石井彰「木材・石炭・シェールガス」(3)
第2章 再生可能エネルギーの世界史
現在は、すでに述べたように相反する3つのエネルギーの「反革命」が進行中だ。言うまでもなく一つは、過去2回の真正エネルギー革命に反する、中世以前へのエネルギー回帰、復古運動ともいうべき、再生可能エネルギー導入促進運動だ。再生可能エネルギー推進派は、これは革命であるとしているが、エネルギーの歴史から見れば、間違いなく復古、反革命である。二つ目は、北米におけるシェールガス・シェールオイルの爆発的増産、資源量増大という「シェール革命」、すなわち再生可能エネルギー派からは、むしろ再生可能エネルギーによる「真の」エネルギー革命に反する「反革命」と見られている動きだ。三つ目は、同じく「石炭から石油へ」の第二エネルギー革命への反革命である、「石油から石炭」への再移行だ。
まず、再生可能エネルギーの導入促進運動が、なぜ反革命なのかをもう少し具体的に説明しよう。メソポタミア、インダス、黄河な゛との古代文明では、人口増加に伴う、農地拡大による森林破壊もあるが、通常は過度な薪炭採取によって森林が破壊された後に、農地として利用されたケースが大半と考えられる。薪炭の過度の利用→森林破壊→農地拡大→人口拡大→薪炭の更なる需要拡大と回転していき、遠からず環境崩壊に突き当たり、人口崩壊することになった。生活の維持に必要な、暖房・調理・土器製造・金属機器の冶金用・レンガ製造・窯業などの熱源は、世界中で薪炭がほとんどであった。薪炭の最大の問題は容易に手に入るので、長期的には再生可能であるにもかかわらず、容易に資源枯渇しやすいことであった。
欧州では、中世以降に次第に興隆してきた製鉄・金属産業や、窯業、レンガ製造、製塩、暖房、炊事の燃料として、18世紀まで森林を大量破壊してしまった。スイスやオランダの全面積に相当する森林が4年ごとに消滅していた。これは、建築用や造船用の木材需要を除外してである。だから、当時の風景画や人物画の背景は、はげが山が実に多い。このままでは、欧州も古代文明のように砂漠化、荒廃化の進行が必至であった。特に英国では18世紀初めまでには、ほぼ森林が消滅し、価格高騰で木炭を使えなくなった製鉄業や窯業が存亡の危機に瀕するようになった。そのため、それまでは存在を知られていたが、汚く、地中深く掘削するのが困難なために打ち捨てられていた石炭の本格使用を始めた。最初は石炭を製鐵に使用するのは、不純物が多くて極めて困難だったが、やがて石炭を蒸焼きにして不純部を取り除き、純粋の炭素成分に近くしたコークスを使用することで、これを解決した。この結果、むしろ木炭使用よりも製鉄の効率化がよくなった。これが産業革命に結びついていく。元来、西欧・中欧は大森林地帯であり、「木の文明」であった。家も家具も、公共建築物も乗り物も農具も機械類も燃料も、ほとんど何もかもが楢を中心とした木でできていた。今日、欧州の多くの地域では、住居や建築物の大半は石・煉瓦・コンクリートなどでできている印象が強いが、これは中世から近世に至る時代に、欧州では森林資源の大半を蕩尽してしまい、木材が払底した結果である。欧州は中世から18世紀にかけて、主として燃料用として薪炭需要を賄うために森林を徹底的に破壊してしまったから、近代になってやむを得ず石、煉瓦、コンクリート製の住居が主流になったのである。
森林枯渇、森林破壊によって石炭の本格的利用という、言わば「怪我の功名」である産業革命が生じたことについて、20世紀初頭のドイツの経済学者ソンバルトは「18世紀に、木材不足によって資本主義の終焉が目前に差し迫っていた。しかし、石炭は資本主義を、さらに欧州の文明的進歩そのものを救った」と指摘している。薪炭、牛馬から石炭への「強制された移行」は、単に結果的に経済的幸運を生んだ竹ではなく、欧州の森林回復への大きな福音となった。建造物の構造材などの材木としての利用も、石炭をはじめとして化石燃料が大量使用され出した後は、より強度があり、加工しやすい鉄骨などの金属材料、煉瓦、コンクリート、20世紀に入ってからはプラスチックにほとんど代替されて需要が減少し、森林復活に大きく寄与した。これから金属材料、煉瓦、コンクリート、プラスチック類の製造には、莫大な量の化石燃料が費やされる。
当然のことながら、日本でも事情はまったく同じであった。
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