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2014年6月22日 (日)

岡本隆司「近代中国史」(1)

プロローグ─中国経済と近代中国史

経済史は社会科学の女王である。社会科学が不可解な人間事象を解きほぐすものだとすれば、グローバル経済史を語るこの命題は、なかんずく中国にこそふさわしい。中国の謎は経済に極まり、それを知る鍵が歴史にあるからである。

高度成長を続け、関係を深める中国経済関する著述は、実務から学問に至るまで、汗牛充棟ただならぬありさま。それだけ中国に対する関心が高いわけだが、それは、よく分からない、と言う意味である。中国経済は謎だらけである。

中国の経済成長には、外国資本の果たした役割が大きい。なぜ外資にそれほどのプレゼンスがあるのか。それはいつから始まり、どこに由来するのか。日本で経済成長と言えば「ものづくり」であり、技術開発である。「世界の工場」となった中国でも、もちろん製造業が盛んではあるけれども、創意工夫を旨とし、先端技術を競う「ものづくり」を中国で想像することはおよそできない。自前の技術だと言い張って運行を始めた高速鉄道は、その好例である。そこからすぐ連想するのは、技術やパテント、あるいは著作権を尊重しない態度であり、いわゆるパクリや海賊版が横行する現状も、その根源は同じだろう。それでどうして高度成長が可能だったのか。日本人の感覚では、どうにも分かりにくい。日本の経済成長は、いわゆる官民一体で進んだ。経済事業には政府が深くコミットし、企業も個人もお上を信じ、頼ってきた。法令規則にも従順である。いまもそれは変わらない。それに比べて、中国はどうか。中国共産党の「改革開放」路線が、官民一体だったであろうか。日本のように、民間の事業・生活を支援するのに、政府揚げて関わった、という事例は多くあるまい。民間の側もそうである。社会保障でいえば、最近の都市部は変わってきたが、病気も老後も自分で何とかする、という考え方が一般的だった。なればこそ、民間セーフティネットの発達が著しい。お上をあてにしないのが中国人なのである。お上に頼らない、とはお上のいうことを聴かない、法を遵守しないことをも意味する。そのため経済活動でもトラブル、犯罪が頻発してきた。日本で同じ現象はあっても、数・規模ははるかに中国がまさっており、因果関係や社会環境は、どうみても同一視できない。さらに日本人に想像しがたいのが、いわゆる格差の大きさであろう。日本で問題になっている格差など、中国に比べれば、およそ物の数ではない。日本と同じ格差といっては、誤解する恐れさえあるだろう。では、その根源はいったいどこにあるのだろうか。

経済というと何やら難しく聞こえるけれども、実は日々の暮らしで、我々自身も参加実践していることであって、要するに、社会の動きの一部をなす。だから経済の動き方を探るには、その社会の仕組みを知らなくてはならない。社会を知るには、その来歴を考える必要がある。つまり、中国経済の理解には、中国社会の歴史が前提として欠かせない。

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