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2014年5月 6日 (火)

ラファエル前派展 英国ヴィクトリア絵画の夢(9)~6.美 Beauty

ラファエル前派のシンボルのひとつが最初に見たミレイの「オフィーリア」であり、もうひとつシンボルが、ここで展示されているロセッティの女性を描いた作品だと思います。その二つのシンボルは、ラファエル前派の両極端で反対に対峙していると思います。1860年ごろから芸術のための芸術という唯美主義的な風潮が広がり、ロセッティは水彩画から油絵に復帰し、女性の上半身に官能的な肉付けを添え、宝飾品と花とで美しく飾った姿をクローズアップした多数の作品を制作しました。濃厚で深い緑、青、濃い赤といった色彩がめくるめくように鮮烈に使われ、ラファエル以前の初期ルネサンスというより、もっと派手にバロックとかヴェネチア派の作品のような絢爛さに近くなってきます。私の場合には、ロセッティといえば、このような女性を官能的に装飾豊かに描いた作品、ひいてはラファエル前派のイメージもそのようなものがあります。また、唯美主義の風潮の中でオスカー・ワイルドのような世紀末の退廃的な傾向を体現した人達がサロメに象徴されるファム・ファタールという官能的な女性のシンボルを作り出し、その影響を受けながらロセッティの描く女性のイメージが様々に受け入れられ、付加価値を高めていくことに伴い、性的な魅力として人々に衝撃を与えるものとなっていったと思います。このようなこともあって、ラファエル前派が世紀末のヨーロッパ各地で勃興した象徴主義的な絵画芸術運動の先駆けとして、見られることもあると思います。

Preraffaros5 「モンナ・ヴァンナ」という作品。この作品を見れば、禁欲主義とは正反対のものであることは明らかだろうと思います。タイトルが虚栄の女という意味らしい「モンナ・ヴァンナ」ということで、多少は警句てきなこともあるのかもしれませんが、むしろその煌びやかさを描いているようにしか見えません。贅沢に金糸の刺繍をあしらった白地のドレスに身を包み、雷鳥の羽根製の扇を気だるげに片手に持ち、もう一方の手で太い首にかけたサンゴのネックレスを弄びながら、冷ややかな眼差しを送っている。実際のところ女性の顔の表情は無表情のように見える、内面の感情を推し測れない。それが、外面的な装飾を引き立てているという解釈もあると解説されています。アクセサリーに目を向ければ、怪獣の頭をモチーフにした金の腕輪や緑色の葉をかたどった指輪と耳から下がるイヤリング、のど元に巻きつくように下がるハート形のクリスタルのペンダントなどが彩りを添えています。このような外面的な装飾という目で見れば、アクセサリーや衣装だけでなく、この女性自体についても、そのように見ることができるでしょう。官能的な肉体として女性を見るという視点です。この作品でモデルを務めた女性は特定できるとのことですが、顔の特徴をみれば、尖った感じの顎に肉厚の唇に濃い紅を塗って強調し大きめで被さるような鼻の上にはキツメでつり上がり気味の眉があり、意志的で強い光を帯びた黒目がちの目が光っている。その上には波打つような豊かな金髪がある。肉体は肉付きがよく、それは首の太さから窺い知ることができる。ここにロセッティの描く女性の特徴てきな顔や肉体のパターンが表われているといえます。そういうパターンに目が行くということは、この女性の表情とか内面の感情とかいうものよりも、視線は女性の外面である肉体へと向かいます。それが、この絵に対しての官能的な見方に誘われることになります。ロセッティの他の女性を描いた作品を見ると分かるのですが、このようなロセッティの描く女性の顔というのは特徴的で、一目でロセッティの作品と分かる差別化できるものです。そこには、多分外観としての女性の顔というところでユニークな突出をして差別化した一種のブランドのようなものとして確立させていたと思います。この女性の顔つきはロセッティのもので、それは官能的というイメージを促進させ、ブランドとしての付加価値を煽っていく。その相乗効果でロセッティの描く女性のイコール官能的というイメージが定着していった。そして、個々の作品にいては様々な意匠を凝らすことによって、個々の作品の違いを際立たせる。言うなれば着せ替え人形のようなものです。着せ替え人形に内面を匂わす表情とか感情を込めてしまうと、方向性が限定されて着せ替え人形としては意匠の幅が狭くなってしまいます。そのため、顔は徹頭徹尾外面的でなければなりません。

Preraffaros6 そのような中で「ベアタ・ベアトリクス」は異質です。全体的に輪郭を曖昧にしてぼんやりとした感じにして、特に顔にたいしては他の作品とはアングルを明らかに変えていて、しかも顔のセールスポイントである目を閉じさせています。全体の色遣いについても鮮やかな色を際立たせる派手な効果もなく、むしろ色を混ぜて全体として鈍い感じになっています。方向生々として、他の作品では差別化というのか違いを際立たせて目立たせるというのは、反対に、同質化というのか混ぜて一緒くたにした、その混ぜ合わさっている境界があいまいになってぼんやりとした、という方向性です。そこでは、彼我の区別も曖昧となり、現実とも非現実とも分けられないゆめうつつの夢幻的な雰囲気です。解説などでは、亡くなった妻と、ダンテの『新生』のベアトリーチェのイメージを重ねて、様々な象徴的な意匠をほどこしてシンボリックな作品になっている、ということがよく言われているようです。しかし、同時期のロセッティの女性を描いた作品に比べて、薄暗く、薄ぼんやりとした画面で、のけぞるように上向き加減の顔で、口を半開きにして目を閉じている様は、恍惚としているように見えます。それは、性的な隠喩と考えれば、まさにエクスタシーの瞬間と見えなくもありません。ここで描かれている女性の顔にも手にも肌の色等に生気が希薄な鈍い色になっているところで、その象徴性をさらに強くしています。つまり、性的なものというのは生と死のせめぎ合いでもあるからです。フロイトがエロスとタナトスといって生と死を対にして扱ったこともそうですし、性的な行為はしばしば生と死の隠喩で語られるものです。その結果の最たるものが受精という新たな生に関わるものでもあります。その意味で、決してあからさまにではないけれど、そういう見方もできるわけですし、あからさまではないということから、この作品を部屋に飾ることも気兼ねなくできる、というものになっていると思います。また、解説に説明されている通りに、神秘主義的で象徴主義的な作品として見ることも当然できるわけです。一般には、ほとんどの人は、そう見るでしょうけれど。いずれにせよ、この作品はロセッティの特徴を突き詰めたものとして、このラファエル前派展の前半がミレイの「オフィーリア」が代表していたとすれば、後半はこの「ペアタ・ペアトリクス」が代表していると思います。

Preraffaros7 「プロセルピナ」という作品です。この展覧会ポスターにも使われた作品です。黒い髪の毛が印象的で、衣装の濃い紺色で、肌の色との対比、そして唇とザクロの赤が強く目立つ作品です。ギリシャ神話に題材をとったタイトルで、それらしい意匠になっているといいますが、黒髪と濃い色の衣装の隙間にほの見える肌の首と背中のラインは豊満で官能的な肉体を暗示しています。「ベアタ・ベアトリクス」のぼんやりとした夢幻的な画面に比べると、こちらはくっきりとしています。むしろ、色を対立的に扱って緊張感をあたえ、顔や首などの肌の白を際立たせ、視線をそこに集めるようになっています。その特徴的な顔こそがロセッティのロセッティたるゆえんとなっている。

 

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