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2014年3月

2014年3月31日 (月)

マルティン・ゼール「自然美学」(8)

3.観照的意識

a.それは自然でなくてもよい

これまでに言われたすべてのことから、観照的注意は決して自由な自然のなかの自然な客体の知覚と結び付けられてはいない、ということは明らかである。そもそも観照的注意は自然な客体や状況と結び付けられていない。あらゆる対象は、自然な対象であれ人工の対象であれ、観照的知覚の客体となるのに適している。ただしそのためには、知覚する当人がこれらに対象に対して、そしてこうした周囲の状況の中で、適切な距離をとることができ、そのために奮起しなくてはならない。知覚する当人の感覚は、極端な刺激値によって脅かされ、打ち負かされてはならない。知覚する当人の関心は、認識と行為の意図によって支配されてはならないし、会話や願望が生む幻想によって消耗させられてはならない。

「意味疎隔的な現象的個体性」のなかで与えられることは、自然の特権ではない。それは単純なことで、我々は非人格的な感性的直観を人工的な事物や空間にも認めることができるからである。観照的に知覚されるものは、純粋な自然でなくても、何であれ純粋なものでなくてもよい。我々が純粋に向き直るときにそれが直観されるならば、それでもうよいのである。

それゆえ、卓越した観照詩人たちは、決して自然に固執しなかった。文学と絵画は、自然物と人工物がそこで一つの状況を形成するような、無数の見方を知っている。

b.観照の主体であり枠組でもある自然

それでは、観照的に知覚された自然に特有なことはあるのだろうか。そこで、観照的に知覚された自然に固有なことは、原則的には次の点にある。すなわち、そうした自然の中では、ある全面的に規定された機能を果たすために世に現れた諸対象、すなわち製造ないし調整された諸対象の場合よりも、観照的観察が遥かに身近である、ということである。自由な自然の中の自然対象によって、それを固有の仕方で知覚している人々は、ほかの人工的な客体によるよりもはるかに無媒介的に、対象の純粋な現象性に対面させられる。というのも、人工的な客体の場合には、それらの一度限りで個体的な現出を甘受できるようになるために、我々はまずそれらに現に与えられた、あるいは与えられうる諸機能を度外視する必要があるからである。あらゆる人工的な器具と空間は、自然対象とは違って、使用目的で考案され製造されているので、そうした使用に反した観照的見地から知覚される必要がある。純然たる農産物であれ、工業化された農産物であれ、天産物はいつでも成長と創造の所産であり、そこに人間の活動が随伴していようとも、それらは意図せずに生成を遂げている。我々がそこで何も生産物を見ることのない原生の自然は、なおさらのこと、機能的に理解できない形で生きている。自由な自然における自然対象は、特定の何かのために存在してはいないが、次のような場合に、他のあらゆる対象よりも私たちに迫ってくる。それはすなわち、私たちがそうした自然対象を、その一時的な現存在において現出する以外に、何かのために現に存在するのではないかのように知覚する場合である。

人工的な空間は、常に活動を念頭において立案されており、そこで遂行される活動によって刻印されている。そうした人工的な空間を厳密に観照的に経験し得るには、観察者たちは、自分がずっと使用者や居住者として組み込まれてきた共著絵関係から、まずは身を引き離さなければならない。それに対して自然の空間は、本質的に非協調的な空間であって、観察と所有に向けて組織されていない空間である。このような空間には、まったく何も登録されていない。たとえそこで何が見出されうるにしても、我々はそれらの中に、我々の身体の偶然的な重心を拠り所として、自らを見出すのである。自由な自然は「その諸対象を我々の身体へと方向づけることで、釣り合いを喪失してしまう」空間となる。近世的な自然意識の端緒において、こうした釣り合いの喪失が経験されている。それは意味付随的な秩序を欠いた宇宙における、現存在の経験である。

自然とは一方において、観照を実践するための最初の媒体であり、観照を学ぶための比類なき学校である。他方で、このように理解するならば、こうした状態においては、自然は観照を適切に扱うあらゆる理論にとって、掛け替えのない枠組みである。美的観照の根本特徴は、自然に向けられた眼差しのなかで、十全に展開されている。というのも、美的観照の全般的特徴は、次のとおりだからである。すなわち、美的観照は、自らの対象や周囲の状況にまつわる文化的意図をすべて度外視する。むしろ美的観照は、自らが感覚し、見るものすべての中に、自然を見る─すなわち生動性、一時的なもの、儚さ、変移性、意味から自由に生成するもの及び生成それたものを見るのである。

2014年3月30日 (日)

マルティン・ゼール「自然美学」(7)

b.事物と空間

事物の観察はすべての事物から一つか若干の事物を多少とも恣意的に抽出しており、その事物の瞬間的な現出の特殊性に固執しているのである。しかし、我々がこれまで当然のように事物の観照と見なして来たものは、決していつも事物だけの現在化ではなかった。しばしばその観照は、事物が聞き取られる空間の中で事物が現出することも、妥当していたのである。別の言葉で言えば、純粋に事物と関連付けられた視覚が、観照的態度の最初の度外視の他に、その態度によって認識に対するあらゆる関心そのものを無視することに対して、第二の度外視を企てるのである。第二の度外視は、我々が知覚において眼差しの自由を制限することであり─見られた事物と共に我々が存在している空間を、我々は無視するのである。こうした遮蔽は、他の感覚を遮断するだけで成功するすなわち、そのときにのみ、空間は言わば事物に立ち返るのである。我々が視覚的意識の孤立を断念するや否や、我々の知覚は空間内の事物の経験に変容する。この事物は、空間内のそれらと我々の位置から、直観に対する動性を獲得するのである。純粋に視覚的な事物の観察から見れば、他の器官は空間の感覚を導く物体として機能する。空間的観照において初めて、観照的な美意識が全編にわたって展開されるのである。このとき注意は、もはや─眼によって─掴みとられた、ある客体の受動的存在に優先的に向かうのではなく、自己の身体を包括する空間が生起するように開放されるのである。ここでは事物の意味疎隔的な瞬間が、事物の間で意味連関を欠いた存在の瞬間になるのである。

これに次のことが加わる。それは身体の自己経験であって、知覚する感官が自己の経過記録に向き直ることである。メルロ=ポンティが言うように、もしも身体が、「あらゆる他の対象に対して敏感な対象」であるならば、観照的な空間知覚のために自由であることによって、身体はこうした「感覚する対象」として自己を経験し得る状態に置かれる。私が観照的空間において経験するものは、その中で全てのものが私に提示される瞬間性だけではない。私自身の身体的感受性、すなわち、感官の種々の見地から私にこれらすべてが気づかれるように条件づけている感受性も、経験されるのである。その際、感覚する身体はいわば種々の方向づけと遂行の中で自己を告げているのであって、さもなければ、感覚する身体はその中に織り込まれてしまっているのである。そして種々の方向付けと遂行は、繰り返すならば、観照的知覚の不可避の前提なのである。現出の戯れに対する私の注意が事物中心の直観から空間に開かれた直観へと変容する瞬間に、私はこうした戯れの主体かつ一部として自己を経験するのである。

こうした感官の意識は自己を渇望する意識とは全く異なり、空間を渇望する意識であり、そのようにしていつも事物を渇望する意識である。観照している時は、純粋な感覚や本当の感覚が働くときではない。そうした感覚が働くときにはかろうじて、もはや何かについての印象ではありえないような印象が経験されるだけであろう。だがこれは、観照的に直観される空間は決してあらゆる秩序づけを欠いているのではなく、その空間は、前と後、上と下、近くと遠く、大と小、明と暗、こことそこ、いまとそれから、という秩序を知っているのである。こうした身体を中心とする空間の分節化が、ここではあらゆる持続的な意味の分節化から解放されていたのである。際限のない観照の中で、「生きられた」空間の極端な変容が開示されるのである。従って、観照的空間とは、生きられた空間のマイナス形態である、と言うことができよう。こうした直観の中で我々が自己をどこに見出すにせよ、観照的空間とは、我々が他の場合に自らの行為の余地として認識している、まさにその空間である。

c.美の観照と崇高の観照

観照的な空間経験は、崇高な経験の原型である。この経験は、身体と結ばれた自己の知覚活動が空間的な周囲の経験の消尽点となる。そうした経験が空間を変容させるのである。空間それ自体が生起となり、ひとつの整理されえない出来事となる。知覚の立脚地が任意の位置となり、地盤のない場所となる。そこから、崇高の理論が話題にする知覚的意識の危機が帰結する。情緒なき空間が崇高な情緒を生むのである。どの解釈を見ても眩暈は崇高な意識に属するとそれるが、眩暈の原因は、世界が突然に空無と化すことにある。その空無の中に、こうした経験の両義性は基礎を持つ。

こうした観照的な空間経験という崇高の形式的規定は、この経験の特権的な諸対象について何も想定することはない。崇高の観照は世界の特定の領域のとも自然の特別な記念物とも、特に結び付けられていない。空間的観照は、その子孫である事物の観照のように、事物の平等主義者である。すなわち、開かれた空間、なかば自由な天空があれば、空間的観照はその顧慮を欠いた業を展開できるのである。観照の時間に対して、外的所与によって境界が設定されることはない。

事物の観照はいつまでも局所的直観に制限されており、意味付随的な生活世界の空間内部で、何かを意味疎隔的な現出において知覚するのである。それとは逆に空間的観照は、解釈を欠いた注意を全体化するのである。空間的観照に対しては、生活世界の空間全体が、意味疎隔的に生起として提示されるのである。ここでの美的な一大事は、先々までの自明的に分節化された世界の中の異他的なものではなく、この現出する世界の有意味な分節化の解消であり、消滅である。このように知覚されたものは、事物の観照だけによる知覚の対象のように、狭い意味で美しいのではない。その知覚による孤立した観察は、必ずしも自己の観察能力へと立ち返っていないのである。その代わりにこの知覚は自己の対象の中に「沈み込み」、対象の観察のなかで自己を「喪失する」が、こうしたことは境界を撤廃した空間意識には起こらない。事物を観照する観察においては、我々はいつまでも自分たちの周囲と一体であり、ここではすべてがその安全な場所に配置されている。これが個々の事物に感性的に没頭するための前提である。まさにこのことを、「美しい」という語の優れて狭義の観照的な用法が物語っている。すなわち、その語法は、我々が世界の構成を、たとえ方向づけの欲求をすべて度外視しようとも、我々の方向づけ能力への「適合」状態にあると感じる、と明言しているのである。こうした狭義の美の知覚は、生きられた世界の連関を引き裂きはしない。その知覚は、もっぱらそうした連関のなかで、共約不可能な観察の可能性を概観するのである。だが、自由な自然の空間の総体性を知覚することは、これとは異なる。ここで有意味性という織物が、全体として消え失せてしまうのである。

「美しい」という述語が美にも崇高にも使えるということは、観照的な自然知覚の二様態について、両者の違いが程度差であることを示す証拠である。事物の知覚がゆっくりと空間の知覚に移行し得るように、空間の知覚はゆっくりと事物の知覚に緩和されうる。そうした中間状態のほうが、むしろ正常なあり方だといえよう。大方の場合は、観照は純粋な没頭と忘我的な震撼を両極として、そのあいだのどこかで行われる。この両極は同一の事柄のたんに言語的な裏面にすぎない。すべての観照は美ないし崇高の現出に関わっており、美の観照と崇高の観照を語ることは等しく正当なことである。すべて観照は美ないし崇高の観照であって、それゆえ、所与と現前の観照である。だが、そうした所与と現前は、現象のための感覚からしか生じないのであり、しかもその感覚にとっては意味を持たないのである。

2014年3月29日 (土)

マルティン・ゼール「自然美学」(6)

2.意味を欠いた世界

a.美としての自然の生動性

観照的活動はもっぱら、そして第一義的に、決して視覚的な現象の知覚と結ばれているというわけではなく、それが必然的なわけでもない。観照的活動は全く同様に、聴覚的知覚や触覚的知覚と戯れることもありうる。それでもなお、全ての感覚が等しく観照的使用に適しているのではない。視覚が、すべての観照的な知覚の徳を統一し得る感覚である。距離、中立性、同時性、そして継時性。これらの制約のどれもが、高いレベルで、眼による知覚にのみ、それらの制約のすべてが帰せられているのである。そして眼による知覚にのみ、それらの制約のすべてが帰せられているのである。それにもかかわらず、我々が純粋な視覚を観照の首謀者と先導者であると考えるのはよいとしても、例えばその唯一の器官であるであると考えることは許されない。他の器官の大部分は、すなわち、聴覚を初めとして触覚や嗅覚もやはり、観照的知覚に随伴しうるだけでなく、それらは一定の限界内で、視覚の導きなしに観照的に活動し得るのである。あらゆる制限にもかかわらず視覚に与えられたプリズムの役割ゆえに、私は他方で、美的観照のためにさらに「直観」と「観察」という用語を使うのが正当であると思う。このことは、美的観照の知覚がたんに観察する知覚ではない場合にも、やはり正当である。

もっぱら聴覚の場合に、そして視覚の場合にさらに明確であるが、純粋な、知覚の遂行だけに集中した感覚作用が、観照的態度なのである。ここでは、純粋な感性が、その感性にとって束縛のない感性的知覚が問題であるという理由で、観照的な感性と一致している。だが、観照的注意の基準は、これと別のものではない。それはすなわち、それ以外の関心、価値、風景から自由な、遂行へと方向づけられた感性的知覚という基準である。ある限定の下でならば他の器官でもこうした使用が可能である。しかしながら、それらの器官は、我々が純粋にそれらに集中するだけでそのように使用されるのではなく、それらの器官が方向づけられずに知覚するのにまかせるときにのみ、そのように使用されるのである。この「方向づけられずに」に代えて、「関心を欠いて」と言うこともできる。従って、我々は観照を単純明快に、無関心な感性的知覚と定義することができる。

