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2014年7月31日 (木)

斎藤慶典「フッサール 起源への哲学」(8)

第3章 記号と意味─「現象」の内実

すべてをもはやそれ以上遡り得ない最終的地盤へと送り返す超越論的還元に続いてフッサールが要請するのは、ここで獲得された「現象」の内にすでに与えられているはずの、個々の現象の「何であるか」すなわちその本質を明示的に取り出し・確定する役割を担う形相的還元である。この与えられた「現象」がそもそも「何」であるかが確定されてはじめて、そのような現象がいかにして構成されたのかを明らかにする「構成分析」が緒に就くわけである。換言すれば、超越論的還元と形相的還元という二段階の還元を経てはじめて、現象学はようやく<世界の構成分析>というみずからの本来の仕事に取り掛かることができるのである。

弧の構成分析には、実際の分析の進展につれ、種々の層と次元が含まれていることが次第に明らかになってくる。まずは形相的官憲を経て確定され・明示された「本質」としての現象が、ほかの諸々の本質とどのような関係の下にあるのかの体系的・類型学的分析が行われる。このレヴェルでの「本質」は、それぞれ具体的な「内容=実質」を伴ったものであり、例えば物理的自然、動物的自然、精神といった領域を形成している。こうした各領域の構成を問うのが「実質的(質料的)存在論」であり、実質をともなって現象している本質の対照的側面の構造を問う「ノエマ的分析」と、その本質を構成するはたらき=作用の側面に照準を合わせる「ノエシス的分析」との相関の中で構成分析が進行する。こうした実質的存在論に対して、それぞれの本質が含む実質を捨象して対象一般とか事態一般などといったあるもの一般の構成を問うのが「形式的存在論」である。こちらもまた、ノエマ的分析とノエシス的分析が手を携えて進むことになる。しかし、これらの分析が、すでに本質として与えられた対象がそのようなものとして構成された(出来上がった)相のもとで、その構成成分を析出するという仕方でなされる「静観的現象学」であるのに対して、彼の関心はさらに、そのような本質としての対象がそのようなものとして構成されてくるいわば現場に降り立つことへと向かうようになる。それは、現象することの基本的性格をなす絶えざる時間的流動の中で、そのような本質としての対象がどのように構成されてくるのかを問う発生的な分析、ないしは発生的現象学という構成のもとで追究されるようになる。こうして、構成分析は何段階にもわたってその分析を深めていくことになる。

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