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2014年9月14日 (日)

ジャズを聴く(14)~デクスター・ゴードン「ワン・フライト・アップ」

デクスター・ゴードンは、3度のカムバック等のハリウッド映画にもなりそうな、色鮮やかで波乱にとんだ人生を送った。ビ・バップの時代に現れた最高のテナー・サックス奏者で、特徴的な独自のサウンドの持ち主。ゴードンは時には諄くて他の曲からの引用が過ぎることもあったが、スケールの大きな優れた演奏を創造し、ジャムセッションでは誰とでも火花の散るような共演をすることができた。彼の最初の重要なギグは1940年~43年のライオネル・ハンプトンとのものだったが、サックスにはイリノイ・ジャケがいたためにゴードンはソロをとることができなかった。1943年にナット・キンク・コールのレコーディング・セッションで、彼は初めて伸び伸びと自由にプレイすることができた。リー・ヤング、フレッチャー・ヘンダーソン楽団、ルイ・アームストロングのビック・バンドとの短期間のプレイをこなし、1944年12月にニュー・ヨークに移り、ビリー・エクスタイン楽団の一員となった。エクスタインの「Blowin' the Blues Away」のレコーディングでジーン・アモンズと契約をした。ゴードンは1946年、ロサンゼルスに戻る前にサボイ・レーベルのために、リーダーとしてディジー・ガレスピーと共にレコーディングをした。彼はシーンのメインストリームの中心にいた。数多くの伝説的なテナー奏者とのバトルはワーデル・グレーやテディ・エドワーズとの契約に至り、チェーズやディアルのスタジオ・レコーディングは時代の雰囲気を残す助けとなった。

1952年以後、麻薬問題のために50年代を通じて、数回の短期間の囚役を含めて活動停止の状態が続いた(1955年の2枚のアルバムを録音しているが)。1960年にカムバックすると、すぐにブルー・ノートにレコーディングを行っている。人気が回復してきた1962年にヨーロッパに渡り、1972年までとどまった。ヨーロッパにいる間、彼は絶好調だったと言える。スティープルチェース・レーベルでの数多くの録音は彼のキャリアの中でも最も素晴らしいものだ。1965、69~70、72年と不定期にアメリカに戻りレコーディングしていたが、故国ではほとんど忘れられてしまっていた。それゆえ、1976年の彼の復帰がマスコミに大きく取り上げられたのは、大きな驚きだった。クラブで彼を見るための人々の長い行列は生きた伝説となった、彼に対する突然湧きあがった大きな関心を表わしている。ゴードンはコロンビアと契約し、80年代前半までに徐々に健康を害して活動を半減させてしまうまで高い人気を保っていた。彼の3回目のカムバックは、映画「Round Midnight」の主演に指名されたことによる。彼の演技はリアルで感動的だった。非常に充実した人生を送り亡くなる4年前にアカデミー賞にノミネートされた。彼のプレイは様々なレーベルでレコーディングされ、現在でも、その多くを聴くことができる。

 

One Flight Up    1964年6月2日録音

Jazdex_oneTanya

Coppin' The Heven

Dan That Dream

 

Bass – Butch Warren

Drums – Billy Higgins

Piano – Sonny Clark

Saxophone [Tenor] Dexter Gordon    

 