そこから次のことが明らかになる。観照はおよそ純粋な感性の営為などではないが、同様に、観照は意識の基本的ないし原始的な営為などでもない、ということである。特殊なものに対する観照の極端な感覚は、度外視するという固有の能力に基づいている。すなわち、あらゆる非観照的知覚においては意図や興奮が注意を方向づけているが、その意図や興奮を度外視する能力である。観照とは、この上なく前提に満ちた知覚なのである。観照は多様な生活関心と意味連関から共感覚的に形成された一定の時空を前提しており、そりなかですべての所与は言語的に個別化された対象性を保っている。観照はこうした個別化の成果を保持しているが、それをあらゆる機能的な規定から解き放つことになる。観照はすべての事物にその最も単純な名前で呼びかけるだけであって、それらの明言されない現出という返答はそれらに委ねておくのである。

自由な感性的直観と概念把握する了解の二つの観点を、それらが遂行される間に首尾よく区別し得るような、意味に満ちた観察が存在する。それがすなわち、美的観照である。美的観照の意味、強度は、いかにしてあるものが束縛のない「無媒介的な直観の器官」に現れるか、という問いに集中することにある。ヘーゲルは、美的な自然経験は芸術経験の先行形態の一つに過ぎないと見なしており、観照的な自然知覚に固有の意味を認識できなかった。すなわち、普遍的なものに対する予感的で思念的な野望さえも断念する能力が実は十全に発展した形態であるということを、ヘーゲルは認識できなかったのである。「自然の自由な生動性」の感官に即した直観は、美意識の先行形態などではなく、その最高形態の一つなのである。この感官に即した直観とは感官の知的使用であり、複雑な行為図式、言語的区別、歴史的伝統のなかに深く覆い隠された知的感官の使用である。この直観は感官の使用─ただし否定的な使用である。精神が発展した段階においては、ある自然に直面するとき、この直観は自然を精神の派生語として美化せずに、感官の固有の意味に委ねるのである。観照とは、感官にこれらの意味を区別するという美的実践に他ならない。

 

2014年3月28日 (金)

マルティン・ゼール「自然美学」(5)

第1章 観照の空間としての自然

1.現出の戯れ

観照的知覚は、その対象が指し示す現出の下にとどまり、その対象から獲得する諸々の区別の中を逍遥するのであって、そのことを超えて解釈を目指したりしない。観照的知覚が現象と出会うとき、現象の意味は度外視されるのである。観照的知覚が問題とするのは、ある対象の、意味疎隔的な現象的個体である。こうした個体は、認識ないし行為に対する事物の重要性と価値性をすべて度外視するならば、すぐにでも目に見えるようになる。というのも、事物には生活上の意味が何も認められず、期待されないので、事物は意味疎隔的なものとして現出するからである。だが、まさにこの点で、観照とは対象にまつわるすべてを重視する試みであり、対象との理論的ないし実用的な関連からすれば重要でないと見なされるであろうものも、やはり重視する試みである。観照とは重要性を問わない観察、その意味では、顧慮を欠いた観察である。だが、もっぱらそれゆえに、観照のさいには、現出するすべてのものが顧慮されうるのである。さらに言えば、観照が顧慮を欠いたものでありうるのは、観照がある偶然的な位置を離れて、自己を観照に託すものに没頭するときだけである。もし観照が自らの立場を必然的ないし卓越した立場として経験するとしたならば、知覚はすでに顧慮を欠いたものではなくなってしまうだろう。観照にとって理想的な知覚の条件はめったにありえないが、それと同様に、観照にとっては観察の理想的な立脚地はめったにありえないのである。こうした観察は、そのように注目している瞬間にだけ自分の対象に関心を寄せているという点でも、やはり無関心なものである。それゆえ、この観察は自分が対象者に注目することだけに関心がある、と言ってよいほどであって、それに加えて、こうして注目している束の間だけにまさに唯一無二の対象として現出する対象など、必要ないかのようである。いかなる小石も、形、色、模様という点で、ほかの小石と同じではない。そうした「同じではない」ということに、観照的意識は最大の価値を置くのである。同一の小石の場合にも、観照的意識にとって問題となるのは「同じではない」ということ、つまり唯一無二のものであり、持続するものではないということである。観照的意識がこだわるのは、諸々の瞬間的な状態なのである。たとえこうした注目の動きがどこに向けられようが、向けられた先に或るものは観照的意識にとって美として現出するのである。観照的把握にとって対象の美しさが生まれるのは、ある特定の時間において、そしてある特定の時間に限って、それが変化しながら現出するからである。こうした意味で美しい自然の対象は、意味に対するあらゆる指示を拒絶する。その自然の対象は現出する通りに存在し、その点で美しいのである。その自然の対象は、そうした現出の知覚のため以外に、何かのためにそこに存在しているのではないから、美しいのである。美のこうした経験にとって重要なのは、ここに了解すべきものは何もない、ということである。

通常の観照は、言語的にわずかにしか分節化されていない。通常の観照がみずからの諸対象の現象的生起と接触を保ち続けようとする時、このことは決して許されない。たしかにこうした生起は最高度に分節化されているが、それは決して分節化の生起ではない。たとえ観照的観察がその対象からどれほど多くの状態と分化を感じ取るにせよ、観照的観察はそうした印象のあらゆる持続的な秩序を度外視し、それを飛び越えて、言語や形象や響きに固定化するすべてを拒絶するのである。観照的観察にとって問題となるのは分節化する戯れであり、諸現象の変移的な自己呈示であって、分節化の言葉遊びではない。

観照はいつも自分の対象を、ある特定の時間におけるあくまでも特定の現出において、個体的な客体として受け取る。観照的な自然観察は何ものも概念的に把握せず、すべてをまさにそのあるがままに受け取るのである。こうした「まさにそのあるがまま」へと観照的な自然観察は深まったのであり、そうしたものだけを受け入れるのである。観照的な自然観察はある種の仕方で特殊なものに固定されているのであるが、これは文学、詩、一般に芸術ではありえないことである。

 

マルティン・ゼール「自然美学」(4)

4.倫理学としての自然哲学

基準的自然と問題提起的自然の区別は自然哲学の二つの形式の区別を含む。近代の自然哲学は多岐にわたる自然科学の理論であるがゆえに、基準的自然の哲学である。自然と結びつき自然に関連している人間の生の可能性、その可能性を規範的に解明するものとしての問題提起的自然の哲学は、全体としては自然哲学ではない倫理学の部門である。倫理学としての自然哲学は、正しく了解されれば、伝統的な実践哲学と競合するものでもその代替物でもなく、実践哲学が従来行ってきた反省の一契機、すなわち個人の善き生の可能性とその生の社会的に公平な関係との可能性について合意するための一契機である。それゆえ倫理学としての自然哲学は美的な自然関係のみを対象としない。

問題提起的自然に関する最初の道徳は、自然の判定を一つの問題含みなままにしておくことを命じるに違いない。自由な文化の総体にとっては、それに固有な条件の自由な使用には限界があり、それゆえ周囲の環境との確固とした関係は不可能であることを弁えていることが不可欠である。文化を通した自然の「承認」とは、自然という中心的な存在条件の不自由さと不安定さのゆえに文化に生起する可能性の承認でもある。自然を完全に同化してしまうような文化は、おのれの本質をかえつて手放してしまうことになるであろう。

本書で証明されることになるのは、自然美学の使命をどれほど反対側から捉えた場合でも、その使命はまさしく、文化と自然との同化であれ合一であれ、そうした幻影に対する異議申し立てだということである。私は、自然美学が問題提起的自然の倫理学の構成要素とであると、したがって善き生の倫理学の端緒であると理解する。美的自然の理論、すなわち倫理学の特殊な(自然哲学という)領域のうちの、そのまた特殊な(美的)領域が美学の問題設定のみならず倫理的問題設定にとっても範例的な意義を有する理由は、自然の美的知覚一般の根源的次元だからである。

2014年3月26日 (水)

マルティン・ゼール「自然美学」(3)

3.自然美学はいかなる自然を扱うか

ここで問われるのは、自然に対する我々の好感の対象とはいかなる自然でありうるのかということである。美的な自然知覚の対象とは、たんに「自然それ自体」なのではなく、我々が総じて「自然」と呼んでいるものの特定の所与性である。すなわち、人間の生活世界的現実のうちで、人間が持続的に関与しなくても生起してきたし、今も生起している感性的に知覚可能な領域である。そうした自然の規定に対して、我々の規定は三つの観点を強調する。すなわち、第一に自然における力動の自力性、第二に自然の感性的な知覚可能性、第三に自然の生活世界的な現存である。

自然の変化に富む状態及び自然の事物が人間の手で作り出されていないかぎり、自然は自力的である。自然の存在は意図を欠く生成である。この意味で自然とは、独力で生起する一切のものである。この場合の「独力で」とは、人間の助力なしに存在し生起するという意味でしかない。そうすると、自然が独力で生起するものであるのに対して、文化は人間を通じて生起するものであると言われるのも当然である。

とはいえ、自力性という性格は、自然のままの生に対する我々の美的関心の領域をなすような、そうした現実を規定するにはあいまい過ぎる。たとえば、自然科学的に記述可能な合法則性の意味で自力性という性格が了解されるやいなや、自然客体物と人工物の区別と共に「自然的」生の領域と「非自然的」生の領域の区別も解消されてしまう。この場合の自然は方法的に客体化された自然である。この自然はもはや肉眼では知覚できず、たしかに人間の生命の基礎をテーマとするが、その現実はテーマとしない研究の理論的構成物、つまりは観察可能な自然経過の法則として定義される。

ところでわれわれは壊れ易い自然でさえも気に入ることがありうる。その理由は、人間の経験可能な生活世界の問題提起的な特質が破壊されうるからにほかならない。こうした自然に対する我々の関係は理論的に-客体化されたものではなく、生活世界的-実践的なものである。それは、この生活世界的関係からのみ生起し、生活世界的関係の現実に必然的に関係づけられている。こうした関係においてのみ自然は感性的に多様な自然発生的形態をとって登場するが、その形態は一貫性を持った一切の形式から注目すべき仕方で区別される。こうした自然のままのものは、我々がそれを自然のままでないものから区別する限りで自らを区別する。自然が美的に目を引くのは、周知かどうかに関わらず、自然の客体が日常言語でもって自然として同定されるか、あるいは少なくともそのように言及される場合に限られる。美的な承認の候補者は、人間が行為する環境である限りでの自然である。人間の支配を受けない自然現象の美的知覚は、生活世界における自然了解及び自然関係の枠内での自然の感性的な遠近を前提とする。

自然の美的知覚は上に述べた自然了解や自然関係を、それが特定の視点において科学の特殊な実践にも妥当するにせよ、前提するだけでなく、そうした了解や関係にとどまってもいる。自然が人間の行為という現実の一部として美的に与えられていることは、自然のままのもの、「自然的」の意義がつねに自然の直観のなかに息づいていることを意味しない。しかし、自然が生活世界として現前しているというコンテクストにおいてこそ、こうした自然のままのものの直観から「自然さ」を脱落させることができるし、そうした直観は認識と行為の区別に対抗する自然の疎遠さを際立たせることができる。この事情を誰よりも明確に洞察したのがカントに他ならない。カントは自然の美的観察を理論的考察と混同することを悉く却下する。自然の美しさが受け入れられるのは、自然知覚の目指すものが客体化する認識ではなく対象の下に佇む直観である場合に限られる。自然を客体化する関係のうちでは自然に人間の目的を実現する手段の領域という意義が付与されるが、カントは「無関心性」というキーワードで自然を客体化する関係のこれ以外の形式にも自制を求めている。それゆえ、自然を客体化しようとする立場からは自然の審美化は為され得ない。自然のままの事物と空間という日常的でありふれた現象は、自然がしばしば非日常的に現前するための土台である。

こうして美的知覚の対象でありうる自然を、理論的-科学的および道具的-技術的に客体化された自然と区別して、手短に生活世界としての自然と見なす考え方が提示される。ただし、この考え方は些か安易すぎる。なぜなら第一に、今日ではあらゆる種類の客体化が生活世界として経験可能な自然の確固たる構成要素だからである。たとえば、技術的に客体化された自然は、我々の生活文化の一部である。こうして自然を客体化した結果として出来たもの─田畑、公演、庭園など─がそれまでと同様に自然として知覚可能であれば、それらのものも自然に対する美的関心の対象になりうる。第二に、「生活世界」としての自然の概念は文化の区分に応じて「意味付随的」な自然概念を内包しているからである。こうした留保をつけたうえでならば前述の客体化された自然と生活世界的自然という区別を再び容認できるかもしれないが、私はそれとは別の言葉で両者の決定的な差異を名づけようと思う。私が言いたいのは特別な美的関心の舞台は基準的自然ではなく問題提起的自然だということである。「基準的」と名付けられるのは、自然科学が観察的記述をする自然の所与性である。「問題提起的」と名付けられるのは、行為者のパースペクティヴから見てその歴史的生活の現実の構成要素として現象する自然の所与性である。自然の疎遠さとの美的出会いは自然の問題提起的現前の内部でのみ可能である。美的な意味は、自然豊かな環境の不確かさへの日常的-実用的信頼に揺さぶりをかける。生活世界の行為者として自然に出会うことは、自然の生活世界的規範性の極度に技術的な異化、あるいは美的な異化に出会うことである。

問題提起的自然は自然科学においては現前しない。たとえば、物理学は自然の歴史を記述する術をよく心得ているのに、人間の歴史的実在性及び外的自然に対する人間の複雑な関係の歴史的実在性は、物理学からすれば歴史に登場しない。つまり、問題提起的自然そのものについて限定的な情報しか提供できない。問題提起的自然は何よりも人間の実践的管轄の下にある。人間は、自らが樹立した文化との区別において自然として体験され了解されるように、そうした現実のなかでこそ生きているのである。

