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2014年3月29日 (土)

マルティン・ゼール「自然美学」(6)

2.意味を欠いた世界

a.美としての自然の生動性

観照的活動はもっぱら、そして第一義的に、決して視覚的な現象の知覚と結ばれているというわけではなく、それが必然的なわけでもない。観照的活動は全く同様に、聴覚的知覚や触覚的知覚と戯れることもありうる。それでもなお、全ての感覚が等しく観照的使用に適しているのではない。視覚が、すべての観照的な知覚の徳を統一し得る感覚である。距離、中立性、同時性、そして継時性。これらの制約のどれもが、高いレベルで、眼による知覚にのみ、それらの制約のすべてが帰せられているのである。そして眼による知覚にのみ、それらの制約のすべてが帰せられているのである。それにもかかわらず、我々が純粋な視覚を観照の首謀者と先導者であると考えるのはよいとしても、例えばその唯一の器官であるであると考えることは許されない。他の器官の大部分は、すなわち、聴覚を初めとして触覚や嗅覚もやはり、観照的知覚に随伴しうるだけでなく、それらは一定の限界内で、視覚の導きなしに観照的に活動し得るのである。あらゆる制限にもかかわらず視覚に与えられたプリズムの役割ゆえに、私は他方で、美的観照のためにさらに「直観」と「観察」という用語を使うのが正当であると思う。このことは、美的観照の知覚がたんに観察する知覚ではない場合にも、やはり正当である。

もっぱら聴覚の場合に、そして視覚の場合にさらに明確であるが、純粋な、知覚の遂行だけに集中した感覚作用が、観照的態度なのである。ここでは、純粋な感性が、その感性にとって束縛のない感性的知覚が問題であるという理由で、観照的な感性と一致している。だが、観照的注意の基準は、これと別のものではない。それはすなわち、それ以外の関心、価値、風景から自由な、遂行へと方向づけられた感性的知覚という基準である。ある限定の下でならば他の器官でもこうした使用が可能である。しかしながら、それらの器官は、我々が純粋にそれらに集中するだけでそのように使用されるのではなく、それらの器官が方向づけられずに知覚するのにまかせるときにのみ、そのように使用されるのである。この「方向づけられずに」に代えて、「関心を欠いて」と言うこともできる。従って、我々は観照を単純明快に、無関心な感性的知覚と定義することができる。

そこから次のことが明らかになる。観照はおよそ純粋な感性の営為などではないが、同様に、観照は意識の基本的ないし原始的な営為などでもない、ということである。特殊なものに対する観照の極端な感覚は、度外視するという固有の能力に基づいている。すなわち、あらゆる非観照的知覚においては意図や興奮が注意を方向づけているが、その意図や興奮を度外視する能力である。観照とは、この上なく前提に満ちた知覚なのである。観照は多様な生活関心と意味連関から共感覚的に形成された一定の時空を前提しており、そりなかですべての所与は言語的に個別化された対象性を保っている。観照はこうした個別化の成果を保持しているが、それをあらゆる機能的な規定から解き放つことになる。観照はすべての事物にその最も単純な名前で呼びかけるだけであって、それらの明言されない現出という返答はそれらに委ねておくのである。

自由な感性的直観と概念把握する了解の二つの観点を、それらが遂行される間に首尾よく区別し得るような、意味に満ちた観察が存在する。それがすなわち、美的観照である。美的観照の意味、強度は、いかにしてあるものが束縛のない「無媒介的な直観の器官」に現れるか、という問いに集中することにある。ヘーゲルは、美的な自然経験は芸術経験の先行形態の一つに過ぎないと見なしており、観照的な自然知覚に固有の意味を認識できなかった。すなわち、普遍的なものに対する予感的で思念的な野望さえも断念する能力が実は十全に発展した形態であるということを、ヘーゲルは認識できなかったのである。「自然の自由な生動性」の感官に即した直観は、美意識の先行形態などではなく、その最高形態の一つなのである。この感官に即した直観とは感官の知的使用であり、複雑な行為図式、言語的区別、歴史的伝統のなかに深く覆い隠された知的感官の使用である。この直観は感官の使用─ただし否定的な使用である。精神が発展した段階においては、ある自然に直面するとき、この直観は自然を精神の派生語として美化せずに、感官の固有の意味に委ねるのである。観照とは、感官にこれらの意味を区別するという美的実践に他ならない。

 

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