デクスター・ゴードンが渡欧中だった1964年に、現地に活躍の場を求めていた面々と録音したアルバム。全編にわたり、粘っこいリズムをうけて、思わせぶりなポーズが長尺でつづく、即物的なビ・バップからヨーロッパの地でノスタルジックな哀感をおもわせるハード・バップになっている。思うに、ゴードンをはじめとして、ここで録音に参加しているドナルド・バードもケニー・ドリューもアート・テイラーらがヨーロッパに渡ったのは、アメリカでは食べていけなくなったからで、1940年代から50年代に興隆したジャズは、次第に人気を他の音楽ジャンルに奪われていったという。黒人の音楽と言われながら、黒人の若者リスナーをリズム・アンド・ブルースに奪われ、エルヴィスやビートルズといったポップスの興隆の陰でジャズのミュージシャンは活動の場を失っていった。ジャズ・ミュージシャンの中には、ジャズ・ロックなどの試みやポップスのセッションに参加するなどして一種の変節によって食いつなぐ人もいたが、ゴードンのような不器用なミュージャンはそれもできなかった。一方、ヨーロッパではクラシック音楽の伝統からジャズを異文化のアートとして鑑賞する一定の層が存在していたようだ。そこでは、ポップスに迎合するのではなく、ジャズをハイエンドとして、その特徴であるアドリブのプレイを鑑賞する空気があったようだ。かといって、ヨーロッパの伝統的な音楽文化の中では、アメリカのような即物的な文化とは異質な、意味を求められ続けたのではないか想像できる。そういう環境のなかで、純正なモダン・ジャズを提示することを続けて、ヨーロッパナイズしていった結果として生まれた録音という想像ができる。それは、ビ・バップが徹底的に音を抽象化して、音の即物的な運動を追いかける楽しみというのではなくて、感情でも、気分でも、その何らかの内容を込めて、託して音楽を伝えるものに変質していった。この録音と、2年前に録音された「GO」を比べると、この作品の意味ありげなポーズが際立つのは、そのためではないか。しかし、このような要素が加わることで、後のジャズのリバイバルの際に、ゴードンの音楽にノスタルジックな要素を加わり人気を獲得した遠因になっているのではないか、と勝手な妄想をかきたてる作品ではある。

1曲目「Tanya」かつてのLPレコードであればA面をこれ1曲のみで埋めてしまう長尺の演奏。ピアノ・トリオの編成によりアグレッシヴに刻まれるちょっとしたブレイクの入る独特のリズムは、いつになく雄弁でいわくありげに聞こえる。ピアノが執拗に繰り返すリズム音形が耳について離れないほど印象的で、このフレーズのちょっとミステリアスでダークなムードが曲全体を支配して、聴き方によっては、このピアノのフレーズがメインで、その上でサックスやトランペットが展開するのは飾り程度に聞こえてくることもある。じっさい、最初に、サックスとトランペットのユニゾンで退廃的なテーマで入る前に、一度ピアノと3人でリズム音形をユニゾンで繰り返して、これから入ってくると、予告するようなところもある。そういう曲のあり方がゴードンのプレイのクセにうまく適合していると思う。それが、この演奏の成功の一番大きな要因ではないか。(もともと器用な人ではなく、歌いまわしと、ビ・バップから生き残ったというブランドからイメージされる味わいが、一方でクラシック音楽のように一種の骨董品としてハイソ趣味を嗜好するヨーロッパ人や日本人、そして高い階層の黒人をターゲットに晩年の成功に結びついた人だろうから。)ピアノのリズム音形をひとつの基準のようにして、いわゆる“後ノリ”によってそこからに微妙にズラしながらフレーズを乗せるのが際立つ効果をあげられている。クラシック音楽でいうテンポルバートでショパンの曲を演奏をするピアニストのような感じだ(ここで、アルフレッド・コルトーの名をあげたくなる)。しかも、ミステリアスでダークに雰囲気が、ゴードンの低く、野太いサックスの音色とうまくマッチしていて効果をさらに高めている。そのため、テーマからアドリブに移るときに、少し転調しているのが、とても印象的に映える。普段は、テーマから一本の流れのようにアドリブに続いていく人が、珍しく転換させているからなおさらなのだ。18分に及ぶこの演奏は全体として雰囲気に浸るもので、それこそがゴードンの特質に合っていると思う。

このアルバムには、他に2曲収録されていて、それぞれによい演奏だが、それらはあくまでも、この1曲目があるがゆえに存在しているようなものなので、そっちだけを取り出して(1曲目をさしおいて)聴きたいというほどものではない。

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