こうした区別こそが「問題提起的」自然の問題提起的たるゆえんである。この区別は文化のなせる業の一つであり、その区別を行う際に文化は常に自らの能力の限界に突き当たる。問題提起的自然という意味での「自然」という語は、「文化」と対比される語であり、そのとき「文化」は自然と共に生きるという問題が課せられている実践及び、その制度の意味である。これに対して問題提起的自然の現実は、文化的方向づけに対して距離をとるきっかけにされるにせよ、人間文化の現実の内なる一つの現象である。他方であらゆる文化は、自然という一つの現実の只中における生活形式として理解されなければならない。文化は自らが存立するための一つの次元として自然を承認しなければならないのである。

近代における自然に対する美的関心がおもに「自由」な自然への関心であったのは、偶然ではない。こうした自然の自由の自己充足的な知覚は、しばしば自然における特別の自由の知覚として経験された。これに応じて自然美学は「自由」であり「自由」ゆえに評価され探求される自然の理論となる。なぜなら美しい自然が存在し得るのは、多かれ少なかれ「自由」な自然においてのみだからである。ただし、「自由」な自然とは幅を持った表現であり、絶対的な自由は美的直観に必要な距離を誰もとることのできないような自然に限られる。完全に自由な自然は完全に不自由な自然と同様、人間が存在しない自然ということになり、「問題提起的」自然ではなく、たんに限界事例であって、それらのあいだでなんらかの程度に自由ないし不自由な自然の現実の幅広いスペクトルが把握されうる。ここで明らかなのは、自由な自然についての語りは段階的なだけではなく、より自由な自然あるいは不自由な自然の事例に関係づけられることによって相関的である。

 

2014年3月25日 (火)

マルティン・ゼール「自然美学」(2)

2.美的関係

自然美は伝統的に様々に了解されていたし、現在でもなお様々に了解されている。伝統的美学は自然直感を、自然本来の状態を想起しながら自然に関与することとして了解してきた。つまり宇宙論的秩序の発見、自然という神的書物の読解、理念の観取、及び主体がその超越論的本質に遭遇することとして了解してきた。真なる自然がもはや失われた自然であり、仮象のような自然、まだ見出されていない自然であるとしても、伝統的美学は美しい自然を真なる自然の代理人として了解して木田。近代の自然美学ですら、それが存続する間は、こうした表象からは実際に解放されることはない。実際には、今日に至るまで近代の自然美学は存在していない。テオドール・フィッシャーが言うには、自然美は芸術的制作の残照にほかならないから、これを芸術美より優先するのは誤りである。

自然美は芸術美の原像でありうるか、それとも模像でなければならないという旋律は、我々にお馴染みである。この命題が根本的に誤りであっても、この命題には重要な洞察が含まれている。自然美の理論は芸術を視野に入れなければ成り立たない。だからといって<古典的─近代的>な思想が伝統的思想をたんに裏返して下した結論、つまり自然美が芸術美の原像でなければ、その模像にすぎないということが正当化されるわけではない。そうした結論を下したところで、厳密に考察すれば、一方が他方の代理人となっているという因習的なパターンが反復されるに過ぎない。

近代以降の美的自然と美的芸術は、先に与えられた存在による束縛からの解放のプロセスを辿っているますます両者は、自らの秩序の「代理」、感覚に導かれた発見を誘発する偶発的な構造物ないしは構成された構造物の代理となる。そうした展開は近代において自然に対する関係が複数化したことの直接的帰結である。自然の包括的概念が瓦解する瞬間に、自然という美的原像が揺らぎ出す。自然を芸術の模倣とする考えはそもそも美学思想史の当初(アリストテレスがプラトンの異論を改釈して以降)より存在し、芸術が自らの美的立場を強化するために考案したものだったのである。これらの足場が失われれば、ただちに両者の位置価値の大きさは新しい自由な関係に移行する可能性がある。芸術の秩序は美的自然の現前とのコントラストの中で形成され、その美的自然も芸術作品の構成との絶えざるコントラストの中で経験されうる。

近代の自然美学はこの両方の運命の差異と連関を概念的に把握しなければならない。近代的な自然直観を了解しなければ、新旧いずれの芸術も了解されない。近代的な自然直感というものは存在するが、理論は美学の著作の中には存在しない。しかし多くの近現代の芸術作品には含まれている。そうした作品は、芸術の原像に固定されない自然直感の第一の弁護人なのである。

時代を通覧すれば、自然に対する人間の好感には多くの説明が見出される。そうした説明が常に新しい仕方で対応する基本モデルが三つ存在する。第一モデルは活動的行為から喜んで距離をとる場所として美しい自然を了解する。第二モデルは人間的実践が直観的にうまく成就する場として美しい自然を理解する。第三モデルによれば美しい自然は人間世界をイメージに富む仕方で映し出す鏡として現出する。自然美の知覚は、第一モデルにおいては生の営みから観照的態度をとって背を向ける行い、第二モデルにおいては自らの生の状況を照応的に現前させる行い、そして第三モデルにおいては世界内の存在を想像的に解釈する行いである。第一モデルの由来は古代、とりわけプラトンの宇宙論にある。つまり、調和的な自然全体の観取としての「テオリア」理解までさかのぼる。第二モデルの由来は、人間の要求に何もかも応えてくれる楽園的な自然のイメージにある。ここではすでに、人間的に身近な自然の両義性が共鳴している。第三モデルの由来はポイエーシス的自然という古代の自然像にまで遡る。自然はそれ自身の創造した芸術、あるいは神が創造した芸術で埋め尽くされている。人間の芸術がこうした関係のうちに立ち入ると、たちまち自然の原像性という後光が消え始めるのである。

自然への好感に関する三つの説明の由来は、美学に特有のものではない。重要なのは、哲学的─神学的な世界解釈であり、そこから次第に美的に世界に向き合うことについて様々な特殊な解釈が生じてきたのである。それが明確に美的な意味を徐々に手に入れるにつれて、競合し合う美学の諸解釈として徐々に分岐して行った。それにもかかわらず、われわれの考察の経緯において見て取れるのは─「観照」、「照応」および「想像」といった─美学の三つの主要概念のいずれを根本概念として選ぶかに応じて、多くの美学がきわめて明確に区別されるということである。

とはいえ、美的自然の魅惑はこれら三つの可能性のうちに同時に存在する。美的自然に対するわれわれの好感の三つの原型的説明が総じて正しいというのが、私のテーゼである。逆に言えば、一つの説明がそれぞれ他の二つの説明に対する優越を要求すれば、これらの説明は総じて正しくないことになる。

 

2014年3月24日 (月)

マルティン・ゼール「自然美学」(1)

序言

我々が外的自然対して抱く近代的好感の根拠とは何であるのだろうか。もはや内的な意味が信じられていない知覚にとって、自然の感性的な魅力はどこにあるのか。偶然的な形態の領域がいかにして人間の十全な可能性になるのだろうか。美的自然は芸術の原像なのか、それともその模像なのか。なぜ自然美は、人間的実存がその生をうまく成就できるような範例的な場所であるのか。自然をいたわることがつまるところ人間世界の保護に行き着くのはなぜなのか。これらの問いに対して主に18世紀において定式化された古典的な回答を単純に繰り返すことは出来ないだろう。新たな回答を試みる時期が来ている。

本書の回答は、自然を美的に知覚する可能性を体系的かつ規範的に記述する試みである。私の関心事は、自然美を世俗的に弁明するということである。但し、そうした試みはそれが約束する以上のものを扱わなければならない。自然美学が自然のみを扱い芸術その他の美的領域を扱わないとしたら、自然美学はその対象を捉えそこなっていることになろう。自然美学はその対象の特殊性を突出させることはできないだろう。自然美学がその主題を展開できるのは、一般美学の見取り図の中でのことに限られるからである。

 

緒論 自然に対する人間の関係

1.原像か模像か

まず最初に自然は芸術の原像と位置付けられ、その後で芸術の模像に変わった。自然に対する人間の関係の歴史を一つの命題で書こうとすれば、そのように言えるだろう。この命題は美的直観にまつわる長い歴史を要約するにとどまらず、自然に対する人間の関わり一般が生み出す根本的な緊張感をも表明している。この命題で話題になっている「芸術」は芸術家の制作する芸術だけではなく、人間の実践によるあらゆる種類の技術的熟練の成果と制度化された規定をも包含する。芸術と自然とは、そのどちらが認識と行為によっての標準的審級の役割を担うかどうかをめぐって競合する。一方で自然が我々の認識・制作・生き方の手本と見なされ、他方で人間の制作したものが自然に対峙した行為でさえ従うべき手本と見なされる。自然と芸術のいずれかが原像であるかを巡る論争は、人間の生の方向づけを決定するものの本性が何であるかの問題である。

原像についての根本的な両極性は、古代以降自然についての思索が繰り広げられてきたさらに多くの選択肢へと分岐する。自然は一切の人間の理性活動が模範としなければならない行為主体なのか、それとも理性の模範が見出されるのは、自然を一切の活動において意のままにできる客体とする能力においてか。自然からその法則の秘密を聞き取らなければならないのか、それとも我々の法則を押し付けて自然にその構造を自白させるのか。芸術家の発案したものは自然の産物に従うのか。個人自由と幸福が充たされるのは個人の内的自然を解放することによってなのか、それとも内的自然を制御し昇華することによってなのか。環境保護は自然の権利の名の下で命じられるのか、それとも好都合な環境に対する我々の関心の名の下で推奨されるのか。生活の規範的形式は自然を通じて人間に付与されるか、それとも人間によって自然対しても定立されるのか、そのどちらかであるように思われており、自然は芸術の原像であるか、それとも模像であるか、そのどちらであるかのように思われているのである。

哲学は原像をめぐる自然と芸術の争いから生じた分裂を克服しようと試みてきた。その一例となるのが、人間と自然とのかかわりを共同的な一つの関係として考えるアリストテレス的なポイエーシス的自然の観念である。このモデルによれば、人間は自然の形成を完全にして完成させることで、自然の形成作用に従っていることになる。しかし、古典的-近代的という文化の自己了解にとって自然の在り方は重要でなくなり、そうした文かは規範としての自然に対する緊張関係のうちに独自の成果を見出さなくなる。自然は造形芸術の形なき材料となる。そのとき芸術は、もはやその模像としてさえも現出しないほどはっきりと人間の実践の原像となっているのである。自然の存在と人工的存在の結合を、自然に対する人間の様々な分野にわたって唯一のモデルで上手く考え抜くことができれば、この媒介は包括的なものになるだろう。アリストテレス的伝統およびプラトン主義─キリスト教的伝統におけるポイエーシス思想はこのモデルに相当した。けれどもこれらのモデルへの回帰は拒まれている。近代科学の勃興以降、自然における存在と自然を部分的にともなった存在との完結した理論の拠り所となりうるような統一的自然観はもはや存在しない。数学的物理学の対象、生物学および遺伝学の対象、医学ないし心理学を用いた療法の対象、果樹園の自然及び美的風景の現象、これらを包括し、かつ端的に必然的で好都合この上ない自然関係への問いに普遍的に応答し得るような自然概念を見通すことは不可能である。この問いの立て方は自然の各々の領域ごとに異なる。他方、こうした自然の「領域」も、我々の「自然」に対する関わり方、「自然」との出会い方、及び「自然」との違いのあり方によって以外には与えられない。自然の一般概念とは、こうした諸関係から獲得された抽象物であり、そうした抽象物それ自体には自然とのいかなる独自の関係も対応していない。自然「の」哲学とは、これらの様々な関係における「自然」についての説明に他ならない。自然はそれらの関係においては、人間が「自然」の現象と出会うさいに依拠しているそのつどの自己了解を補足するものとして登場する。ある特定の自然像─たとえば科学的、技術的、生活世界的、及び美的といった─が別の自然像を基礎づけるもしくは支配できるかどうか、あるいは支配ないし修正するようになっているのかどうかという理論的かつ実践的な省察は、自然を構成するいくつものモデルの下で方向づけられなければならず、いずれ一つのモデルに基づいて論じることはできない。

このような状況により、自然に対する人間のあらゆる態度が文化的標準によって規定されているということに対する眼差しが研ぎ澄まされる。自然が一切の芸術の原像だとする見方すら、ある特定の文化の規範に過ぎない。我々の自然認識の基準がたとえ自然主義化されたものであっても、その基準は自然の基準ではない。我々にとって尺度となりうるのは、われわれの尺度のみである。こうしたカント的な意識の後方へは現在では誰も後退することはできない。だからといって、自然が基準となる力をもつとする立場に対する代案のいかなる定式化にも同意しなければならないわけではない。いかなる反自然主義的立場を想い起してみても、そのいずれも保持することは容易ではない。自然の意味付随的な原像性をもはや信じないものは、自然が人間精神の模像、影あるいは構成物でしかないことをもはや信じる必要もない。自然が人間の実践にとってもはや原像ではあり得ない局面でも、人間による実践の成果はもはや自然的なものの原像である必要はない。自然は原像でも模像でもないと考えることが可能になる。

自然に対する我々の出会いの諸形式は自然の形式ではない。我々が自然の幾重にも及ぶプロセスと形骸化に出会うのは我々が自然に接近する方式の内部でのことであり、それらのプロセスと形態化の幾つかが我々の存在全体の条件として認識される。自然に対する人間の接近は自然に基づく方向づけの可能性を開示するが、その方向づけは、方向づけの遂行を妨げる何かと遭遇するがゆえにこそ遂行されうる。それゆえ自然は文化的実践の基準には従わず、文化的実践がその都度突き当たる抵抗と合一することでこの基準に従うのである。

