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2014年6月17日 (火)

シャヴァンヌ展 水辺のアルカディア~ヒュヴィス・シャヴァンヌの神話世界(3)

.公共建築の壁画装飾へ~アミアン・ピカルディ美術館(1860年代)

シャヴァンヌは兄の別荘の食堂の装飾を手がけると壁画という、自己の道を見出したといいます。公共建築の大壁画によって人々の目を自分に向け、批評家の注意を引き付け、注文を得て、その結果名声を得ていく、というビジネスモデルです。もともと“紋切型”の要素のあったその絵画手法を研ぎ澄まして壁画という不特定多数の人々に向けたものに特化していったのがこの時期の特徴といえます。

Chavannesrest「休息」という作品は、新設のアミアンのピカルディ美術館の壁画を後にキャンバスに縮小して描き直した作品です。ギリシャ神話の牧歌的な風景を想い起させるようなものとなっています。壁画を制作した美術館のあるアミアンはいわゆる地方都市で、有名なゴシックの大聖堂があるような歴史のある、言ってみれば保守的なうるさ方がいるような土地柄です。公共的な美術館ともなれば、監督するのは行政当局ですが、その担当の官僚もそうだし、地方議会には地方の名家、実業家、ブルジョワが名を連ねています。そういう人々を満足させるものでなければ、壁画の注文は獲得できないでしょう。そのための一つとして、牧歌的な風景は肥沃な土地柄で農業が盛んということを称揚することにつながります。また、古代を想起させる様式と図式をもちいることで歴史的伝統を強調し、さらには永続的な文化的価値を主張し、国家の継続と安定に関する安心感を主張していると受け取ることもできます。全体として古典様式は上品で教養高いという印象を与えるものでした。

さらには、大きな空間を占める建物の壁画は、キャンバスに描く絵画とは異なる手法が必要とされます。壁画が周囲の壁面の平面性をますます強固にするために作られていることを考慮して、シャヴァンヌは壁画の構図、立体表現の欠如、全体を覆うリズム、色彩、そして反射しない表面といった特徴を追求するようになっています。これは現場の建築家を満足させるものであったと言います。これはシャヴァンヌと建築家との共同作業を促し、建築家は他の建物でもシャヴァンヌが壁画を描くように運動し、描き易くするための建築上の配慮もするようになっていったと言います。

Chavannesfantasy_2当時の画家たちは作品を売ることで生計をたてていた一方で、芸術家としての自己主張をしていたわけですが、このようなシャヴァンヌの姿勢は芸術家というよりは請負の職人のようです。これは、キャンバスに描いた絵画作品のように、ある程度自由に作品を描いて、それを画廊に飾られて気に入られたものが買われていくというようにもの。つまりは、画家が「どうだ!」と出来上がったものをアピールして買ってもらう。壁画はそうものとは違い、注文を受けてから描くというものであるため、出来上がったものが注文主の意向に反するということが許されないものとなります。どちらかというと買主優位の関係となるため、ある程度迎合的な姿勢はやむを得ないということになるでしょう。すくなくとも、画家がリスクをより多く負うことになるわけです。シャヴァンヌの姿勢は、そういう状況からやむを得ない面もあったと思います。

この作品でも、前景と後景の風景を一つの大きな二次元のデザインに統合し、水面の明確な輪郭、遠くの山々や木々のボリュームある形等で仕切られた画面になっています。色調は、ぼかされくすんで、色彩の色分けで区切りをつけています。そして、木の葉を見れば分かりますが、装飾的な形態がディテールとして散りばめられています。まるでタピスリーのようだと言った人がいるとか。たしかに、共通している点が多いと思います。

しかし他方で、このような描き方そのままで、普通にキャンバスに絵画を描くと、当時の一般的に絵画作風とは異質な作品が生まれることになります。例えば「幻想」という作品。高い崖を背景にした森の中で、腰掛けた裸のニンフがペガサスを捕えようと葡萄の蔓を投げ、その近くでは裸の子供がリースを作っている。青白い色調で全体のトーンが統一されているのが特徴的な作品です。この特徴的な色調以外の点では、「休息」で見た壁画の特徴が、そのままここでも言えると思います。平面的で書き割り(塗り絵)のような画面構成で、立体空間の奥行きがないことや、人物などの構成要素が類型的であることなどです。ここで描かれているニンフや子供は彫像のようで、形態もギリシャ彫刻にようです、生命体としての生き生きとした感じや、動きが感じられません。ペガサスのポーズも静止している彫像のようです。それゆえに、女性のニンフが裸であっても官能性がなく、絵画としての自己主張が希薄で、絵画という画面そのものよりも、そこに象徴されているだろう寓意とか物語に思いを馳せる効果をあげていると思います。

Chavannesmed「瞑想」という作品では、中心に描かれている女性は肉体の厚みを感じさせるように描いていますが、やはり生身の肉体という感じはしません。「幻想」もそうですが、人物に表情というものがなく、何を思い考えているのか、意識がない人間の価値をした平面とか物体なのです。しかし、それは画家の技量のせいではなくて、あくまでも意図的です。そういう点では他の画家の写実的な絵画とは一線を画すものとなっていた。それは、たとえばスーラのような点描で写実とは違った絵画独自の空間を作ろうという志向の画家たちに通じる点もあった。結果的にそういうことになったのだと、私は思いますが。

これらの作品を見ていて、幻想的な絵画とか象徴主義とか解説されていましたが、むしろ私にはイラストとかポップアートに近いもののように思えました。何か、今回は絵画そのものよりも、理念的な議論が多くなってしまっているので、ここでは説明はしませんが。

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