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2014年6月16日 (月)

シャヴァンヌ展 水辺のアルカディア~ヒュヴィス・シャヴァンヌの神話世界(2)

.最初の壁画装飾と初期作品(1850年代)

Chavannesallgシャヴァンヌの修業時代の習作的な作品が並べられています。そこに特徴的なものとか、個性とか何か突出したようなものは見られず、折衷的で、どちらかというと凡庸という印象のものが展示されています。凡庸という喩えは不適切かもしれませんが、蓮實重彦がギュスータヴ・フローヴェールの同時代人であるマクシム・デュ・カンのことを、そのように言った意味で凡庸という形容が当てはまると思います。蓮實は凡庸さを、「それはたんなる才能の欠如といったものではない。才能の有無にかかわらず凡庸さを定義しうるものは、言葉以前に存在を操作しうる距離の意識であり方向の感覚である。凡庸な芸術家とは、その距離の意識と方向の感覚とによって、自分が何かを代弁しつつ予言しうる例外的な非凡さだと確信する存在なのだ」と定義します。例えば、“紋切型”という表現は、個性とか創造性を重んずる芸術では、避けるべきものということになります。とくに19世紀後半から大衆が出現し、それに伴い消費社会がうまれ一部の教養豊かな貴族やブルジョワを相手に深淵だった芸術も大衆を相手にひろく分かり易いものであることに変質してくると、どうしても分かり易さを追求するあまり“紋切型”に陥ってしまう。このとき、“紋切型”を免ようとする。しかし、考えてみれば、“紋切型”がいけないというのは単なる先入観にすぎず、みんなそう思っている、このこと自体がじつは“紋切型”なのです。従って、“紋切型”を免れようという行為そのものが、広い視点で見ると“紋切型”そのものなのです。凡庸というのは、そういうものとして考えると、少しは分かり易いのではないかと思います。ちなみに、ギュスターヴ・フローヴェール晩年の未完の作品『ブヴァールとペキュシェ』の中で紋切型辞典が出てきます。フローヴェールは紋切型と戯れることで、紋切型≠芸術という先入観を笑い飛ばそうとした、とも言えるかもしれません。しかし、マクシム・デュ・カンと真面目に紋切型を追求していった。

「アレゴリー」という作品を観てみましょう。3人の男性が描かれている人物画です。「アレゴリー」というタイトルや3人の人物が僧服を着ていたり、図面を持っていたり、ポーズがいわくありげで、意味深な作品に見えます。まずは、そのようなことを考えずに表面的に画面だけを見てみましょう。画面全体がルネサンス絵画のようです。古典派やロマン派を経過して、リアリズムの風潮がでてきたフランスの絵画世界では、復古的というのかアナクロの感じがします。しかし、どこか薄っぺらい感じがします。平面的で奥行を感じさせないし、色遣いが平板な感じで、見易いのですが、人物にも生命感が感じられない。まるで、ルネサンス風のレプリカのようなのです。これは、シャヴァンヌが下手だというのではないのです。技術的な下地がなければ、このようなものを描くことはできないでしょうから。このルネッサンスのレプリカ風、ルネッサンスっぽいというのが、実は、本物を知らないし、それほどの教養や専門知識のない大衆にとっては、むしろ本物よりも見易いと言えるのではないかと思うわけです。つまり、“紋切型”を一生懸命やろうとしている。それは、シャヴァンヌが公共建築の壁画という人々に広く見られる、しかも民主主義の大衆を含めた市民社会に向けて、その宣伝的な要素もまじえたメッセージを分かり易く伝える絵画を描くことになる、ひとつの資質がここで表われているように、私には見えます。

それはまた、ここに描かれている三人の人物が、どこかで見たことのあるような類型化されたものであるということです。これまでの他の作品で使われてきたようなパターンを、“紋切型”であれば、描く方も見る人に分ってもらい易いし、メッセージを伝える道具として使いやすい。何よりも、画面そのものが安定して親しみ易いものとなります。

さらに、もう一つは、この作品が何か言いたげで、それが作品のメッセージとして見る人感じるのではないか、というひとつの単純化された作品であるということです。そのメッセージは、実は芸術家のあり方とか言葉にしやすい“紋切型”のようなもので、商品宣伝のポスターに近い考え方であるように思います。もちろん、シャヴァンヌ自身は真摯で真面目に芸術絵画を追求しようと、また、当時のデモクラシーの市民社会を真面目にリスペクトしていたと思います。そういう真面目を追求していくことが却って、“紋切型”を生み出すことになってしまっている。そのこと自体は、すぐれて現代的な問題提起的なことになっている(これも“紋切型”です)。これがシャヴァンヌという人の作品の大きな特徴ではないか、と私は思います。それが、この作品には出発点のように胚胎している。

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