自然との適切な関係に対する問いは、自然に対する我々の諸関係の間の正しい関係に対する問いとなるのである。

 

2014年3月21日 (金)

ミヒャエル ボレマンス;アドバンテージ

Borremanspos 2014年1月29日(水) 原美術館

毎月の通院の日。思っていたより早く終わったので、少し無理して、普段ではなかなか行くことのできない原美術館にまで足を伸ばすことにした。最近、いろいろあって、美術館に行くことも、できなくなってしまう気持つもあって、「今のうちに」という急き立てられる思いがある。この美術展も、普段なら見落としてしまう程度のものだったけれど、そんな折ゆえ、多少の無理をしてでもという気持ちになって寄ってみた。原美術館は品川駅から御殿山に向かって行った閑静な住宅地のなかにあるこじんまりとした瀟洒な美術館で、現代アートを中心に展示しているのと、その環境から上野あたりでよく見かける美術鑑賞好きのお年寄りは少なく、オシャレに格好の若い男女の姿が多いところだった。

ミヒャエル・ボレマンスという人については、私には初めて聞く名前で、たまたま、どこかで作品が紹介されていたのを見て興味を持った、というのが、この展覧会を見に行った理由です。ボレマンスについては、主催者あいさつのなかで、次のように紹介しています。“現在、ベルギーのゲントを拠点に活動するミヒャエル・ボレマンスは、30代に入った1990年代半ば、それまでの写真による表現から絵画へと転向し、急速に評価の高まった作家です。ディエゴ・ベラスケスやエドワール・マネなど近世・近代絵画の描写に倣い、自国のシュルレアリスムの遺伝子も受け継ぐと評されるボレマンス。彼の絵画には、静けさの中に微かに謎めいた雰囲気が漂い、観る者を深い思索へと誘います。主たるモチーフである人物は、いずれも時間的・空間的に現実から隔離され、自身の儀式や作業にただただ勤しんでいます。多くの場合、描かれたイメージは理論化されることを巧妙に避けており、解釈は困難です。ただひとつ言えることは、ボレマンスが、絵画史を踏まえた描写法を用い、時に古い写真を引用することで時代性を感じさせつつ、時に顔の特徴を捉えることで人物の個性を残しながら、それでもなお普遍的な存在としての人間を、人間であることの宿命のようなものを描き出しているということ。それは、現代の日本において多くの人が抱えている生き難さを映す鏡となり、国境を越えて愛される得るものでしょう。”

現役のアーチストで、おそらく日本での評価が決まっていないのでしょうから、そんな事情のあるのでしょう、美術館の主催者のあいさつとしては、珍しいほど主張があって、そういうものとして展覧会をしている、コンセプトが明確な展覧会でした。私のボレマンスの印象は、必ずしも、そのコンセプトに一致するものではありませんでしたが、とても好感の持てる展覧会だったと思います。

おそらく、ボレマンスの作品も主催する人に、そういうことをさせるに至った契機を内包しているようにも見えます。展示されているボレマンスの作品は一部でビデオ作品などがあるものの、ほとんど全部がキャンバスや板に描かれた伝統的な絵画作品で、しかも、サイズは小さく、一般家庭の居間の壁にちょうどよい程度の小さな作品ばかりでした。それらを見て、具体的にこのようだとは言えませんが、コンセプトや方法論が明解に見える、ただし、理論が先行するというのではなくて、作品が語っているという体裁をなしていて、作品について語りたくなる要素を持っている、ということが言えます。それが、主催者のあいさつにも表われているのではないかと思います。

Borremanstrees 展覧会チラシにある作品をみると、「Mombakkes(仮面)」という作品ですが、人物の肖像のような体裁で、顔の部分にちょっとどぎつく色が塗られていて、普通の人物画ではないようではあります。でも、どぎつい色が塗り重ねられる前の顔は、ちゃんと描かれていたように見えます。しかも、塗り重ねられた色が異化効果のようなものを期待するほどには、浮いていません。むしろ、全体としては、落ち着いた雰囲気があるのです。多分、雰囲気を壊すかどうかのギリギリの線のところを意識して、顔の黒や赤が加えられているのではないかと思います。というのも、顔の下の衣服の描き方のぞんざいさと顔の塗り重ねがうまくバランスをとられているようでもあるからです。そこで、観る人は、なんとなくビミョー(あえてカタカナにした意味合いを察知願います)なイメージを持つ。これが、私のボレマンスの作品に対する、大雑把な印象です。

以下で、ページを改めて、いくつかの作品を観ながら、具体的な印象をお話ししていきたいと思います。

 

BorremansracerThe Trees(木々)」という作品を観てみましょう。タイトルからは意外な人物画です。女性が俯いて何か手に持っています。このポーズは、ボレマンスの作品の中では多くとられているようで、「The Racer(レーサー)」などもそうです。展示されていた作品には人物を対象として描いた作品が多かったのですが、その殆ど全部が、これらの作品のように、こちらに視線を向けることなく、たいていは俯いていることが多かったのでした。これらは何か作業をしているという画面上での役割を附されていますが、「Girl with Feathers(羽根のついた少女)」のように最初から視線を投げかけるのを拒否するように下を向いているものもありました。これらの作品の一つを取り出して眺めれば、むしろ伝統的な絵画作品として、上手く描かれているもの。主催者のあいさつにあったような絵画史の大家たちの名が浮かんでくるようなアカデミックな作風とも見ることのできるものです。一見、何の変哲もない、さりげない作品です。たぶん、そのことが作品に接する人にとっては“現代アート”などと構えてしまうことがなくて、リラックスして自然に見ることができるということではないでしょうか。色彩は鮮やかな原色は使われず、地味な茶系統が心もち多く、落ち着いた感じとか、静かな感じとか、視覚に対して刺々しくないものとなっています。絵の具の塗り方も薄塗りです。そして、描き方については描き込みが薄味のテイストというのか、全体のプロポーションは捉えられますが、細部は省略されていて、というよりもタッチが粗く為されているので、細部はぼんやりとしたようになっています。それらは、意図的に、作品に対して対峙するようにじっと見つめるような見方をされないように周到に計算されているように見えます。

Borremansgone これらの作品は、観る人に対して、できるだけ違和感とか距離感を与えないようにしているといったらいいでしょうか。言い換えると、観る人の主観の視線に対する客観としての対象という対立的な在り方にならないようにしている。そう見えます。もっというと、あえて作品としての存在を主張させないようにしている、そのように見えます。それは、作品の展示姿勢にも言えることです。住居を改造したこじんまりしたギャラリーで、作品と作品の距離をタップリとって展示されているのは、作者自らギャラリーや展示方法をしていたようなので、意図的なものでしょう。そこには、作品の存在をさりげないものにしようとする意図が見えます。

私の個人的な印象ですが、ボレマンスの作品の特徴というのは、取り上げている対象とか技法とかスタイルとかいうものよりも、このような存在の主張を抑制させて、観る人に構えて観るという姿勢にさせないように細心の配慮をしているところにあるように思えるのです。絵画史の画家を連想させるような技法で、一見伝統的に描いてみせているのも、そうしたことのひとつの表われと見ることはできないでしょうか。見慣れた伝統絵画に似た雰囲気であれば、大抵の人には抵抗感のようなものを感じることなく、それゆえに作品への違和感を意識するストレスが少なく接することができます。また、原色系の鮮やかな色彩を用いずに茶系統の鈍い色を使うことで、目に優しく色彩を意識させることが少なくなります。そして、描かれた人物が視線をこちらに向けていないので、人物の存在感が観る者に迫ってこないことになり、描かれた人物を強く意識することがなくなります。つまり、一般的に絵画とか美術作品は、その存在を観る者に強く意識させて、他の作品とは違うのだという自己主張をしているものです。しかし、ボレマンスの作品は、その正反対を意図しているように見えました。最終的には、そのことによって他の作品との差別化を別のレベルで狙っているのでしょうけれど、少し結論を急ぎ過ぎました。

ボレマンスの作品が強い自己主張をしないで、見る人との間に主観-客観という対立関係を築くことを避けるということにより、見る人は作品との間に“鑑賞する”というような緊張関係を保つことがなくなります。そのことにより、作品との間に距離をもつこともなくなります。距離をおいて緊張関係を持つということは、他の場合で言えば他人の家を訪問したような場合です。これに対して距離を感じることなく、緊張することもないというのは自宅で親しい家族とともに過ごすような場合ではないでしょうか。他人の家にいれば常に他人の存在や視線を意識することになり、どうしても構えてしまいます。これに対して、親しい家族と自室にいる場合、時にはその家族の存在も忘れてしまうことがあり、その際にはリラックスして多少羽目を外した姿もさらすことがあります。ボレマンスの作品の存在感は、そういうところを狙っているのではないか、と思われるところがあります。

それは、展示された作品の所有を見てみると個人蔵の作品が圧倒的に多いのです。これは、私が個人的に感じたことですが、美術館で鑑賞するというよりも、身近なところに置いておきたい、それで、見るともなしに眺めるとか、壁にかけてあって、それがあるのを忘れてしまう、そういうものとしたい、そう思わせるものでした。

Borremansautomat ただし、それだけなら単なる癒し系の一種として片付けられてしまうものでしかないのですが、ボレマンスの作品は、それを意図的にやっていて、なおかつ意図的であることを隠そうとしていないところが、引っ掛かるのです。私のような鈍感なものですら、そう思ってしまうということは、作品の意図は露骨であると言っていいでしょう。もし癒し系であることを意図しているのなら、その意図を巧妙に隠すべきです。ところが、それをやっていない。そう考えると、いくつか引っ掛かることが出てきます。まずは、作品タイトルがいわくありげなような意味深ぶっているところです。何か深い意味があるのかと勘繰るようなタイトルです。また、作品の塗りの透明感です。いくつかの作品で、描かれている物体や人物に光が透き通るような描かれ方が為されています。まるで幽霊のように。それがちょっとしたミステリアスになっている。どの作品でもそうなのですが、一筋ならではいかないような、何やら思わせぶりがあります。だから、一見、存在感を強く発しないように控え目な存在を装っている、その作品を観ると何か変なところが目につきだす。それが、美術展の主催者による紹介にあったボレマンスの作品の具体的な特徴の諸点ではないかと思います。それは、親しいと思っていた人に、隠れた一面を見せられたような効果で、ある種の驚きが作品の深みがあるような印象を与えていると思います。

このように意図が鮮明であるために、そして計算されたような表面的な親しみ易さゆえに、深刻な印象を与えることがなく、ライトな感覚で見ることができる、それでいてアートの雰囲気を味わえる。また日本人からみればヨーロッパの伝統の香りもある、ということでオシャレでもあるし、癒し系としても利用できる、ということでもあると思います。

2014年3月17日 (月)

ジャズを聴く(7)~「ハンク・モブレー・カルテット」

Jazmobley_qurtet Hank's Prank

My Sin

Avila and Tequila

Walkin' the Fence

Love for Sale

Just Coolin'

 

Hank Mobley(ts)

Horace Silver(p)

Doug Watkins(b)

Art Blakey(ds)

 

ハンク・モブレーの初リーダー・アルバム。10インチ盤のレコードだったため収録時間は短くなっている。当時、モブレーが在籍していたジャズ・メッセンジャーズのリズム・セクションとカルテットを組んだ、モブレーのワン・ホーンでのプレイを聴くことができる。『Soul Station』に代表される60年代のモブレーに比べると、元気にハード・バップをプレイしている。モブレー自身のサックスを比較してみると、『Soul Station』の渋い味わいに対して、バリバリ吹いている。しかも、滑らかで豊かで艶っぽい音色の感じが出ている。これは、1955年という制作された時期がハード・バップが盛んで、競うようにバリバリとパップをプレイしていたという状況にも因っていると思う。また、モブレー自身も若く、初めてのリーダーということで張り切っていたのではと想像してしまう。バックのリズム・セクションが気心の知れたジャズ・メッセンジャーズの面々であることから、モブレーも伸び伸びとプレイすることができているし、彼らの方からもモブレーの背中を押すようなパッキングをしているように聞こえる。ここでの、モブレーのプレイを聴いていると、ファンキーとか歌心とか言われることもあるけれど、彼のベースはバップにあったというのが分かる。モブレーと言う人は、良くも悪くもバップのプレイヤーという枠の中で自分なりの音楽を追求した人だったというのが、この原点のようなアルバムを聴くと分かる。処女作には、その人のすべての要素が入っていると言われるが、このアルバムは、まさにそういうものであったと思う。

最初の「Hank's Prank」は出だしでテーマを示した後、さっそくアドリブに突入していくが、いかにも突入という感じで、モブレーが颯爽として、元気いっぱい。ここには、速いテンポで真正面からバップのブローをしている。後年の歌うような横の線のフレーズではなくて、縦に短いフレーズを繰り出してたたみかけるようなアドリブ・プレイは非常に力強くダイナミック。ただ速いパッセージでは、少しもたつくところが珠に瑕。2曲目の「My Sin」はバラードで、マイルドな音色で、訥々とメロディを吹いているのは、『Soul Station』の頃のプレイに比べて、ここでのモブレーは洗練されていない代わりに淡々とした朴訥な味わいを持っている。『Avila And Tequila』はラテン風リズムのバップ・チューンで、スタッカートでリズミカルなテーマから、アドリブに移ると軽快にメロディアスなフレーズを次から次へと繰り出すモブレーのプレイの変わり目がとても面白く、軽快な乗りにモブレーの紡ぎ出すメロディが合って、ピアノ、ドラムのソロのリズミカルで重くならない。唯一のスタンダード曲「Love for Sale」はかなりアップテンポで、バックの煽りを受けて、まるでオリジナル曲のように崩してしまってバリバリ吹いている。面白いのは次の「Just Coolin'」が、前の「Love for Sale」と対を為すような対称的なアクセントとメロディラインで、同じようなスタッカートのリズミカルなテーマであること。こちらはミディアムテンポに落として、アドリブも崩すというよりメロディアスに展開させている風。結果的にそうだったのかもしれないが、このアルバム全体に漂っているリラックスした遊び心のようなものが最後にそういう風に表われている。

