ、この概念の破壊的な本質があるのだとすれば、クリステヴァのように「不定形」の作用をアブジェクションの主題系へと整理・要約してしまうことは、アブジェクションというカテゴリーを強化しこそすれ、このカテゴリーすらも逸脱し破壊する「不定形」の概念の真価を見定めることにはならないという批判が起こる。そこで、「吐き気をもよおすもの」から切り離してアブジェクションを思考するという主張が出てくる。このプロセスには固定的な述語を当てはめることなく、たんに力の場の中でのエネルギーとして語る、ということだ。しかし、実際のところ、アブジェクションを吐き気のような激しい感覚的な意味や実質にまったく依拠することなしに、それ自体として理解することができるのだろうか。たしかに、このような主張はバタイユの「語の職能」を呈示するという主張の実践を、単に擁護したり繰り返すことにとどまらず、現代芸術のコンテクストに即してみようとした試みであることは分かる。ただ、ここで明確にしておきたいのは、「不定形」という「語の職能」を強調し、その意味論的ないし主題論的な実質─アブジェクションや吐き気の対象─を払拭しようとするだけでは、「不定形」が行使すべき、侵犯的で攪乱的な「変質=他化」の効果は決して実現されないという点である。問題とすべきは、「不定形」の概念をひとつの超越論的なシニフィアンとして理念化することでも、それをたんに批判することでもない。そうではなく、そのような超越論化を施したとたん、ただちに「横滑り作用」によって回帰してくる意味論的なり主題論的なりの諸要素を、そのものとして受諾し、どのように働かせるがままにすることができるか、ということなのである。

2014年2月21日 (金)

宮崎裕助「判断と崇高」(11)

「数学的崇高」の章では、構想力が感性に及ぼす影響について説明されている。事物の大きさの美的評価に当たって。構想力の二つの働きを区別している。一方は、対象を部分表象においてそのつど直観に受け入れる働きであり、これは「把捉」と呼ばれる。この働きはひとつの前進の過程として、空間的大きさを時間継起において少しずつ捉える働きだと言える。他方は、把捉された対象の諸部分を全体表象において一挙に直観に受け入れる働きであり、これは総括と呼ばれる。把捉は無限に進行するが、総括には限界があり、そのとき構想力がそれ以上に進むことのできないある最大の大きさに突き当たる。カントはピラミッドの例を挙げている。ピラミッドの雄大さに感動するにはある程度近づかなければならないにもかかわらず、近づき過ぎた場合には美的=直観的に最大の基本尺度内に収まらなくなってしまう。

把捉と総括のこうした区別は、実のところ、そう簡単なものではない。まず両者は別々になされるわけではなく、構想力の美的呈示にとって複合的な操作である。把捉はそれだけでは対象の部分を直観的に受容する働きでしかなく、当の対象の大きさの評価に結び付くことがない。把捉された諸部分は、総括の働きによってひとつの全体へ集約されて統合される必要があり、時間系列に沿って把捉を前進的に続けていく場合でも、対象に対してそのつど把捉に応じた大きさが想定される限りで総括が行われるのである。そうでなければ把捉が無限に進行すると述べること自体が不可能になるだろう。

ただし、カントは「総括」を二種類を想定している。「論理的総括」は把捉に随伴しつつ時間系列に沿って無限に進行する。つまり、個々に把捉された対象の直観を、数の概念に即してひとつの時間系列へと統一するものである。他方、美的総括は、概念なしに把捉された諸部分を統一しようとする。把捉された諸部分を概念に即して時間継起へと系列化することはない。それは把捉の系列を中断し、直観の受容能力が許す限りにまで、一瞬間へと圧縮して呈示しようとするのである。この一瞬、構想力は直観の形式である時間条件から逸脱し引き退くことになるのである。構想力のこの背進は、把捉の時間継起をたんに逆行することではなく、この時間継起を時間の内部から断ち切って把捉の系列を一瞬へと還元しようする。それは、美的退隠とでもいうべき準-超越論的な瞬間を指し示す。

構想力が時間継起から一瞬引き退くこのような美的背進は、感性のアプリオリな形式として時間流れを中断するように働くがゆえに「構想力は暴力をふるう」と言われている。だが、総括すべき対象の大きさが「美的=直観的に最大の尺度」の範囲内であれば、論理的総括の場合と同様、美的総括も把捉の連続的な時間継起と両立し続けることができるのであり、当の「暴力」は潜在的なものにとどまる。この「暴力」が顕在化するのは、総括される直観の大きさが構想力の呈示能力の限界に接近してくるときである。この暴力は、構想力がひとつの直観のうちへと総括する量が大きくなればなるほど、ますます顕著になるのであり、ひとたびリミットを超えてしまえば、構想力が把捉された後続する部分を受け入れてしまう前につねに先行する部分が一部消滅してしまう。このことから帰結するのは、構想力が、把捉としては無限に前進し続けながら、総括としては美的呈示の限界で背進を引き起こすことによって、把捉と総括とのあいだで二つに引き裂かれてしまうという事態にほかならない。

この議論の要点は、美的総括としての構想力の暴力が、構想力が自らの能力のリミットにさしかかる局面において最大化しそれ自体として突出してくるということである。だがそこから強調されなければならないのは、次の点だ。すなわち、このような暴力の最大化を美的総括の顕在化として取り出しうるとしても、それは、構想力が自ら総括し得る直観の最大量にまで酷使されることで、自身の限界を超えてしまい、その結果当の総括に失敗するかぎりにおいてであるという点、つまり構想力の総括的暴力は、そうしたリミットの侵犯と超出において構想力自身の抵抗に出会うという点である。結局のところ、構想力が呈示しようとして呈示できなかった絶対的な全体の理念であり、総括の暴力に対する反作用とみなされるべき理性の力である。このようにして構想力が感性にふるう総括的暴力は、総括のリミットにおいて構想力を自分自身のうちに逆戻りさせるような対抗暴力に出会う。それが構想力の無能を暴くと共にその能力を増幅させるような心の拡張や努力を促す。これが崇高と判断される美的感情に他ならない。

 

構想─暴力が指し示すことになるのは、次のような事態である。まず、崇高なものの呈示において、理性と感性のあいだを媒介する構想力の働きがある。構想力は、媒介者のかぎりでは感性(下級能力)と理性(上級能力)に対して自律的な地位をもたず、感性(直観の受容性)の補足的で代理的な従属物にすぎない。だが、カントの崇高論は、感性が理性に対して取り結ぶ関係を、さらには、理性理念をその呈示不可能性によって呈示するという感性の能力を、構想力の自己犠牲の過程として描き出す。これは、構想力の或る種の自発性なくしては説明されえないような、暴力の自己反照的な構造として説明できる。すなわち、構想─暴力は、構想力の呈示能力のリミットとの関係で、次の三段階に整理できる。(1)みずからのリミットを超えつつある瞬間に最大限に働く、構想力が感性的条件を廃棄するという総括の暴力。(2)構想力がみずからのリミットを超えて呈示に失敗するという構想力の自滅的な暴力。と同時に(3)その犠牲を梃子にして当のリミットそのものを高めるという構想力の自己構成的な暴力。構想─暴力は、構想力が、自己犠牲の論理を介して、理性への適合ないし理性理念の呈示に向けてスパイラル状に自らを増強していく三重の構造によって理解されるのである。このような構造のひとつの帰結は、それが『判断力批判』において「趣味の形成と開化」と呼ばれるものの一種の超越論的な原理を説明するということである。というのも、「趣味判断」には、構想力が最大の自由において自らを増強していく諸段階がすぐれて描き出されているからだ。かくして文化的経験の進行の核心には、つねに美的暴力としての構想─暴力が、構想力を破滅と再生の試練に曝す犠牲の過程があることになるだろう。

そして、最後に付け加えるべき洞察はこうだ。たしかに構想─暴力の構造は、構想力が理性への適合にむけて構想力を高めるという自己形成の論理(文化の超越論的原理)を説明している。しかしそうであるべきとするならば、これは、構想力自身がそのような原理から逸脱しこの原理をいっそう致命的に破壊しかねないような威力、構想力の根本的に統御不可能な威力をも、この構想─暴力が高めているのだというかぎりにおいてなのである。このような意味においてこそ、構想─暴力は、構想力に対して構成的であるとともにどこまでも破壊的であるような二重の自己暴力だと理解しなければならない。

2014年2月20日 (木)

宮崎裕助「判断と崇高」(10)

カントの崇高論には、理性の卓越性に由来する超感性的な作用を「暴力」という言葉を用いて記述している箇所がある。この暴力性は、理性という超感性的能力が構想力という感性的能力に緊張を強いることで、感性にとっては直接には「不快」と感じられる。しかし、崇高の感情にとって重要なのは、こうした暴力がたんなる破壊的な脅威として反発的に感ぜられるだけではなく、理性理念との関連における誘引作用、つまり「同時に魅力的でもある威嚇的なもの」を伴っており、「不快を介してのみ可能であるような快」としても感ぜられるという点である。暴力は、理性と感性の齟齬において構想力を挫くのみならず、その失敗をバネにして構想力を理性に匹敵するものとして増強し、「ひとつの深淵である無限なもの」としての理性理念の呈示へと駆り立てる。

「力学的崇高」についての章の冒頭では、暴力という語は「勢力」との対比で次のように定義されていた。「勢力とは、大きな障害を凌駕している能力である。この勢力は、それ自身勢力を有しているものの抵抗をも凌駕している場合は、暴力と呼ばれる。自然が美的判断において、われわれにいかなる暴力も行使しない勢力と見られるなら、この自然は力学的に─崇高である」自然に備わる勢力が、それに直面した我々の構想力の抵抗を凌駕し打倒してしまう時、それは暴力へと転化する。崇高なものの呈示の成立にとって、ここでは暴力は、たんに消極的な役割しか果たしていないように見える。自然の勢力から暴力的な契機が引き去られたときに、崇高が認められているからである。しかし、ひとたび心の諸能力にとって純粋に美的な観点に立つならば、崇高な感情が生じる構造にとって、このような自然の勢力は、まず「暴力的な」ものとして現象しなければならないことが分かる。カントが強調しているのは、自然の勢力の現象とは「われわれが安全な状態にありさえすれば、恐るべきものであればあるほど、かえってますます心を惹きつけるようになる」ということである。そうしたものとして「恐るべきもの」が心の平静を侵害する場合、それは「恐るべきもの」であればあるほど、その勢力の現象性において、かえって心はそれに惹き付けられ、魅力を感じるようになるのだ。「そしてわれわれはこれらの対象をすすんで崇高と呼ぶ」。こうした自然の勢力は、「恐るべきもの」として心を動揺させ、その都度われわれの心的な能力の抵抗を凌駕するという点で、暴力として機能している。ここ問題になる暴力は「恐れを抱かせる」暴力ではなく、いわば「恐るべきもの」の美的暴力だということができるだろう。つまりは、自然がたんなる物理的暴力を行使しないかぎりで、なおも美的判断にとって暴力として現象するところの自然の勢力なのである。

かくして暴力は、崇高なものの呈示によって、感性を脅かし構想力の無能さ暴くという否定的な働きであるのみならず、まさにその働きにおいてこそ牽引かつ魅了し、その能力の限界にまで拡張し高めるという積極的な働きを担う。この意味で暴力が、崇高にとって不可欠な構成的価値を持つ。構想力に対するこの二重の暴力は、我々のうちに別種の抵抗能力を発見させ、それがそうした暴力に匹敵できるような勇気を与える。この抵抗能力は(実践)理性を示している。というのも、崇高の感情は道徳感情と似た心の情調=気分に結びつくとカントが述べるように、崇高なものの暴力が、理性の法(道徳法則)としての超感性的な理念の呈示へと構想力を駆り立てるからである。この点で自然の脅威としてその勢力の現象性において見出されていた暴力とは、自然そのものの暴力ではなく、結果的には「自然の表象のうちへと崇高性を見いだす心構え」に由来するということ、つまり「理性が感性にふるう暴力」なのである。そこには、構想力の媒介をつねに必要としている。この暴力は、構想力の限界を暴くとともにそれを拡張するように働く暴力、つまりまずは構想力への暴力として作用するという意味で、理性と感性のあいだでいわば間接的に作用する暴力である。これは、道徳的な感情として理性が感性に直接及ぼす作用からは峻別されなければならない。そもそも崇高なものの判断は、定義上美的かつ反省的な判定である。すなわち、判断する対象の概念にも主観の特定の関心にも依存しない純粋に感性的な判断である。それゆえにこれは、道徳法則に即して合目的的で規定的な判断ではないということ、対象をその概念によってアプリオリに善いものと規定するような道徳判断なのではないのだということを含意している。崇高なものについての判断と善いものについての判断とのこうした根本的な相違が、崇高の感情と道徳感情とを区別するのであり、理性と感性の間の関係や理性が感性に及ぼす作用は、崇高の感情と道徳の感情とでは互いに異なったしくみを持つのである。

構想力における崇高なものの暴力を次の二つの意味で理解しなければならない。(1)構想力に対する暴力。すなわち、理性が構想力に振るう暴力、構想力をその限界で挫折させる(破壊的)と同時にその能力を増強する(構成的)ように働く二重の暴力である。(2)構想力による暴力。すなわち、前者の意味での構想力への暴力は構想力に内的緊張をもたらし、そのことと連動して構想力が「理性の道具」として感性に対してふるう暴力である。その暴力が感性にとって単なる不快ではなく、構想力を介して理性理念の呈示へと感性をつなぎ留めるかぎりで「不快の快」と感じられる。

2014年2月19日 (水)

宮崎裕助「判断と崇高」(9)

Ⅱ 崇高─構想力と美的型式の問題

3 構想─暴力

カントは『純粋理性批判』において、構想力を「心のもつ、盲目だが不可欠な機能」として導入した後、「直観のうちに対象が現前しなくても、対象を表象することのできる能力」と定義している。これは、より一般的な想像力とは区別されるべきもので、想像力は、眼の前には存在しないものを心の中に像として想い描くことと理解され、イメージを形成する能力、いわば形象力のことを指す。

