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2014年6月20日 (金)

あるアイドルグループの投票をネタに世迷言(つづき)

さて、昨日の続きです。昨日のことをかいつまんで述べるのは面倒なので、省略します。もし、昨日のを読まず、これを読み始める方がいらっしゃるようでしたら、前日のものを読んでからの方が、こらからのは読み易いと思います。

AKBというのか、私にはその集団の呼び方も組織の形態もよくわからないのですが、そんなような名前で呼びならわされる集団の投票に関して、偏向した考えを述べましたが、今回は、投票が投票権を購入した人が、その権利で応援する人に投票するという投票のやり方がよく分からないことを書きます。

そもそも、にまた戻りますが、この投票の目的は、シングルとして発売するCDに録音するナンバーのメイン・ボーカルを選ぶと言うのが目的であったと思います。つまりはボーカルの選別です。それなのに、どうしてボーカルのオーデションがないのでしょうか。ボーカルを選ぶのであれば、その歌が選択の第一要因のはずです。しかし、投票のテレビ中継をみてもメンバーが個々に歌を競うところはやっていませんでした。また、ウェブ上に動画などで各人のボーカルが比較できるようにアップされていることもなかったようです。それでどうやって選べるのか。また、仮に歌がうまいとか優れたところがあるからと言って、それがグループの商品コンセプトや販売戦略に適合的であるとは限らないはずなので、それを明らかにしてあって当然だと思いますが、それも明らかになっていなかったようです。そういうところがなければ、単に集団の中の御贔屓の人を投票するだけということになってしまいます。それはそれでいいのかもしれません。そういう投票する人にとっては、それはそれでいいのかもしれません。

そんなものなのか、というのが私の疑問です。それについての考えた理由は次の二つです。ひとつは、そういう内輪の盛り上がりだけを考えているという場合です。つまり、御贔屓の人気投票で競わせるというのは、この集団の中での競争で、集団の外には発展しません。つまり、集団内での内輪の自己満足の世界なので、それで作られたCDの品質がたかいものでなければ内輪以外の対する販売拡大の可能性は少なくなります。しかし、内輪のファンの数がある程度の数があるので、その人たちを常連さんとして、今後はその人たちを差別化するようにして、一種の固定客として囲い込むための販売戦略としてやっているということです。これなら納得できます。集団の中で御贔屓同士をきそわせて、今度はという期待感をもたせて、CDを繰り返し購入させるというためには、有効です。ファンとなっている人たちですから、多少品質は落ちてもCDは買ってくれます。この場合は品質以外のところに購入動機をもっていくということです。しかし、これではファンを増やすという方向にはいかないので、やがてジリ貧になるのは火を見るより明らかです。

そして、もう一つの理由は、そもそも音楽CDは音楽を聴いてもらうための商品と考えていないという理由です。端的に言えばCDの中身である音楽は“グリコのおまけ”みたいなものでしかない、という考えでビジネスをしているということです。へんな喩えかもしれませんが、宗教的行為に似たようなものでお布施を納めるような行為として、ファンはCDやグッズを購う、とでも言った方がいいかもしれません。それは、実際に同じような内容のCDをパッケージや特典を変えて、限定版とか通常版とかいって何度も販売して、そのたびにファンに買わせようとしたり、投票権つきのCDをファンがまとめ買いしたり、ということにも象徴的にあらわれているように見えます。CDの内容(音楽)だけが目的ならば、一枚買えば十分ですから。

そういう意味でこんな風に、つらつら書き連ねてきたうちに生じてきた疑問です。このような投票(競争)をやっている当の本人たちは、それでいいのだろうか、という疑問です。そもそも(また、そもそもです)アイドルを目指そう等という人は、目立ちたがり屋でエゴの強い人です。これは偏見かもしれませんが、たくさんの人の前に出て、そこで自らを表現しようなどと思うような人は、そういう強いエゴでも持っていない限り続かないはずです。そんな人が、何十人も集まった団体のなかで、ドングリの背比べみたいな競争に満足できるのでしょうか。このような競争は、まるで企業の中でのサラリーマンの出世競争と同じように見えます。芸能界を目指すような人は、そういう枠ははまった堅苦しいものに収まりきれないから、そういう世界をえらんだのではないのでしょうか。そこで、サラリーマンの出世競争の縮図みたいなことを必死でやっているわけです。そこで、こんなことやってられないと、集団を退団して、独立して勝負して、一人でグループに勝ってやろう挑戦する人はどうして出てこないのでしょうか。集団の中で、トコロテン式に“卒業”するというのは、まるでサラリーマンの定年退職のようですが、そうやってやめるくらいしかないのでしょうか。

話はかわりますが、芸能界というものに対して、河原乞食という古い言い方があるように一種の賤民としてみていたわけで、そうである反面、そうであるから普通の人が世間とか規則とかに縛られている時に、その枠からはみ出ているからこその自由さというものへの憧れもあったと思います。ところが、サラリーマンのサバイバルゲームを公開でやっているような集団の各メンバーの振舞いを、時に目にすると、そういう自由さを感じることはどうしてもできないでいます。

投票についてもそうですが、この集団のことを目にするたびに、絶望とはいいませんが、閉塞感とでもいうようなものを、どうしても感じてしまいます。

今回は、あまり筋が通ったことを書けませんでした。

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