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2014年8月20日 (水)

石井彰「木材・石炭・シェールガス」(4)

水力発電は、歴史的には水車そのものの発展型である。最古の水車は古代ギリシャ等で発明された、水平に回転する水車で、この水平水車は18世紀ごろまで使用された。紀元前後のローマでは、垂直に回転するより汎用性の高い水車が発明され、歯車と組み合わされて、動力をいかなる方向にも供給することが可能になった。垂直式の水車は大型化が容易で、数馬力程度の水車が製作され、灌漑や製粉に使用され始める。川だけでなく、中世ヨーロッパでは海岸で使用され実用化されている。水車は次第に大型化、効率化された。水車の欠点は、川などに立地が制限されだけでなく、冬の川の凍結、夏場の渇水、大水の際の破壊などで、定常的な稼働が困難であったことだ。また、産業革命後の石炭による蒸気機関等に比べると、大出力を出すのは極めて困難であった。この水車を発電機を動かす動力として、1870年代、英国で世界初の水力発電所が誕生した。日本では、1888年に宮城県で水力発電が開始され、各地に次々と建設された。いずれも、今日でいう既存水路を利用した小型水力発電で、言わばその場で電力が消費される地産地消発電であり、自然破壊の程度は僅かなものであった。長距離送電を前提とした水力発電所は1907年、日本初の大型ダムを伴う大型水力発電所は1924年の大井ダムで、その後1960年代から70年代に次々と大型ダムが建設された。その代表的なクロヨンダムの出力は33万キロワットで、今の原子力発電所1系列の4分の1程度、天然ガス火力発電所の1系列の半分程度に過ぎない。もし現時点において、このような巨大ダムを新たに建設しようとしても、自然愛好者、環境派の反対運動で建設は不可能だろう。発電量と自然環境破壊のバランスの釣り合いが全く取れていないからだ。また、このダムがある黒部川が注ぐ日本海の海岸のすぐ東側、すなわち潮流の下流側にある、新潟県糸魚川市の姫川河口付近の海岸は、多数の大型ダム建設によって黒部川などの西側の川からの砂の供給が絶たれたため、年々砂浜海岸浸食されてほとんどなくなってしまっている。ただし、大型水力発電所は、再生可能エネルギーの中では最優等生である。なぜならば、出力あたり、あるいはエネルギー供給量当たりの自然生態系の破壊程度は、メガソーラー発電所や風力発電所等に比べれば小さく、しかも再生可能エネルギーの中では最も発電コストが低い。かつ最も供給量が安定しており、また機動性(電力需要の変動に応じた出力の随意の調整能力)も高い。コスト、安定性、供給可能量の面では火力発電や原発に肉薄し、機動性の面では石炭火力や原子力を遥かに上回る。水力発電は古くから実用化され、日本でも世界でも、地理的条件が許せば主要電源の一つとして信頼され、大規模に利用されているのである。他のすべての再生可能エネルギーは、原理的に、効率・コスト・安定性・信頼性・環境負荷などの全ての面で水力発電ゆりも大きく劣る。特に日本は、年間平均降水量が1500ミリを超え、地形が非常に急峻という、世界的に見ても水力発電に最も恵まれている国である。この水力という、再生可能エネルギーの中で最も優れ、かつ世界的に見て国土面積当たりで最も恵まれている水力資源をほぼ目一杯使い尽くしても、日本の電力総需要の僅か8~9%を賄っているにすぎないのである。しばしば、テレビなどで先進諸国の中で最も再生可能エネルギーに対する依存度が高いスウェーデンの事例が紹介されるが、スウェーデンの再生可能エネルギーの大半が水力発電である。しかし、スウェーデンは国土面積は日本とさほど変わらないが、人口密度が日本の20分の1程度しかない。それだけ日本は、国土面積に対して人口と産業規模、すなわちエネルギー需要密度が大きいのである。これは、人口密度が低く、経済規模が小さい北欧諸国等と再生可能エネルギーの導入比率を比較する場合に決定的なポイントである。

一方、水車は3000年前のエジプトから灌漑用に使用され出したが、水車と同様の種々の用途に本格的に使用されだしたのは7世紀のイスラム圏であり、欧州では12世紀からである。水車同様に水平回転方式と垂直回転方式があり、垂直回転方式の方が後から発明されて、より出力・効率が向上した。風車は水車に比べると、文字通り「風任せ」のため、更に使い勝手が悪く、稼働率も圧倒的に低かった。風車は水車よりも維持費もかかった。だから、川がほとんど流れない全くの平地や、低湿地のために水車がほとんど使えない場所、乾燥地で水車があまり使えない場所以外ではそれほど普及せず、水車の補完的位置づけに過ぎなかった。この水車と風車の歴史的な優劣関係は、今日での水力発電と風力発電の原理的な優劣関係と同じである。風力発電は、単に風車に発電機を取り付けたものにすぎず、原理的には何ら新しくない。近代以前のように風車に粉ひきやポンプの動力源として直接使用するのではなく、より利用の汎用性を得るため、動力の長距離移送のために、発電機をつけて電気に変換したに過ぎない。風力発電は1930年代のアメリカ中西部でブームになったことがある。農家と農家の距離が離れている中西部では、送電線網を建設するのはあまりに効率が悪すぎた。そこで水ポンプや冷蔵庫、照明、ラジオを駆動するために送電線が要らない風車を利用した風力発電機と蓄電池をセットしで各農家に設置することがブームとなったのである。しかし、風が吹くときは発電できるが、そうでない時はまったく発電できず、しかも発電できるときは電圧がふらつき、蓄電池があっても使い勝手が悪く、コストも非常に高かった。冷蔵庫やポンプのように、発電量や電圧が多少ふらついても、何とか意味のある利用が可能な機器なら良いが、それ以外の電気機器ではそうはいかない。祖孫送電線網が整備されるとともに風力発電は駆逐されていった。

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