カントの構想力が広義の想像力と区別されなければならないとするならば、それは、カントがそうした想像力に権利上先行するものとして、人間の認識一般の成立にとって不可欠な超越論的機能を、想像力のうちに認めたからである。すなわち、感性的直観にもたらされた多様を認識の諸要素としてとり集め一定の内容へとまとめ上げるという綜合の機能を、構想力は担うのである。このことの要点とは、構想力が、あらゆる経験に先立って、経験そのものを可能にする超越論的綜合だということである。この綜合は、はじめて感性と悟性を媒介するもので、この媒介がなければ経験の統一は解体してしまうだろう。感性を悟性に向けて規定するこの超越論的な綜合には、たんに不在な対象の像を形成するという以上の構想力の自発的な働きがある。

他方、以上のような(生産的)綜合の自発性にもかかわらず、構想力は直観の能力としてはあくまでも感性の側に属しており、受容的な性格を持ち続けるということに留意しておく必要がある。構想力が受容的であるという場合、(1)構想力による感覚表象の形成作用が、直接感官には与えられていない不在の対象を直観し得る(受容する)ということ、(2)この作用がひとつの綜合としてどれほど創造的で根源的にみえようと、つねに過去に感官が受け取った素材(直観の多様)に依存しなければならないということ、この二点の含意がある。後者についてはカントは「七色のうちで赤色をかつて一度も見たことのない人に、この赤色の感覚を理解させることは決してできないし、生まれつきの盲人にはいかなる色の感覚も全く理解させることはできない」という例を挙げている。「自身の像形成のための素材を感官からとってこなければならない」という点で、構想力はどこまでも感性に依存しているのである。

構想力は、一方では直観の能力として感性のように作用し(受容的)、他方では綜合の機能として悟性のように作用する(自発的)。構想力の性格をすぐれて特徴づけているこの二重性は、構想力が結局のところ感性と悟性を媒介するという働きにその本質があるのだとするならば、むしろ当然だと言えるだろう。感性と悟性という「心の二つの源泉」を人間の認識の根幹とした『純粋理性批判』の基本的枠組みの中では、構想力の中間的な身分は両者の間で動揺し、十分に明確な規定を与えられることはなく、その由来は結局のところ明らかではないのである。

本章は、構想力が中間能力として置かれた以上のような背景を踏まえた上で、カントにおいて構想力がそれ自体としてひとつの独立した能力ではないのだと認めることから出発しよう。構想力は直観の能力として感性を起点としながら、結局は『純粋理性批判』では悟性に仕えることでしか認識一般を可能にすることがない。構想力の根本的に従属的で媒介的な機能は、実のところ『判断力批判』において理性との関係に置かれる時、極限にまで酷使されることでその本性─「構想─暴力」─を露わにするだろう。構想力はおそらくそれ自身としては何ものでもないが、まさにその代補的な本質によってこそ、みずからの「不安にさせる不可知なもの」の威力を最大限に発揮するのではないだろうか。

 

『判断力批判』における構想力の基本的な役割を素描してみよう。『判断力批判』の課題はまずもって「美的反省的判断の解明」であり、その局面はとくに「自然や芸術における美と崇高についての判定」として見いだせる。美と崇高という二つの判断を分かつ主要な区別とは、カントによれば、判断対象のもつ形式の有無であり、したがってこの形式性を呈示しうる構想力の働きの違いである。一方で、美は悟性と構想力との関係のもとで説明されており、このとき構想力は、判断対象の形式に即してある悟性対象を呈示する(この呈示によって主観に生じる快が美しいと感じられる)のだが、当の悟性概念が無規定である限りで、構想力はみずからの「自由な戯れの状態」を保ったまま悟性と調和する関係に入る。他方、崇高は理性と構想力との関係のもとで規定されており、理性概念は構想力にとって直接には呈示不可能な「無限定性」として間接的にしか呈示されえない以上構想力は理性によって繰り返し突き放されるなかで理性と抗争関係に入る。美が心の平静な観照の状態に結びつく一方で、崇高が反発と牽引の急速な交替に置かれた心の激しい動きに結び付けられるのは、こうした諸能力間の対照的な関係に由来している。

美においては、構想力の「自由な戯れ」は悟性との調和や均衡関係においてしか想定されておらず、構想力の働きが美的対象の形式によって限定を被るという意味では、いわば制限された自由にとどまる。他方、崇高なものの呈示にあって構想力は、理性と抗争状態のもとに置かれ、理性によって束縛を強いられるように思われる。崇高なものは形式を欠いた対象においても構想力によって呈示されると言われているように、崇高として提示されるものは、有形の美的対象ではない。当の対象が「その混沌において、もしくはそのきわめて野生的でまったく無規則な無秩序と荒廃において」現われる場合に、この対象に構想力が決して到達できないという呈示不可能性が、崇高として呈示されるのである。構想力をしてこうした不可能性(無限定性)に直面させる当のものは、自然対象の表象それ自体ではなく、カントによれば「自然の表象のうちへと崇高性を持ち込む心構え」、つまり、我々のこころのうちに見出されるべき「超感性的なものとしての理性の理念」のうちに求められなければならない。理性はこうした意味で、呈示不可能性を通じて構想力に緊張を強いるのであり、その結果、両者は抗争状態に置かれることになる。構想力は「自由な戯れ」を享受するどころか、まさしく理性によってみずからの能力を厳しく否定されるためにのみ召喚されているにすぎないかのようだ。

構想力と理性のあいだの抗争関係は、理性によって構想力の自由に対して加えられた単純な否定や阻害として理解されるだけでは十分ではない。崇高なものの呈示が可能になるのは、まさに当の否定性を表出できるという構想力の自発性が維持されている限りにおいてである。美においては、この自発性は、構想力が呈示しようとする悟性概念の無規定性において「自由な戯れ」として確保されていた。崇高においては、構想力は美的対象の形式そのものによっては制限を受けないが、まさにそのことが、理性による否定として構想力の自由を奪うという帰結をもたらすだけなのだとすれば、崇高なものの呈示は、実現する以前に破壊されることになってしまうだろう。そこで、構想力は、その能力を理性によって否定されるにもかかわらず、それでもなお当の否定性を表出すべく呈示能力の自発性を確保しなければならない。

2014年2月18日 (火)

宮崎裕助「判断と崇高」(8)

『純粋理性批判』の「超越論的感性論」の冒頭の註記において、一つの趣味の批判として「美に対する批判的評価を理性原理の下にもたらし、その評価の規則を学に高めようとする」試みが「その源泉から見てたんに経験的たるに過ぎず」、「この努力は無益である」と厳しく斥けていた。しかし、だからといって『判断力批判』における「カント美学」の成立を直ちに否定することはできない。なぜなら、『判断力批判』において美的判断力が「美的」であるのは、それが「快不快の感情」に直接関わるからにほかならず、第一批判における「超越的感性論」の「感性的な」意味合いにおいて「諸物の認識に寄与するわけではまったくない」からである。『純粋理性批判』と『判断力批判』とでは「美的」の意味が異なるのである。

こうした事情を考慮すれば『判断力批判』の翻訳のさいに、その語に「感性的」でも「美学的」でもなく、「美感的」という語が充てられた理由が分かる。この「美感的」という訳語は、『判断力批判』において、一方では快という主観の感情への関連(感性的)を、他方では同時代の美学的問題系への関連(美学的)を、双方同時に示唆しつつ、それ自体が「美学」へ転化しないようにその名を忌避しようとした『判断力批判』の企図を反映するものである。このような美学の忌避は、判断力がつねに反省的契機を含まざるを得ないという困難、すなわち、美的判断の成立が主観/客観に分裂した「快」の本質的な不安定な身分を通して見いだされざるをえないという内的な困難に由来している。『判断力批判』が「快の感情」を美的なものの固有の審級として定義していたかぎりで、カント美学はたしかに成立する余地がある。しかし他方、まさにこの「快」の身分の不安定性ゆえに、『判断力批判』は同時に、美学の可能性そのもののなかで、美学に対する危機=批判的な契機を導入せざるを得ないのだ。それをカントは「崇高」の名のもとに実行しようとする。

 

「美的判断力」中の「美的判断力の分析論」は「美の分析論」と「崇高の分析論」から成っている。しかしながら、ここで美と崇高は、同等の扱いを受けていないように見える。それ自体が趣味判断の理論として提示されている「美の分析論」とは異なり、「崇高の分析論」は、カントによって、美的判断力の分析論にささか唐突に付け足された単なる付録の身分しか与えられていないのである。たしかに崇高の感情としてあげられているのは、尊敬、讃嘆、畏怖の念といったものであり、カントが「自由な愛顧」とよぶ美の純粋な快からすれば、こうした崇高の感情は、結局は道徳的なものであるような非-美的な関心と混じり合っているように見える。そもそも崇高が重視されないことには哲学史上の理由がある。プラトン以来の西洋哲学の伝統が教えるのは、崇高が美との関係において否定的に見出される限り、崇高とは単に美の反対概念に過ぎないということ、美の観念が(精神的な)内容と(感性的な)形式との形象的な合致─これこそ芸術の<理想>である─によって定義されるやいなや、崇高すなわち精神的内容への形式の不適合は、当然のことながら、固有の意味での美や芸術の契機より以前にある契機として思考されざるを得ないということである。このような形相的呈示に枠内にカント美学をとどめておくことが妥当なのかというのが本書の問いかけである。

 

そもそも『判断力批判』の課題は、判断力を、悟性からも理性からも独立した一つの能力として認めたうえで、そうした能力間における移行のアプリオリな原理として打ち立てることであった。美的判断力が直接関わる「快不快の感情」は、その純粋性において判断力の原理を立証するものとして期待されている。このことはまず、美を判定する趣味判断において考察される。「これは美しい」という判断は、「これは好ましい」といった私的な快適さや個々人の感覚感官の傾向性を満たす言明を意味しているのではない。「美しい」という判断を下すには裁判官を演じるように振る舞わねばならず、事象そのものの存在にはいかなる関心も引かれてはならない。そうすることでこの判断は、万人に妥当する普遍性を要求するのである。にもかかわらず、この普遍性はあくまで主観的である。というのも、判断が関わる対象はとこまでも個別的で特異なこのもの、一回的な事例にすぎず、この判断は客観的基準として役立つような、いかなる概念にも依拠しないからである。美的判断は「任意期にはまったく寄与しない」。こうした条件においてのみ「関心を欠いた純粋な快」は生じるとされる。

「主観的な普遍性への要求」という分裂した表現に、主観性と普遍性の分裂が表われ、この合一点を追及するのがカントの特徴であるが、その解決は美学の主観主義化をとなってしまうと批判され、そうした主観主義が『判断力批判』の企図をあらかじめ限界づけていると見なされた。

しかし、形相的呈示という美学的枠組みの外で美的判断力の可能性を探るのだとすれば、主観/客観の分裂として見いだされた判断力の可能性を探ることによって、カントの美的判断力の解釈には、もう一つのルートを用意できる。例えば、ハイデガーはカントのいう快の没関心性について存在論的な解釈をめぐらして、快の関心なきが、存在者を形相的に呈示し現前させようとするものであるどころか、そうした現前の中断の操作だということ、このような還元の後になおも残る「輝き出ること」そのものが、美と呼ばれているということである。イデア不羈な光の彼方で、いわば存在の煌めきとなるような美をハイデガーは読み取っている。

デリダはこれをさらに徹底して、「関心なき快」とは、それ自体としてはもはや「ほとんど何も残っていない」ものであり、「物も、物の現存も、私の現存も、純粋な客観も純粋な主観も、<存在するもの>への<存在するもの>のいかなる関心も残っていない」もの、実のところ「経験が不可能である」という快にすぎない。この不可能性は、カントが美の条件として特徴づけた契機のひとつ、「目的なき合目的性」という定式のうちに見て取ることができる。この合目的性は、語の定義が客観的な妥当性を要求しているにもかかわらず、美的判断の条件である限りで、あくまで主観における快の感情にしか関わるものではない。つまり、客観的な目的がない。その結果、パラドクスに見舞われる。合目的性、つまり方向づけられた動きがなければ美は存在しない。しかし、方向づけるものは欠如しているのでなければならない。合目的性なしに美は存在しない。だが、もし何らかの目的がその美を規定すべきであるとするならば、やはり美は存在しないだろう。そこでデリダは、美は客観にも主観にも、目的にも合目的性にも、そういった両極それ自体には本質的な関わりがないという。デリダが美として見いだすのは、合目的性を目的から切断する「なし」という欠如化作用そのものである。

美的判断力の契機がこうした「なしに」の否定の積み重ねのなかで、対象の形相=形式(としての目的)からの「純粋な切断」のなかで否定的に見出される限り、美はそれ自体としては際限なく後退していく。というのも、美の条件はいまや、当の対象から美を可能にするものが引き退いてゆくという作用そのものとして理解されるからである。ここに示唆されているのは、美というカテゴリーの根本的な不安定さ、壊れやすさ、脆弱さ、移ろいやすさといった性格である。この点でカントの「美的判断力の批判」は、美的対象の喪失の経験として、あたかも美に対する絶え間ない喪の作業として読まれることになるだろう。ならば、美的判断は、判断である限り、「それは美しい」といった命題を通じて、対象の述定、対象への性質の帰属を行わなければならない。他方、この判断が美的であるかぎりで、「それは美しい」と述定するやいなや、当の対象から美は退いてしまっているのであり、そこに美を帰属させることができないのである。

 

美が「純粋な切断」として認識対象から絶対的に後退することが意味しているのは、諸能力の移行の原理となるべき趣味判断の理論の真っ只中に再び大きな深淵が開いてしまうということである。実際、カントはその深淵を埋め合わせるための様々な手続きを提案している。例えば、「美しいものは道徳的に-善いものの象徴である」とされる。このような美から善への移行は人間の美的教育という議論へ通じている。美を良く感じ取ることのできる感受性を育てれば、善く行うことのできる道徳の教化に役立つのであり、美的な共通感覚と文化=教養=陶冶主義の連携が、ありうべき共同体のエートスを形成するというわけだ。しかし、カントは『判断力批判』において「美的判断力としての趣味能力の探求は、趣味の形成や開化のためになされるのではなく、たんに超越論的な意図においてなされる」と述べられていた。この「超越論的意図」は、特定の文化の善に応えるような特定の趣味の形成を目指すものではないし、両者が両立するとも限らないのである。こうした超越論的な次元で両者が問われている限り、美から善への類比は、美から善を推論することとは同じではない。この点で類比は「Aであればあるほど非Aである」というミメーシスの逆説的な構造を呼び起こす。それが示しているのは、美が善の象徴であればあるほど、善は美にとってますます決定的に到達不可能になる、ということなのである。「美しいと同様に善いものである」と唱えることは出来ても、「美しいならば、それは善い」と唱えることはできない。