このころのモブレーのプレイの特徴のひとつに、何はともあれ、他のプレイヤーとセッションして音を合わせたり、相互にソロをとったりみんなでプレイすること自体が大好きで、それを楽しんでいるという感じが、このアルバムにはよく表われていると思う。音楽性とか自分のプレイ等ということを言う前に、モブレーは他のプレイヤーが気持ちよく演奏するのに気を配り、それが演奏を楽しいものにし、そのなかで自身も楽しんでプレイしている様が伝わってくるようだ。ソロとして自己主張するには性格が良すぎるとか、地味とかいろいろ後で言われることになるけれど、ここではそういう雑音が入って来ないで、モブレーの一歩引いたような姿勢がみんなを盛り上げ、結果的によい演奏となった幸せな時が記録されている、と思う。

2014年3月15日 (土)

ジャズを聴く(6)~「ワーク・アウト」

ガイド・ブックなどでは、ハンク・モブレーが1960年から続けて制作した『Soul Station』『Roll Call』そして『Workout』を三部作として、さらにこの後20年以上たって発表された『Another Soul Station』を加えて、代表作として紹介していることが多い。ファンの間でも、この後に発表された『Dippin』よりも評価が高いようだ。この三部作になって、モブレーは、プレイ・スタイルを大きく変えたのか、と言えば、そんなことはなく(そもそも、彼はそんなに器用なたちではない。それは、この後のジャズが不遇となっていく時代のモブレーの不器用な身の処し方を見れば明白だ)、相変わらずのフレーズやサウンドを続けている。

では、さきほど述べた三部作における飛躍とは何だったのか。まず、表面的なことから言うと、この三部作において、アート・ブレイキーは未だ参加しているものの、ジャズ・メッセンジャーズで一緒にプレイしていた、言わば先輩たちから、同世代のプレイヤーに替わったということ。『Roll Call』では、必ずしも彼と音楽性の相性が良いとは言えないハービー・ハンコックと共演している。これは、内輪からの脱却と見える面もある。ある程度、異質な才能にも門戸をあけ、より開かれた方向性でプレイをしようとしたのが形になったということだ。これは表面的なことで、肝心なのはプレイしている音楽の中身だ。例えば『Soul Station』の2曲目「This I Dig Of You」の冒頭でピアノとベースが掛け合うようにリズムが上昇していくような上に乗るようにモブレーのサックスが入ってくるところ、とても印象的なところだ。ここでは、ピアノとサックスが絡み合うアンサンブルで相乗効果というか、それぞれの楽器が前に出て他方がバックを務めるのではなくて、双方が前に出ることで2台の楽器が1+1=2におわらず、2が3や4に加算されるような効果を上げている。一種のインター・プレイであろう。この場合、互いに触発し合うことにより高度の演奏を実現するという言葉の上ではキレイに聞こえるが、その実は自己主張の鍔迫り合いも必要だろうし、楽しくセッションするだけでは、その要件を満たさない。性格の良いモブレーも時には鬼となって自己主張をしなければならなかっただろう。それが、ここの「This I Dig Of You」では印象的な成果を達成している。そして、モブレー本来のマイルドなトーンや歌うフレーズを損なうことなく、むしろその特徴を更に印象深くし、彼の個性として際立たせることに成功している。50年代の彼のプレイがあくまでも、バップの枠の中で控え目にフレーズに歌の要素を入れていたのに対して、60年代のモブレーはバップの枠を意識させず、歌うフレーズが前面に出ている。ただし、ベースにはバップの土台がしっかりとあるため、親しみ易いながら、奥深い世界を作り出したものとなっている。それが、60年代初頭の3部作といえる。この時期のモブレーの達成は、バップへの危機感と、それを背景に周囲のミュージャンの方向性が分岐していく状況と、モブレー自身のミュージシャンとして成長していく上で越えなければならない壁に直面した時期が重なって、一時的な停滞を克服して、達した境地だったのではないか。

しかしまた、モブレーは自身の原点とも言える、その志向性を終生にわたり持ち続けたのではないか。何の憂いもなく、環境の中で音楽を虚心坦懐に楽しむということは、60年代に入ると難しくなってくる。その中でもモブレーは、ある意味では理想として、もはや追いつくことの出来ない世界、しかし、以前はあったという理想的時代としての過去の牧歌的環境への憧れ、いわばノスタルジーにちかい心情が漂っている。それが、これ以降のモブレーのプレイに、そこはかとなく感じられるしみじみとしたところ、一抹の哀愁の香りは、そんなところに起因しているのではないか。とくに、日本では一時期のジャズ喫茶で根強いファンがいたというのは、地方から東京に出てきて、学校や職場でふるさとに帰れないところに来てしまって、普段は故郷を想うことなどできない人々の故郷を想う心情とシンクロするところがあったのではないかと思う。

しかし、その後バップの衰退は明白となり、モブレー自身の音楽的な土台が崩れていく事態に追い込まれ、周囲のミュージシャンたちとの関係も崩れていく状況に追い込まれていったと思われる。モブレー自身ジャズ・ロックに挑戦したり、本来の資質であるバップに回帰した録音をするなどを試みている。とはいっても、彼自身の拠って立つ環境やバップという土壌と切り離せないところで音楽をやっていたモブレーにとっては、それなりのプレイをしてはいるが、どこか浮ついた印象を否めない。その後の活動は、徐々に花がしぼんでいくようになって、残された録音についても、比べると50年代や60年代初頭のものの方を聴くことになってしまう体のものとなってしまっている。

 

Workout

 

Jazmobley_work Workout

Uh Huh

Smokin'

Best Things in Life Are Free

Greasin' Easy 

 

Hank Mobley (ts)

Grant Green (g)

Wynton Kelly (p)

Paul Chambers (b)

"Philly" Joe Jones (ds) 

 

1961年3月26日録音

Soul Station』と同じ、モブレーのワン・ホーンの編成であるが、リズム・セクションの顔ぶれが違っている。それに、ギターが加わるというクインテットの編成。ここでは、『Roll Call』のような2管で競い合うところがなく、モブレーがリラックスして伸び伸びとプレイしている。彼のファンキーな特徴がよく出たゴキゲンで乗りの良いハード・バップに仕上がっている。一曲目の「Workout」はドラム・ソロで始まるが、『Roll Call』でのアート・ブレイキーのような炸裂するようなものなく、軽い感じで突出しないで、つづくモブレーサックスとギターとのユニゾンでのテーマに淀みなく続く。リズム・セクションはタイトだが、『Soul Station』に比べるとメリハリのある固めな感じで、そこにメロディアスでソフトなトーンでのモブレーのサックスが乗ると、緊張感を失わず、しかも歌心あるプレイとなっている。これに続く、ギターが同質的なアドリブを歌いまわす。グラント・グリーンのギターは重くて太い音色でスウィングさせた後、ウィントン・ケリーのピアノが軽快な転がるような音で、パッと明るく視界が開けるような対照の妙も、絶妙のバランスでモブレーを引き立てている。モブレーという人は好不調の波があって、調子が良くない時は迷っているようなプレイをするが、ここでは絶好調で、ストレートで率直にフレーズが湧いてくるようだ。しかも、プレイが進むにつれて磨きがかかってくる。アルバム全体として尻上がりにどんどん良さが増していく感じだ。

この演奏に象徴されるように、このアルバムは、『Soul Station』の茫洋としたリラックスさ、『Roll Call』の少し背伸びしたようなハードさの中間、あるいは中庸の線を行っている。メンバーが、それぞれ出過ぎず、かといって互いを触発するようなバランスで、うまくモブレーを引っ込みすぎないように掬い出していると言える。2曲目の「Uh Huh」は、軽快なリズムに乗って、モブレーのファンキーなプレイが躍動する。この曲のような軽快で乗りで歌心あるフレーズが次から次へと出てくる、しかもハード・バップとしての水準をキープしているというのは、モブレーの独壇場なのではないか。この曲のテーマが、BESTLESの「Love Me Do」の冒頭を想わせると指摘していた人もいるが、この曲の親しみ易さゆえだろう。レコードであれば、3曲目からB面に入る。「Smokin'」。モブレーのプレイも、ここでギア・チェンジしてシフト・アップしてくる。“意外性のないハード・バップで、親しみやすくオーソドックス、それでいてどこか控えめなメリハリ感がある”というモブレーの見方での最良の演奏の一つではないかと思われる快演。アップ・テンポの曲はリズム・セクションが煽るのを、逆にモブレーが引っ張るかのようだ。モブレーのフレーズは同じようなフレーズを発展させていくのではなく、数小節単位で全く違う形のフレーズを次から次へと重ねて、それによって大きな流れができて、そのうねりの中で違うフレーズを重ねることによる変化が生まれてくるという行き方をするが、この曲では、フレーズの単位が小さく、それが軽快なリズムに乗って、細かな変化を生み出して、フレーズのメロディが乗りを引っ張る躍動感を生んでいる。続く2曲では、さらにノリノリで駆け上がるように、あっという間に終わってしまう。

2014年3月12日 (水)

木島櫻谷─京都日本画の俊英─(2)

ふたつある展示室のうち、もう一つの展示室では、この博古館のもともとコレクションであった住友家が木島に制作を依頼した屏風が展示されていました。当時の財閥の盟主の邸宅を飾る屏風ということで、豪華さを演出する効果を期待されていたのでしょうから、それに応える必要があったと思います。関西という場所柄や、豪華さということから装飾的な行き方ということで、琳派の作風に近いものになったのでしょうか、金箔を貼った輝かしい屏風面に鮮やかな色彩で描かれた花鳥風月ということで、そう見えてしまうのでしょうか。

Konosimabyou3 「燕子花図」は尾形光琳の有名な「燕子花図屏風」によく似ています。というよりは、画像で見る限り模写といってもいいかもしれません。しかし、実際に見てみると、木島は装飾的であっても尾形光琳のような燕子花を図式化して、それをデザインのように屏風の平面空間にレイアウトして様式性の高い作品として作り上げるという、別の行き方をしています。木島の描く燕子花は花のひとつひとつが違うのです。図式化されていないのです。尾形光琳の場合には、大体が正面からの構図で、いくつかのパターンのコピー・アンド・ペーストのようにして配置されています。それが、花のヴァリエイションを意識したレイアウトによって、画面にどくとくのリズムを生んでいます。尾形光琳の作品がデザイン的というのは、そうこうことです。これに対して、木島の場合は正面を向いた花もあれば、横を向いた花もあるというように、それぞれの花がユニークです。しかも、尾形光琳の描く花は平面的で、まさにデザインですが、木島の描く花は立体的です。全体として装飾的な作品としては尾形光琳のような描き方の方が一貫しているように思えるのに対して、木島の描く花は尾形光琳という手本と比べれば、そんなことKonosimabyou31 までしなくてもいいのに、と思うほど場違いな感じがします。しかし、木島という画家は、そうせざるを得なかった、ということなのでしょう。近代日本画の著名な画家たちの作品を何点か見てみると、従来の日本の絵画を批判して、自分こそは革新的で新たな日本画ということを言っている割には、現代からの視線ですが、その批判している絵画との断絶よりも、連続性をより強く感じさせられるものが、ほとんどです。しかし、木島の場合には伝統的な作品を制作しようとして、そこに図らずも従来にない新しいものが出てきてしまっている、というように見えます。この「燕子花図」にしても、一見、尾形光琳の模写かと思ったら、その枠を飛び出すようなことがさりげなく行われていて、しかも、作品全体をブチ壊してしまう危険も敢えて冒しているように見える。木島の伝記的事実を見る限り、伝統的な京都の画家システムの中で終生仕事をした人のようで、ことさらに海外に留学したり、新奇を衒ったりということとはあまり縁のない人だったようです。その人が、あたかも内側から滲み出るように従来の日本画にないようなことをやっていた、というのは木島という画家のユニークさを表わしているのではないかと思います。

Konosimabyou2 「桜柳図」という桜の花を描いた春の構図です。これも桜の花と柳の葉という、装飾的な材料です。木島の描く柳の葉は、驚いたことに一つ一つがユニークなのです。ここでの木島は様式化を拒否しているかのように、私には映りました。そにには、描くものを活き活きと、手触りのあるものと描きたい、というような木島の本源的で抑えることのできない欲求を感じます。(残念ながら人物を描いた作品には、それがほとんど感じられません)それが、屏風という大画面で迫られると、圧倒される思いです。葉っぱの一枚一枚をリアルに執拗に描くのが、その葉っぱが何百枚となって、その執念が何百倍にも重ねられて観る者に迫ってくる、そういう迫力です。

展示期間の都合で、代表作と言われている「寒月」こそ見ることができませんでしたが、いろいろ考えさせられる展覧会でした。

2014年3月 6日 (木)

木島櫻谷─京都日本画の俊英─(1)

2014年1月24日(金)泉屋博古館分館

Konosimapos 都心といっても場所はアークヒルズの外れで、都心に慣れない私には分かりにくい場所。地下鉄六本木一丁目の駅からすぐということだったけれど、土地勘のない私には、表通りを一本入った場所が分かりにくかった。しかし、表通りから一本入ると静かになり、環境としては落ち着いたところではあった。この施設は独立した建物であるけれど、展示室はそれほど広いわけではなく、この展覧会でも頻繁に展示替えをするようだけれど、そう何度も、ここまで足を運べるわけではないので、その点は少し残念。ただ、受付窓口の説明が丁寧だったことと、個人コレクションの展示にありがちな展示室より喫茶スペースや売店が充実している(無料の給茶機がロビーにあったのはちょっと驚き)というようなことがなく、落ち着いた雰囲気だった。

