Facebook SNSをこんな風にやってみてます
私は、このブログの他にもFacebookやTwitterも始めてみました。年寄の冷や水のようで、ちょっと無理をしているようではあります。そもそも、そんな無理を始めたのは、IRの業務をやっていて、SNSというネットワークを介しての投資家とのコミュニケーションという分野が未開拓だったので、まずは自分でやってみようと試みてみたのが、契機でした。しかし、ここにきてIRの業務を離れてしまい、もともとの目的が無くなってしまいました。とはいえ、始めてみたら、Facebookをやっていたということで、かつての学生時代の友人たちが、それぞれにFacebookをやっていて、長らく薄らいでいた関係が復活したり、仕事で知り合った人との関係がFacebookを介することによって発展したりということが、少しだけあって、今、やめられなくなってきました。また、ほんの数人ですが、全く面識のない人からフォローされたりということも起こりました。
ただし、私自身、Facebookでのネットの友人を増やしたり、Facebookに特有の“いいね!”をたくさん獲得するとかいうことには、全く興味がありません。また、不断にスマートフォンを見て、ネットワーク上のやりとりを欠かさない、というよりも振り回される、というのでもありません。
SNSなどのネットワーク上での付き合いについては、最近、様々な問題が起こるようになってきて、リスクも抱えながらということになってきています。
そんなところもあって、当初の目的を喪失したこともあって、とはいえ、Facebookは不可欠とは言わないまでも、有益で、ある程度積極的に使いたいところにもあるので、ここで改めて、考えてみました。少し前から、色々考えていたのですが、先日、ブログのお友だちがSNSについてまとまった考えを書いておられたので、触発されて、ちょうどいい機会だと思って、ここでチャレンジしてみました。
現時点では、Facebookやtwitterには、1日1回、ほとんど決まった時間にだけアクセスするようにしています。たいていは、帰宅して寝る前の入浴後、布団に入るまでの涼みながらアクセスするようにしています。飲み会や用事、あるいは出張など、または気分が乗らないときは、無理してアクセスすることはしていません。それは、継続していくに際して、無理はしないということを優先しているためです。最初は、多少無理していましたが、今では習慣化しているようなので、無理なく続けることができるようになっています。
そして、アクセスしたときは、特にFacebookには、とにかく何かしら書き込むことにしています。これが一番大切にしていることですが。私の友だちのなかには、毎日の昼食を画像つきで書き込んでいる人やジョギングの記録、あるいは出張の多い仕事をしている人が出張先の駅の画像をアップしていたりと、さまざまな人がいます。私は、そのようなことではなく、考えたこと、その断片とか、メモ程度のことを手短に書き込んでいます。そのまとまったものが、ここで今ブログに書き込んでいますが、そうまでならない、思いつきとか、未だまとまっていない断片などをそのまま書き込んでいます。何でこんなことをしているかというと、多分、これが私という人物が一番正直に出るものというのが、だんだん分かってきたからです。
ネットワークの世界というのは実際に合うのと違って、別人格の人に成りすますことが可能と言われています。ウソをついても分からない。例えば、私が子供を装うことだって不可能というわけではない。そこに悪意をもった下心を隠してやりとりすることもできてしまう。そういう危険の大きな世界、だから、個人の思想信条などを明かしてしまうことには、リスクが大きい。そう言われることもあれます。しかし、そこで考えてみると、そういうのは、一回、二回とならできるのでしょうが、それを毎日長期間にわたり続ける、しかも過去のことが全部記録に残っている、というところでウソをつき続けるというのは、難しい、必ずどこかでボロが出てしまう、ということが実感で分かりました。だいたい、思想信条について考えを書くということは、数回であればストックがあるので書き込むことができますが、それを少しずつでも毎日続け、それを数か月、数年となれば、必ず途中でストックが尽きてしまいます。そこで、続けるということになれば、絞り出す、あるいはその都度考える、ということなると、ウソをつけなくなるはずです。ウソは底がつけば続けられなくなる。そこで、出てくるのは、装うとか、飾るとかすることもない、自分でも驚くようなこともありますが、そういうものが出てくることになります。たまに辻褄が合わない、以前書いたことと矛盾するようなことも出てきますが、その矛盾やつじつまの合わないことこそが、まさに私のことを表わしているというわけで、そこに少なくとも正直なものが出ていると思っています。
これと同じことは、私とやり取りしているほんの数人の人も、そう考えているようで、本質的に、ネットワークでは正直な、その人が出る、結果として、という点で、考えは一致しています。
そう考えると、例えば、ビジネス、それだけではないですが、などで初めて出逢った人が、もし、私という人が分からなくても、Facebookへの書き込んだのを追ってみれば、そこにある点正直な私という人間が表われているということになってきます。もしかしたら、SNSのコミュニケーションのあり方という、このようなものもあるのではないか、と考えて試しているというところであったりします。これはまた、最初にFacebookを始めたのがIRという企業と投資家の間の新しいタイプのコミュニケーションを試行錯誤しようとしたことを、場面を替えて個人のコミュニケーションの場に置き換えて試してみようとしていると言ってもいいかもしれません。
毎日の昼食を書き込むことにしても、その人の食の好みや傾向が表われてくるわけですし、食に対する姿勢も分かってしまう、そこからある意味での人生への姿勢も透けて見えることなるわけです。それを露わにしてしまうところもありうるわけです。こんなことで、ウソをつく人もいないでしょうから。
まあ、こんなことは私の独り善がり、ということなのでしょうが、年寄は、そんなにかまってもらえないので、別に弊害などもあまりないでしょう、ということで、しばらく続けてみるつもりです。
もし、興味のある方で、Facebookに登録している方がいらっしゃれば、ここを覘いてみていただけるとうれしいです。
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