崇高もまた、超感性的なものとしての理念の表出=呈示に関わっている。しかし象徴の間接的だが積極的な表出とは対照的に、崇高の表出様式は直接的だが消極=否定的な表出にとどまる。崇高の表出とは、感性的には呈示不可能という、理念への及び難さ=到達不可能性こそが、むしろそのようなものとして理念を消極的に呈示するよう促す、そうした否定の論理に基づいた表出なのである。崇高の表出は呈示不可能なものの呈示と要約されることになる。であるならば、あくまで象徴として善を間接的にしか呈示できなかった美とは異なり、むしろ善から美への移行を可能にする美的判断として、崇高は、否定的表出の論理を通して、超感性的なものの表出となるのだろうか。

判断のアポリアについての問いは、反省的判断の偏在性を経由して、美的判断の問題系へと通じている。そこで我々が見出したのは、美についての判断を可能にするものは、それ自体として美的形式をもつ対象であるよりも、むしろ崇高と呼ばれる何ものかだということである。およそ判断とは、いくばくかの美的-反省的な契機を構造的に含んでいるならば、いかなる判断も何かしら崇高でありうるのである。このことが意味しているのは、判断の崇高が、それ自体として崇高な稀有のものであるどころか、むしろきわめてありふれた事態であるということだ。判断は日々下されている。判断の崇高が、崇高についての判断の考察を通じて明らかになるのだとすれば、その帰結は次のようなものだろう。すなわち、美的かつ反省的な判断のあらゆる困難にもかかわらず、あらゆるアポリアのただ中で、しかしそれゆえにこそ、判断は日々下される。そしてそこに、崇高と呼ばれる何かがある。ここで理解せねばならないのは、この崇高が、判断の根本的な批判的精神を指示していと言うことだ。崇高の思考がそう呼ばれるに値するとすれば、まさにこの契機に照準を合わせる限りにおいてである。それは、美的であるが反-美学的である。

2014年2月17日 (月)

宮崎裕助「判断と崇高」(7)

2 判断の崇高

この課題から人はカントの『判断力批判』の主要な問題群に踏み込むことになる。カントがこの企てを実際に軌道に乗せることができたのは「美的判断」をめぐる探求の意義を見いだしたことによってであり、「美的判断」こそ、反省的判断力が特権的な仕方で試される場面なのである。

 

あらためて反省的判断力から始めよう。『判断力批判』において、判断のアポリアはまず、反省的判断力の困難として見いだすことができる。そこで判断力一般は、「特殊なものを普遍的なもののうちに含まれているものとして思考する能力」であり、これは、すでに述べたように、規定的判断力と反省的判断力とに区分される。すなわち、一方で「普遍的なもの(規則や原理や法則)が与えられていて、特殊なものをその下に包摂する判断」が「規定的」、他方で「ただ特殊なもののみが与えられていて、判断力がこのもののために普遍的なものを見いださなければならない」判断が「反省的」と定義される。『判断力批判』が扱うのは後者である。反省的な判断にとっては各々に個別的なケースしか存在せず、それを包括し規定すべき一般的な法則がない。つまりそこではいわば「事例が先行している」。反省的判断力は、事例の特殊性にのみ基づき、不在の法を普遍として見いだすという発見の原理を担わなければならない。反省的判断力の困難は、たんに不在の法を発見せねばならぬことにあるのではない。真の困難は、そうした発見の要請が規定的判断力にも及ぶということ、それが一般に判断力固有の性格を表わしているということである。すなわち、反省的判断力は、規定的判断力と並んで同じ種に属する対の一方を成しているのではない。規定的判断力は、反省的でもなければならない。規定的判断に反省的な契機が必要とされるのである。これが判断のアポリアに属することである。

判断に関わる事例は、決して単なる普遍的な法則や観念の特赦化に尽きるわけではない。事例は、それぞれに個別的で具体的な状況のもとで、その特殊性に還元できない単独性、特異性を備えている。事例とは常に一回きりの、この事例のことだ。その限りでそれは、特殊な事例、いわゆる特例であり続ける。この意味で事例は、絶えず例外的なままにとどまっている。一つの事例が例外的であるのは、まさにそれが普遍のもとへと包摂され範例化されるべき当のものであるから、という理由による。もし個々の事例がどこまでも例外的で特異な残余を含んでいなければ、それはそれ自身すでに例外ではなく別の概念や法則であったことになるだろう。事例が事例であるかぎりで、全面的に範例的であることはないのだ。事例にはこうした逆説がある。したがって、判断がある事例に下されるものである限り、それは厳密には、つねに特例や例外についての反省的判断を含んでいることになる。反省的判断力の困難は、まさにこのような根底に直面脛ことにある。

判断力をそれ自体として探究する必要が一度想定されるならば、この探求の課題は、次のようなものとなる。判断力の原理はあらかじめ与えられた規則としての諸概念に依拠することはできない。概念一般は悟性の側に属しており、判断力はただそれらの概念を使用し適用することしかできない。「それゆえ、判断力はそれ自身で或る(特異な)概念を提示しなければならないのであって、この概念は、それによって本来いかなる事物も認識されるのではなく、たたせ判断力自身のために規則として役立つ概念」でしかない。「この規則は主観的であり、判断力は自己自身を規範とする。そして、判断力はそうせざるを得ないのである。さもないと、もうひとつ別の審判能力を、無限に召喚せねばならなくなるだろう」。だが、この主観的な規則は、それにもかかわらず、判断力が固有のアプリオリな原理として分離される限りで、普遍的な客観性をそなえた判断に打倒すべく要求されているのである。したがって、判断力は主観的かつ客観的な規則を自身の原理として分離される限りで、普遍的な客観性を備えた判断に妥当すべく要求されているのである。したがって、判断力は主観的かつ客観的な規則を自身の原理としなければならない。

このような矛盾した表現に窺われる探求の明白な困難にもかかわらず、それでもなお判断力がひとつの独立した原理として「批判の特殊な部門」のもとに考察されなければならないのは、いったいなぜか。それは『判断力批判』が、反省的判断の下である特権的な場面を、判断力の原理の批判的探求におけるもっとも重要な部分として見いだしたからである。それが「美的と呼ばれる判定、つまり自然や芸術における美と崇高とに関わる判定」である。美的判断は、主観的規則に従うかぎりで「諸物の認識に全く寄与しない」が、それでも判断の固有な能力であるかぎり「何らかのアプリオリな原理に従う」のであり、それが直接関与するものこそ「快不快の感情」である。美的な判断が「美的」であるのは、この判断が対象の認識にではなく、主観の感情に関わるからである。この感情が「快」とされる(快の主観性)。しかしそれは独立した一能力としての判断において見出される限り、この快はあくまでその純粋性において現れるのであり(「関心なき快」「反省の快」)、感覚器官の私的で個別的な享受や性向を満たすものであるわけではない。主観/客観の両極に分裂せざるを得ない判断力の困難が、そのままこの「快」の身分に反映される。

2014年2月16日 (日)

一票の格差を考える、違った視点で

一票の価値を考える。以前、国会議員の衆議院選挙区において人口の差が拡がって、基本的に1選挙区から1人議員が選出されることになるため、その選挙区の代表者としての議員が何人の代表となるかについて、大きな格差が生じることになる。これは不平等であると、憲法の平等の原則に反するものだということで、全国で裁判が提起されたことについて私見を述べたことがあります

それに関連して、最近考えさせられることがあったので、ちょっとしつこいですが、また私見を述べたいと思います。

考えさせられたことのひとつは、タイでの選挙ボイコットの事件です。新聞やテレビで報道されているので、ご存知のことと思いますが、私なりに要約すると、企業関係者とか資本家などの都市部の中間階級、まあいってみればインテリ・クラスの人々を中心に、これまでタイの成長を支え政治を担ってきたのは自分たちであると、しかし、数の上ではマイノリティのため、国民の多数を占める農村部などを中心とした低所得者層がまとまって対抗されると選挙では数の上で負けてしまうことになる。それで、選挙というシステムは政治システムとして有効ではないので、ボイコットする。かなり、極端に恣意的な要約をしてしまいましたが、私はそう見ました。もしそうだとすれば、教科書的な歴史発展の理論でいえば、ボイコットしている人々は、かつては国政を担っていた人々だったけれど、いわば旧体制(アンシャン・レジーム)となった人々だということでしょぅか。つまり、それまでは国民の大多数を占めていながら、組織化が進まず勢力としてまとまることがなかった低所得者層が、一人のデマゴーグの出現によってひとつの勢力となってきた。それでメジャーな勢力として抬頭したというわけです。旧体制の人々に言わせれば、自分たちが作り上げた選挙によるシステムを乗っ取られようとしている。多分、彼らにとっては、軍政が断続的につづいた不安定な政治システムに対抗してようやく文政移管を進めるために獲得したものだったのではないかと思います。しかし、ようやく定着したときに、その苦労を掠め取られてしまう危機が生まれた、ということではないかと思います。

これは、かなり懐疑的な言い方になってしまいますが、心情的には平等ということは、政治の目標とか目的ではなくて、手段の位置にある、ということが分かります。つまりは、国の中には、複数の利益が対立する集団があり、そこで衝突が起こり、それを調停するのが政治の機能で、その時に対立するそれぞれの集団が自らの利益を主張する際、或いはその調整の際に、平等というタームが道具として使われる、そういうものであるということです。だから、タイの場合で言えば、対立する2つのグループの両方ともが平等を主張することができる。

これと似たようなことは、アメリカ合衆国における保守派の人々、ティーパーティーというグループはボストン茶会事件というアメリカの独立戦争前夜の事件にちなんだネーミングですが、その時のボストンの人々の主張していたことは「代表なき所に課税なし」という主張です。ボストンで茶を輸出して英本国に多額の税金を納めているのだから、国政での発言権を、つまりは代表として議員を送らせろ、という主張です。この裏を返せば、税金を払っていない人には代表はなくてもいいということです。ティーパーティを担っている人々は、タイで言えば選挙をボイコットしている人々と階層が重なってくると思います。政府に対して税金を払っているのに見返りがなく、税金も払えない人々に手厚く予算を当てていることに対してフラストレーションが蓄積されて来る。基本的な構造はタイと似ていると思います。

さて、ここからは、こじつけです。最初に述べた、日本で1票の格差について違憲の訴えを起こしているのは都市部の人々です。多分、タイにおいて選挙のボイコットをしている人々、あるいはアメリカのティーパーティーの人々と階層や意識は重なるところは大きいと思われ、心情としては似ているのではないかと思うのです。身も蓋もない言い方をすれば、都市部の人たちは企業のサラリーマンや自営の人々が大半で、国家や自治体への納税の大きな部分を占めているにもかかわらず、その割に政策による補助は自分たちを素通りして地方に回されてしまう。個々人で言えば、輸出で外貨を稼いでいる企業に勤めるサラリーマンは、何年もの間賃上げを我慢しながらも身を削るように働いて、名目上の収入はそこそこでも税金は源泉徴収でタップリとられて都会生活はお金がかかるので、生活に余裕は感じられない。たとえ大企業で高い地位にいても、会社がつぶれたりリストラにあったりする危険にさらされ、それでホームレスになった人もいる。そういう人に対する政策的な保護は至らない。これに対して、地方の限界集落をみれば、ほとんど収入をえる道もないような人々に役場の手厚い手当が施され立派な家に住んでいるように見える。子どもの保育園にも入れられないような境遇からみれば、不平等を心情的にもったとしてもおかしくはないはずです。そこで、自分たちに少しでも利益があるように、というときにひとつのタームとして出て来たのが平等、一票の格差ということもあったのではないか、と思うのです。さらに穿った物言いをすれば、裁判に関わっている弁護士や裁判官といった人々は都市住民の思考パターンに属していると思われるので、利害は訴訟を提起した人々と一致する可能性が高いと思います。新聞やテレビなどの報道機関や学者も一蓮托生です。

だから、現実には一票の格差が首都圏の都心部と山陰地方の選挙区との間で考えものであってこそ提起されたので、かりに東京都心と横浜市あたりの選挙との間に格差があったとしたら、そのような訴えが提起されたかどうか、かなり疑問に思うのです。一票の格差と単純に言いますが、単に数字だけの問題なのか。

もしそうなら、国会議員の得票数ということを比較してみれば、選挙区あたりの人口が2倍の格差があっても投票率が逆に半分であれば、当選に必要な得票数は同じ程度です。1人の議員が当選した背景となる票の数には、ほとんど差がないことになります。つまり、選挙区あたりの人口の計算を棄権者数を計算に入れて比較するということもありだとすれば、格差はそれほどないということも考えられます。つまりは、一票ということをどのように見るか、という視点なのです。そして、その視点は恣意的になりうる、ということなのです。だから、かりに、いま、一票の格差を問題提起している都市部の住民の人たちの中でも、決して一枚岩の団結ではなくて、多分、現時点で投票をしていない大多数の人々が、彼らと違った投票行動をとるようになった場合、一票の格差ということが言えなくなったときに、このような訴訟を起こした人たちは、こんなはずではなかったということになるのではないでしょうか。その時には、一票ということの数え方が変わってくる可能性もあると思います。

多分、いま、社会構造が変化してきて、既存のシステムが、だんだん合わなくなってきていて、さらに、そのシステムを支える基本的な考え方すらも従来の考え方を踏襲することができなくなってきている。そのひとつの裂け目として、一票の格差ということが殊更にクロースアップされてしまっているのではないかと思います。

私は、このことの実効性を考えると、それほど大騒ぎをして、憲法違反と騒ぐことに意味を見出せません。

2014年2月15日 (土)

宮崎裕助「判断と崇高」(6)