木島櫻谷という人、私は全く知らない。名前も“このしまおうこく”と読むのだそうです。展覧会チラシでは次のように説明しています。“どこまでも優しいまなざし、からみつく柔らかな毛並み─透徹した自然観察と詩情の調和した品格ある日本画で、明治から昭和の京都画壇の第一人者とされた木島櫻谷(1877~1938)。ことにその動物画は、いまなお私たちをひきつけてやみません。京都三条室町に生まれ、円山四条派の流れをくむ今尾景年のもとでいち早く才能を開花させた櫻谷は、明治後半から大正には人物画や花鳥画で文展の花形として活躍、続く帝展では審査員を務めるなど多忙の日々を送りました。しかし50歳頃からは次第に画壇と距離をとり、郊外の自邸での書物に囲まれた文雅生活のなか、瀟洒な南画風の境地に至りました。徹底した写生、卓越した筆技、呉服の町育ちのデザイン感覚、そして生涯保ち続けた文人の精神。そこに醸し出される清潔で華奢な情趣は、京都文化の上澄みとでも言えるでしょうか。”ということでしょうか。主催者の持つ画家のイメージはこのようなものということです。

Konosimauma 展示スペースが、それほど広いわけでもなく、展示作品の中には屏風などの大作も含まれるため、展示作品数は30点にも満たないものでしたので、とくに章立てしてみることもなく、印象をまとめてみたいと思います。

まず、展示室に入って最初に目についたのが「奔馬図」という小品です。京都四条派の得意の技法とのことですが、輪郭線を用いずに濃さの異なる墨を使い分けて一気に形を筆で描いてしまうのだそうです。一気に筆を奔らせることで墨痕や筆跡をうまく活かして、馬の走る躍動感が表われているようです。省略されているのですが、脚部の筋肉の動きや、その織りなす陰影を想像させてしまうのです。かといって、蹄とかたてがみ、顔では鼻や口の様子などは、細かく形が捉えられて、省略といっても、細かく描かれているように見えてしまう。それは、形状が恰も正確であるかのように見えてしまうからでしょう。顔の部分は影になっているのか、目を見開いているように見えてしまう。これだけ、形状を一気呵成に筆で引いて、説得力あるものにしているのは、よほどのデッサン力があるのではないかと思います。じじつ、スケッチ帳の一部が展示されていましたが、そのスケッチの上手さは完成した作品をみているより面白いものでした。そして、私の個人的な偏見かもしれませんが、近代日本画で輪郭線とリアルな写生とがうまく織りあわないで、線が画面の中で浮いてしまって、うるさく見えてしまうことが、回避されているのです。だって、輪郭線がないわけですから。これは、木島のデッサン力あってこそのものだと思います。ここに私は、木島の特徴を次の2点に見ます。一つは抜群の形状の把握とそれを描く力です。それが、かれの描く作品がリアルな写生に見えてしまうことに通じます。これは善悪の両方の面があると思います。もう一つは、近代主義的、あるいは西欧絵画的な空間把握の性格です。空間を点と線ではなくて、平面と立体として見る視点です。だから、木島は描くときに、線を前提としていないように見えます。多分、描く対象を見る時に輪郭線を意識していないのではないか、ということです。これらは、私が考えている近代日本画の一般的特徴とは反対の指向です。その矛盾が、後の作品で観るように木島の独自性を作り上げていくように、私には思えます。

Konosimasigure 「しぐれ」という6曲1双の作品で、大作です。さきほどの「奔馬図」は習作というのかスケッチみたいな小品ですが、それを屏風にまとめ上げた作品と言っていいでしょう。ここで描かれているのは鹿です。ここでまず気が付くのは鹿の動きを瞬間的に捉えたような形です。鹿が歩き振り向いている動きがそのまま活写されていて、日本画で一般的に描かれている鹿のポーズの静止した形態とは異質です。それは、それぞれの鹿のポーズがキマっていないで、歩いている途中を切り取ってきたような形であること、そして、鹿の肉体が厚みをもった立体に見えていること、そして、例えば尻を向けている鹿の尻から脚にかけての部分をみていただくと顕著なのですが、歩く筋肉の形がそれとなく想像できることなどです。ここで、述べたことは西洋絵画のデッサンの基本的な考え方と同じです。木島の略歴を見てみるとデッサンの勉強をしたとは説明されていないので、彼の生得的に身についていたものかもしれません。それが日本画のバターン(様式的)からズレたものとして、西洋絵画に慣れた私の眼にはリアルっぽく映るものとなっています。そして、鹿をはじめとして画面には輪郭線が存在しません。それだけに、日本画での、線を引いて書き割りのような平面に空間を還元してしまうこととは、異質の世界がここでは出現しています。日本画のペッタンコの平面空間では、言わば空白は陰と陽の二元的な世界で独自の意味を持っていましたが、木島の作品のここでの空間はペッタンコの平面になっていないのです。かといって、西洋絵画の奥行きのある三次元への指向もありません。私も、これはどういう空間なのか、想像を超えています。それだけ独自なものではないかと思います。ここでの空白というのは、どのような意味があるのか。今、この作品を思い出していて、謎が深まってきます。

Konosimaaki 「峡中の秋」という作品。「しぐれ」は1907年の制作であるのに対して、こちらは1933年の制作と、だいぶ年齢を重ねてからの作品です。この二つの作品に共通しているのは、線で輪郭を書き割る平面になっていないで、面として描く仕方をとっているように見える点です。この「峡中の秋」という作品自体は伝統的な山水画の体裁をとっていますが、描かれている岩山や溪谷の立体的な描写や岩肌のゴツゴツした面の感触などは、西洋絵画の風景画を想わせるリアルさがあります。ここには、山水の水墨画のような墨の線のシンボリックな、あるいは記号的な使い方で、これは岩山ですよと提示するような描き方はされていません。岩山自体は想像上のものでしょうが、岩山らしきものではなくて、岩山が描かれているのです。そして、画像では分かれないでしょうが、実物を見ると、絵の具を厚く塗り重ねて、まるで油絵のマチエールのようにゴツゴツした表面になっています。多分、岩肌の表現のために意識的にやったのではないかと思います。これは、私の極端かもしれない個人的感想かもしれませんが、山水画で描かれる山水というのは、仙人が遊んだり、導師や高僧がいる象徴的な一種の神域のような場所です。しかし、「峡中の秋」で描かれているのは、現実の風景を想わせるもので、普通の人が分け入って行けそうなものです。そこで、結果的に山水の風景の象徴性を剥奪して世俗化が行われて、風景画になってきているのではないか。だから、この風景に登場するのは仙人や高僧ではなく、普通の人々です。つまり、この世にない象徴的な山水から、現実の風景を普遍化したことによるどこにでもありそうな風景に変質したのではないか。そこに世俗化した現実世界の人間を中心とした視点、つまりはいわゆる西洋近代のヒューマニスティックな視点のユニークな萌芽が見られるのではないか、ということです。これは、少ないながら私が見てきた近代の日本画家たちには、見ることのできないものでした。そこに、木島という人のユニークさを、私は見ています。

そのような木島に対して、私は人物を描いた作品については、動物や風景を描くときのようなストレートな描き方が為されずに、どこか屈曲したような操作が入ってしまって、あえてここで述べてきたような描き方をしていないのが、とても残念に思います。木島には、きっと何かの考えがあったのでしょうが、私には分かりません。同時に展示されていたスケッチ帳にあった人物スケッチに比べて、作品になっている人物の描写は、同じ人が書いたとは思えないほど屈折していて、私から見ると、意識的につまらなくしているようにしか見えませんでした。

2014年3月 5日 (水)

ジャズを聴く(5)~「ハンク・モブレー・クインテット」

ハンク・モブレーのスタイルの特徴は、おそらく彼の地域や時代という環境や彼自身のパーソナリティと不可分で、それらに強い制約を受けたものであったように思う。元来、音楽性とかプレイというものは、パーソナルな性格のもので、その制約を受けないものはない。しかし、大衆的な人気を獲得することやアーティステッィクな成果をあげていくプロセスで、普遍化とか抽象化されてくのが普通であろう。つまり、作品が作者の手を離れて一人歩きをするということが起こるわけだ。だからこそ、チャーリー・パーカーのプレイは時代を超えた天才の残したものとして現在でもミュージシャンやリスナーに清新な影響を与え続けている、ということが起こる。しかし、音楽はそういうものばかりではなくて、特定の集団やコミュニティや時代、あるいはその双方に特化した、そういう環境の中でのみしか生きられないものもある。それらは、時代やコミュニティとともに栄え、人知れず消えていってしまうような目立たないものであるけれど、それを支える人々にとっても切実でなくてはならないものだった。そして、モブレーのプレイというのは、どちらかというと後者の方に一歩か二歩ほど歩み寄ったものだったのではないか、と思う。それが、広い人気を獲得できなかったけれど、ジャズ・ミュージシャンという限られた人々や日本のジャズ喫茶で強い支持を受けたとか、比較的限られたところで支持されたことのひとつの原因ではなかったのか。

このようなことは、モブレーの1950年代の録音を聴いて強く感じられたことだ。モブレーは1950年代後半、ブルー・ノートの専属のような身分で、彼自身がリーダーとなったアルバムはもとより、サイド・マンとして多くの録音に参加している。その中には、名盤と評価されているものも少なくない。それらでのモブレーのプレイを聴いていると、共演しているプレイヤーの演奏をよく聴いて、自身はあまり出しゃばることなく、周囲と調和し、盛り立てて、自分のやるべきことはキッチリと演っている。どんなに全体が熱くなっても彼は自分勝手に走ってしまったりせず、常に全体とのハーモニーを崩すことなく、堅実に支えている。そこには自分が目立とうなどという野心とかエゴというものは、あまり感じられず、むしろ無私の奉仕に近いような印象すらある。モブレーと付き合いのあったミュージャンたちは口をそろえて、彼の性格の善さを言うのは、そういうところにも表われているのではないかと思う。ここでは、かなり強調した書き方をしているが、ハンク・モブレーという人にとって音楽をプレイするということは、表現するとか、金や名声を得るとかいうことよりも、まず第一に、気心の知れた仲間とプレイすることだったのではないか、と思える。

彼のプレイの特徴としてあげられる、太くマイルドなトーンや歌心溢れるフレーズで聴く人の心情に優しくシンクロすることや、しっかりした曲をつくることや、アップ・テンポでも正確にリズムをキープしながらも寛いだプレイができること、これらは、一緒にプレイするミュージシャンたちにとっても心地よいものだったのではないか、と思われる。かなり偏向した考え方かもしれないが、モブレーのプレイは、一緒にプレイするミュージャンや、その近くにいて空気を共有する人々と、まず気持ちよくハーモニーし、親密で心地よい空間や時間を共有することのために、まずあったのではないか、と思わせるものがある。だからこそ、1950年代の後半にジャズが、彼のよくプレイするニュー・ヨークなどのイースト・コーストにおいて、ビ・バップからハード・バップへと発展し、広く人気を集める時代環境のなかで、アート・ブレイキーをはじめとしてモブレーよりも経験を積んだプレイヤーに見守られながら、その雰囲気の中でモブレーは自身の、今言った資質を十二分に生かすことができたのではないか、と思われる。周囲の親しい人々に暖かく見守られながらインティメイトなプレイの中で自己の資質を十分に生かし、その結果が、ジャズ全体の興隆に乗って録音に残り、広く人々に受け入れられていく、そういう幸福な結果が、この時期のアルバムに結実されている。サイド・マンとして参加したアルバムを除けば、ブルー・ノートでリーダーとして録音した『Hank Mobley Quartet』や『Hank Mobley Quintet』、プレイティジでのセッションを集めた『Mobley’s Message』が代表的作品であると思う。そして、モブレーのファンの中には、この後の洗練された作品やジャズ・ロックで人気の出た作品よりも、この時期のモブレーをこよなく愛する人も少なくはないと聞いている。

Jazmobley_quintet

Hank Mobley Quintet

Funk In Deep Freeze

Wham And They're Off

Fin De L'Affaire

Startin' From Scratch

Stella Wise

Base On Balls

Funk In Deep Freeze (alt. take)

Wham And They're Off (alt. take)

Art Blakey(ds)

Art Farmer(tp)

Doug Watkins (b)

Hank Mobley(ts)

Horace Silver (p)

 

1960年に入って録音した『Soul Station』『Roll Call』『Workout』といった個性を開花させた完成度の高いアルバムでの演奏に比べて、50年代に録音したこの『Hank Mobley Quintet』でのモブレーのプレイは少し違う。それは、ひとつには当時の状況としてバリバリのバップの演奏がどんどん録音されセールスも成り立っていたということだろう。だから、テナー・サックスの大きなテーマはアルト・サックスでチャーリー・パーカーが成し遂げたことをテナーに置き換えるということが、依然として行われていたといえる。モブレーも、これを無視できるわけではなかった。そして、もうひとつは、モブレー自身のキャリアから考えれば、この前に新進としてジャズ・メッセンジャーズで周囲から煽られるようにプレイして、この録音には、そのリズム・セクションが参加しているのだから、60年代のようなプレイをしろといっても、土台無理な話だと思う。60年代の諸作には、このあとモブレー本人が一段の飛躍があったと思える。だからといって、この『Hank Mobley Quintet』が60年代の諸作のための単なるステップで、未熟なモブレーがいるかと言えば、これはこれで独自の光彩を放っていると思う。ファンの中には『Soul Station』などよりも、こちらの『Hank Mobley Quintet』の方を、むしろこよなく愛する人もいるだろう。

