岡本隆司「近代中国史」(7)
Ⅲ.パフォーマンス─明清時代と伝統経済
1.思想と行為
中国史上の経済を論じるのが難しいのは、それに関する当時の思想言説がまとまっておらず、また今日の見地からして、正確でないことも、その一因である。例えば、今日の「社会主義市場経済」という改革開放政策のスローガンは、社会主義と市場経済という相容れない概念の組み合わせが、論理・学問的に矛盾したものだった。実際、ここでの「社会主義」計画経済は、イデオロギーと支配方式にほかならず、それが現実の経済活動に直結していなかった。こうしたことは、単に呼称に限らず、具体的な制度の面で言えば、単一の国民経済でありながら、20年前までは外貨兌換券と人民元の二重貨幣だったし、都市と農村の二重戸籍である。いずれにしても言行不一致であって、政治上の主張・政策と経済上の施策・実態が一致していないといってよい。
その多くは、ここまで論じてきた「国」と「民」の懸隔から説明できる。権力が社会の動きを把握できないがために、政府の発言・記録・主張も、中国全体の動向を十分に反映したものにならない。その典型的な例として「重農抑商」と「地大物博」という理念を見てみる。
中国は、歴史的に人口の大多数が農民であり、これを農業国・農業社会と見るのが普通だろう。観念上も、中国の統治理念は古来、「重農抑商」であった。文字通り、農業を重んじ、商業を抑えるという思想・論理である。農業にとどまらず、生産・ものづくりというように文脈を広げてみてもそうである。工業も中国史の過程では、その大部分は農民の副業としての手工業である。観念の上ばかりでなく、歴史事実の経過を見ても中国の生産力はすさまじい。量の多さは言わずもがな、生糸・絹製品、磁器や茶など、中国が開発創出した物産も少なくない。それらは長らく中国でしか生産できなかったし、またその間に、産品じたいが高度な発達も遂げた。
しかしそうした農業・工業の動向は、中国が一体となってのものだったかといえば、それは多分に疑わしい。政府は農業・工業を尊重し、奨励した。しかし実際の行為において、権力が農業や工業を産業として保護育成したり、その従事者たちを尊重したとは言えない。奨励は熱心でも、それは結局口先に過ぎなかった。食糧政策はたしかに存在した。だがその内容は、流通規制・倉儲政策・租税増減、あるいは飢饉時の救済というように、流通と徴税、あるいは災害にかかわる政策のみ、生産・民生そのものに切り込む施策を実行していたわけではない。むしろ逆だった。理念と現実がまるで逆だからこそ、却って声高にそれを言わねばならない、というところだろう。土地の経営にしても、物産の創出・量産にしても、それは一にかかって、生産者の才覚と労働によるものである。それは「ものづくり」にほとんど関わらない局外者からみれば、あたかも自然物のように発生、存在するもの、したがって単なる収奪の対象にほかならなかった。その局外者とは、特権を有し、純消費者階層をなしていた「士」、あるいは物産を流通させる「商」であり、生産者からほぼ隔絶して社会の上層を占める人々である。そのため、農業・工業に対し、実質ある国家的、あるいは社会的な尊重は生まれなかった。大土地所有の是正が史上、長らく政策上の課題となったのも、そこに原因がある。技術の革新もしかり、スキルの形成もしかり。現代の中国で、たとえば著作権の尊重に関心が薄いのも、ブランドが生まれにくいのも根は同じ、そこに由来する問題なのである。
また、「地大物博」について考えてみる。イギリスからの交易の申し入れに対して乾隆帝が表明したことで形となったものだが、その言わんとするところは、中国は「地が大きく物も博く」て自給自足できるから、まったく外国貿易を必要としないけれども、それでは他の国が困るであろうから、「中国」の恩恵として貿易をさせてやる、貿易を許してやるのだから、従順でなくてはならぬ、ということである。現代中国でも、貿易を政治と結びつけ、平等互恵の経済行為とはみなさない、こうした独善的、自己中心的な観念と論法は今なお息づいている。しかしこれは、中国の為政者・知識人たちが、対外貿易の価値を認めないほど、アウタルキー的な経済観念に染まっていた事実にある。
外国との貿易が、経済景況を大きく左右する客観情勢と、国内経済をアウタルキー・自給自足とみなして、貿易を軽んずる主観認識との乖離。これはまさしく、ここまで論じてきた社会と権力との懸隔に対応する事態だろう。「地大物博」・自給自足を誇るのは、豊かな生産力の誇示に等しい。だとすれば、さきに述べた「重農」観念とも通る一面をもち、「重農抑商」という伝統的な通念とも重なってくる。その農業尊重が、客観的に見れば、ほとんど行動を伴わない虚構だったことは述べた通り、それなら「抑商」、商業の抑圧・商人の軽視も、やはり虚偽なのだろうか。対外貿易はもとより、国内商業でも、あらゆる記録著述において、商人は賤しまれている。商業。流通はまぎれもなく「末」業であり、たしかに軽視・蔑視をうけていたのである。それにもかかわらず、商業は10世紀以降、中国経済の内外にわたって確乎不抜の地位を築く。だからこそ、貿易が経済景況を左右し得たのである。商人の練達も著しい。生産にせよ流通にせよ、記録に残る主観認識と史実の推移する客観情勢とに大きな開きがあった。それなら、歴史的な経済の実体・動向は、いかなるものであったか。また、このような権力と社会の乖離から生じる言行不一致は、そこにどのような影響を及ぼしたのか。
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