反省的判断力の構造に見られる自己立法の困難は、当初、カントの批判哲学を舞台化している「法廷モデル」によって解決されるかにみえた。しかし他方、「法廷」の形象は、カントにとって法の本質とは何かという根本的な問いを提起するように我々を促す。カントの言う法は理性法則に等しいが、それは一定の「自然法」を前提としたものであった。すなわち、ここでは「自然」が、法の範型となっている。言い換えれば、法は、自然との類比関係のもとでのみ把握されるのである。しかしカントにおいて「自然」は、つねに「感性的自然」と「理念的自然」とに分裂した形で現れる。自然が二重化したままである限り、当の範型は、理性法則と自然法則、感性的自然と叡知的自然といった諸々の二項対立の媒介ないし架橋という問題を、解決すべく抱え続けることになる。こうした媒介や架橋の問題は、『判断力批判』が明確に提起していた問題にほかならない。つまり、反省的判断力の問いである。しかし、反省的繁多戦力は、いかなる所与の法にも依拠することなく、自己自身が立法する法に依存することでしか、その不確実性のもとでしか、判断を下すことができないのである。

反省的判断力が従う法とは、定義上それ自身に先行するいかなる意味も基礎も権利も持ち得ない法である。もしそれが何か他の上位の審級に依存し、所定の判断を命ずる規定根拠をもつのだとすれば、もはやそれは反省的な判断ではなくなってしまうだろう。それは規定的な判断となってしまうだろう。我々としてはそこからさらに議論を進めて次のように言おう。反省的判断力の法とは、それ以外のいかなる他の正当化もなしに作用する法であり、要するに<法なき法>である、と。それは、律法の後に、すなわち判断力が立法し可能にした当の法の世界のなかから事後的に想定されるほかはない。したがって、もはやそれが厳密に恣意的かどうかも分らないという無法性のうちに、さらには、その無法性そのものの抹消のうちに、反省的判断力はつねにみずからの方を打ち立ててしまっているのである。その意味でこの法はいったん打ち立てられた後では絶対的な権威を持つ。これが<無法の法><法なき法>ということの意味である。判断力の法のこのような次元をひとたび考慮に入れるならば、カントの言う法そのものの意味が一変することになるだろう。

道徳法則の普遍的な正統性を基礎づけるためには、その法則の根拠となる善悪の概念が知られていなければならないように思われる。何が善いのか悪いのか、その本質が知られていれば、それを根拠として、道徳法則が普遍的に定式化することができるというわけだ。そのとき、善悪の概念は、道徳法則以前の段階で探究されなければならないことになる。しかし、カントが逆説として主張するのは、善悪の本質をアプリオリに知ろうとすればこそ、その本質は、法則そのものとして、何が善悪なのかがその内容が知られる前にさえ、はじめに規定されなければならない、ということである。

もし善悪の概念が、それに先立つような道徳法則によっては規定することができず、逆に当の法の根拠であり、法以前の段階で知られなければならないとするならば、すなわち、その基礎づけを法の外部に求めるとするならば、その基礎は、法則化し得ない、たんに経験的な根拠のうちにしか存在しないことになるだろう。結果、道徳法則は、アプリオリな根拠を持ち得ないことになるだろう。しかし、カントはこれに対して、道徳法則がはじめて善の概念を、善がその名に端的に値するかぎりにおいて、規定し、それを可能にするということを明らかにした。このような純粋な実践的法則としての道徳法則を特徴づけているのは、その形式性である。すなわち、善悪の実質的な内容いかんに関わらず、それに先立つ形式、そうした形式としての純粋な道徳法則こそ、善悪の概念を規定する。道徳法則に備わることのような純粋に形式的な特徴が、いかなる状況においても法が適用可能になるという普遍主義的な主張を基礎づけるのである。

かくして道徳法則の普遍的立法は、善悪の実質的な内容を取り去った「たんなる形式」にのみ、その根拠をもつことができる。もはや法は善に依存するのではない。何が善か悪かは、法を超えてはアプリオリに知ることができないし、知られるべきでもない。ここでは逆に、善が法に依存するのであり、そりゆえ、法は法それ自身の形式以外の何ものも根拠とすることがなく、いまやそれ自体において実効性をもつのである。法は法という「たんなる形式」をもつからこそ法であるということの、道徳的内容をもたない空疎にもかかわらず、ではなく、その空疎さゆえにこそ、カントはその形式性のうちに道徳法則の普遍的な正統化の究極的な根拠を見て取ったのであり、それ自体では何も命じることのない、この無内容な形式そのものを道徳の基本法則としたのである。

もちろんこのように理解された道徳法則は、それ自体としては抽象的な形式であり、判断力によって媒介されることがなければそれ自体何ものでもなく、実現されることもない。しかし判断力による媒介は、特定の事例において法の個々の適用に関わるだけであり、つねに有限で一回的ないしは偶然的な関係にとどまっている。それゆえ、判断力は自身の法の命令に十全に従うことができない。だからこそ、判断力は、当の法に従い損ねるという誤りの可能性を構造的に孕んでいる。しかしこのような可能性は、法そのものの不完全さを意味しない。むしろ法は、そうした誤りの可能性ないし命令の達成不可能性によってこそ、それ自身から個々の判断を隔てつつ超越し、みずからの普遍的な効力を保ち続けるのであり、そして、ふたたび判断力に対してみずからへの服従を強い続けることができるのだ。かくして、判断が自己立法することで自ら従わなければならない法は、法そのものとは一致することはできないにもかかわらず、法そのものは自らの達成不可能性のうちに、この判断力の法を予期し含んでいたことになるのである。判断力は法を実現し損ねることによってこそ、つねにあらためて実現するよう駆り立てられることになる。法の権威はこうして持続するだろう。

他方、法が命令を下し、自らの効力を発揮し得るのは、当の判断が法に十全に従うことができないという根本的な不可能性の構造に、法が負っている限りにおいてである。つまり、法の実現は、どこまでも個々の判断にその都度依存しなければならないことに変わりはないのだ。法の効力は、判断の有限性、すなわち、判断行為の一回性、偶然性、特異性によってしか存在しない。この有限性なくしては、判断すべきことは何ひとつなくなってしまうだろう。そのとき実行される判断とは、各々の判断にとっては、むしろつねに当の法を積極的に無視するというラディカルな決定でなければならないのであり、と同時に、みずからがその法に従っていたことになるであろう関係を創出するという決定でなければならないのである。そうでなければ、判断が反省的な仕方で下されることはなくなってしまうであろう。要するに判断する自由がそもそも存在し得ないことになってしまうであろう。

2014年2月14日 (金)

宮崎裕助「判断と崇高」(5)

カントの言う「理性の法廷」はたんなる比喩やメタファーとして受け取られるべきではない。それを欠いてはカントの批判哲学自体が成り立たなくなってしまうような、理性批判の舞台化にとって不可欠な概念形象であるだけでない、この「理性の法廷」は、それによってこそ「法廷」一般が理解されるべき、当の語の本義を構成しているとさえ言いうるのである。カントが「理性の永遠不変な法」において「法廷」の形象を持ち出す時、問題になっている法とは、まさに日常的な意味での様々な法律の本質をなすところの法、法の一般的型式としての根源的な法にほかならない。ことき、カントにとって法とは、すなわち、理性に自己立法と裁判的権能を付与するという「法廷」、理性が当の法に従うことによって自身の批判がはじめて可能になるというこの原型的法廷を支配している法とは、自然法であると述べられている。しかし、カントの自然法概念の用法は決して一義的なものではない。ここで想定されているのは、実のところ、もうひとつ別の自然、悟性と理性とがそれぞれ立法者となるところの「自然と自由という対立を超えた高次の自然概念の見地」なのである。

自然と自由という対立は、悟性と理性という異なる立法能力によって隔てられた対立であり、両者を判断力によって媒介するという問題を招来する。ここで「もうひとつの自然」としての高次の自然概念は、いわば判断力の理念として、自然と自由の架橋に役立つべく想定されるのである。このことの例証は『道徳形而上学の基礎づけ』で提示されていた道徳法則の定式化に求めることができる。そもそもこうした道徳法則は「純粋理性の唯一独特な事実」であり、まさに「純粋理性がこの事実を通してみずからを根源的に立法的なものとして告げる」という普遍的な根本法則を証し立てている。しかし当の道徳法則の定式において注目しなければならないことは、この法があくまで「普遍的な自然法則」とのアナロジー(類比)によって提示されているという点である。それゆえ、自然と自由という根本対立を架橋し得るのは、このアナロジー、すなわち、当の対立を超えた高次の自然概念を想定することで、それを理性の法にとっての理念として役立てることができるというアナロジーの作用なのである。

『実践理性批判』ではこのアナロジーの問題は「範型論」として提示されている。そこでは、自然法則は、実践的判断力にとっての規則であり、道徳法則の「範型」として位置付けられる。感性的な現実の世界において生ずる個々の行為は、自由の法則としての道徳法則のもとへと包摂されることで、その行為の是非について判定されなければならないが、自然はこのとき、実践的な判断力にとっての手引きとして役立つことになるのである。しかしながら、それゆえにこそ、次の点は明確に強調しておかなければならない。アナロジーであれ範型であれ、自然はこのように理念化されるや否や、カントの哲学体系において厳格に二重化されるのであり、それゆえ理念的自然が、直観を通じて把握される自然(感性的自然)から峻別されるのである。アナロジーや範型といったモティーフのもとに、自然と自由、感性的自然と理念的自然といった対立についての媒介や架橋の問題が立てられるや否や、両者の異質性はますます際立つことになる。このとき明白なのは、理性の法則が、アナロジーや範型を媒介せざるをえない限りで、そうした感性的な自然のうちに実現することを直接に保証されてはいないという点である。

 

『判断力批判』の主要な企てとは、反省的判断力(の批判)を介した架橋の試みである。言い換えればそれは、悟性と理性の両側へと二重化した自然を「自然の合目的性」を通じて捉え直し、そこに働くアナロジーの作用を反省的判断力の原理として追究することであった。カントは、反省的判断力を「美的判断力」と「目的論的判断力とに分けている。後者の「目的論的に使用された判断力が、あるもの(例えば有機体)が自然の目的という理念に従って判断されるべき場合の諸条件を明確に提示する」のであってみれば、この諸条件を通じて見出されるはずの自然の目的論的な秩序は、二重化し分裂した自然にとってある統一的な全体像を提示するように思われるかもしれない。しかし、これは、カントの判断力論の枠組みに即してみる限り、構造的に叶えられることがないと見なすべきだ。目的論と記判断力はどこまでも反省的判断力であって規定的判断力ではない。「自然の合目的性」の想定は、客体の目的概念という規定的な目的概念とは異なり、理念上のたんなる反実仮想に過ぎないが、にもかかわらずそのような想定が判断力を通じて引き受けられなければならないのは「さもなければ経験が一全体をなすための経験的認識の全般的関連が生じなくなってしまう」からであり、合目的性へのこの判断なくしてはそもそも悟性の客観的認識の前提となるはずの自然の認識可能な秩序全体がバラバラになってしまうからである。この合目的性は「現実性の根拠を含んで」おらず、それ自体としてはフィクションなのだが、しかし悟性と理性のアプリオリな認識にとって自然が統一的な像を結ぶようにするために不可欠な想定である。この想定こそが、判断力があらゆる客観的認識に先立ち、合目的性の概念を介して自然の統一性をあらかじめ整序しておくための「始源の」類比作用、いわば超越論的なフィクションの作用なのである。「自然の合目的性」という超越論的概念は悟性にとっても自然概念でもなければ、理性にとっての自由概念でもなく、いうなればひとつの準概念でしかない。これは厳密な意味での概念ではなく、規定的ではあり得ない。経験的諸法則の体系的統一は客観的な目的概念としてはあらかじめ与えられていない以上、自然の統一は、その合目的性の概念によって約束されているわけではない。それどころか、合目的性の想定が証示しているのは、この統一がどこまでもフィクションでしかなく、反省的判断力によって常にあらためて試行的に発見されなければならないということなのである。この発見への要請は自らの必要によって自分自身に反省的に課されただけであるからいわば自作自演であり、本来は「喜ぶ」ようなことではないのだとしても、発見そのものは常に反省的判断力の試行錯誤による偶然的な成果に属しているがゆえに、我々はそれを僥倖として嬉しく感じるのである。

2014年2月13日 (木)

宮崎裕助「判断と崇高」(4)

判断力という能力の本質が反省的であるという点に求めることができるとすれば、これは「判断力批判」を遂行するカントの批判作業自身に反射的に折り返されるように思われる。というのも、カントが試みている「批判」自体がいわば哲学の根本的活動として、反省的判断力に特有の自己立法的な構造に根差しているということである。

カントの言う「批判」は、「措定するあらゆる場合に、規定し決定するものとしてあらかじめ定められていなければならないものを措定する」ということを意味するという、当の対象を際立たせ、それらを分け隔てることで当のものを措定しその分割を決定する、という意味を持つ。

批判のこのような含意は、すでに見たような反省的判断力の定義─特殊なものしか与えられていないところで普遍的なものを法として打ち立てるという立法行為─を想起させ、さらには反省的判断力がすぐれて試される局面、つまり趣味判断(美醜や芸術の判定)に通じているということは明らかだろう。このような意味で、批判とは判断そのものであると言うことができる。カント自身『判断力批判』の序論の中で、「理説」との対比により「批判」について説明しているが、批判は、離接とは異なり、何某かの客観に即して何らかの理論をそれ自体として積極的に構築するわけではない。それは、諸能力にとって理説が可能になるための条件、すなわち、その権利が正当であるかぎりでの限界を画定することを目的とするのである。そのかぎりで、それは哲学ないしは形而上学として構築される理説の手前で、「哲学の予備学」にとどまっている。

しかし、『判断力批判』において、このような「批判」はたちまち空転し始める。すなわち、悟性や理性の批判とは異なり、ひとたび批判が判断力という能力に向けられるやいなや、当の判断力が固有の立法領域を欠き、移行としての中間的な地位しか与えられていないがために、判断力についての批判は、超越論的な作業を開始するための明確な標的を失うのである。判断力批判には、批判すべき判断力の理説が欠けている。そのため、批判とのものが理説にとって代わるほかはない。しかし判断力批判は、厳密には理説のないところでいったい何を批判するのだろうか。批判が理説にとって代わるのなら、いまや批判すべきは批判自身である、ということになるだろう。判断力の批判は、判断力を自らの批判対象としてそのつど自己立法的に措定することで自ら批判に付す、という反省的な構造のうちに実行されるのである。判断力について批判するという企図は、これまでの二批判の体系的統一の達成にある。つまり、二つの批判書の間で両者を架橋しようとする点で、批判の批判、メタ批判的な性格を帯びている。批判が哲学の予備学だとすれば、判断力批判はいわば、批判そのものの予備学である。

