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2014年7月 2日 (水)

岡本隆司「近代中国史」(10)

4.伝統経済の確立

貿易を望んだのは、銀需要の高まった中国ばかりではない。工業化した江南デルタが産する生糸・絹製品は、中国の国内市場を制するとともに、海外でも高い声評を受ける。また木綿も、地元の消費の他、中国内で他産地のものと競争しつつ次第に仕向け先を海外にシフトさせるようになってきた。くわえて、前代から海外の市場に定着してきた特産の茶・磁器もある。それらはいずれも、魅力あふれる商品で、諸国の垂涎、渇望の的であった。かくして海外貿易は、必然の事態となる。ところが明朝政府は、民間の貿易を禁じていた。「中華」の統一と自尊、そのための現物主義と金銀の使用禁止、そうした政策を実現、徹底するには、貿易があってはならない。社会の商業化とそれに伴う民間の貿易希求は、明朝のそんな理念と政策を圧倒する。旺盛な銀の需要は、現物主義を有名無実化し、草原・海外との分断を狙った長城・海禁を乗り越えて、密貿易の盛行をもたらした。16世紀になると、世界は大航海時代、新大陸から産出された銀が地球を駆け巡って中国に殺到した。

新大陸だけではない。中国に最も身近に銀を潤沢に供給してくれるところがあった。日本列島である。戦国時代の金山・銀山の開発・採掘ラッシュは中国の貴金属需要に喚起されたものだった。日本はこうして中国第一の貿易相手国となった。これを事なかれ主義の官僚は見て見ぬふりをした。これが常態化し、中国内では法令を尊重しない、遵守しない風習が蔓延し、明朝政府の支配は破綻していたとも言える。それでも時に取締・弾圧が実践強化される時があった。そうなれば貿易に従事する人々は武力に訴えてでも抵抗する道を選ぶ。中国の沿岸で行われる密貿易だから、密輸業者は当然ながら華人が最も多数である。とはいえ、日本が第一の貿易相手である以上、目立つ外国人は倭人だったから、そうした沿海での紛糾を称して「倭寇」といった。明朝の側はこうした外患を「北虜南倭」、北方の遊牧地「韃虜」と南方の海賊「倭寇」の脅威だと称した。だがその実態は、明初以来の財政経済政策に対する執着とその破綻を示すものに他ならない。

このように16世紀末には、経済に関わる明初設計の支配体制は内外からは単に瀕していた。これに乗じたのが新たな政権となる清であった。清は多種族から成る武装貿易集団の性格が濃厚である。貿易取引を成功させるには、どうしても外国・異種族と交渉しなくてはならない。その貿易が弾圧を受けかねない情況では、対抗する軍事力を保持して、貿易相手の異種族とも団結し、集団の組織化を高める必要がある。そのため清朝ははじめから、満州人を中核として、漢人・モンゴル人を包含する多種族の混成政権を志向していた。このような清朝政権は、商業を忌避し、交通を遮断し、「外夷」と「中華」、外国と中国・異種族と漢人とを分断しようという明朝の志向とは、まったく相反する存在である。清朝自体が、前世紀の「北虜南倭」と同じく、明朝的な体制・秩序に対するアンチ・テーゼなのであった。

この政権交代を生んだ経済的な意味を表現するなら、社会の商業化と言える。これは唐宋変革の商業革命が数々の技術革新に裏付けられた質的な革命であったのに対して、量の増大による変化ということができる。

明朝政府の現物主義は、自作農の存在とその掌握を前提に、構想したものである。租税も徭役もそうである。いずれも農地と労力を個別に固定、登録した上で、はじめて徴発できるものだった。「官」が「庶」を、権力が民間を把握しようとつとめていたのである。しかし15世紀から16世紀に及ぶ商工業の発達と銀流通の浸透、それらにともなう租税・徭役の銀納化は、農民に否応なく銀の入手を迫ったから、彼らは商人に頼らざるを得ず、その支配を受けるようになる。かくて中小の自作農は没落し、有力者が土地を兼併集積して、不在地主と化した。商業が勢力を拡大し、貧富の差は拡大し、富者はごく少数で貧者は9割以上にのぼった。そんな富者のうち注目に値するのは、科挙の学位を有する紳士、すなわち「士」である。彼らはエリートの優遇特権として、徭役や租税の減免を受けた。そこで「庶」・庶民は、負担を免れるために、土地・財産のみならず身家さえも、あえて「士」に寄進した。こうして人と土地の動きは流動化していった。こうなると、政府当局は農地も労力も把握できない。「官」と「民」はどんどん乖離してゆく。それでも安定的な財源を確保するためには、新たな方法を考案しなくてはならなかった。そこで「一条鞭法」が登場する。その狙いは、種々雑多な負担、とりわれ徭役の項目をひとまとめにし、それを所有地と成年男子数に応じて、銀で割り当てるにある。割当ての基準で最も重視されたのは土地なので、納入負担を地主に求めた。こうした財富と負担の富裕層集中は、商業の領域でも進んだ。商業・流通に対する課税も、有力商人を指定して、納税を請け負わせる方法が成立、定着したのである。納税者が少数の富裕層のみで、政府当局が彼らしか相手にしない。現代にも通じる財政構造は、このとき出来上がった。17世紀以降の中国経済は、以上の推移のうえに成立する。この前提のもとに展開する経済を伝統経済と呼ぶ。

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