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2014年6月15日 (日)

シャヴァンヌ展 水辺のアルカディア~ヒュヴィス・シャヴァンヌの神話世界(1)

2014年1月15日(水) BUNKAMURAザ・ミュージアム

Chavannesposシャヴァンヌという画家。私は知らないし、日本ではあまり有名ではないと思います。たまたま、都心に出る用事があり、適当な美術展でもないかと物色していて、他に面白そうなものも見当たらず、見てみたというのが正直なところです。シャヴァンヌがどういう画家かというのは展覧会チラシの説明を引用します。“もとはギリシャの一地方であるアルカディアは、いつしか牧人や穏やかな自然の中で羊の群れを追う理想郷の代名詞として使われるようになっていました。それは幾多の文明を育んだ地中海世界のどこかに存在するやもしれぬ、誰も見たことのない桃源郷を意味します。唯一神々だけが、そこに舞い降りることができ、その豊かさを享受できるのです。そんなシーンを、まるで現実の、あたかも遠景で展開しているように描きだした画家がピエール・ピュヴィスト・ド・シャヴァンヌ(1824-1898)です。19世紀フランスを代表する壁画家として知られるシャヴァンヌは、古典主義的な様式でフランスの主要建造物の記念碑的な装飾絵画を次々と手がけ、並行してそれらの縮小版も制作しました。また壁画以外の絵画においてもその才能を発揮し、数々の名作を残しています。イタリアのフレスコ画を思わせる落ち着いた色調で描かれたそれらの作品は、格調高い静謐な雰囲気を湛えるとともに、その含意に満ちた奥深い世界は、象徴主義の先駆的作例とも言われています。古典的な絵画様式を維持しながら築き上げられた斬新な芸術。スーラ、マティス、ピカソといった新しい世代にも大きな影響を与えただけでなく、日本近代洋画の展開にも深く寄与した巨匠。”ということです。

もう少し突っ込んでみましょうか。展覧会カタログからの引用をしながら、少しだけお勉強の時間です。1860年代にドラクロワやドミニク・アングルが亡くなり、ロマン主義や古典主義の潮流が姿を消して行きます。これとともに色彩に対して形態や線を優先させる絵画表現は、新たな表現に取って代わられていきます。その代表的なものが理想的世界かに隔離したリアリティを重視するクールベやミレーらの作品です。その流れをさらに推し進めたのが印象派で瞬間を捉える感覚に執心し、デッサンよりも光に、人間よりも自然にこだわって行きます。このような流れに対抗していたのが象徴派で「イデアの画家」たろうとした。と図式的に言うことができると思います。このような時代状況の中で、シャヴァンヌはリアリズムを「極端な制限」と見て、“本質を描き出すことを志向する素描と色調を用いた独自の表現法を練り上げ、輪郭を強調した形象表現と、薄青色、灰色、そしたて淡いトーンの独特の抑えた色調によるスタイルを獲得した”と言います。一方で、象徴主義の怪異さを拒み、“「素描と色彩の、ほとんど宗教美術のような制約」の中で単純化されたフォルムと統一された色調の対話を紡ぎ出していく”ことになります。この点で、文学の世界で高踏派と言われる詩人たちが「イデアの美は隠喩を必要としない」として無駄な語彙や無根拠に叙情性を排する代わりにリズム、統語法、語彙の稀少性を重視することにより、シャヴァンヌの方向性に共感していったといいます。シャヴァンヌ本人の言葉が残されていて「あらゆる明晰なイデアのひとつひとつには、それを翻訳するひとつの造形的思考が存在する。しかしほとんどの場合、我々が得るイデアは混乱し不鮮明なものだ。そこでまずそれを解きほぐして、我々の内なる視線によって純粋な状態で見ることができるようにすることが重要である。その感情の中にひそむ思考を、それが自分の目で見て完全に解き明かされるまで、可能な限り明瞭に見えるようになるまで、じっくり時間をかけて練り上げる。それから正確に翻訳できる光景を探し求める。」何か、高踏的ですね。

ちょうど生没年でいえば、ギュターヴ・モローと重なるという時代の人です。モローとは没年が同じですが、日本でのモローとの知名度の隔たりは何でしょうか。ハッキリ言って、モローの象徴主義的な作品は、シャヴァンヌのように純粋で高踏的ではありませんが、モローに比べるのは適切であるかどうかは分かりませんが、モローに比べると、シャヴァンヌの作品は退屈で眠気を誘うものです。心に引っ掛かるところがなく、すっと上滑りしてしまっている感じです。キレイゴトばかり言っているタテマエばかりで人間としての心情が感じられない奴、そんな印象を持ってしまうということでしょうか。ただし、当時のフランスでは、シャヴァンヌは公共的な壁画の依頼を数多く受けて、美術界の要職を歴任していたと言いますから一介の美術教授にすぎなかったモローとは、今の日本評価とは正反対だったことでしょう。多分大衆的な支持という点でも、モローとは比較にならないほど広範に支持されていたと思います。

その辺りのことを考えながら、作品を観ていきたいと思います。なお、展示は次のような章立てで為されていました。

.最初の壁画装飾と初期作品(1850年代)

.公共建築の壁画装飾へ~アミアン・ピカルディ美術館(1860年代)

.アルカディアの創造~リヨン美術館の壁画装飾へ(1870~80年代)

.アルカディアの広がり~パリ市庁舎の装飾と日本への影響(1890年代)

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