結局のところ、判断力の批判は、反省的判断力を対象にしているからこそ、自身もまた、当の判断力の原理を反省的かつ自己立法的に想定できる、と言われているかのようなのだ。ここでは、みずからの批判作業以前の前提と、批判がこれから向かう対象とのあいだで明白な循環が生じている。カントの批判哲学の体系の中で、判断力の批判という課題には、三批判全体を接合し支持するための最大の負荷がかかっているのにもかかわらず、最後の批判に至って、批判対象への論及行為そのものによって当の対象を遡及的に構成すると言う仕方でしか、当の企ては、自身の批判作業を正当化できないのである。『判断力批判』の批判作業は、このような仕方でこそ、判断力の反省的構造を先取りしつつみずから実践し、当の批判に手探り状態で突き進んでいくことになるのだ。

 

判断力の反省的-自己立法的構造のもつ影響は、『判断力批判』のみならず、カントの批判哲学全体に浸透している。

『純粋理性批判』においては、判断(判決)と批判の反省的で自己立法的な構造は、まさに「理性の法」によって可能になっている。批判し裁きを下すのは理性であり、理性が理性の問いを「理性の法」に照らして批判し判断するのである。一方、理性はみずからの本性によって解決不可能な問いに避けがたく陥るという理性の窮境がはじめから問題になっている。そこから、理性がみずからの本性にしたがってアプリオリに要求できる正当な権限を明らかにすること、そうでなければ理性が冒さずにはいられない越権行為を制限することが企てられるのである。要するに理性批判の企図は、理性能力の限界画定に存している。そのとき、理性が従う当のもの、それに即して批判が可能になるもの、それは、理性そのものというより理性の法である。理性は、この法を介してのみ、自身の能力に対して批判を加え判決を下すことができる。カントが批判の場を「法廷」という言葉で語っているのはそのためである。この「法廷」は、理性が当の法廷に従うことで理性自身の批判がはじめて可能になるという場の形象なのである。「法廷」の形象は、『純粋理性批判』全体を貫く問い場を構成しており、純粋理性の批判がこうした「法廷」の形象によってモデル化されていることの意味は、決して小さくはない。そもそも純粋理性の批判は、理性の権限画定の一環として、アプリオリな認識の可能性の解明を主要な課題としているが、それが「概念がどのようにしてアプリオリに対象に関係するのかという仕方の説明」として問われる時、カントはそれを「超越論的演繹」と呼ぶ。カントは、この「演繹」という語を、デカルトが言ったような、直観から区別されるような演繹という哲学の伝統的な意味で用いてはいない。この語は、「法律家が権限と越権を論じる」という意味、訴訟において法律家が当の係争事象に関して「権限」を提示したり「越権」を斥けたりすることによってなされる主張であり、これは権利問題の議論、すなわち事実問題から区別されるべき議論に他ならない。このような法学用語をカントが純粋理性の批判のうちに持ち込んでいるのは、概念の対象へのアプリオリな関係の可能性が、決して概念の事実的ないし経験的な使用の積み重ねからは正当化されないからであり、その解明は、経験に由来しない概念の使用可能性と正当性の根拠を、概念自身に備わる内的な権限として問いただすことによってしか可能にならないからである。だからこそ、カントは純粋理性の批判を、まさにこうした権利問題が「演繹」される訴訟の場としての「法廷」によって舞台化したのである。

2014年2月12日 (水)

宮崎裕助「判断と崇高」(3)

Ⅰ 判断─反省的判断力から美的判断力へ

1 判断力の法

判断するとは、所与の事例、事件に対して法を適用することである。法が事例に対して超越しており、法が事例よりも包括的で一般的であるという関係のもとで、判断は下される。法が既に与えられており、事例をその下に包摂するだけでよい判断(規定的判断)に対して、カントの『判断力批判』がまずもって問題とするのは、反省的判断、すなわち、ただ特殊な事例だけが与えられていて、それを判断するための法(普遍)を見いださねばならないというそのような判断である。

判断の規準として役立つこうした法を見いだすのに、ひとは単純に、何らかの範例的な事例に頼ることができる。しかしそれらは範例とは言え、どこまでも特定の事例であることには変わりがない。それらは結局のところ、その都度の比較のうちに「より適切な」範例によって置き換えられる余地がある。従って、判例となる基準が相対的であるかぎりで、当の判断は、暫定的なもの、不確定なものにとどまり続けざるをえないのである。

そこでひとまず次のように言おう。哲学の課題とは、こうした相対的基準の不確定性を断ち切り、つねに確実な判断を下すために、ひとつの究極の基準、それ以上のいかなる代替的な基準をも受け付けない絶対的な法を確保しようとすることである、と。『判断力批判』の主題をなす判断力が、そもそも哲学的活動の核心にあるのだ。反省的判断力は、みずからの判断基準、判断の法(普遍的なもの)そのものを自分自身で発見しつつ判断を下すのであるが、それがひとつの超越論的原理にとどまる限りで、当の法は相対的であってはならず、当の判断は普遍的でなければならない。したがって、哲学が、あらゆる相対的な基準を乗り越える普遍的な法を確立しようとし、そのような法の法、普遍的な法そのものとして自らを呈示し、判断を下さなければならないのだとしたら、それは、まさに反省的判断力の働きによって達成されるのだと言えないだろうか。

 

反省的判断力に含まれる「反省」とは何を意味しているのか。反省的判断力が、自身の判断の法をみずから見いだすことにその特徴があるとするならば、当の「反省」とは『純粋理性批判』の定義に従えば、自身の法としての「主観的条件を発見するために」備えている意識の働きを指し示すことになるだろう。それゆえ要点は、主観的条件の発見を可能にする当の主観自身の働き、つまり、みずからがみずからに問い返すことでみずからの条件を法として見いだす、そのような自己再帰的=自己反射的な働きである。

『判断力批判』の序論では、判断力は「悟性と理性の中間項」として規定されていた。ここでは哲学一般にとっての諸概念の領野が、それを通して我々の認識が可能になる部分として「地盤」と呼ばれており、「これらの概念がそこで立法的である部分は、これらの概念と、これらの概念に対して権限を持つ認識能力の領域である」とされる。この「領域」は、当の認識能力(悟性と理性)の二つの領域、「自然概念」と「自由概念」との二領域に分れる。悟性は、自然概念による立法能力、すなわち自然(感性的なもの)に対してアプリオリな理論的法則を与える能力であり、他方、自由概念による立法能力、すなわち自由(超感性的なもの)に対してアプリオリな実践的法則を与える能力である。このとき問題は、悟性と理性が対称的であるがために、両者の二つの領域は、互いに排他的な関係をなすという点である。哲学という「地盤」のうえで、悟性の側と理性の側のあいだには見渡しがたい亀裂が走っており、哲学の地盤を二つに引き裂いている。判断力が「悟性と理性の中間項」と呼ばれ、『判断力批判』がそれを探究しようとするのは、まさに判断力がこの亀裂を埋め両者を繋ぐことによって、カントの批判哲学の体系を最終的に完成させるものとして期待されているからに他ならない。しかし、この位置づけが判断力に独特の性格を付与することになる。

判断力について批判の超越論的探究が企てられている以上、判断力にはさしあたって悟性や理性と並んで「アプリオリに立法的な能力」としての地位が認められている。しかし判断力は結局のところ、悟性や理性ほどに積極的な立法能力たることはできない、悟性と理性にはそれぞれ固有な立法の領域(自然概念と自由概念)を有しているのに対して、判断力はそうではない。

つまり、判断力の位置づけは、哲学という地盤の上で悟性と理性の二領域を分かつ「亀裂」そのものの領域、つまりは分割線や境界線それ自体という危うい領域を占めるに過ぎない。この領域ならぬ領域の上で、判断力は、(まさに「反省」として)自分自身に対して「たんに主観的にのみ」消極的な立法をなすという意味で、脆弱な能力にとどまっている。しかしながら、判断力は、この脆弱さゆえに最大の力を発揮するのだ。すにわち、この弱い自己の能力は、どこにも拠り所がなく固有の領域を持たないからこそ、かえって架橋ないし媒介の原理として、哲学のあらゆる場所に偏在することができ、融通無碍に介入することができる。カントは、この反省的判断力の自己立法を、悟性や理性の自律的立法と区別して、「自己自律」と特徴づけているが、それが示唆しているのは、悟性や理性のような確固たる立法能力ではなく、つねに移行状態で揺らいでいる判断力の立法、すなわち、主観的な反省にしかみずからの根拠をもたない脆弱さのうちでこそ、みずからが存続するために絶えず判断を再開するのであり、そこに見出されるのは、こう言ってよければ、その弛まざる反復によって立法の可能性そのものを切り開いてゆくような、そうした試行的な立法の姿であるだろう。

2014年2月11日 (火)

宮崎裕助「判断と崇高」(2)

判断とは何か。そう問うやいなや、人は、すでに判断していることになるだろう。判断の本質に問いかける、まさにその仕方について一定の判断に加担していることになるだろう。あらかじめ判断していることなしには、予断や偏見のうちにいるのでなければ、そもそも「判断とは何か」と問い始めることさえできない。判断についての問いは、そうした問いの不可能性を引き受けることから始まるのである。

判断とは何か。アリストテレス以来の伝統的な論理学は、判断を「S is P」という形式で表わされる命題として理解してきた。即ち、判断の働きとは「主語Sで表わされるもの」と「述語Pで表わされるもの」との結合であり、判断の基本形式は、判断対象たる主語表象(主辞)、それに結び付けられる述語表彰(賓辞)、そして両者を媒介する繋辞という三極構造によって把握されるのである。しかし、ここで問いかけられているのは、この「S is P」という命題形式の価値そのものである。だからこそ、「判断とは何か」という問いかけそれ自体が問題になる。「…とは何か」という問いが判断一般の命題形式の価値を承認することによって初めて立てられるのだとすれば、「判断とは何か」を問うことは、単純に言って、自身が問いかけようとしている当の主題の内容を当の問いの形式において先取りしてしまうことになる。要するに「判断とは何か」と問うことは「S is P」式の答えを期待しているかぎりで、問いの形式そのもののうちで「判断とは何か」という答えを予め了解していることになるのであり、一種の論点先取りを犯すことになるのである。

まさに「判断とは何か」という問いを通じて、というより直接にそう問うことの不可能性を通じてこそ、当の問いの形式そのものの自明性に異議を申し立てることのできた「前判断的なもの」をめぐる思考なのである。

本書の主題は、それにもかかわらず「判断」である。この主題が選ばれたのは、判断概念の手前である「前判断的なもの」の思考を引き継ぐことによってこそ「判断」を主題とする。つまり、本書は、「判断」の古典的概念が覆い隠してきた「前判断的なもの」の次元を、当の「判断」の概念のうちで内在的に追及することによって、この次元を「判断」そのものの構成要素として捉え直すことを目指すのである。

「判断」という語の意味そのものは、命題における思考作用としての論理学の伝統よりも、法律的な含意が優位であることにただちに気づく。すなわち、法廷で当事者に対して判決を下すことと言う意味での判断である。もちろん、この語は法廷の判断に限られるものでなく、神が人に下す審判、神的な裁きをも指す。判断という語に含まれているのは、一般には、論理学・認識論的な意味であるよりも、法や倫理にまつわる社会的ないし実践的な意味であることにまずもって留意する必要がある。

判決を下すということは正義を為すということであり、それは「特定の辞令に適切な定型文を与えること」である。したがって、裁判官の役割は、伝えるべき「法の定型表現」を保持し適用することに他ならない。それが、裁き=判断を下すもの担う正義の務めである。

判断とは何か。判断とは、「法を言うこと」として法を媒介する一種の言語行為である。この「法を言う」という行為は、所与の「法」を前提としているのだが、「言う」という行為は、法の言表を通して法の効力を構成するような言語行為として、当の「法」を超えたものとの関係、方から区別されるべき正義への関係を開くのである。というのはこうだ。判断は、「法を言い渡す」宛先として個々の事例に直面するが、その際に言い渡すべき法(の体系)が知られているとしても、当の判断は、その法を事例に適用するに当たって、各々に特異な事例へとどのように関わるのか、どのように判断するのかという点については、ケース・バイ・ケースで対処せざるを得ない。原理的に言って、その都度の判断において「法を言う」仕方、法を提示する当の方法、法を媒介する法そのものは、予め知られているわけではないのである。つまり、判断とは、法を通して法を可能にする言語行為として、当の法を前提としつつ、まさにこの法を実現するための法を欠いており、そのような意味での法の不在を、みずからに固有の契機として含んでいるのである。このとき、判断にとって法の不在は必要であり、それこそが判断を可能にしているのではないだろうか。

判断は法に従うことなくしてはあり得ない。にもかかわらず、権利上、法の不在が判断に内属している。判断はこの不在に直面して、自らが従うべき法(への関係)をいわば同時に創出することによって、下されねばならないのである。このことが判断の構造そのものを構成しているのならば、一般的な規則の不在、法の無法状態は、判断することを免除しはしない。むしろ、法の不在こそが判断の法なのだ。それが法の法である。

以上のように素描される判断の構造こそ、本書の探求にとって中心的な問題提起である。こうした判断の構造は、判断が法を前提としながら法の不在こそが当の判断を可能にするという逆説において、あらゆる判断に本質的なアポリアを構成している。判断の構造の核心には、法の不在という法のもとでどのように判断するのかという問題が存在しているのである。本書では、これを端的に「決定の問題」と呼ぶ。それによって本書が問いかけようとしているのは、まさにアポリアにおいてもなお判断を可能にする条件、そうしたものとして判断の構造に孕まれた決定の経験なのである。

