無料ブログはココログ

« マルティン・ゼール「自然美学」(16) | トップページ | マルティン・ゼール「自然美学」(18) »

2014年4月 9日 (水)

マルティン・ゼール「自然美学」(17)

5.照応的判断

美的な照応的知覚は、それが形成されかつ形成する人間的生の可能性として直観的に認められるように、意味付随的な世界にも認められる。この照応的知覚は、形成されたものが常に形成するものとなる場所を、自然の中に見出す。照応的知覚の形式は、作られたものではなく、相互主観的な生の構想に対する応答として生じる。

観照的判断と異なり、照応的判断は客観的判断である。つのれ、照応的判断は、判断の対象について規定的なことを述べ、表出や特性を与える。判断が解説されるための説明とともに、判断は価値附随的発見を表明する。地域がこの洋特性をもつひと、その現存がこのような印象を生じさせることなどのことは、ここでは一つになった判断である。これらの結合は、「風景を伴った実存形成」について語るときは重要である。この判断は、ほかならず風景における主観的体験に回帰することによって説明できるということが、判断の相互主観的な要請の土台を掘り崩すことはない。というのも、この体験は、判断の側からすれば風景の影響力ある形態に対する応答として了解されるからである。そもそも風景が我々の体験に反応することはない。我々が、風景の特性や雰囲気として発見するものに対する感受性を備えているのである。

この発見が、開かれた、あるいは閉じられた生の領域に関わっていることは、照応的判断に特別な地位を与える。それは、範例的判断である。自然の照応的性質についてのどの証言も、同時に、成功している生の観念を指示する。そのような証言に関わる人々は、この観念が自然の傍らで確証されているのを見出し、またその観念を自然において獲得し、あるいは疑いの目で見る。現れつつある生の可能性としての自然の性質についての証言は、同時に、現に現れている生の可能性の性質も指示する。それにより、この証言は実存的構想の方法を直接的に指示する。この構想に結びついて、地域はその都度、美として、醜として、あるいは崇高として現れる。自然がこのように問題となることによって、諸構想も問題になる。その内容については、照応的に理解された自然が、直観的に明白に語っている。自然が直接話法で非常に不完全な状態でのみ話題にされ、説明されることがあり、それゆえ、とりわけ範例的に熟考され、取り扱われねばならないということが、実存的構想の構造に含まれているのは偶然ではない。照応する自然はそれゆえ、同時に、生の可能な諸構想の実現しつつある表出であるだけでなく、また、そのような構想の妨害や打破として現れるだけでなく、肯定的反映、あるいは否定的反映、または崇高な閃光として経験される観念をも象徴している。自然は雄弁であるだけでなく、自然が表出しているものについて語る卓越した場所でもある。自然はコミュニケーション的交流の場所でもあり、その交流において人間は、いつもはわずかな直観しか存在しないものについて相互に直観できる。これが自然の美的照応の更なる意味である。

« マルティン・ゼール「自然美学」(16) | トップページ | マルティン・ゼール「自然美学」(18) »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: マルティン・ゼール「自然美学」(17):

« マルティン・ゼール「自然美学」(16) | トップページ | マルティン・ゼール「自然美学」(18) »