無料ブログはココログ

« 黒田基樹「戦国大名─政策・統治・戦争」(8) | トップページ | ジャン・フォートリオ展(2) »

2014年9月 4日 (木)

ジャン・フォートリオ展(1)

Fautrierpos2014年7月9 東京ステーションギャラリー

大型台風が日本列島に接近し、その先駆けが各所で大雨や土砂崩れの被害を受け始めているような天候のなか、東京の空は、今にも崩れそうな雲行きでありながらも一種の小康状態にありました。そんな中、都心でセミナーがあったついでに、東京駅の中にあるギャラリーなので雨に濡れることもないだろうと、展覧会の期間も終わりが迫っているし、機会を逃すべきでないと、行ってみることにしました。とはいっても、閉館前の1時間という限られた時間になってしまい、また高校生の美術鑑賞か何かの課題学習のようなグループでノートを抱えながら学習?している団体と一緒になってしまい、落ち着いて作品を見ることがなかなかしにくい状態となってしまいました。彼らには悪いのでしょうが、邪魔でうっとおしいので、怒りがこみあげてくるのを抑えるのに苦労して、落ち着いて作品を見ることがなかなかできませんでした。あれは、なんとかしてくれないか、というのが正直な気持ちです。余計な話は、このくらいにして作品について少しく述べていきたいと思います。

ジャン・フォートリエという人は、あまり馴染みのない名前だと思います。私も、この展覧会ではじめて見た人です。それなので、簡単に紹介しておいた方がいいと思います。もとより、初めて作品に触れた私には紹介することはできないので、展覧会チラシの説明を引用します。“ジャン・フォートリエ(1898~1964)は、1908年にバリからロンドンに移住、ロイヤル・アカデミーとスレイド美術学校で学び、1922年、写実的な絵でソロン・ドートンヌに初入選。その後、色彩の暗い抽象化した画風へと変化し、1930年代は不景気もあり絵が売れず、美術界から一時遠ざかりました。第二次世界大戦が勃発すると、パリにもどってアトリエを構え、制作を再開します。1943年からはドイツ軍の捜査を逃れ、友人の手助けを得て、戦時体験をもとにした連作に取り組みました。これらをパリ解放後すぐのドゥールアン画廊の個展に発表、フォートリエは文学者、批評家らの称賛と批判を浴びながらパリの美術界へ復帰を果たしました。厚い絵肌に戦争で抑圧される人間像を半ば抽象的に印し、その主題と確かな存在感をもつ絵自体の強さによって、《人質》シリーズは、人々に深い衝撃を与えたのです。以降、フォートリエは、厚い絵具の層を基盤にして、人体や自然をテーマに、美しく緊張した絵画を突き詰めました。”まあ、これではどのような作品を描いたのかは見えてきませんが、人物事典てきな伝記的情報はこの程度で十分ではないかと思います。では、フォートリエという人は、どのような作品を描いたのか。

Fautrierkatuki具体的な作品については、この後で個々に見ていきたいと思いますが、まずは私の大雑把な、「こう見た」というのを述べておきたいと思います。上で展覧会チラシを掲示していると思いますが、ここにある画像は『人質の頭部』という作品で、チラシの解説でも触れられていた《人質》シリーズの代表的な作品ということです。作品のタイトルが人質の頭ということですが、とても一見で人間の頭部には見えません。キャンパスに絵の具を厚い層のように塗り固めた卵型の形状で、白や暗いグレーを基調とした色の抽象画といってもおかしくありません。とはいっても、今まで私が見てきた抽象画の作品とは異質な感じがします。それは、誤解を恐れずに端的に言えば感覚的な美しさが感じられないのです。どういうことかというと、抽象絵画の代表的な画家たちの作品は、絵画の様々な要素、例えば色彩とか形態とか画面の構成とかいったものの中から、特に重要と思われる要素を抽出され、それらを中心に作品を創り直してきたというイメージがあります。例えば、カンディンスキーは風景を塗り絵のように色彩の配置に置き換えることを進めて行くうちに、その色彩で構成されるコンポジションを制作し始めました。そこには、目で表面的に見ることの出来ないものを見ようとして、感覚的な要素に操作を加えることで、それを作品にしようとしたという面もあるかもしれません。そこに感覚の奥底を突き詰めようとした面もあって、カンディンスキーの作品は色彩が乱舞するような感覚的な美の喜びに満ち満ちたところがあります。これに対して、フォートリエの作品には、そういう色彩の喜びは感じられません。では、フォートリエは絵画の要素のどんなものを抽出しようとしたのか。そう考えると、色彩、形態、画面構成といった私のこれまで見てきた抽象画でピックアップされた要素には、あまり注意を払っていないような感じがします。そこで、フォートリエがピックアップしようとしたのは「存在」ということではないのだろうか、と思いました。誤解を恐れずに言えば、フォートリエは「美」という本質の前に、そこにあるという「存在」を追求しようとしたのではないか。そう私には見えました。それは、初期の静物画の中にセザンヌを彷彿とさせるものがあったからかもしれませんが、例えば、今見ている『人質の頭部』でも、厚く層のように塗り固めた絵の具は物体としての重量感とか、それがあってどっしりと存在しているという要素を抽出してきたのではないか、と私には思えました。それは、絵画は美を表現するという本質(があったとして)は、絵画そのものが、まず存在していなければ本質を追求するどころではない。そこで、ここに、まず絵画というもの、画面をしっかりと存在させよう。そういう姿勢が感じられました。それは、描く対象に対しても、多少文学的な想像力の飛躍を働かせますが、「人質」という極限状態は、人間性を剥奪されるに近いところで、生存するか否かに追い込まれた状態だったと思います。そこでの人質はまず生存(存在)しなければ、と全力を傾けた。そこに本質とかきれいごとを言う前の存在が剥き出しになった(ちょうど、この作品が制作された当時、流行した実存主義的な言い方です。例えば、ジャン・ポール・サルトルの『嘔吐』という小説には、そういう表現が沢山出てきます。)、そういうところで、フォートリエは描いていた、あるいは描こうとしたのではないか。私には、そう思います。だからこそ、何か見るものに迫ってくるようなところがあります。これは、別のところで触れることができるかどうか分かりませんが、香月泰男の作品に通じるところがあるように思えるところがあります。

さて、展示は、次のような章立てでしたので、それに沿って個々の作品を見ていきたいと思います。

第1章 レアリスムから厚塗りへ(1922~1938年)

第2章 厚塗りから「人質」へ(1938~1945年)

第3章 第二次世界大戦後(1945~1964年)

« 黒田基樹「戦国大名─政策・統治・戦争」(8) | トップページ | ジャン・フォートリオ展(2) »

美術展」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ジャン・フォートリオ展(1):

« 黒田基樹「戦国大名─政策・統治・戦争」(8) | トップページ | ジャン・フォートリオ展(2) »