帆の不在をめぐるこのようなアポリアのただ中で「判断力固有の原理を発見する」こと。これは伝統的には、カントの『判断力批判』が企てた主要な課題に属している。それによれば、判断力一般は「特殊なものを普遍的なもののうちに含まれている者として思考する能力」と定義され、これは「規定的判断力」と「反省的判断力」とに分けられる。すなわち、前者は「普遍的なもの(規則や原理や法則)が与えられていて、特殊なものをその下に包摂する判断」、後者は「ただ特殊なもののみが与えられていて、判断力がこのもののために普遍的なものを見出さなければならない」判断だとされる。そして後者、「反省的判断力」こそ『判断力批判』が判断力固有の原理として探究しようとした当のものにほかならない。反省的な判断力が置かれた状況とは、判断を要する場面において、個別事例だけが与えられており、当の判断が参照すべき一般法則(アプリオリな概念)が欠けている、という状況である。つまり反省的判断力は、それでも当の判断が法に即したものであるため、事例の特殊性にのみ基づいて、各々にふさわしい法を見いだすという一種の発見ないし創出の原理として追及されることになるのである。かくしてカントは、判断のアポリアを、反省的判断力の問題として提起したと言うことができる。

2014年2月10日 (月)

宮崎裕助「判断と崇高」(1)

まえがき

カントは『純粋理性批判』の「原則の分析論」において、どれほど知識を備えた学者であっても、いざ実行する段になって、判断力という能力が欠けていれば、愚鈍に転落してしまう、と述べている。判断力とは、知っているにおいてでなく、それを用いることにおいて発揮される能力であり、それ自体は教育不可能な何ものか、ともかくも「熟練している」しかないものなのである。実際、与えられた知識や情報、出来合いの解説やマニュアルの類に頼ることができないというまさにそのときにこそ、すぐれて判断力が必要になるのだとするならば、そのととき、人はどうすれば正しく判断することができるのだろうか。そうした判断への問いは『判断力批判』が出発点に据えた中心問題となる。

カントは『判断力批判』において、この問題を、政治的な判断や決断の問いとして立てるようなことも可能であったにもかかわらず、「美的=感性的なものを」めぐる問いとして提起している。カントのこのような問いかけは、20世紀の戦後フランス思想の文脈で生じたカント解釈の系譜と合流する。その解釈によれば、カントの思想は、通例見なされてきたような理性主義や啓蒙主義の哲学には到底収まりきらないのであり、むしろそれが理性の限界への問いかけとして立てられたということを重視する。こうした解釈の試みは、カントのうちに、たんなる理性主義どころか、そのような理性主義が孕む、理性の法そのものの狂気や苛酷さを浮かび上がらせようとするだろう。本書が判断への問いを通して追及することは、さしあたり、カント美学に固有の問題にとどまっている。しかし最終的に目論まれているのは、「カント美学のポリティックス」というべき問い、すらわち、カント美学の問題圏に胚胎していた「判断力の政治」への問いの所在を発見することであり、その問いの射程を明確にすることにほかならない。

2014年2月 9日 (日)

ジャズを聴く(4)~アート・ペッパー「ウィズ・ウォーン・マーシュ」

Jazartpepper_with I Can't Believe That You're In Love With Me (Orig. Take)

I Can't Believe That You're In Love With Me (Alt. Take)

All The Things You Are (Orig. Take)

All The Things You Are (Alt. Take)

What's New

Avalon

Tickle Toe

Warnin' (Take 1)

Warnin' (Take 2)

Stomping At The Savoy

 

Art Pepper (as)

Ben Tucker (b)

Gary Frommer(ds)

Ronnie Ball(p)

Warne Marsh(ts)

 

アート・ペッパーの1956年11月にコンテンポラリー・レーベルでの初めてのリーダー・セッション。しかし、長らく発売されず、1972年に一部が、そして、1986年にようやくまとまったものとして発売されたのがこのアルバムだという。

年代も近く、同じ白人のアルト・サックス奏者のリー・コニッツと比べられることがあるが、このアルバムで共演しているテナー・サックスのウォーン・マルシュは、そのコニッツと同門でレニー・トリスターノの弟子にあたる。この二人のやりとりが、気の合った同士の会話のように、時に離れ、時に寄り添い、絡みまくるわけてなければ、ばらばらに吹いているわけでもない、リラックスした心地よいプレイが進んでいく。それが、このアルバムの特徴となっている。

ペッパーのプレイは、自分一人が目立つとか、強引に周囲を引っ張るといったタイプと違って、全体のアンサンブルを考え、そこで周囲を生かしつつ自分のプレイを構成していくというタイプに属すると思う。気の強い同士が双頭でコンボを組むと互いに自己主張の競争となってスビードバトルやソロの取り合いとなることがある。それはそれで面白いのだけれど、ここでのペッパーとマルシュは親密なアンサンブルを作り上げている。バックの3人(ピアノ、ベース、ドラムの3人、中でも特にピアノのロニー・ボール)も出しゃばり過ぎずに総じて控えめな演奏に徹しているところが一段と心地よいものにしている。

それが、ペッパーのプレイにも影響しているのではないか。『Modern Art』に比べると、リラックスして聴こえる。例えば、「Warnin'」は、『Modern Art』の中の「Blues In」や「Blues Out」に通じるような曲なのだけれど、こっちの方が軽快なのだ。バックのメンバーが違うということもあるけれど、ペッパー自身が、よりリズミカルで跳ねるような感じになっているので、こころもち音が軽くなっているように聞こえる。

さらに、一曲目の「I Can't Believe That You're In Love With Me (Orig. Take)」では最初から、ペッパーとマーシュのアンサンブルが楽しげだ。ワン・ホーンという構成の『Modern Art』ではペッパー一人で背負うということから、どうしても緊張して肩に力が入ってしまう。それに対して、こちらはマーシュとのアンサンブルが幸いしてか、肩の力が抜けてリラックスしているように感じられる。ペッパーのプレイが楽しげで、リズミカルに弾んでいる。リラックスしたムードの中で"閃き"があり、それを"閃き"のように見せることなく(しかしちゃんと聴くとフレーズや旋律そのものは"閃き"なのだが)何食わぬ顔で演奏をしていく軽妙なペッパーの姿を見ることができる。

また、ペッパーとマーシュは同質性が高いが、細部を聴くと、あくまでクールなマーシュと、似たようなフレーズにも結構気分がこもってしまうペッパーの微妙な違いが見えてくる、という楽しみ方もある。

2014年2月 8日 (土)

生誕140年記念下村観山展(5)~第4章 再興日本美術院

Kanzanhousi 岡倉天心が亡くなって、横山大観らと日本美術院を再興させて、その後の下村の作品ですが、枯淡というような解説がなされているようです。しかし、私には、下村の作品は描き込んでいくところに大きな特徴があるので、老境に入り、作品を描き込む気力に衰えが生じ、それが作品に反映してきた、というのが私の正直な感想です。この時期の作品の中には、熟練した技巧の冴えが見られるものもあれば、衰えを隠すことのできないものあって、玉石混交になっている、と私は思います。

Kanzanfox_2 「白狐」という作品です。前回に見た「木の間の秋」や「小倉山」に通じる大作です。木の葉や草の精緻な描写には変わりありません。しかし、この「白狐」では、先行のふたつの作品に比べて、色彩が淡く、見た目の変化に乏しいものになっています。晩秋から初冬にかけての、紅葉も終わり、雪化粧には未だ早いという、ちょうど草木が装うすべが何もない時期を取り上げているということなのでしょうけれど、したがって、色が制限されるところを逆手にとって、その限られた色のグラデーションで微妙な変化に富んだ画面を作っています。しかも、中心となる狐が白狐で、いうなれば色のない存在であるわけです。この作品では、草木を「木の間の秋」での稠密で妖しい世界を、強調した色彩ではなく、色彩のグラデーションを用いて描き込み、中心の白狐を白い空白のように画面に存在させています。そうすることで、淡い色彩ではありますが、稠密な草木と白狐を対照的に描くことで、草木の妖しさが際立ち、それに対して、白い狐が清澄なものとして見えてくる効果を上げていると思います。また、屏風左側の大きく空間をとってススキをまばらに描いていてると、右側の草木と白い狐を対照的に描いているので、重層的な対照関係で、さらに狐がシンボリックに屹立する感じになっています。

Kanzankaede 大作ではありませんが、「楓」という作品にも、下村の淡い色彩のグラデーション効果の良く出ている作品ではないかと思います。下村の草木の描写は細部を描き込むという特徴は、あまり全体を様式化しすぎてしまうと、細部のパターン化が進み省略されてしまうことになります。そこで、細部を過剰に細かく描きこめばバランスを欠いてしまいます。そのためもあるのでしょう。かといってあまり写実的に描写を追及すると日本画の枠に納まりきらず、他のものの描写とのバランスを失ってしまいます。そのため、下村の草木の描写はパターン化と写実との間で独特の緊張関係をもっていたと思います。それが、下村の特徴でもあったと思います。しかし、この時期にはいると、その微妙なバランスが崩れてくるように、私には見えました。細部が浮いてしまって効果を上げていないのです。それが「弱法師」(一番上の作品)という作品です。評価の高い作品のようですが、私には描かれている個々のパーツがバラバラで、散漫に感じられました。

Kanzanmona また、ひとつの話題ということで「魚籃観音」という作品。中央の観音の顔はレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」なのでしょうけれど、言ってみれば悪趣味で賛否両論あったとのことです。それは別に措いて、私には描き込みが足りないほうが、寂しくみえます。アイディアがあっても、それをまとめ上げる力が出なくなっているのを、この作品はあからさまに示していると思います。前にも西洋絵画の模写を見ましたが、あのくらいの力が入っていれば、作品として、それなりに見ることのできるものになっていたと思います。

それだけに、下村という画家の作風は、日本人の好む枯淡という風情とは相いれない、何か過剰というべきものが支えていたように思います。出来上がった作品は、すっきりしていますが、その根底は西洋絵画にも負けないほどの脂ぎった描くことへの欲望のようなものを感じます。それは、それほど多くはありませんが、近代以降の日本の画家のなかでは、異彩を放っていると、私は思います。

2014年2月 7日 (金)

生誕140年記念下村観山展(4)~第3章 ヨーロッパ留学と文展(続き)

Kanzanogura2_2 「小倉山」という作品を観ましょう。最初に展覧会チラシで紹介した大作で、この展覧会のメダマとなる作品です。前回に見た「木の間の秋」は森林風景ですが、このような絵画空間に人物を加えたらどのようなことになるのか、という作品です。1双の屏風の左側は空間を大きく取り一本の樹木に横枝が交錯する構成で、一見シンプルな体裁をとっています。これに対して右側は人物を配したもので、こちらは稠密な森林という錯綜した構成になっています。まずは、全体を左右の対照的にすることでアクセントをつけています。これで見ると、右側の人物の配された稠密さがさらに強調されるようです。その右側の森林風景は「木の間の秋」以上に密度の高いものとなっています。ここでは紅葉という色彩効果が加わるため、線とバラエティに色彩のバラエティがさらに加わって、エスカレートしています。よく見ると木々の葉の葉脈一本一本まで丁寧に描かれています。金線いれて目立たせてまでしています。全体の構成も横に太めの枝を一本通して、中央の大黒柱のように色を違えた幹とで十字をつくって動きの線とで画面を四分割させて微妙に雰囲気を分けることで、混沌とした中でも全体として秩序感を作り出しています。そのためだと思いますが、人物が混沌に埋もれることを免れています。描き方の点でも、樹木は輪郭線を使わず、人物は線描で明確な輪郭を持っています。人物の顔の線は細いけれど勁い明確な線で、衣装は太くなるけれど色は薄くなって描き分けられています。衣装は、線があってもぼんやりした線であるため、細かく描き込まれた模様が引き立つように工夫されています。この作品について、マニエリスム的な細部の積み上げの効果は、幾らでも語れてしまうのですが、ここでは、それ以上に中心に描かれた人物が、埋もれることなく、浮くこともなく、ハマっていることが驚きでした。前回も参考として見ていただいた横山大観の「千ノ與四郎」では人物が背景に押されて生彩を欠いているのに対して、この下村の作品は、それなりに存在感があるのです。この展覧会の感想の最初のところで、「闍維(じゃい)」という作品では、群像の人物に存在感がないことを指摘しましたが、ここでは西洋絵画のような人格個性をもった独立した人物とは違いますが、画面に人物が存在していることに違和感も何もない。

Kanzanogura1 ここで描かれている人物は、やまと絵から抜け出たような表現で、西洋画に範をとったようなリアルな人間の描き方ではありません。そういう写生のように描かれた人物がとってつけたような、画面から浮いてしまうようなものでしかなかったのとは違うのです。また、従来のやまと絵の記号的なものとは何か違うのです。多分、やまと絵の描き方で下村が描いたのは、画面の中でパーツとしてハマることを優先的に考えたのではないかと思います。しかし、人物の顔の描き方を見るとヨーロッパ留学までして西洋画を身を持って体感してきた下村としては、従来ののっぺりした描き方に納まりきれなかった。そこでは、顔の陰影がつけられ肌の柔らかさのニュアンスが描き込まれています。そこで、やまと絵の人物の記号が人の温か味をもった柔らかい肌合いの肉体として表われたと言えます。とくに顔がそういうものとして描かれたことによって、観る側としては、そこに人の表情を想像してしまう。もしかしたら下村はそれを仕向けるようにして描いたのかもしれません。実際に、それとわかる表情までは描き込まれていないのです。顔の表情はあいまいなままです。それゆえにこそ、たとえばレオナルド・ダヴィンチの「モナリザ」のように表情がないところこそが観る者に表情を想像させてしまう。こういうと言い過ぎでしょうか。実際、他の作品を観ても、近代日本画が苦手とした人物表現にひとつの途を開けたようにも、思えるのです。しかし、私の知る限り、この方向での展開はなく、記号的なパターンに固まってしまったというのが後世の大方の画家たちの人物画だと思います。

Kanzandaio_2 そんな人物画の試みの例として「ダイオゼニス」という作品。この作品の老人のように描かれた日本画を、私の無知ゆえでしょうが、他に知りません。この作品以外にも、女性の肉体性を図案化したような「観音図」やキン肉マンのような「不動」といったチャレンジングでユニークな作品があり、人物としての存在感がとても感じられる佳品が多く見られました。この後の時期に入ると、下村自身も急速にパターン化に進み、人物が記号と化してしまって存在感を失ってしまうことになります。思えば、日本画で存在感ある人物を画面に定着させるというのは並大抵のことでは出来ないのかもしれません。下村という画家をして、ある気力の充実した時期だったからこそできたのかもしれません。そう考えると、1年の初めに、下村という画家の作品と出会うことができたのは、幸運以外の何ものでもないような気がします。この1年は幸先の良いスタートが切れたと感謝しています。

