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2014年7月 6日 (日)

岡本隆司「近代中国史」(13)

7.経済体制と社会構成の定着

この未曽有の好況期に人口が急増した。既存の耕地と産物だけで増加した人口を養うのは不可能になっていく。そこで現れた政策は移住民とその開発である。江西・湖北・江南・四川の山地の開墾で、新大陸原産のタバコ・トウモロコシ・サツマイモがそこに植えられた。内陸の山岳地帯だけでなく雲南や広西・貴州・台湾などの、さらに縁辺の地にも移民の波は及んだ。中国内にととまらず、移住地は東南アジア諸国から新大陸まで及ぶ。地方間の分業と華人の生活圏・交易圏は、はるかに海を越えて拡大した。

人口の急増がもたらしたのは、移住民ばかりではなく、そうした流動を引き起こす一因となったのは、社会全体の貧困化であった。それは、貧民の大量発生で、彼らは未開地に移住するか、都市に流入した。生活は極めて苦しかったものの、今日でいうところの社会保障や生活保護などは皆無で、政府に代わって社会福祉の機能を果たしていたのが中間団体である。当の貧しい庶民は限られた土地・資本を奪い合う激烈な競争をしていた。そんな過当競争は、権力のチェックがないだけに際限がなく、信用は限られ金利ははね上がった。そうなると小さな耕地を小作する農民等は、市場に左右される商品作物よりも自給目的になる。以前述べた、地域の内需を自給が満たす割合が大きいのは、こうした事情によっていた。そんな自給を伴う経営で競争に勝つには、何よりも安価な生産が必要で、コストを切り詰めなくてはならない。かくて節約の容易な労賃コストが、まっさきに減らされ、労働・サービスへの対価は、限りなく低く抑えられた。華人が過酷な労働に耐える低廉な労働力だと評価されたのも、元来はこうした経済構造・行動様式に由来する。人口が右肩上がりで増えていくので、いよいよ貧困に拍車がかかり、その境遇は固定していった。

金利が上がり、貸借の競争が激化するのは、借り手の増加ばかりが原因ではない。貸し手の方に大きな資本がないことにもよる。18世紀の好況で、富める者はますます富み、都市の富裕層を中心に絢爛たる消費文化が展開した。しかし、事業への投資・資本の蓄積は進まなかった。そこには、当時の権力と社会の関係、あるいは伝統経済の仕組みが作用している。金融業に限らず、大きな資本を備えるには、なるべく多くの人から遊休の資金を集めればよい。その場合、見ず知らずの人に資金を貸しても、確実に返済してもらえる保証が必要である。また会計監査や破産手続きのように、投資に対するリスク回避の制度も構築しなくてはならない。それには、権力による広域的、統一的な金融の管理・市場への規制・背任への制裁が不可欠である。しかし、清代の中国では、それは不可能だった。官と民・政治が乖離し、私法の領域・民間の経済に権力が介入しなかったからである。貸借の保証はそのため、個々人間の信頼で成り立たせざるを得ない。信用はその範囲にしか広がらないから、金銭を貸借できる対象も、自ずから限られてくる。そのため「盛世」の事業資本は、我々が想像するよりも、はるかに小さい。余剰・遊休の資金は、奢侈に費やされるのでなければ、市場に出ずに退蔵されてしまう。たとえ富裕な大商人であっても、絶えず運転資金の欠乏に苦しんでいた。貧民はもとゆり、富民も限られた資本を奪い合い、決して安穏を約束されてはいなかったのである。

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