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2014年6月18日 (水)

シャヴァンヌ展 水辺のアルカディア~ヒュヴィス・シャヴァンヌの神話世界(4)

.アルカディアの創造~リヨン美術館の壁画装飾へ(1870~80年代)

Chavannesmoriヨーロッパ近代の市民消費社会を積極的に推し進めたのはナポレオン3世の治下のフランスでしたが、普仏戦争により唐突に終わりを迎え、それまでの爛熟した文化が、占領下や共和制での混乱で、パリ市街は荒廃します。丁度その時期のシャヴァンヌは、復興における新たな建築の壁画制作の注文を受け、忙しい日々をおくったと言います。

「諸芸術とミューズたちの集う聖なる森」という作品は、リヨン美術館のために描いた壁画で、これはキャンバスに縮小して描き直したものですが、それでも横幅2mを越える大きな作品となっています。理想化された古代の牧歌的風景に神話上のミューズたちが集うという光景で、戦火やパリ・コミューンといった国内での戦争状態を経て、平和な理想世界への希求が切実だったという背景で、このような安穏さともいえる牧歌的な風景を意識的に描いたということなのでしょうか。その際に、前回で自らの進むべき道を見出したシャヴァンヌの特徴がいかんなく生かされた作品が生まれたということでしょうか。しかし、私が見る分には、そのようなことは関係なくなりますが、どう見ても退屈なのです。展示室はこの作品の前に長椅子が置いてあって、そこに座って見ることができようになっていたのですが、私は長椅子に座ると、何時に間にかうたた寝をしていました。音楽では、コンサートで眠くなる演奏は悪い演奏ではないと言います。眠れるほど心地よい音楽ということです。しかし、音楽を聴くということは、聞こえてくるという受け身の姿勢でもかのうです。これに対して絵画を見るということは、観るという積極的な働きかけをしないといけません。そうして観ようとして、眠気を抑えることができなかったのです。その理由(このような理由を、わざわざ考えるというのは馬鹿馬鹿しいと言ってしまえばそれまでですが)としては、画面全体に、刺激を抑えようという操作が為されていることです。刺激というよりは、画面を見ていて引っ掛かるところといった方がいいと思います。そういうものを作らないように、意識的に平板な描かれ方をしている、まるで自己主張がないかのようです。色調も、現在の言葉でいえば淡いパステル調というのか、眼に心地よいところはあるのですが、訴えかけるようなものではありません。描かれているニンフたちを見ると、表情が分からないように省略されているため、この人達の心情とか内面的なものを想像することはできず、感情移入するようなこともできません。すべてが表面を上滑りするだけ、というように描かれているのです。

展示スペースには、この作品が実際に美術館の壁面に飾られているのを再現する模型のようなものが作られていましたが、実際にリヨン美術館に赴いて、壁面に描かれているこの作品を注目して眺めるということは、私の場合には、たぶんあり得ないのではないか、と思います。多分は、視線を注ぐこともなく、通り過ぎてしまうことになるだろう。通り過ぎる人の足を止めさせて、壁画に注意を集めさせるような強いものは、この作品には認めることができません。逆に、作品としての存在感を限りなく希薄化させて、作品の独立した存在というよりも、そこに作品が

あることで、空間に環境とか雰囲気をかたちづくるような配慮が意図されているのではないか、と思われる、好意的に見れば、そういう意図を解釈として受け入れることも出来るでしょう。そうであれば、音楽であれば、自己主張を抑え、かといってBGMでもなく、ひとつの音楽空間を作ろうとする環境音楽のようなことを、この作品が考えていたと解釈することも可能でしょう。そのために、作品は色彩によって区画された面と区画の境界である線に還元されていくことに突き詰められていくことになるわけです。そこでは、リアルであるとか、物語や理念を想起させるアトリビュートとか、背後のストーリーなどといった伝統的な絵画の基盤は無用になっていくはずです。その反面、色彩が見るに与える心理的効果とか、その色彩を組み合わせて構成させることによる複合的効果とか、一種のイメージ喚起といった、インテリアデザインとかビジュアルのマーケティングのような発想でしょうか。前のところで、ポップアートのようなテイストを感じるといったのは、そんなところです。

そうであれば、この作品は観る人ひとりひとりの内面をもった個人に訴えかけることを意図しているのではなく、行動主義的に分析されたマスとしての一般的な人々にとって受け入れやすいということを計算して製作されたものと言うことができます。ポップアートが工業製品を転用してアートとして扱ったのと反対に、芸術作品を工業製品のように製造しようとしたものと言えるかもしれません。だからこそ、私が個人として見れば、退屈を感じてしまうのは、そういうところかもしれません。

 

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