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2014年9月 1日 (月)

黒田基樹「戦国大名─政策・統治・戦争」(6)

第4章 戦国大名の行政機構

北条氏や武田氏など、領国が数カ国にわたるような大名になると大名家当主がそれら領国すべてに対して、直接に当たることは難しくなってくる。そうして登場してくるのが、領国を構成する行政単位ごとに支配を委ねていく、いわゆる地域分権化の動向である。領国が広域化してくると、大名本拠のみによって防衛していくのは無理となり、他にも軍事拠点が設けられることになるのは当然であろう。それに軍事拠点は、いうまでもないが軍事的緊張への対応のために構築・維持されたのであり、その状況が解消されれば維持する必要はなくなり、たいていは放棄されていくことになる。しかしそれらの中で、周辺地域に対する行政支配を管轄するようになって、軍事的緊張とは関係なしに恒常的に維持されるものが見られるようになってくる。こうした城郭を支城といい、この支城が、大名領国らなかにおける軍事・行政の地域支配拠点として位置した。支城の維持に当たっては、周辺地域の村の負担があてられた。

領国のなかの領域支配者については、領域に対し行使できる機能、領域における知行制のあり方によって多く四つの階層に区分することができる。

 

第6章 戦国大名の戦争

戦国大名とはそもそも、戦争をする権力体である。その戦争はいうまでもなく対外戦争であり、基本的には他の戦国大名との戦争であった。そしてそのことの表裏の事態として、領国内における紛争抑止が進んでいき、これまでに見てきたような「惣国」が平和領域の単位となるような事態が作り出されていくようになってきた。それでは翻って、戦国大名はどうして戦争をしていたのであろうか。一昔前までの戦国大名論では、戦国大名は本来的に領土拡大欲を持ち、領国支配もそれを実現するための富国強兵策を第一義としていた、といった理解にあった。まさに戦前の軍国主義国家を投影した認識であり、しかもそれを大名家当主の個性に還元する傾向が強かったから、そうした理解はいわゆる「英雄史観」と大差ないといわざるを得ない。

まず、戦国時代における戦争の日常化という事態の背景には慢性的な飢饉状態があったことは間違いなく、そのため戦国大名の戦争の背景にも、慢性的な社会状況を見ることができる。戦国大名が戦争をしている季節が、夏の麦の収穫期や秋作の収穫期に顕著であることも戦争の中では下級兵士による略奪が行われていたことをみれば、それは否定できない現実として受け止めざるをえない。

しかし極論すると、戦国大名は全方位で戦争状態にあった。そうした状況で、具体的に戦争を展開できるのは、その中の一部に過ぎなかった。戦国大名が動員できる軍勢には限度があったからである。実際に戦国大名の軍事行動について、その政治的契機を見ていくと、そのほとんどは、従属する国衆からの支援要請に応えたものであった。そもそも敵方への最前線にあった国衆は、その敵方大名から離叛して従属してきた者であったり、あるいは隣接する国衆が敵方大名に従属したために、最前線に位置するようになっていた。戦国大名のもとには、最前線に位置する国衆から、常に支援要請があり、実際にはそのなかで優先度の高いものから、支援を行っていた、というのが実情であった。

しかし情勢によっては支援できない場合もあった。その結果として、国衆が離叛し、敵方大名に従属してしまうことは珍しいことではなかった。そうした場合、大名は味方勢力から「頼もしからず」と評判された。戦国大名は、従属国衆からの支援要請に応えなければならなかったのであり、そのことは大名自身も自覚していた。それは名誉を損なうことであった。

そこで、大切なことは、損なわれた名誉の回復、という事態であろう。敵対大名から領国内へ侵攻を受け、そこで敵兵によって領国住人の財産が略奪されてしまったこと、従属していた国衆が離叛したこと、というのはすべて名誉を損なうものであった。損なわれた名誉は回復しないと、「頼もしからず」というレッテルが貼られた。戦国大名の権力構造は、重層的な「頼み」構造にあり、大名家はその頂点に位置していただけに、その名誉毀損をそのまま放置しておくことは、他の国衆も相次いで離叛したり、重臣たちも離叛したり、あるいはクーデターによる当主交替などの事態が生じる等、大名家そのものの崩壊をもたらしかねなかった。だから反撃や報復のための攻撃を行い、それによって損なわれた名誉の回復に当たる必要があったのであろう。同様のことは他大名との外交関係においても見られた。

こうしたことからすると、戦国大名の戦争の具体的な展開の背景には、名誉観の問題が大きな位置を占めていたことが分かってくる。これは社会全体の存立が、現代のような法に基づく権利等に裏打ちされたのではない前近代社会にあっては、何よりも名誉によって維持されていたことに関わっている。名誉損害を受け、そのまま放置しておくというのは、社会主体として認識されなくなることに通じるものとはいえ、社会全体として存立し続けるというのは、名誉を維持し続けることであった。戦国大名もそうした社会観念のなかで存在していたのであった。

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