手続きの独り歩き…かな(2)
考えながら書き込んでいるので、ロジックがちゃんとしていなくて、独りよがりの展開になってしまっているところがあると思います。今回は、前回と関連していないようで、いるようで、脈絡がない、かもしれません。
このところ、多くの企業が第一四半期の決算を発表しています。そのせいでしょうか、新聞等でも景気動向へのコメントが増えてきているようにも感じられます。その中でよく見かけるようになっているのが、「企業が成長のためにはイノベーションを起こしていかなければならない」といった類のコメントです。このイノベーションという言葉、流行なのでしょうか評論家といわれる人たちや経営者、政治家もよく口にしているようです。経営者が経営を語るときに必ずといっていいほどイノベーションを語るようになってきているようです。ある会社では、経営者だけに限らす、全社的にイノベーションを起こしていこう、現場作業の末端の従業員にまで意識付けをして社内で議論されているところもあるということです。じゃあ、そのイノベーションとはいったい何なのでしょうか。私見によれば、20世紀前半のオーストリア出身の経済学者シュムペーターが当時のドイツなどの新興の急激な経済発展を遂げている国や企業を調べると、その多くに従来にない革新的な技術や経営で新たな市場を起こしたり変革を起こしたりしていたりするのを見出し、それをイノベーションと呼んだということです。19世紀イギリスの産業革命がそうですが、蒸気機関という動力の登場と機械化による大量生産によって、従来の市場を破壊してしまう一方で新たな市場をつくりだし、それが爆発的に成長していったことで、企業が急成長を遂げ、そこに新たな企業が参入していくことでさせ、新たな市場に展開し、それが成長する。というように成功した経済や企業の多くがイノベーションを起こしていた。現代でいえば、スマートフォンという従来にない製品とコンセプトで大企業となったアップル等がそれに当てはまるかもしれません。そういうものが、企業の成長に必要だから、どの企業もイノベーションを起こしなさいというのが、最近よく言われることであると思います。
しかし、それは、結果の側からみたもので、急成長した企業を見てみたら、イノベーションを起こしたところが多かったということでしかありません。(学問的に正確なところは私には分かりませんが)実際に、他の会社の真似をして急拡大した企業だってあるはずです。(どことは言いませんが、アップルとスマートフォンで競争している大企業なんか、そう見えたりするのですが)逆に、イノベーションを起こしたから企業が急成長したかという、それは法則化できるものではい、というところでしょう。だから、イノベーションを起こしたから企業が成長できるかどうかは別のことではないのでしょうか。イノベーションが企業の成長や業績の拡大にいたるのは確率の問題で、相対的に高いという程度なのではないでしょうか。それは、技術面でのイノベーションについては技術革新という言葉が当てはめられます。そうかつて技術革新を次から次へと進めていた日本の「ものづくり」はそれだけイノベーションを起こしたはずですが、それらの企業は業績をさらに拡大したかといわれれば、多くの企業が衰退し、あるいは市場から退場してしまいました。だから、私が思うに企業が業績を伸ばし、日本経済が成長していくためにはと、金科玉条のようにイノベーションを起こせと連呼することではなく、それぞれの企業でイノベーションの可否をまず検討して、それが有効であるとしたら、何をどのようにという戦略が検討されるというのが本筋ではないかと思います。そこでは、イノベーションを進めるということについてロジックが必要なのではないかと、私には思います。イノベーションは手段であって目的ではないということです。そして、手段としていくつかあるうちのワンオブゼムであるということです。その目的と手段を取り違えて、イノベーションそのものが目的となってしまってケースが結構あるように思います。イノベーションといっても様々な内容があるはずで、その内容を問わないで、まずイノベーションありきというような議論がなされているように私には見えます。
先ほど、例として述べましたが、全社的に従業員みんなでイノベーションを起こしていこうという企業の例であれば、新機軸などということは果たして末端の現場から起こすことはありうるのでしょうか。それは職場の身近なところでの改善をしていきましょうということとは本質的に違うことのはずです。最初に述べた定義で言えば、イノベーションというのは従来の枠を塗り替えてしまうようなことなのですから。逆に身近にところで仕事を改善するということは従来の枠組みを強化することであって、むしろイノベーションに対立する行為であるはずです。たぶん、それを職場の上司が従業員に指示したということになるのだとすれば、そこでイノベーションということにでもなれば、その上司は必要ないということになってしまう可能性が高いのではないかと思います。
そこで見えることというのは、私にとってですが、イノベーションという流行の言葉のかっこよさにあまり考えることなく飛びついてしまって、とにかく現状を何でもいいから変化させるという形式的なことを実行してみる、ということです。私の見方はシニカルで独善的かもしれません。そこに、企業であれば、この会社というのは本来何をする会社であるのか、この会社の強みは何なのかということが検討されずに、イノベーションという特効薬のように見えるものに、流行に乗り遅れてはいけないと我先に飛びついているという光景です。
前回のべたことと、つながりを感じられたでしょうか。私も、つながっているつもりなのですが、うまく整理がついていません。
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コメント
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社員がこぞって提案をして、それを会社が取り上げて改善をする、というのは日本に特有の光景らしいですが、案外有効だと聞きます。イノベーションも、このレベルで受け取られている会社が多いのではないですか?また経営者が会社の閉塞感を打破するための提案を社員に求める、と云うのも日本的な光景です。それはあんたの仕事でしょ、と云いたくなりますが。
投稿: OKCHAN | 2014年8月 8日 (金) 05時25分