2014年2月 6日 (木)

生誕140年記念下村観山展(3)~第3章 ヨーロッパ留学と文展

Kanzanmire_2 Kanzanmire2_2 この展覧会の作品を通して観た印象では、欧州に留学して帰国後バリバリ描いていた、この時期が下村の画家としての絶頂期ではないかと思います。この時期の作品が群を抜いて興味深く、この後の再興日本美術院のころになると、晩年になるのか画風が変わって本来の持ち味を消してしまうような、敢えて言えば持ち味を生かすために必要な力の衰えを感じさせられます。この時期の作品で展示されているものは、どれをとっても興味深い。

ヨーロッパ留学時代に当地の作品を模写しているのが展示されていました。ラファエロ前派のミレイと当のラファエロというのが、結果としてそうなったのか駄洒落なのか、面白い取り合わせです。それぞれ、下村の模写(左側)と原本(右側)を並べてみると、下村の特徴が炙り出されて来るのではないでしょうか。下村は水彩や日本画の絵の具で紙や布に描いているので油絵の技法の使用には制限があるのでしょうが、平面的であることと輪郭線をはじめとした線が目に付くのが目立つ特徴といえます。例えば「椅子の聖母」をラファエロの原本と比べてみると、下村はスKanzanrafa_2 フマートの効果を必死に真似ようとしていて聖母の頬の感じなどそれなりの効果をあげてはいますが、その輪郭を明確に線を引いているので、ラファエロの柔らかい肌の感触や暗闇に融け込んでしまうような現実か幻想が判別としない神秘的な感じが出ていません。幼児キリストの足の部分などもそうで、下村の模写では聖母子というよりも普通の家庭の母子になってしまっています。それは、下村が幻想が描けないというのではなくて、立体的な空間という視点がとれないためではないかと思います。だから、背後の闇に影がとけこむような絵画的なフィクションがイメージできないのではないかと思います。とはいえ、ラファエロの丸めたポーズを幾重にも重ねるデザイン的な画面つくりは、前回に紹介した下村の「春日野」で細部を積み重ねるマニエリスム的な画面つくりの本家みたいなもので、下村にとっても興味深かったのではなかったのかと思います。しかし、このような模写は、いうなれば習作で普通なら破棄してしまうと思われるけれども、それを帰国後も描いて作品として仕立てあげてしまうところが面白いところです。

Kanzankinoma 「木の間の秋」という作品は、琳派を思わせる装飾性があると発表当時には好評を博したということですが、むしろ、ヨーロッパ留学で、彼我の違いを実感した下村が、例えばラファエロの模写で、やろうとしてできなかったことを、別のやり方で自分なりに工夫した結果が表われてきたものだったのではないか、という気がします。それは、前回に見た「春日野」にも見られた、あるいはラファエロの模写の底流にもあっただろうと思われるマニエリスム的な絵画のフィクションの全面的な展開です。この「木の間の秋」という風情ありげなタイトルとはかけ離れたように画面は細部が過剰です。秋の少し寂しげなイメージとは逆に、グロテスクなほど細部が溢れんばかりです。何か、魔物が現れそうなおどろおどろしさを感じないわけではありません。それは、琳派の様式化されたデザイン画のような装飾性とは別物のように、私には見えます。むしろ、ラファエロ前派のミレイ(下村の模写した画家です)の「オフィーリア」の溺死体の周囲に乱れ咲くような花々を想い起させます。ミレイの場合はアトリビュートとしての花に込められた象徴的な意味を過剰に画面に盛り込んで、それがまた全体の幻想性を高めています。下村の作品には、ミレイのような意味の過剰はありませんが、およそ日本の森林の秋の風景としては、現実性というよりは、この世にない風景という感じで幻想性を感じさせます。森林の主役である樹木は輪郭をくっきりさせず(朦朧体というのでしょうか)、樹の幹に絡みつく蔦や苔、下草といった脇役をあえて明確な輪郭を描くことで、前面に強調しています。樹の幹の一部をぼんやりと描くことで、奥行のない平面てきな世界の中で、森の深さと幻想性を効果的に表わしています。そういうフィクショナルな場面を作り、樹である松の葉(葉だけはくっきりと描かれている)や草の線や点が縦横に交錯して、それが画面に躍動感を与えているのです。端的にMireofiria いえば、混沌のエネルギーを様式化させようとしているように見えます。そこで、下村は線の使い分けとか、輪郭の強弱とか、技巧を用いて、平面性を生かしつつ、それを超えようと試みているように、私には見えます。これを装飾性というのは、私は適切ではないと思います。装飾という言葉には、本体と装飾部分を分けて、本体は別に措いておいて、本体にオマケとして装飾を付け加えるという意味合いがありますが、ここでの下村は、本体と装飾の立場を逆転させているのです。横山大観にも「千ノ與四郎」という庭にいる千利休を描いた作品がありも庭の葉が前面に出て利休の存在が霞んでしまうような作品がありますが、その作品での葉は下村ほど一つ一つが細かく描き分けられておらず、装飾の位置から出ていません。主役である利休を霞ませるところまでは行っていますが、取って代わるところまで行かないのです。そういう点で、下村の、この作品は大胆で突出しています。Yokoyamasen

2014年2月 5日 (水)

生誕140年記念下村観山展(2)~第2章 東京美術学校から初期日本美術院

Kanzanjai 会場に入ってすぐ真正面に目に入ってくる作品が「闍維(じゃい)」という釈迦が入滅した後荼毘にふす場面を描いという作品です。横山大観の「屈原」と共に賞を受け、高い評価を受けた作品ということです。なお、右から2人目の人物が下村本人ということです。でも、どこかしっくりこないのです。人物に存在感がないというのか、群像を描いていると思うのですが、釈迦を火葬にして灰になっていくのを弟子たちが囲んでいて、それぞれの弟子たちに表情やしぐさにその弟子の性格や釈迦との関係が表われてくるといったものであると思うのですが、どの人物も同じに見えてしまうのです。少し違うかもしれませんが、レオナルド・ダヴィンチの「最後の晩餐」を見ると横長の食卓に一列に並んだキリストと弟子たちが、キリストの告白に驚いたり、怒ったりとその中でユダがいるという群像の人々が描き分けられそこに強烈なドラマが起こっています。それを下村の作品に求めるのは畑違いかもしれません。しかし、このノッペリした人物たちは何なのでしょう。何か、無理して西洋絵画を取り入れようとしたギャップがそのまま出ているとか私には見えません。端的に言って挑戦は立派だけれど明らかな失敗ではないかと思います。

Kanzankumano 東京美術学校の卒業制作として描かれた「熊野観花」という沢山の人物を題材とした作品では、そういうギャップは感じられません。だから下村自身が人間という対象を描くのが下手というわけではないと思います。 このほかにも日蓮が路上で集まった人々に説法している場面を描いた作品もそうですが、場面をドラマとしてではなくて、風景として描いた作品は、細部まで精緻に描くという下村の特徴が良い方向に出て、丁寧に描き込まれた作品として成り立っていると思います。ただし、そこで描かれている人間は一人一人が個性や人格を備えた人物ではなくて、風景の中で空間を埋める人の形をした物体として描かれていると言っていいと思います。石ころと同列の扱いなのです。多分、もともとの性分として、キリスト教をベースにした存在の位階のような意識がないからではないかと思Kanzaneji_2 うのですが、人間を中心に描いていないし、そういう視点をもともと持っていないので、そういう切り口がないところで、ドラマをつくることは難しいのではないかと思います。これは何も明治の文明開化の時期に限った事ではなくて、現代に近い時代でも、まんがの世界でまるで写真のように背景を描き込みながら、人物についてはまんが独特のデフォルメした平面的でパターンを描く作家たちがいます。水木しげるやその影響下にある人たちで、例えば、つげ義春の「ねじ式」の一場面をみてもらうと海岸風景のリアルな描写に対して中央の人物の手抜きで見紛うほどの類型的な描き方に通じるところがあるような気がします。そもそも、日本の絵画というは、人物を描くのに適していないのではないかと思ったりします。それよりも、西洋絵画の人物を描くという考え方やそのやり方の方がユニークで他に類を見ない独特のものであるのかもしれず、私の絵画の見方というはそれに毒されてしまっているのかもしれません。下村の二つの作品を観ていると、そう考えさせられてしまうことがありました。

Kanzangenroku 下村自身は、そんな懐疑に捉われることなどなく、人物表現を追及していたのでしょう、それひとつが「元禄美人図」という作品です。画像は小さくて、それを全体として観ると平面的ですが、顔の部分をみてみると、浮世絵の美人画ややまと絵の人物とは異質な、美人とタイトルにありますが決して美人ではないけれど、特定の個性ある人物の顔が、しかも表情のはっきりとわかる顔を描いているのが分かります。後の時代に速水御舟がリアルを求めて「京の舞妓」という論議を起こした作品を描いていますが、こちらの方が遥かに生の人間を感じることができます。しかし、全体としては肉体をもった実存を描き切れていない。これは下村がヨーロッパに渡り西洋絵画を模写するときに、齟齬を感じされるのですが、それと同じ原因が、この元禄美人の人物表現にもあるのではないかと思います。私の個人的な感想ですが、下村の作品の中で、この作品が人物を描いた作品のピークではないかと思っています。「闍維(じゃい)」という大作のような内容空疎としか見えないものに比べて、とりあえず人間がいるという作品になっていると思います。

Kanzankasugano 「熊野観花」では人間が石ころと同列の物体として精緻に描き込まれていると述べましたが、石ころまでをも描き込もうとする妄念のようなところが下村の作品にはあると思います。その細部の描写ということには、この時期の下村の作品を観ていると、引きこまれるようなものもあります。「春日野」という作品。垂れ下がる藤の花の一つ一つを描き分けているのは、執念さえ感じます。鹿の毛の一本一本を鹿の模様に合わせて細かな線を引いていて、まるでその毛の一本一本が立っているようです。そして、鹿の座っている下草の葉を線で、これまた線で一本ずつ引いている。そして、鹿の毛の線の流れと、下草の線の流れが、それぞれ呼応しているかのように、リズムを作って下半分の流れを作り出しています。つまり、細部の描写がそれだけ単独で突出しているわけではなく、画面の中で上手く機能しているのです。しかし、この時の鹿と草の線は、細い線であるものの勁い線で鋼のようでもあります。そこでは、鹿の毛と草の質感の違いを描き分けるということは、あまり考慮されていないようにも見えます。それはまた、左下で垂れ下がる藤の花の背後にいるはずの鹿の毛が藤の花の前に出ていて、奥行の順番を間違えているかのような書き方にも言えます。画面の上半分は藤の花がまるで楽譜の音符のように画面を埋めていて、下半分の線に対して、点でリズムがとられていて、その飛び地というべきものが、下の草地の丸い葉が数枚あって、そこで点のリズムと線のリズムが交錯しています。そのような動きは全体を薄い絵の具で、透き通るように描くことによって、あまり前面に出して強調するようなことをさせないでいるため、そのリズムがそこはかとなく聞こえてくるような効果を醸し出していると言えます。その感じが全体に穏やかなリラックスした雰囲気の中で、動きを感じさせる効果を出していて、憩う鹿が止まっていないのです。解説によれば、朦朧体が使われているということで、発表当初は評判が悪かったということですが、私には、そうであったからこそ、線と点を対比的に使うことができのではないかと思います。私には、下村という画家は、細部を用いたマニエリスム的な画面操作をここ見ていたように受け取れる点で、当時の岡倉天心とその門下生の画家たちなどよりも絵画的な発想に独創性があったのではないかと思わせられるのです。

2014年2月 4日 (火)

生誕140年記念下村観山展(1)

2014年1月14日(火) 横浜美術館

Kanzanpos 今年はじめての都心への外出、予定より少し早く終わったので思い切って横浜まで足を伸ばして見に行くことにした。正月明けということなのか、平日の夕方ということなのか、館内は閑散とした状態で、係員も心もち手持無沙汰のように見えた。そのせいもあって、マイペースで落ち着いた雰囲気で作品を観ることができたのは良かった。展示は、少し前にやっていた横山大観の展覧会とよく似たレイアウトで、前の骨組みをそのままにして展示物を取り換えたかのような感じもした。この美術館は、スペースの使い方が贅沢というのか、ほとんど無駄に浪費しているように見えて、スペースを巡るのが不便で、外観とかロビーにしか気を遣っていないのではないかとしか思えないところがあるので、前に見た展覧会と同じように巡ることができたのは、却ってありがたかった。

前回ここで見た、横山大観については一般的なネームバリューに対しては素人くささを悪い意味で見えてしまって、落胆はあったのだけれど、今回見た下村観山はプロの画家であるということが、横山大観と一線を画すのが大きな違いだと思う。それだけに、絵画以前のお絵かきみたいだった横山大観の作品に対して、絵画作品として観ることができた。

下村観山という画家については、主催者あいさつで次のように紹介されています。“下村観山(1873~1930)は、紀州徳川家に代々仕える能楽師の家に生まれました。幼いころから狩野芳崖や橋本雅邦に師事して狩野派の技法を身につけ、1889年に東京美術学校の第一期生として入学し、横山大観や菱田春草らとともに、校長の岡倉天心の薫陶を受けました。卒業後は同校の助教授となりますが、天心を排斥する美術学校騒動を機に辞職、日本美術院の創立に参画し、その後は日本美術院を代表する画家の一人として、新しい絵画の創造に力を尽くしたことで知られます。1913年には実業家原三溪の招きにより、横浜の本牧に終の棲家となる居を構えた、横浜ゆかりの画家でもあります。狩野派の厳格な様式に基礎を置きながら、やまと絵の流麗な線描と色彩を熱心に研究し、さらにイギリス留学による西洋画研究の成果を加味し、気品ある独自の穏やかな画風を確立した観山。”といった具合です。この美術館の姿勢というのか、美術展の企画は意欲的な見かけで面白そうと思わせるのですが、こういう主催者のあいさつとか展示の内容では、一般的なところに沿う、主張とか考えの感じられないものになっていて、期待させられただけに落胆するということが多い美術館であると、私は思っています。端的に言えば、内容は取り敢えず措いておいて、突飛な宣伝で気を引くという傾向です。とはいっても、企画とか展示姿勢がどんな出会っても、展示されている作品が良ければ、そんなものはどうでもいいことではあります。その意味では、展示された作品を観るというのが、今回の満足感につながりました。

