岡本隆司「近代中国史」(14)
Ⅳ.モダニゼーション─国民経済へ向かって
1.序曲─1870年代まで
東アジアの伝統経済と欧米の近代資本主義は、同じ時期に並立、並行して形づくられたものにほかならない。しかも相互に連関している。イギリスの産業革命は中国の伝統経済と密接な関わりをもって進行したし、その産業革命は中国経済に大きな影響を与えた。その両者を結びつけたのが貿易だった。
18世紀を通じて喫茶の習慣がひろまったイギリスは、中国に輸出できる対価をもたなかったからも茶を手に入れ続けるには、銀と引き換える他なかった。茶は当時、中国にしかできなかったのである。かたや、その銀を吸い上げた中国が、伝統経済を確立させたことは、すでに述べたとおり。銀の持続的な流入があればこそ、好況に沸くこともできた。けれども国内産業を育成するため、資金需要が高まっていたイギリスにとっては、大量の貴金属を持ち出す貿易、一方的な入超は、もはや座視できない問題である。そこで着眼したのは、植民地化を進めるインドだった。インドはすでに中国との主要貿易国である。しかもイギリスとは異なり、中国が必要とする産物を有していた。綿花は、中国紡績業の原料として、少なからず輸入されている。イギリスはこうしたインド物産の売込みを増やすことで、入超を是正しようとしている。そのうちアヘンが中国側の需要に応えて、19世紀に入ると、売上が急増し、茶に対する支払いを相殺できるまでに拡大する。中国・イギリスの貿易は、茶の輸入でイギリスの赤字であり、インド・中国貿易は、綿花とアヘンの輸出でインドの黒字。イギリス・インド間の収支は、関税率や為替等の操作でイギリスの黒字にする。それらを組み合わせて全体の決済を行う、いわゆる三角貿易が成立した。最終的には、アメリカを含めた全世界を視野に最終的な決済をロンドンの国際金融市場に集約させるグローバル規模の多角的決済網をつくりあげた。イギリスの産業革命が進めば進むほど、よく多くのアヘンが中国に流れ込む、という現象を呈する。
そのため、アヘン戦争が小さからぬ意味を持つ事件とは言える。しかしそこで中国の新しい近代が始まるということには疑がわしい。政治・経済の旧来の体制に大きな変化は見られないからである。アヘン貿易が対内的には商業秩序を乱したことに間違いはない。秩序が乱れた、というのなら、それはつとに別のところで始まっていた。アヘンを持ち込み、売りつけたのは、確かにイギリスである。しかし中国には、その禁制品を欲する社会的需要と禁じ得ない政治的構造とが備わっており、政府権力がいかに禁じても、その禁令を骨抜きにしてしまう厖大、強力な受け入れ態勢が民間社会にあった。その最たるものが、非合法。反権力的な中間団体、いわゆる秘密結社である。繰り返し禁令を発したにもかかわらず、実現できなかったのは、政府当局が取り締まる有効な手段を持たなかったからである。それは民間の経済活動に対する権力の不干渉という清朝統治の体質に根差していた。
これは何もアヘンだけに限らず塩などの当局の統制する商品もそうで、専売制度も崩潰に瀕していた。さらに、通常の貿易取引でも類似の事象が見られる。イギリス側は株式会社・銀行を発展させ、潤沢な資金で大量の茶・生糸を買い付けた。中国側でその買い付けに応じたのは、官許をえて納税にあたった少数大手の貿易商である。ところが彼らは、取引の量が増すにつれ、運転資金の欠乏に苦しんだ。伝統経済の仕組みによって、大きな資本を集めることができなかったからである。イギリス商人に借金をして返済できず、倒産する企業が続出、取引の現場はとかく円滑を欠いていた。これもアヘン戦争を起こしたイギリス側の不満のひとつだったのである。そこで実質的な取引に携わるようになるのは、官許の貿易商以外の華人商人である。大資本を持つ外国商社は、彼らに資金を貸し付けて、輸出入品の売買を委託した。いわゆる買瓣の起源はここにある。こうして貿易に従事した華人商人たちは、政府当局から認可を受けていなかったから、とりもなおさず非合法的な存在である。もちろん納税などしないから、その取引が増えるに従って、脱税もはびこった。アヘンの密貿易も、こうした形態の取引の一種だと考える方が、むしろ真相に近い。こうした情況は、言うまでもなく秘密結社の叢生に深く関わっていた。これは18世紀からつづく趨勢だった。
したがってアヘン戦争の結果、結ばれた南京条約も経済上、重大な意味を持ち得ない。上海や福州の開港やそこでの貿易の発展は、たしかに新しい事態ではある。しかし、それは構造的、本質的な変容ではなかった。それまで広州で繁栄していた西洋貿易の場が、ほかにも分化、移動したにすぎない。1830年代になって、アヘン輸入の増大で銀が流出し、銀価が急騰して政治・社会が混乱した、という史実経過は世界史の教科書にも書いてあって、あまりにも有名である。しかし、その実体経済に対する影響はいかほどだったか。アヘンが輸入されるには、もちろんそれに対する需要・消費がなくてはならない。しかしその流入増大が、同じだけの吸引者、中毒者、あるいは実質的な貿易赤字の増加を意味するとは限らない。アヘンは一定の需要をもつ、少量で高価な商品であるため、貴金属と同じ価値がある。それなら伝統経済の性格からすれば、秤量貨幣の銀に代わりうるのであって、取引の場では、通貨の役割を果たしていたケースもある。アヘンに対して税の徴収はできないから銀流出が財政に混乱を起こしたことは間違いない。しかし流通経済に及ぼした影響はそんなに大きくなかった。
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