ここでのモブレーはバリバリのバップを演りながら、非常にスムースで滑らかなソロを聴かせている。とくにオリジナル曲では流れるようなメロディ・ラインを太くまろやかなトーンで吹いている。全体に親しみ易い演奏をしている。しかし、60年代のような寛いでリラックスした、歌心満開の演奏に比べ、力が入ったハードめの印象が強い。ここには、すでに個性は現われてきているが、彼なりに力が漲った若いモブレーがいる。

1曲目の「Funk In Deep Freeze」は、そういうモブレーの典型的なプレイが聴ける、アルバム全体の開始を告げるようなマイナー・チューンのナンバーとなっている。ユニゾンによるファンファーレのような開始から、各人が戦闘モードに入ったようなテンションの高いソロを繰り広げている。とくに最初にソロをとるトランペットのアート・ファーマーが彼にしては鋭いトーンで力強いプレイを展開し、終わり近くなってモブレーが渋めのプレイをしてユニゾンで締めるという展開。モブレーの控え目な個性が、こんな感じで一曲目から出ていて、他のメンバーは力強くモブレーを後押しして支えるという感じで演奏を作っている。だからというわけでもないだろうが、全体として演奏のテンションは高い。そんな中で3曲目の「Fin De L'Affaire」は、アルバム中唯一のオリジナルでない曲。モブレーのアドリブ・ソロから始まるが、ここではモブレーの歌心が全開で哀愁のこもったメロディックなフレーズが繰り出される。しかも、下手な小細工を加えることなしにメロディを提示してくるモブレーのプレイからはストレートに伝わってくるものがある。さらに、続くアート・ファーマーのトランペットがミュートをかけて渋く、クールに決めていくので、モブレーのソロをうまく引き立たせることになっている。そして、最後の「Base On Balls」が、曲名のように重く引きずるようなベースから始まり、それに各楽器が乗っていくような構造の曲で、各人のアドリブによって進行する曲で、モブレーとファーマーのソロが最期を飾るにふさわしいリラックスしたプレイで幕を閉じる。

モブレーのリーダー・アルバムとなってはいるが、各メンバーがモブレーを引き立てて、モブレーが全体をみてまとめているのか分らないが、全員でつくったアルバムと見た方がいいと思う。魅力は『Soul Station』に劣らず、モブレーのるバムとして、独自の魅力を持っている。

2014年3月 4日 (火)

宮崎裕助「判断と崇高」(20)

結論

カントのいう崇高の感情は、人々が壮大なものや圧倒的な力を前にした時に感じる「不快の快」という否定的な表出の弁証法を、基本的な説明原理としていた。しかしながら、本書の『判断力批判』読解が「吐き気」の感情を経由して「パラソブライム」の名のもとに探ろうとしてきたのは、まさに崇高の弁証法的な論理のただ中で、それを中断するかのように、そうした表出の論理には回収されないような微妙な感情の働きをカントのテクストが記しづけているのだということである。

序章で触れたように、カントの美テク判断力の概念を20世紀の思想におれる政治的判断力の問題として捉え直そうとすれば、「美的なもの」と「政治的なもの」との関係という一般的な問題が浮上してくる。従来この問題が立てられる場合、「政治の美学化」を批判したベンヤミンにおけるように「美的なもの」は「政治的なもの」の対立項と理解され、シュミットの政治的ロマン主義批判においてもまた、政治的決断を無化するような非政治化の要因と見なされてきた。それに対して、本書がカントの『判断力批判』へと遡及することで究明しようとしたのは、美的判断力における「美的なもの」がそれ自体美学批判の契機を宿しており、この「美的なもの=感性的なもの」こそまさに当の政治化をも促す両義的な批判的機能を備えているということであった。

そもそも政治の美学化に対して「美的なもの」の政治化をもって抵抗せねばならないとすれば、それは「美的なもの」それ自体を忌避したり攻撃したりすることにあるのではない。そうではなくそれは、あくまで「美的なもの」の作用を見据えること、そうして「美的=感性的なもの」それ自身の批判的な力を解放することによってこそ可能になるのである。カントの崇高論のテクストが記しづけているのは、いわば「美的なもの」そりものに宿る「政治的なもの」の契機である。それは、カントの崇高論が他方で打ち立てている「不快を介した快」という美学的な原理を遮断する効果を孕んでおり。そのような意味で我々が「パラサブライム」と呼ぶところの、もはや美でも崇高ですらないものの感性的な経験として、美学主義への抵抗、「感性の政治化」とも言うべき美的判断の出来事の瞬間を跡付けているのである。

 

カントは「すべての社会からの離脱も何か崇高なものとみなされる」と述べ、当の孤独に伴う「人間が自分自身に加える哀しみ」をも、崇高なもののうちに数え入れていた。そうした「社会からの離脱」を説明してカントは、それが「一切の感性的な関心を無視する諸理念に基づく」ものであり、「自足していること、したがって社会を必要としないこと、とはいえ非社交的ではなく、つまり社会から逃避しないこと」であると言い換えている。してみれば、こうした孤独の感情のうちに、「非社交的な社交性」として知られるような、近代的人間の自律にふさわしい「個」の感情の発露を読み取る向きもあるだろう。そのような自律と引き換えに生じた孤独の哀しみのうちに、カントは、崇高の感情を認めたというわけだ。だが、それだけではないだろう。

カントは別の例を引き合いに出し、とあるスイスの登山家のアルプス旅行記のなかで、サヴォア連峰のボノム峠について述べた一文「そこには一種の味気ない哀しみが支配している」注釈している。峠の寂寥とした眺めは、それ自体において「味気ない哀しみ」であり、このほとんど無情動な「味気なさ」において当の哀しみは、カントによれば「共感に基づいた柔和な情動」としての哀しみから区別されるだけでなく、あまりに荒涼とした場所ゆえに「落胆させるような哀しみ」からも区別されることになる。それでもなお、カントが当の哀しみを「関心をそそる哀しみ」として崇高と見なすのは、それが「一切の感性的関心を無視する理念」へのメタ美学的な関心に適っているとカントは考えるからである。

しかしながら、無情動の経験のただ中で見出されたことのような「崇高」は、カントが他方で崇高なものの感情を説明する際に持ち出す否定的表出の論理とは異なる感情の動きを含んでいるのではないだろうか。実際、この寂寥たる荒野の眺めが喚起する「味気ない哀しみ」のうちにはそのような弁証法的な緊張は存在しないだろう。むしろ、ここに認められるのは「味気のないもの=無趣味なもの」という美的なもののゼロ度にあってもなお、かろうじて漂っているミニマルな感情としての「哀しみ」でしかない。

われわれは、このボノム峠の「哀しみ」に見出された奇妙な無情動の崇高を「パラサブライム」と呼ぼうとするだろう。そして、そこに拡がる寂寥たる荒野の眺めを、ド・マンに倣って「物質的なヴィジョン」と呼ぼうとするだろう。そもそもこの「味気ない哀しみ」が、カント自身の言葉ではなく、旅行記からの引用であることに注意しなければならない。実のところ、そこでの眺めが、カントの意図を超えたて「味気なさ」という語の字義性において指し示しているものこそ、カントの崇高論が純粋に美的な視覚のうちに逆説的に打ち立てていた唯物論ではないだろうか。実際、ボノム峠の風景について、カントは旅行記の一節を引き写しているにすぎなかった。要するになにも見てはいないのだ。だが、そもそもカントの崇高論が示し得た物質的な視覚とは、「あたかも詩人がそうするように実際に眼の眺めの示すがままに」まかせておくことで現象としては眺めないという純粋に美的な経験であり、この純粋さによってむしろ、自らの視覚がはじめて可能になるという不可視の条件に直面する経験であった。してみると、物質的な崇高と言うべき、こうした「味気ない」荒野の光景をめぐっては、もとより何も「見る」ことなどできはしない。より正確に言えば、それは、当の視覚の現象性の条件を成している構造的な盲目性のうちにしか「見る」ことができないのである。かくしてカントは、事実上かつ権利上、何も見なかった、ということになるだろう。カントは「何ものか」を見たのではない。むしろ、自らが引用した言葉そのものが示すがままにまかせておくことで、純粋に美的であるかのような物質的な崇高の出来事に遭遇したのだ。そこに生じたのは、いわば、テクスト的ヴィジョンである。かかる視覚、というより視覚の盲目性、これこそは、翻ってみれば、「美的なもの」と「政治的なもの」との間で、我々がこれまでカントを読み続けるために必要として来たもの、そしてそれゆえにカントを読み続けなければならなくなる当のものなのである。

2014年3月 3日 (月)

宮崎裕助「判断と崇高」(19)

リオタールの主張は、趣味判断を介して間主観的な生活実践を取り戻そうとする「美の政治」に対し、あくまでも崇高なものの否定的な力を対置することによって、一定の批判的な効果をもちうるだろう。しかしながら、ここに「美の政治」に対するオルタナティブとして、もうひとつの政治的判断力の理論を見出そうとするとき、リオタール的な「争異」の政治は、きわめて危うい領域に近接し始めることになる。いうのも、もし、「争異の政治」が、崇高なものの感情にそなわる批判的な力を実体化することを通じて「崇高の政治」をそれ自体として構想するのだとすれば、すなわち、合意形成を目指す間主観的なコミュニケーション実践を理想化する代わりに、崇高なものの感情を介して、共同体の美的=直感的な情動の全体的な統一によって判断を下そうとする政治に道を拓くのだとすれば、こり美的政治は、ファシズムに他ならないだろうからである。

「崇高の政治」のヴィジョンからすれば、間主観的な公共領域において繰り広げられる民主的な討議のモデルは、必要な政治的判断を「永遠の議論」によって宙吊りにしつつ、その場凌ぎの交渉と妥協で糊塗するという無力な政治形態に過ぎない。カール・シュミットはヴァイマール期の議会制民主主義の危機にこの無力を見て取った。結果、政治的判断が延期され機能不全に陥った間主観的な公共領域を突き破ってそこに回帰してくるのは「例外状態について決断を下す者」、結局のところ、当の美的政治を代表し得る、決断の特権的な主体(主権者)であるだろう。そのとき政治的判断は、主権者の全能に託された純粋に権威的な決断、つまり絶対的に主意主義的─ゆえに絶対的に恣意的─な決断でなければならないのである。「崇高の政治」は、この主権=至高の決断の権威を、民衆の美的感情に根差した共同体の全体的な統一として実現したものだと言うことができる。

リオタール=カントの崇高論の観点からすれば、趣味判断を介した間主観的な「美の政治」は、政治の現実を派生解している崇高なものの感情を看過している限り、政治的判断の理論としては不十分なものにとどまっている。そもそもアーレントとハーバーマスの「美の政治」のモデルがまさにファシズムの破局的政治への批判と反省を出発点としていたことを考慮すれば、リオタールが提起した崇高論の観点の欠落は、いっそう深刻であるように思われる。にもかかわらず、他方、判断の理論を新たに打ち立てるべく、崇高の呈示そのものを政治の原理へと転化することは、崇高の呈示の核心にある否定的な感情を「政治的崇高」の表出へと昇華することであり、カントの用語によって言い換えるなら、共同体を統一する高次の情動へとこの否定性を取り違える=詐取することにほかならない。つまりこれは、美的判断の行使としては、もはや他者の説得や討議の場を開くための共通感覚の基盤の形成に向かうのではなく、「民族」の情動を直接に集約し得る主権的決断の美的な実現となるのであり、そのような意味で「崇高の政治」は可能になるのである。

このことから引き出しうるのは、次の点にとどまる。すなわち、趣味判断を介した「美の政治」の限界を批判しつつも、その一方で崇高の美学化と(美学化された)「崇高の政治」に抗することができるのは、まさに崇高なものの否定的な力─反美学的なまでに否定的な力─による徹底した「内在批判」以外にはないということである。このとき判断という契機が残り続けるとするならば、それは、結局のところ、美の政治にも崇高の政治にもどちらの側にも依拠することはできないのであり、崇高の感情がどこまでも「呈示不可能なもの」の存在をほのめかすだけの否定性─これは崇高の美学の弁証法的論理が止揚しえない根本的な不快の感情だ─にとどまるかぎり、当の判断は、いかなる規定的な根拠も構成的な原理ももつことができないのである。

 

 

リオタールが芸術家や作家にとってもポストモダン的な呈示について述べたことは、まさにそうした政治的判断についての疑問への応答として読み直すことができる。リオタールによれば、彼らの作り出す作品やテクストは、所与の諸規則に依存したり支配されたりしてはならないし、その作品やテクストに対して既知のカテゴリーを適用するような規定的判断によって作り出されることも評価されることもない。というのも、こうした規則やカテゴリーこそは、その作品やテクストがまさにみずから法として打ち立てようと探求している当のものだからである。

そもそもアーレントが述べていたように「政治的思考とは本質からして判断力に基礎をおいて」おり、判断基準の消失こそはむしろ判断力が発揮されるべき本来の状況をなすのだとするならば、それゆえさらに踏み込んだ言い方をするなら、政治とはそうしたよるべなき状況で判断がくだされるかぎりでの出来事の生起なのだとするならば、判断はたんに不可能なのではない。そうではなく、判断とは、リオタールの言葉を敷衍して言えば、ひとつの出来事として(判断の主体に)あらかじめ知られていることがなく、前未来の様態で事後的に指し示されるほかないような、いわば、過去から到来するような未来として言い表されるべき何ものかであるだろう。要するに、そのような時間錯誤として示される予期不可能性、計算不可能性、決定不可能性、この不可能性によってこそ、政治的判断というものがはじめて可能になるのである。この意味での根本的なアポリアを経た判断が、出来事であるかぎりでの政治、すなわち、必然ではない出現、所与ではない贈与、つまり規定的でも構成的でもない<到来としての政治>をもたらすことができるのだ。

