無料ブログはココログ

« 黒田基樹「戦国大名─政策・統治・戦争」(3) | トップページ | 黒田基樹「戦国大名─政策・統治・戦争」(5) »

2014年8月30日 (土)

黒田基樹「戦国大名─政策・統治・戦争」(4)

第2章 戦国大名の税制

領主支配の基本単位となっていたのが所領であるが、年貢の納入先に応じてその性格が区分された。すなわち、大名に年貢が納入されるものを直轄領、大名から所領として与えられた家臣に年貢が納入されるものを給人領、同様に大名から所領として与えられた寺社に年貢が納入されるものを寺社領、と区分された。ただし、所領の形態は様々であった。一郷・一村がまるごと所領となることもあれば、一村の一部が所領となることも多かった。大名・家臣・社寺は、それぞれ独自の裁量によって所領を支配した。所領は複数を有して場合が多かったから、多くは代官を任命して支配を代行させたが、その際に代官が独自に収取できると区分や公事賦課なども認められていた。ひこれらも領主支配の一部をなしていた。それと別に大名は、領国内すべての村を対象にした公事を賦課した。

戦国大名は村に対して、様々な租税を課したが、それは制限なく課されるのではなく、いずれについても基本的に数量が決まっていた。その基準は、村の耕地面積をもとにした村高、村の中の屋敷数にあたる棟別に置かれており、それを確定する製作が、前者では検地、後者では棟別改などといった。村高はそのままで年貢高になるのではなく、様々な控除分が設定され、それを差し引いた残りの部分が実際の年貢高になった。検地は村ごとに行われ、村内の耕地について、賦課単位ごとに田と畠に区分し、面積を算出し、それに基準数値を乗じた高、その分の年貢負担を確定する内容であった。こうしたことから、検地が個々の百姓の土地所有権を決定するものではなかった。個々の百姓の所有地は、村によって決定されていたからである。

このような検地の性格は実は、室町時代までにおける領主検注や、織豊・幕藩権力による検地と、本質的には変わらないものであった。むしろ異なるのは、領主と村との関係のあり方にあったというべきであろう。それが検地の性格を異なるもののようにみせているにすぎない。そしてまた、村を対象にするということは、その村の領域を画定することでもあった。室町時代まで頻繁に見られた、耕地の帰属をめぐる村同士の抗争が、戦国時代になるとあまり見られなくなるのも、検地にともなって、村の領域が大名によって画定されたからと考えられる。これこそ室町時代までの領主と村の関係との顕著な相違といえ、このあり方は以降の織豊・幕藩権力にも継承されていった。もう一つの特徴は、検地によって算出された村高が、大名が家臣に所領として与えた場合に、その所領高としても機能したことである。これによって村高と所領高とが、統一的な基準によって表示され、互いに連動するものとされた。そしてこれは家臣に対する統一的な基準による役賦課をもたらすことになり、すなわち統一的な知行の体系を生み出すことになった。

« 黒田基樹「戦国大名─政策・統治・戦争」(3) | トップページ | 黒田基樹「戦国大名─政策・統治・戦争」(5) »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 黒田基樹「戦国大名─政策・統治・戦争」(4):

« 黒田基樹「戦国大名─政策・統治・戦争」(3) | トップページ | 黒田基樹「戦国大名─政策・統治・戦争」(5) »