手続きの独り歩き…かな(3)
6月の終わり、大きな話題となった項目の影に隠れるように国会の会期の最終日に、ひっそりと会社法の改正案が可決成立しました。企業法務にかかわる人以外には、あまり縁のない、したがって人々の関心も薄かったものだったと思います。新聞やテレビでも報道されなかったり、取り上げられたとしても通り一遍の報道で終わっていたように思います。法案の内容は手続き的な改正が大部分で関係者向けのものとなっているので、報道関係の記者の人々には分かりにくいことは確かです。新聞の経済欄で思い出したようにコーポレートガバナンスとか社外取締役とか見出しが出ることがありますが、記事を書くほうも上っ面だけを眺めて生半可なところでしか書いていないから、よく分からないというところではないでしょう。一応、新聞やニュースなどでは改正会社法の目玉ということになっているようです。
そもそも会社法というのは何を決めているのでしょうか。会社法というからには会社についての条文があるということでしょう。ということは会社についてのすべてがここに決められていて、会社は会社法に従わなければいけないのでしょうか。例えば、会社が存続するために一番重要な商売のことはどうでしょう、ものを売るということは売買契約です。これについては民法が規定しています。では売り掛けの回収については、これも民法の債権のなかにあります。商売の規制については独占禁止法や不正競争防止法等のいわゆる経済法があります。労働者については労働法があり、会社がつぶれたときには破産法があります。何か会社にとって重大なことはここにあげたものでほぼ全部ではないでしょうか。じゃあ、会社法っていうのは何なのか、ということでしょうね。で、会社法に主に書かれているのは、新たに会社を設立しようとしたときに、自己資金が潤沢にあればいいのですが、まず自己資金だけでは足りません。銀行も簡単に融資をしてくれないでしょう。となると。知り合いとかつてをもとめて人々を説得して資金を投資してもらうわけです。そのときに、その知り合いの人々は、担保も保証もないところに金を出すわけですから、何らかのルールが必要です。そのルールとして決められているのが会社法と思ってもらえれば、間違いはないです。会社を作ったからといって、投資してもらったお金をすぐに返すことができるわけではありません。だから会社を作ったときの関係が投資した人にはずっと続いているわけです。その人には、一体全体、いま、会社がどんな状態にあるのか分からないと不安でしょう。だから、一定期間で決算をしてその報告を株主総会でやらなきゃいけないし、大事な金を預かった会社が、その金を活用してちゃんと事業をするために、ルールで義務付けてあげなければなりません。それを全般的に決めているのが会社法です。そして、その中でも、とくに会社を動かしていく中心が社長とか取締役といった経営者ですから、そういう勘所の人たちを押さえれば、会社を押さえることになるので、その部分に絞ったのがコーポレートガバナンスです。
どうでしょうか、分かったような分からないようなことです。だから、このようなことを強く決めましょうという動きがあるということは、会社に出資した人々が、その出資したことに対して不安に思っているということが大きな理由として考えられます。なけなしの金を出資しているけれど、もしかしたら踏み倒されそうかもしれない。けれど、あの社長ががんばっているようには見えない。単純化するとそのような心情が、そういう動きの底流にあると思います。だから逆に言えば、会社の景気がよくて、株価がうなぎ上りで、配当金はたくさんもらえる。会社の将来も明るいなどというのであれば、だれも会社に対して不安を抱くことはないわけです。しかし、会社の業績は低迷して、リストラなんかやってるなどということになると、真面目にやってんのかということになるわけです。実際のところ、日本の株式市場を見てみると、いわゆるバブル経済という今から20年以上前につけた株価の最高値にいまだに追いついていないという異常な状態が続いているわけです。世界中の国々を探して20年以上前の株価と現在の株価を比べれば、例外なく、今の株価のほうが高くなっています。その中で日本だけが、20年前に届かない。ずっとマイナスです。ということは日本の企業経営はずっとマイナスの評価を受けているということです。ということは、そんな経営で果たしていいのか、日本国内だけをみれば、みんなマイナスですから怖くないのですが、そもそも、マイナスが続いて会社がつぶれないわけがないというのが普遍的な常識です。そんな常識外の経営をしているとしか、日本以外の常識では見えてしまう。だから、日本企業の経営をなんとかしろ、とコーポレートガバナンスの要求が生まれているといえるのです。
コーポレートガバナンスについて新聞等では不祥事が続く等と説明されていますが、企業不祥事なんて何も今に始まったことではなく、昔からあることで、その昔からコーポレートガバナンスなんて言われていたわけではないんです。実際、新興国の企業なんかで不祥事があってもコーポレートガバナンスことが大騒ぎにはならないでしょう。それは新興国の企業が成長拡大しているからです。ところが日本の場合は成長もしないで、しかも不祥事が重なるので経営は何をしているのか、ということになるわけです。だから、成長すれば実は文句をいう人もいなくなる。そういうものだと思います。
このような経緯を追いかけてみると、コーポレートガバナンスをきちっとやった、それで企業が成長拡大できるでしょうか。何か、これも大きな取り違えをしているように見えて仕方がありません。かりに、今回コーポレートガバナンスをキッチリやりました。とはいっても、それで企業が成長拡大し株価があがり続けましたということには、まずならないでしょう。そうであれば、投資をした人の不安は消えません。そうしたら、さらに経営者は何をやっているのか、ということになって、コーポレートカバナンスが足りないということになって、数年前のデフレスパイラルの説明そっくりのように見えてきます。
企業に投資をする人は、この会社はコーポレートガバナンスがしっかりしているから投資をしようというひとは、あまりいないのではないかと思います。それよりも、大多数の場合は、この会社は成長しそうだとか、いい製品作っているとかそういうところに会社の魅力を見つけ出して投資をしようとするのではないでしょうか。コーポレートガバナンスは、そういう点では会社を評価するときに減点を以下に減らすかという程度のことで、これが加点要素になることはあまりないのではないか、と思います。成長している企業にコーポレートガバナンスがしっかりしている会社が多いと言われそうですが、コーポレートガバナンスいいから会社が成長するということにはならないからです。
ここで、一ついえることは、コーポレートガバナンスという形式が会社の外から見えやすいということです。コーポレートガバナンスをしっかりやりました、ということは目に見える実績になる。しかも、このこと自体は悪いことではありません。ひこでは、私には当面の責任追及を受けなくてすむというような、あまり考えることをしないで、その場しのぎをしているように見えて仕方がありません。これも、前回のイノベーションと関連しているつもりですが…。
その辺のことは、うまく説明ができていなくて、私自身も歯がゆく思っています。
ひとつ申し添えてきますが、日本企業の経営者がサボっているとか、バカとかいっているわけではないのです。私自身、経営者ではありませんが、企業の中にいる人間ですので、経済状況についての責任を免れる立場ではないのです。もし、そんなことをいえば、それは天に向けてつばを吐くようなものです。そうでなくて、全体としての風潮というのか、そういう議論が大手を振って通ってしまうことに対して、どうなのかということが、うまく言葉にならないのですが、つらつらと書いているというわけです。
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