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2014年4月21日 (月)

ラファエル前派展 英国ヴィクトリア絵画の夢(2)~1.歴史 History

Mireofiria ここでは、歴史や文学の一番を題材として描かれた作品が展示されていた、ということです。その際に、ラファエル前派の画家たちの描き方は伝統的な慣例を無視したものとなり、権威筋の批評家や教養ある鑑賞者たちを挑発する結果となったと言います。例えば、伝統的な歴史画によくある華々しい活劇場面や、裸婦が物憂げに佇む理想化された古典的情景などには興味を示さず、自分たちが読んだ本や芝居から題材を主体的に見出して行ったと言います。とくにシェイクスピアの戯曲からの取り上げ方は、劇場の舞台でのあり様とは乖離した、登場人物の親密な交わりや人間体験に焦点を当てて、人物の輪郭を際立て、衣装や装身具を精緻に描き込み、背景を入念に仕上げるなどにより歴史や文学の情景が、現実にリアルに蘇ることを目指すような描き方をしたと言います。

Mireofiria20waterhouse ミレイ「オフィーリア」(上図)を見てみましょう。今回の展示のメダマ、というよりもミレイの代表作、ラファエル前派を代表する作品です。シェイクスピアの『ハムレット』を題材とした、少女オフィーリアが身を投げるように溺死した場面です。ミレイが想像力豊かに視覚化したハムレットの悲運な恋人の死は、16世紀後半の文学の出現、特別に考案された衣装、そしてオフィーリアの姿そのものを通じて過去を彷彿させる。オフィーリアはゴシックの墓石の彫像のように硬直して仰向けに横たわり、彼女の墓となる水に浮かびつつ身を浸し、鮮やかに花を咲かせる草木に絡まれ、自らが拒んだ生命の素晴らしさを雄弁に語る色とりどりの花々に飾られている。と言う説明は、ここの展示テーマであるアヴァンギャルドな歴史画という線に沿ったもので、そういう方向でもラファエル前派を代表する作品と位置付けているようです。しかし、私がこの作品を見る時に、「オフィーリア」というタイトルはあるもの、歴史画という見方はしないで、幻想絵画とか美少女を取り上げた作品として見ています。フィリップ・アリエスが「子どもの誕生」で指摘したように、かつてはヨーロッパには子供という概念がなくて、近代的な教育制度が整備されるのにしたがって、子供を純粋無垢に存在して創造し、そこに教育を施していくということが進んで行ったといいます。この場合の純粋無垢とは、端的に言えば、セックスの禁忌です。そして、ロマン主義の進展によって、子供と大人の過渡期として青春という時期も創造されます。「オフィーリア」に描かれているのは、ちょうどその時期の、子供の純粋無垢さを一方でもちながらも、大人への過渡期にあってセックスの禁忌が解けようとしている時期の少女です。分厚い衣装のゆえに定かではありませんが、こころもち胸も膨らみ、身体的にはもはや子供ではなく、大人のセックスに耐えうる身体つきに変容してきているのは、明白です。しかし、オフィーリアの表情は虚ろで感情のようなものは表われていません。人間的な感情から離れた、超越した言うなれば無垢な表情になっているとも言えます。このオフィーリアは、だから、純粋無垢な子どもとセックスの禁忌から解かれる大人の両方を兼ね備え、かつ、どちらでもない微妙な過渡期にいる。それは、オフィーリアが死んでしまったことによって、時間が止まってしまって、彼女はその微妙な過渡期の状態で瞬間凍結されてしまった、そのさまを描いた、というように、私の場合は観ています。ちょっと屈折した言い方かもしれませんが、ロセッティがファム・ファタール的な魔性の女性のイメージを描いたのに対抗してミレイが無垢な女性のイメージを描いて見せたのではないか、というように考えたりします。

考えてみれば、溺死という死に方は、様々な死に方がある中で一番身体の表面に損傷を与えない死に方と言えないでしょうか。私には、ミレイはこのような美少女を描きたかったのであって、そのためにオフィーリアという「ハムレット」の登場人物は格好の題材を見つけたというものだったのではないかと想像してしまうのです。それは、他の画家のオフィーリアを描いた作品(例えばウォーターハウス(右上図))の作品とあまりに違うのは、そのためではないか。

Matujizoku また、リアリティということから見れば、オフィーリアの浮いている川面は小川のような感じで、とても人をおぼれさせる川には見えません。むしろ、少女の横たわる肢体を描くのにちょうどいいという感じです。柔らかそうな面に横になるというのは、褥に横たわるというセックスの隠喩と、死ぬことによって、それを拒否するということをシンボライズしているようにも見えなくもありません。そして、オフィーリアの周囲に咲く花々は、アトリビュートとして象徴的な意味がそれぞれの花に込められているのでしょうが、花の命は短くて、という一瞬のものというイメージと、花というのは植物の生殖器でもあるということで、オフィーリアを飾っているというように見えなくもありません。

このオフィーリアの構図というのは後世に様々なフォロワーを生んでいて、その多くは私が、ここで述べた視点に近い姿勢で創作されているように思えます。例えば、松井冬子の「浄相の持続」(左図)という作品は、現代日本画の作品ですが、少女の死体が腐乱していく様を描いたシリーズの一つですが、花に囲まれて、虚ろな表情の美少女の死体が横たわるというのは、まさに、この作品の影響を受けたものと思えます。

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