下村観山の作品に対して、特徴を端的に言うことは、私にはできません。どうしても、日本画をよく知らないため、正直にいえば、区別がつきません。ここで展示されていた下村の作品を単に作者名を伏せて見させられても、これを下村の作品であると判別できるような鑑識眼を持ち合わせているわけではありません。しかし、最近、横山大観をはじめとして竹内栖鳳などの展覧会を見てきた印象と比べると、とくに同僚であったらしい横山大観の作品の印象と比較すると、比較的線がうるさくないということを強く感じました。それと、丁寧に描いているということも感じました。これは横山と比較しているからかもしれませんが(こういう言い方をすると横山を好んでいないように受け取られるかもしれませんが、たしかに作品を観た印象では、彼の作品が世評では高い評価を受けている理由が分かりませんでした)。全体の作品のつくり方の方向性としては、横山大観や竹内栖鳳が、全体を大掴みにして、時には大胆に省略したり構図で工夫したりしていたのに対して、下村の場合には、細部を積み上げて、その結果全体としての作品が出来上がる、という作り方をしているように見えました。そのあり方が特徴的に表われているのが、植物や動物を描いた作品で、植物の葉の一枚一枚を丁寧に精緻に描いていて、屏風のような大作でも隅々までその姿勢が貫かれているのには、じわじわ迫ってくるような迫力を感じました。そこには、対象を把握するというのではなくて、二次元の平面の絵画上の色と平面に還元してしまうという視線が強く感じられたのも確かです。それは、今でいうならドットプリンタのような平面にプリントする各ドット(点)のひとつひとつに分解して、その一点一点の精度を高めようというようにことでしょうか。それだからこそ、何かメッセージを伝えようとか、人物の人となりを表現しようという場合には、物足りなさがつきまとうことになっているとおもいます。下村の人物画は人間とか人物が描かれているのではなく、人物の形をしている彫像にしか見えませんでした。それは、上の展覧会チラシに載せられた作品にも明らかです。森にいる人物の存在感は希薄で、平面的です。しかも顔と衣装(身体ではなく表面的な衣装でしょう)とはチグハグで一体のようには見えません。それこそ、平面的な空間を顔と衣装のそれぞれの平面が埋めているかのようです。それ以上に背景であるはずの木やその葉、草の一つ一つの絵描き方が執拗なほど精緻で、人物の前面に出ています。このチラシでは、その一部にスポットを当てて拡大してくれていますが、例えば松の葉などはその細く描かれた一本一本がそれぞれ描き分けられているかのようで、日本画の技法で筆の勢いでそれらしく見えるようになっているのとは、別のもののようです。そういう、細部肥大症の傾向、そういうところを描かずにはいられない、という画家の癖のようなものが濃厚に表われていると思います。そして、下村の作品に見られるそういった特徴は、私の好みです。そのようなことを実際の作品を観ながらお話ししていきたいと思います。

なお、展示は次のような章立てでした。また、例によって、一般的に流通している雅号で観山という呼称は、ここでは単独に用いません。横山大観の時にも述べましたが、ここでは一貫してラストネームで画家を特定しているので、下村という呼び方、場合によってはフルネームで下村観山という呼び方をします。

第1章 狩野派の修業

第2章 東京美術学校から初期日本美術院

第3章 ヨーロッパ留学と文展

第4章 再興日本美術院

 

 

なお、第1章の狩野派の修業は、下村が、日本美術院に入学するまでの少年期の習作時代の作品です。作品数からしても、第2章以降とは釣り合いを欠くほど少なく、とくに注目したいほどの作品もなく、たんに巧みなお絵かき程度です。下村を特別に勉強するひとや熱狂的なファンではないので、ほとんど素通りです。

2014年2月 3日 (月)

ジャズを聴く(3)~ハンク・モブレー「ソウル・ステーション」

今日は、テナー・サックスのハンク・モブレーを聴きます。まずは、モブレーのプレイについて

 

イギリス人批評家の“テナー・サックスのミドル級チャンピオン”という彼を評した言葉がひとり歩きして、「B級」と評されることもあるらしい。“ミドル級”という形容は、スタン・ゲッツほど軽くはなく、ソニー・ロリンズほど重くない、ということを言いたかったらしい。つまりは中庸の魅力という意味合い。ただし、この中庸ということは、裏返して言えば突出した特徴というのがなくて、言葉で形容しようとすると否定的な言辞を並べてしまいがちなのだ。ハードにドライブするソニー・ロリンズとか、機関銃のように間髪入れずブローしまくるジョニー・グリフィンとか、唸るようなスピード感溢れるジョン・コルトレーンとか、咽び泣くような哀感漂うスタン・ゲッツとか、そういう聴く者を一瞬のうちに引き付けてしまう特徴を持っていない、地味にさえ聞こえてしまうところに、実はモブレーのプレイは特徴がある。一聴でそれと分かるというのではなく、何度も繰り返し聴いて、耳が慣れてくると味わいが深まってくるというタイプと言ってよいのではないか。

モブレーが活躍し始めた当時のテナー・サックスはデクスター・ゴードンやソニー・スティットのようにパーカーの語法をいかにテナーに置き換えるかということが依然として行われていて、ロリンズのように一頭地抜きん出たパフォーマーは殆どいなかったと言える。モブレーは自分なりのオリジナリティーで勝負し、テナーならでは良さを生かした太くまろやかなトーンと流れるようなメロディ・ラインを追求していた。モブレーのソロはコードを基盤にしたメロディの歌い切りを心がけているように聴き取ることができ、オリジナル曲を聴いてもテーマを延々と続く4ビートに乗り、ひたすらメロディックにラインを組むことにポイントを置いているようだ。そこで、たとえテンポが速くなって、鋭いリズムでもゆとりを感じさせるようにメロディを吹いている。しかも、テナー・サックスの特性を生かした太くてまろやかな音色が、他のプレイヤーにはない寛いだ心地よさを生み出す。

そこで感じられるのは、控え目で繊細な味わいだ。決して、派手に万人受けするわけではないか、ファンとなったものだけが自分たちだけのモブレーを共有できるといったようなインティメートな空間をつくることができる。

 

 

そして、「ソウル・ステーション」です。 

 

Jazmobley_soul Remember

This I Dig Of You

Dig Dis

Split Feelin's

Soul Station

If I Should Lose You

 

 

Art Blakey(ds)

Hank Mobley(ts)

Paul Chambers(b)

Wynton Kelly(p)

1960年3月26日録音

 

ハンク・モブレーがリーダーとなったワン・ホーンの録音、ピアノのウィントン・ケリーの跳ねるようなピアノをバックにモブレーの分かりやすい、よく歌うフレーズが映えるアルバム。最初と最後にスタンダード・ナンバーを置き、間にモブレーのオリジナル曲を配している。

最初の「Remember」では、冒頭からモブレーが親しみやすいシンプルなメロディを吹く。このバックのウィントン・ケリーの軽快なピアノが歯切れよく、アート・ブレイキーらのリズム・セクションも煽ることなく控え目で、リラックスした中で、しっかりとミディアム・テンポのリズムの枠をつくった中で、モブレーが即興の歌を軽やかに歌う。彼の即興はテーマを分解するというよりは、テーマを変奏して、そこからフレーズが派生してくるような印象だ。もとのテーマよりもアドリブのフレーズの方が、よりメロディアスで歌っている。ソニー・ロリンズの『Saxophone Colossus』の最初の曲「St. Thomas」でテナーが提示するテーマに感じが似ているテーマなので、聴き比べていただけると、モブレーの音の軽さがロリンズと比べてよく分ると思う。その後の、ロリンズの急速な展開と比べると、モブレーの展開はモタモタした感じがするかもしれないが、それこそが、ここでのモブレーの魅力となっている。次の「This I Dig Of You」の冒頭でピアノとベースが掛け合うようにリズムが上昇していくような上に乗るようにモブレーのサックスが入ってくるのがとても印象的。その後すぐにピアノの軽快なソロが推進力ある乗りを生み出して(こういうのをスウィンギーというのか)、そこでリズミカルでメロディアスなモブレーのソロが入る。彼の軽い感じの音が、ダンサブルな乗り(ビ・バップのアドリブではダンサブルになることはあまりない)で、思わず身体を動かしたくなるような楽しさがある。この後の曲は、ミディアム・テンポで、軽快な乗りでメロディが歌うモブレーのソロをフィーチャーしたナンバーが続く。このように書くと単調にみえるかもしれないが(人によっては変化が乏しいと感じかもしれない)、モブレーの語り口が聴く者を飽きさせない。むしろ、その乏しい変化(大袈裟にブローもない替わりに、深刻ぶったマイナー調の沈むようなバラードもない)と口当たりの柔らかさが、聴く者に安心感とリラックスした感じをあたえ、何度も繰り返して聴く、あるいは、そこに音楽が流れているという雰囲気、深刻に音楽に向き合うと言うよりは、リラックスして音の場にいるという聴き方を許すようなところがある。

2014年2月 2日 (日)

ジャズを聴く(2)~アート・ペッパー「アート・ペッパー・ミーツ・ザ・リズム・セクション」

村上春樹は「ポートレイト・イン・ジャズ」というエッセイの中で、アート・ペッパーについて、次のようなことを書いています。

“アルト・サックスという楽器には、ある種のフラストレーションが影のようにつきまとっている。正確に表現すれば、「そこに本来あるべきものと、実際にそこにあるものとのあいだにあるずれ、齟齬感」ということになるのだろうか。それはたぶんアルト・サックスという楽器の構造に起因するものなのだろう。演奏者が頭に描く音楽の情報量が、アルト・サックスという楽器にうまく収まりきらず、収まらない部分がぼろぼろと端からこぼれ落ちていく─そういう印象を、僕らは受けてしまうことになる。

そのフラストレーションはある場合には文字通りの苛立ちにもなり、またある場合には満たされることのない憧憬のようなものにもなる。あるいはその両者を同時に含むものにもなりうる。そのあたりの切迫性は、テナー・サックスには求められないものだ。テナー・サックスは、アルト・サックスに比べると良くも悪くも自己充足的であり、意志的であり、遥かに堅固なグラウンド上にいる。

そのようなアルト・サックスの「危うさや切迫性」という部分に焦点を絞っていくと、そこには否応なく、アート・ペッパーの姿が浮かび上がってくる。その楽器の持つ生身の刃物のようなぎりぎりさと、その裏側にある架空の楽園の情景を、ひとつの音楽像として克明に、リアルタイムに具現化した演奏者は、彼のほかにはいない。チャーリー・パーカーを、奇跡の羽を持った天使とするなら、アート・ペッパーはおそらくは変形した片翼を持った天使だ。彼は羽ばたく術を知っている。自分が行くべき場所を承知している。しかしその羽ばたきは、彼を約束された場所へとは連れては行かない。

彼の残した数多くのレコードを聴いていると、そこには一貫して、ほとんど自傷的と言ってもいいほどの苛立ちがある。「俺はこんな音を出しているけれど、俺が本当に出したいのは、これじゃないんだ」と、彼は我々に向かって切々と訴えかけている。彼の演奏には、それがどれほど見事な演奏であったとしても、ソロが終わった直後に、楽器をそのまま壁にたたきつけてしまいそうな雰囲気がある。僕らはアート・ペッパーの演奏を愛する。しかし彼の残した手放しに幸福な演奏を、僕らはひとつとして思い出すことができない。彼は一人の誠実な堕天使として、自らの身を削って音楽を創り出していたのだ。そしてアルト・サックスは与えられるべくして彼に与えられた楽器だったのだ。”

では、アート・ペッパーの「アート・ペッパー・ミーツ・ザ・リズム・セクション」についてです。

 

You'd Be So Nice To Come Home To

 

Jazartpepper_rhythm Red Pepper Blues 

Imagination

Waltz Me Blues

Straight Life 

Jazz Me Blues

Tin Tin Deo

Star Eyes 

Birks Works

The Man I Love

 

 

Art Pepper (as)

Paul Chambers (b)

Philly Joe Jones(ds)

Red Garland(p)

 

 

同じアルト・サックスでもチャーリー・パーカーやそのフォロワーたちの演奏を聴いた後で、アート・ペッパーを聴くとサウンドが軽いという印象を受けるだろう。アドリブにしても、パーカーのようにメロディを解体してしまうかのような、ハイスピードで断片が飛び交うような演奏に対して、ペッパーは曲のメロディを最初から破壊してしまうようなことはしないので、微温的に聞こえることがあるかもしれない。そういう軽い感じを、美点として追求したのが、このアルバムで言えなくもない。おしゃれな感じの居酒屋でBGMとして室内に流されていてもおかしくはない。一般的にジャズを聴かない人向けのジャズムードとしては良質なものと受け取ってもらえる要素を多分に有している。実際、このアルバムはペッパーの残した録音のなかでも知名度は抜群に高いようで、それは多分、そういう理由であるだろうし、さらに、どこぞのジャズ喫茶ではオーディオ・チェックに使っているというような録音の良さにも因っているのだろう。それは、決して悪いことではなく、ペッパーの特徴の一つを強調したものであるに過ぎない。

録音のせいか、ペッパーのアルト・サックスの音色が、一般的なカラッと乾いた音というイメージと異なり、意外にも湿気を含んだ、しかもヌケが良くて重く垂れ込めない感じになっている。その結果、しっとりとして落ち着いていながら、暗くならず躍動感を失わない印象を与えている。だから、決して音の緊張感を失ってはいない。演奏面では、その音を聴かせるということに主眼が置かれているように感じられる。全体として、ペッパーのその音色と独特のフレージングなどの特徴をうまく生かし、全体としては各奏者の火花散る激突よりもアンサンブルが重視されているようだ。だから、アルバム・タイトルが“ミーツ・リズム・セクション”となっていても、リズム・セクションはペッパーを煽るでもなく、伴奏に回っている。冒頭の「You'd Be So Nice To Come Home To」は、同じアルト・サックスのリー・コニッツが「Motion」というアルバムの中で原曲のメロディを解体してしまってお馴染みのテーマが一度も聞こえてこない演奏をしているのに比べると、親しみ易いものになっている。

 

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