この「到来としての政治」という表現が言わんとしているのは、当の「政治的なもの」の概念が絶えず新たに規定され直されるべきであるということを、我々に要求しているということである。「政治的なもの」がつねに本質的に未知の何ものかとして到来すべきものであるかぎりで、これは所与のいかなる政治概念にも特定の政治的実践にも同一視されえない。むしろそれは、通常「政治」という言葉で理解されるものの限界をつねに超え出ていくよう要求しているのであり、オリジナルな芸術作品が未知の美的感情を喚起する限りで所与の芸術作品や概念に一致することがないのと同様、到来としての政治は、既存の政治概念から導かれるような、実践的な行動の指針やプログラムとなることがない。このとき、政治的判断力は「政治的なもの」それ自身に対しても反省的判断を働かさなくてはならない。それは、未来に開かれた批判的=臨界的感覚を研ぎ澄ませつつ、その都度政治的なものそれ自身の発明を要求しているのである。

このような意味で、到来としての政治は、ポリスの境界を定めることで特定の共同体を囲い込み、公共空間の共通性を同質化し、民族の同一化の原理をもたらすといった企図に腐心することはないだろう。そこで想定される「ポリス」は、けっして既存の民族、国家、集団、階級等々と同一視することはできないのであり、むしろつねに他なる異質な共同体、いまだ形成されていない公共性や公共空間、いまだ生まれざる人々の共同体、予測不可能な未来の共同体のために、当の共同体の共通性や境界を開いたままにしておくのである。

政治が到来すべきものであるということ、その未規定性によって(反省的)判断がはじめて可能になるところの「政治的なもの」は、特定の共同体や公共空間の諸条件に規定され制限されている限り、それにふさわしい出来事として生起し得ることはないし、真に批判的でありうることもない。それゆえ少なくともはっきりしていることは、共同体や公共性が、それ自体としてはけっして実体化や理想化されるべき目的とはなりえないし、諸々の政治的問いの解決や最後の言葉と考えられるべきでもない、ということである。共同体や公共性といったものがあるとするならば、それらは、そのつど最小限の「共通性」によって引き受けられては当の制限が解除され再構成されるべき、暫定的な収束点としてのみ想定されるべきものだろう。

2014年3月 2日 (日)

宮崎裕助「判断と崇高」(18)

しかし、リオタールは、このような美的なものにおける経験の統合を通じて間主観的な共通基盤を取り戻そうというヴィジョンに対して、はっきりと「否」を突きつけていた。経験のこうした統合の企てが意味しているのは、芸術の実験を中止して秩序のうちに復帰させようという欲望にすぎない。つまり、それは、いまや共同体が病んでいるからには、芸術家や作家たちを共同体のふところに呼び戻し、彼らに共同体を癒すという責任を課さなければならない、と望むのである。こうした欲望に対してリオタールは、あくまで芸術の必要性を唱え、一貫してアバンギャルドを擁護しようと試みている。このリオタールの主張の要点はカント美学の議論のうちにあると主張する。アーレントからハーバーマスに至る線とリオタールの立場を分かつものは、まさに『判断力批判』解釈の決定的な違いによるものだからである。アーレント=ハーバーマスにおいて間主観的な生活世界の共通基盤を照らし出す美的経験が趣味の能力としての、美しいものの判断に関わっていたのに対し、リオタールが照準を合わせるのは『判断力批判』に見出される崇高の美学、崇高なものの判断についての議論なのだ。

美は、いかなる利益関心とも概念規定とも無縁な快の感情がもっぱらひとりの主観にとって純粋に与えられることで成立するが、それは常に原則的に万人の合意へ通じる普遍的な妥当性を要求している。言い換えると、この快は「普遍的な伝達可能性」を趣味判断の根底に持つ。この伝達可能性が、趣味判断を下す個々の主観にとって与えられるのは、カントによれば。悟性と言う概念の能力と、概念をそれに対応した対象の表象のもとに呈示する能力(構想力)とが「自由な戯れ」の関係を保ちながら。相互の「均衡のとれた情調」をもたらしている場合である。したがって、悟性と構想力の間で生じる「調和」が、快の感情として、趣味判断における万人の合意や和解の可能性を保証していたことになる。

だが、カントが他方で解明していた崇高なものの感情は、美のこうした調和が打ち砕かれる場合になおも湧き起る感情である。というのも崇高は、構想力が、概念をそれに対応すべき対象の表象のもとで呈示し損なったときにこそ生じる感情、つまり不快から快に生じた快の感情だからである。その種の概念とは、理性概念、すなわち「理念」である。構想力はしかし、その理念を感覚可能な対象の表象のもとに呈示することができない。ひとは絶対的に強力なものや偉大なものを理念として思考することはできるが、それを実際に「見せる」ためのあらゆる感性的な呈示は、不快なまでに不十分に感じられるのである。「そうした「理念に対して可能な呈示は存在せず、」それゆえ、「理念」は現実(経験)について何も認識させてくれはしない。そればかりか、それは、美の感情を産み出す諸能力の自由な合致を禁止し、趣味の形成と安定化を妨げるのである。そうした「理念」のことを、ひとは「呈示不可能なもの」と呼ぶことができる」。リオタールが崇高論にこだわるのは、まさにこの「呈示不可能なもの」のうちに近代における芸術の使命を読み取っていたからである。リオタールにとって、モダニズムの芸術とは「呈示し得ないものが存在する」という事実を呈示する芸術のことである。そこで問われているのは、カントが崇高の例として挙げているような「不定形なもの」「無限のもの」「絶対的なもの」といった理念的存在をそれでもなお構想力が呈示しようとして失敗する経験において示される空虚な抽象の呈示、つまり「否定的な呈示」である。以上はしかし、モダニズムの片面に過ぎない。モダニズムの芸術は、一方で実験を試み新たな呈示の仕方を生み出そうと挑戦するが、他方でそれが自己の限界に直面し「呈示不可能なもの」を仄めかすにとどまるというかぎりで、この呈示は、呈示し損なって喪った「不可能なもの」へのノスタルジーやメランコリーに捉われている。そのためにモダニズムの運動は、ひとつの<否定的な呈示の美学>を形づくることになるのである。この否定性が、崇高なものの美学的型式を説明するだろう。そこからリオタールが引き出す論点は、そのような崇高の美学が、一定の否定的な形式のもとに再び慰めや癒しの素材をもたらしてしまうということ、そのかぎりで、こうした崇高は、いまだ「真の崇高な感情」とは言えないということである。

リオタールによれば、崇高の感情は本来、あらゆる呈示を超えたものに対峙することによる、快と不快との純粋に内在的な結合でなければならない。『判断力批判』を読む限り、崇高なものの感情を説明するひとつの主要な論点は、感性的には「呈示不可能なもの」を、構想力がその呈示に失敗するという不可能性によってこそ否定的に呈示し暗示しようとする、一種の弁証法的な論理に存している。これは、リオタール自身しばしば「呈示不可能なものの呈示」として言及する表出の様態であり、まさにカントが「不快を介してのみ可能であるような快」と呼ぶところの感情である。

こうした崇高の美学は、リオタールがカントから引き出そうとしている崇高概念の核心ではない。リオタールがモダニズムの美学概念から区別しようとしている本来の崇高において問題になっているのは、崇高の美学的形式を構成している表象の論理そのもののリミットなのだ。つまり、美的表象において不快を快に転化する弁証法的原理のただ中にあって、それでもなお、まさに当の原理が存続するかぎりで取りこぼさざるをえないような残余、すなわち、崇高なもののうちに残り続ける過剰な否定的感情の契機なのである。それは、美的判断を通常の意味で成立させる(美の)快、及び不快を転化する(崇高の)否定的な快という感情の二極へと単純に還元されることがなく、美的快の純粋な達成そのものを阻害してしまうような心の動きである。したがって、このように理解された崇高は、美学的把握そのものを攪乱するように働くのであり、反美学としての崇高というべきものをなすのである。そして、そうしたものの力を指し示しているのが、リオタールのいう「ポストモダン」にほかならない。つまり、リオタールの言う「ポストモダン」は、「モダン」に内在し、絶えず未知の呈示、いまだない呈示、「呈示不可能なもの」を通じてモダニズムの運動を駆動させる当のものなのである。「ポストモダン」はモダニズムの運動を構成するとともに解除(そして再構成)する、ひとつの(脱)構造化の契機だということである。

以上のような芸術論=ポストモダン論の政治的帰結は、どのようなものとなるのだろうか。アーレント=ハーバーマスにおいて、カントの論じる美的判断力は、美しいものの経験を介してこそ、趣味=政治的判断力として、間主観的な生活実践の共通基盤への通路を見出し、民主的討議や合意形成のコミュニケーション実践や公共領域の場を開くと考えられていた。しかし『判断力批判』がリオタールの言う意味で崇高論を含んでいるかぎり、これは、美の経験を通じた「生活世界」や「公共領域」への遡行とその回復といった宥和的なヴィジョンを達成不可能にしてしまう。カントの問うた美的判断が美しいものにととまらず、崇高なものの感情をもうひとつの内的な契機としている以上、当の判断力は、間主観的に共有された「生活世界」や「公共領域」への復帰を約束する一方で、それをただちに禁止してしまうのである。

2014年3月 1日 (土)

宮崎裕助「判断と崇高」(17)

アーレントが『判断力批判』を「カントの政治哲学」として評価するポイントは、第40節の趣味判断の格律のひとつで「視野の広い考え方」と呼ばれるものである。アーレントによれば、通常カントの倫理学・政治思想の著作と見なされている『実践理性批判』は「定言命法」という理性の自己立法の能力を打ち出すものであり、みずからの良心に一致すること(自律)を強調する西洋倫理において旧来の「自己一致の原理」にとどまっている。それに対し『判断力批判』が重要となるのは、たんに自分自身と一致している自己充足的な原理ではなく、まさに判断力についての考察を通して「他のあらゆる人の立場で考えること」という思考様式を明らかにしたからだ。『判断力批判』での美についての趣味判断は、一般規則や概念に頼ることなく、ひとりの主観の経験にのみ基づく「単称=個別的判断」でなければならないが、他方、私的な関心や快適さといった制約からは解放されなければならず、この主観的で個別的な判断は常に「普遍妥当性」を要求している。そこからアーレントが強調するのは、判断の成否が、他者との潜在的な合意を要件としているということ、つまり判断力は、自己との一致のみならず、他者とのコンセンサスに達しなければならないという予期されたコミュニケーションを含んでいるということである。

美という現象はその都度個別的で主観的な経験であり、また芸術作品は芸術家の天才に依存する限りで社会とは無関係に産み出される。この意味で、芸術と政治とは本来緊張関係にある。しかしそうであればこそ、美やそれを担う芸術は、観賞者の趣味判断を介して普遍的に受容されるための説得と合意のプロセスを必要としているのであり、むしろそれを通してこそ、すぐれて政治的なトポスとしての公共領域が開かれるのだ。かくして「文化」とは、そのような判断が積み重ねられた公共領域の成果だ、ということになるだろう。以上の議論を通してアーレントは、カントの趣味判断をひとつの政治的能力、つまり政治的判断力へと読み替えていく。

 

これに対して、ハーバーマスが『近代─未完のプロジェクト』において「近代のプロジェクト」を実現するための試金石となるのは、美的経験の領域である。その際に問題なのは、近代社会において芸術の役割をどのように位置づけるのかという点である。ハーバーマスも、アーレントと同じく、カントの『判断力批判』を参照しているが、アーレントのヴィジョンは趣味判断が他者との合意を目指す限りで間主観的な公共領域を開くというものだったが、ハーバーマスは『判断力批判』を、もっぱら美的主観を純粋化し美的経験を分離する原理として参照する。ハーバーマスの理解では、趣味判断それ自体は、実人生とは無関係に一切の関心を排した心的状態において下されるかぎり、美的なものをそれ以外の価値領域及び生活実践から分離するのであり、これは「脱中心化し外界に焦点を合わさないで自己自身を経験する主観性における自己自身を経験する主観性における自己経験の客観化」として「日常の時間・空間構造からの離脱」や「知覚上ないし合目的的な行動が準拠する慣習=規約からの離反」をもたらす。結果、美的なものの自律化は、芸術制作が、美的仮象の領域のうちへと自閉し、芸術家自身の生きる現実的世界・社会生活からの遊離や疎外として行われざるを得ない、という問題を惹き起こすことになる。

20世紀の芸術は、こうした芸術と社会の乖離を、社会に対する芸術の批判的な抵抗力ないし解放作用そのものへと転換するため、当の抵抗力によって芸術という美的領域そのものを破壊し、現実と仮象、社会的実践と美的経験─政治と芸術─との融合を一挙に達成しようと試みた。こうした芸術の自己止揚のもくろみは、ハーバーマスによれば大きな誤りである。

そこで、ハーバーマスの提案する処方箋は、市民社会における芸術は、それを鑑賞する素人に専門的な教養を身につけるよう要求するにせよ、他方でその受け手である素人は、芸術一般の内的発展にかかずらうことなく、個人の生活史の経験に根ざした立場から芸術を自身に取り入れることができる。このように、あくまで生活世界の視角から専門の文化を吸収獲得することを尊重するならば、近代の専門化されて分断された文化的な諸領域を、元来それらが相互に連関し合っていた日常の生活実践の厚みのうちに回復し統合することができるだろう、というわけである。芸術が芸術として客観的に成立するための美的経験の理想的な条件を、万人に妥当すべき、日常の間主観的な生活実践=コミュニケーション実践に求めている点で、アーレントとハーバーマスの議論が目指す到達点は同じだということができる。

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